No55 オマハ/元ネタ解説

Last-modified: 2020-05-02 (土) 01:24:05
所属United States Navy
艦種・艦型オマハ級偵察巡洋艦→軽巡洋艦(1920)
正式名称USS Omaha (CS/CL-4)
名前の由来City of Omaha アメリカ合衆国ネブラスカ州ダグラス群オマハ市
起工日1918.12.6
進水日1920.12.14
就役日(竣工日)1923.2.24
退役日(除籍後)1945.11.1 1945.11.28除籍(1946.2解体)
全長(身長)169.3m
基準排水量(体重)7050英t(7163t)
出力Yarrow式重油専焼缶12基Westinghouse式蒸気タービン4基4軸 90000shp(91248.3PS)
最高速度35.0kt(64.81km/h)
航続距離15.0kt(27.78km/h)/9000海里(16668km)
乗員指揮官29名 乗組員429名(平時)
装備(竣工時)6inch53口径連装砲2基4門+単装砲8門計12門
3inch50口径単装高角砲8門
21inch魚雷発射管三連装2基6門+連装2基4門、計10門
機雷x224
艦載機x2
装備(1945)6inch53口径連装砲2基4門単装砲6門
3inch50口径単装高角砲8門
21inch三連装魚雷発射管2基6門
ボフォース40mm機関砲x6(3x2)
エリコン20mm機関砲x14
機雷x224
艦載機x2
装甲舷側:3inch 甲板:1.5inch 砲塔:1.25inch 艦橋:2.5inch
建造所Todd Shipyards, Tacoma, Washington
(トッド・パシフィック造船所 アメリカ合衆国ワシントン州ピアーズ郡タコマ市)
勲章Navy Combat Action Ribbon
American Defense Service Medal(Atlantic device)
American Campaign Medal
European-African-Middle Eastern Campaign Medal(1 star)
World War II Victory Medal
  • オマハ級軽巡洋艦の1番艦ネームシップ。姉妹艦と合わせて10隻が建造された。
  • 設計当時は大艦巨砲主義が全盛の時代。艦隊決戦における日本軍の新鋭軽巡洋艦に対抗するため、艦隊型偵察巡洋艦として設計されたのがこのオマハ級である。
    駆逐艦をそのまま大型化したような設計であり、35ノットという高速性と6インチ砲といった高火力の武装を有していた。
  • しかし登場は前述の通り第二次大戦前、それもオマハの建造開始は第一次世界大戦が終了してすぐの1918年12月。
    第二次大戦の頃にはすっかり旧式となっていた巡洋艦だった。どこかの某軽巡とデジャブが
  • 主砲に6インチ砲を合計12門搭載し、21インチ魚雷の3連装発射管と連装発射管を両舷に1基ずつ備えた火力重視のスタイルは日本の新鋭巡洋艦を強く意識したもので、犠牲になった防御力は米海軍の軽巡としては初となるシフト配置を採用して被弾後も速力を維持できるよう考えられていた。
    一方で主砲配置は連装砲塔2基の他は上下2段のケースメート方式を用いるなど旧式なスタイルで、荒天時の安定性も悪いなど、仮想敵としていた日本海軍の巡洋艦と同様の欠点も抱えていた。
    このため1930年代には旧式故最前線へ出さないことなどもあいまって、安定性向上のためマストの切り詰めや後部ケースメート配置の主砲2門や連装魚雷発射管が撤去され、代わりに艦載機が搭載されるなどより哨戒任務に適した改修が行われている。一部の船は後部艦橋の上に単装6インチ砲を設置し、火力の低下を防いでいた(中心線上にあるので左右どちらにも向けることができた)。
     
  • 10隻が建造されたオマハ級であったが、機関とボイラーは建造時期によって違い、3種類の組み合わせがあった。
    艦名タービン機関ボイラー
    オマハウェスティングハウス式ヤーロー式
    ミルウォーキー
    シンシナティ
    ローリーカーチス式
    デトロイト
    リッチモンドパーソンズ式ホワイト・フォスター式
    コンコード
    トレントン
    マーブルヘッド
    メンフィス
  • 初期に建造されたオマハ、ミルウォーキー、シンシナティの3隻は10ノットで6400海里の航続性能しか発揮できず、機関をカーチス式に入れ替えたローリーとデトロイトも10ノットで10000海里(18520km)の航続性能は厳しかったようである。リッチモンド以降の艦は15ノットで9000海里の航続力を持っており、前期型5隻とは無視できない航続性能の差があった。
    このため、艦隊側では運用面で5番艦までと6番艦以降を明確に分ける必要があったという。
     
  • 第二次大戦時はすでに旧式艦であった事から、前線の任務には使われず、もっぱら非激戦地での哨戒任務や偵察任務などに使用された。
    そうした任務の性質上、激しい戦いを経験する事なく、すべてのオマハ級軽巡洋艦は喪失艦なしで大戦を終えている。
    • 同型艦のマーブルヘッドは1942年3月2日に、高雄・愛宕の攻撃で撃沈したと発表されたが、当時マーブルヘッドはジャワ沖で受けた爆撃を直すためにチラチャップへ移動中であり、実際に撃沈されたのは駆逐艦ピルスバリーであった。
      ピルスバリーもマーブルヘッドも4本煙突の船であり、日本側・米側双方が誤認していた。ピルスバリーはわずか6分で撃沈され、生存者もいなかった。
  • ネームシップのオマハもそうした哨戒任務などで使用されていた。
    第二次大戦参戦前の1941年11月6日、大西洋方面での哨戒活動中にドイツの通商破壊船オーデンヴァルドを捕獲するという成果を挙げている。
    第二次世界大戦に突入後は、ドイツの密航船を監視し、1944年の1月4日と5日にはドイツに物資を輸送中の船舶を攻撃、撃沈している。
  • 1944年の3月以降はヨーロッパ方面の戦いにも参戦、艦砲射撃艦隊の護衛や、上陸作戦支援などでフランス・イタリアなどを回った。
    その後は南大西洋での哨戒任務に就く。1945年8月15日、哨戒任務中に終戦を迎えている。
  • その後、本国フィラデルフィアへと戻ったオマハは1945年11月に退役、除籍。翌年2月に解体された。ほかのオマハ級も1946年から47年にかけて解体されたが、1944年4月20日からソ連に貸し出されたミルウォーキー→ムルマンスクは1949年3月まで運用され、アメリカに返却されてから解体された。
  • 同じ頃に建造され、旧式軽巡洋艦でありながら太平洋戦線の前線に投入され戦没した天龍とは対照的な道を辿った軽巡洋艦であった。