其の参

Last-modified: 2007-10-13 (土) 18:31:36

ミス・ロングビルを部屋から追い出すのももどかしく、オスマンは鏡に向けて杖を振る。
映し出された鏡の中では、いままさに伊良子清玄が殴り飛ばされていた。
青銅の拳を受け、伊良子清玄は跳んだ。
(折れたな…)
数度目の殴打で、右腕から感覚がなくなった。一瞬、気を失う。
「お願い。もうやめて」
背中に土の感触、上方からルイズの涙。
そうだ。そうであった。
経緯は定かでないが、ギーシュとやら名乗る小僧と果し合いに及んだのだ。

ルイズは何やら必死で諌止し、果ては哀願するようにかき口説いてきた。
平民は、メイジには絶対に勝てないのだとも言った。
多少の反発を持って聞いたその言葉であったが、なるほど、彼我の戦力は歴然であった。
ルイズによれば、ギーシュの武器は全部で7体の青銅のゴーレムであるが、
彼はいまそのうちの二体しか出していない。
物腰といい周囲からの扱いといい、ギーシュは学院の中でもとくに優れた業前とは思われぬ。
だが、今の己を振り返って見れば、たんなる盲人である。剣士ではない。
勝負の行く末は明らかである。

ルイズは、なおも止めようとしている。頬にふれたのは…
(良き涙の味じゃ)
と、頭の側面に何かが突き刺さる音がした。おそらくは剣だ。
ギーシュは告げる。その剣をとるか、それとも頭を下げるかするように、と。

頭を下げてしまえばいい。それが賢い道である。
伊良子清玄は空気が読める。下げたくない頭も下げられる。その筈だ。

それがどうにも下がらない。

ありし日、清玄には常に明確な目的があった。野心である。
強烈な自負を、野心がモルヒネのように麻痺させていたのだ。
今日下げた頭を、明日自分に下げさせる。そのための方便であったのだ。
今の清玄に野心はない。頭を下げ、賢明なやり方をして、生きていかねばならぬ理由がない。

「わかったでしょう?平民は、メイジには絶対に勝てないのよ!」
清玄の頭はゆっくりと地面を目指し…地表近くで、ぴんとはね上がった。
屹立した清玄の上体は、ある種の威厳を備えていた。

清玄の野心は…生涯をかけた夢は、武士となること。
戦うことで上ること。高みへ、一剣もって天下の伊良子清玄として立つことだ。
ならば戦うことをやめたとき…そのときこそ、己は死ぬのだろう。
負けることは恥ではない。戦わぬことが恥なのだ。
泳ぎやめ、ゆっくりと窒息していくかじきのようだった清玄の闘魂に、いま、ふたたび火が灯された。
魔剣を受けて以来冷え込んでいた胸のうちに、往時の熱がよみがえる。
すがりつくルイズをもぎ離し、折れた指を伸ばす。
「どけ!己の刀だ!」
もとより勝算などありはしない。ただ…
清玄は知らない。シグルイとなって事に臨むものだけが、勝負の行く末が明らかな戦いを
予測不可能の領域まで押し上げることを知らない。
双眸に刻まれたルーンの意味を、それが今や炎々と輝きはじめている事を知らない。
剣を握った清玄に、今度こそ止めを刺すべく、青銅のワルキューレは殺到した。
辛くも突進を受け止める。
それをいかにして可能にしたかは理解の外だ。
剣を手にしたとき、対手の迫る方向がおぼろげに察せられたような…

そんな原因に思いを馳せる間もあったか、どうか。
いまや鍔迫りの体勢となった戦乙女は、青銅の自重の限りを込めてのしかかる。
「潰す…!」
二体の影が絡みあい、……だが、それきり動かなくなった。
観衆からいぶかしむような声があがる。
「ギーシュ、何やってんだよ?」
「平民相手に遊んでるのか」「寝てんじゃねエ」
ギーシュには、戦乙女のコントロールを手放した覚えはない。どころか、必死で動かそうとしている。
このとき、伊良子清玄の濡れた指先が、ゴーレムの拳に絡みついていた。
清玄の指が押えているのはゴーレムの掌のわずか二箇所にすぎないが、全く動くことが出来ない。
骨子術とは、人体の経絡を利用したものであるらしい。

668 名前:マロン名無しさん[sage] 投稿日:2007/10/09(火) 23:45:41 ID:???
みしり

聞いたことのない異様な音に、生徒たちは青ざめた。
払い腰にて戦乙女を地面に叩き伏せた清玄は、無造作に手首を振った。
ヴェストリ広場の床に金属片が転がって、小さな音を立てた。
「ひっ」息を呑んだのは誰だっただろう。それは、青銅でできた指…二本。

惨として声もなく見守る観衆の前で、清玄はビンの縁をなでるように旋回した。
手探りに探り当てた戦乙女の首に右腕を巻き締める。
「あれは、チョークが入っておるな」
「さようで」
鏡越しに見るオスマンのの顔には、いまや、隠しようもない笑みがあふれていた。
もとより鏡から伝わるわけもない。
だが、二人ははっきりとワルキューレの首の折れる音をはっきりと聞いた。
生命無き青銅像が、死魚のごときていにて横たわるのは、ギーシュのメイジたるがゆえ。
人がましきなりの二本足には、高度な模造であるがゆえに人体の反映があったのだ。

打ち捨てたワルキューレを一顧もせず体勢を取り戻す清玄に、もはや微塵の隙もありはしない。
再び剣を取り、大上段に構えた清玄の姿は…