日本の政治形態

Last-modified: 2009-10-06 (火) 12:19:17

日本の政治(政治形態)

 日本の天皇は初代から現在まで継続している、世界で唯一の世襲です。

 天皇の継続図から、150歳以上生きた天皇がおり、100歳以上生きた天皇がたくさんいたことに  
 なり、継続図は、第2次世界大戦前に作成されたと言われています。
 戦国時代終焉、、明治維新、世界大戦、天皇が御旗となりました。つまり、天皇は戦争を正義化
 するための道具だったのです。
 天皇陵(古墳)を宮内庁が管理しているのは、この歴史を守るためです。

 武家政権はトップではありません。そもそも『征夷大将軍』という役職は天皇から与えられたもの
 であり、将軍は天皇の部下にあたります。

 日本は現在に至るまで、天皇を統治者とした官僚社会です。織田信長も徳川家康も明治維新の
 立役者たちも目指したのは官僚つまり、行政のトップです。決して国家統治者を目指したわけで
 はありません。明治以降立法が行政から分離しましたが、基本的には其の体制は変わっていま
 せん。

 元々、大納言・中納言・少納言は複数おり、武家社会のときは公家と武家のどちらもが同時に任
 命されていました。室町幕府のとき意外は武家は京都にはいないので(室町幕府のときであって
 も、幕府の中央組織の人間以外は普通京都にいない。)、京都で行われる朝廷の会議に出席す
 るのはほとんど公家だけでした。

 武家の朝廷における官職は、実質的に名前だけの『名誉職』だったのです。

 太政大臣・左大臣・右大臣・内大臣はさすがに一人だけで、(太政大臣は、通常は空席のことが
 多い。)武家と公家が同時に同じ職に就くことはありませんが、これら4人のすべてが武家になっ
 たことはなく、武家が大臣になっても普通一人だけで他の大臣は公家のままでした。よって、朝
 廷の運営は欠席している武家の大臣を省いて、公家の大臣を中心に、公家の役職者によって 
 行われていたのです。

 江戸時代は、徳川家と公家の間で結婚などしていましたので、公家と武士の関係は、親戚関係
 になります。

 日本は江戸時代の封建制度から明治時代の立憲君主制を経て、戦後民主主義の政治形態を
 とりました。明治の立憲君主制は不十分でしたが、選挙による議会も存在し、新聞等による世論
 も形成されました。不十分な形態を入れるなら、日本は民主主義を100年、強行ってきていると
 いえるでしょう。

 厳密には明治以来の政治形態は、擬似立憲君主制です。明治政権は明治維新をおこした明治
 の元勲たちの政権であって、天皇は自ら軍を率いたわけでもなく、政治を行ったわけでもなく、あ
 る意味現在の象徴天皇制と同じく、国民を統合させる装置の一部であったと言うことも真実だっ 
 たことでしょう。その、体制が絶対的に悪いかと言うことは歴史家、政治史研究家などの意見を待
 たねばならないでしょうが、軍部の台頭などにより明治の政治体制が崩れてしまったことが大きな
 要因だと思います。
 では、民主主義の下すべてがうまく行くのでしょうか。第一次大戦後のドイツの体制は民主主義
 の体制で、ナチスの台頭は少なくとも最初は選挙の結果でした。自由と民主主義の代表である 
 アメリカはベトナム戦争を行い、南アメリカの政権をいくつも転覆し、イスラエルを作り、今イス
 ラムの憎悪の対象となっています。アメリカ人が選挙で選出した政権が行ってきたことです。

 イギリスもフランスも市民革命の結果王権を制限したり、人民の権利を確立し、市民が行う政治を
 実現してきました。彼らがやったことは王権時代と同じく、植民地政策です。少なくとも外部から 
 見れば同じことでしょう。
 フランスでは民主主義の下、イスラム移民を数多く受け入れ、宗教差別問題を起こし、騒動に
 なっています。
 民主主義を行えばすべてが良いわけではないことは明白です。

 では理想の政治形態は何なのでしょう。それは理想の君主による君主制です。中国の歴史でも
 立派な君主がいて、良い政治を行った例はたくさんありました。古代、中世のことだから周辺国
 から見れば、侵略を受けただけかもしれませんが、ここで言う理想の君主はそのようなことさえし
 ない理想の君主なのです。
 しかし、歴史を見ると理想的といわれた君主が暗殺されることもあれば、跡継ぎが同じく理想の君
 主であることも珍しく、とんでもない暴君が出現することもあります。君主制であればこれを防げな 
 いことも明白なのです。
 君主が暴君になり害を及ぼすことを少なくするため、法律を君主に守らせるところから、立憲君
 主制が始まり、民主主義に行き着いたのが、歴史の帰着でした。
 共産主義における独裁制、集団指導性なども君主制と近い存在であり、ソ連の崩壊で証明され 
 たとおり、歴史の帰着は民主主義を示しています。
 と言うことで、良いか悪いかに関わらず、民主主義にならざるを得ないのが歴史の必然のようで 
 す。ではもし民主主義国家が侵略などにより他国に迷惑をかけた場合その責任は指導者にとど
 まるでしょうか?

 それは国民の責任なのです。国民はそれをよく理解しなければなりません。

 結論的には民主主義は歴史の必然であり、理想的な政治形態ではないにしても、守っていかな
 ければ仕方のないものなのでしょう。