No69 響/元ネタ解説

Last-modified: 2019-07-02 (火) 01:21:07
所属大日本帝國海軍→Военно-морской флот СССР(1947)
艦種・艦型吹雪型駆逐艦
正式名称響(ひびき)→Верный(1947)→Декабрист(1948)
名前の由来響 音が広がり伝わっていく様
→Верный ロシア語で真実の、信頼できるという意味
→Декабрист ロシア革命の発端となったデカブリストの乱の参加者
起工日1930.2.17
進水日1932.5.7
就役日(竣工日)(1932.11.30)
除籍日1945.10.5
ソ連海軍移籍日1947.7.5(7.22改名)
ソ連海軍除籍日(除籍後)1953.2.20(1970年代標的艦として沈没)
全長(身長)118.5m
基準排水量(体重)1680英t(1707.0t)
出力ロ号艦本式重油専焼缶3基艦本式蒸気タービン2基2軸 50000shp(50693.5PS)
最高速度37.5kt(69.44km/h)→34.5kt(63.89km/h)(1935)
航続距離14.0kt(25.93km/h)/5000海里(9260km)
乗員219名
装備(竣工時)50口径三年式12.7cm連装砲3基6門
留式7.7mm機銃x2
61cm三連装魚雷発射管3基9門
爆雷投射機x2
爆雷投下軌条x2
装備(1945)50口径三年式12.7cm連装砲2基4門
九六式25mm機銃x28(4x3+2x1+14)
61cm三連装魚雷発射管3基9門
爆雷投射機x2
爆雷投下軌条x2
装備(改装計画)130mm50口径P1936単装砲
37mmV-11対空機関砲x4(2x2)
37mm70-K対空機関砲x2(2x1)
533mm三連装魚雷発射管1基3門
BMB-2爆雷投射機x2
MBM-2対潜ロケット発射機x1
装甲なし
建造所舞鶴工作部 (現 ジャパン マリンユナイテッド社舞鶴事業所) (日本国京都府舞鶴市)
  • 1933年に建造された暁型駆逐艦。日本海軍の響の名を持つ艦としては2代目。
    大東亜戦争では姉妹艦と第六駆逐隊を編成し、戦場を駆け巡る。
    そして一人生き残り、戦後は賠償艦としてソ連に渡った。改造するとロシア語を喋るのはこのため。
    海軍後進国のソ連では響は貴重な研究材料として扱われ、確立された確かな技術が用いられている事から
    ヴェールヌイ(信頼)という名前を与えて自軍に編入した。
  • 1945年の日本敗戦に伴い、復員輸送後に日本海軍の残存艦艇は賠償艦として戦勝国へと引き渡されている。
    イギリス、アメリカに引き渡された艦の多くはスクラップとして処分されたり標的艦として沈められる等の末路を向かえている。
    一方で、ソ連や中国など海軍戦力に乏しい国ではこうした賠償艦はまさに渡りに船であり、自国海軍に編入され使用された。響もそのうちの1隻であった。
  • 終戦後、復員輸送艦として計14回の航海を終えた響は、賠償艦としてソ連へ引き渡される事が決定した。
    1947年7月5日、ナホトカにて響はソ連に受領されるが、ソ連側の乗員は響で採用されている蒸気タービンを知らず、ただ驚嘆するばかりであったという。
  • 7月中にウラジオストクに回航された響はヴェールヌイ(Верный 「信頼できる・真実の」という意味)の艦名を与えられた。
    もっとも、引き渡された後の調査でソ連当局は整備不足かつ復員輸送後で武装解除されていた事から改修の必要を迫られ、技術者を困らせている。
    • 余談だが同じように賠償艦として中華民国へ渡った雪風はと言うと、受領した乗員たちが感嘆するほど入念に整備されて引き渡されたという。
       
  • 1948年6月、分類を練習艦に改められたヴェールヌイは艦名をデカブリスト(Декабрист、12月党の乱に参加した同名人物に因む)へと変更された。
    その後は練習艦を経て、標的曳航船へと使用されたのちに1953年2月20日に除籍された。
    • 響が戦闘艦として利用されなかった理由については敗勢名物資料破棄とソ連側の予算・技術不足が挙げられる。
      第二次大戦前に建造された旧式駆逐艦であり、艦齢も20以上になっていた響はこうした補助任務でしか活躍の場を得られなかったのである。
      実際には何度か武装を強化し、警備艦として運用するよう計画が立てられているが、予算・技術不足により実現しなかった。
  • 1970年代まで保管されていたものの、海軍航空隊の標的艦として海没処分され、響は軍艦としての生涯に幕を下ろした。
    現在ではウラジオストク沖に沈んでおり、ダイビングスポットとして、今でも海底に横たわる船体を確認できる。