陸話

Last-modified: 2007-09-21 (金) 13:30:04

 翌朝。鍾乳洞に作られた港の中、源之助はルイズとワルドを除いた一行を率い、ニューカッスルから疎開する民と共に、イーグル号へと乗り込む列へと並んでいた。
 率いると言えば聞こえはいいが、その実、一行の内の誰もが異様な源之助の姿に声すらかけられずにいる。
 軽く俯き、茫洋とした表情を浮かべる源之助は、何事かぶつぶつと呟きながら焦点の合わぬ目を地の一転に集中させているのだ。その姿はさながら幽鬼と形容すべきか。

(今宵はめでたき日にござる……めでたき日にござる……)

 源之助にとって、嘗ての屈辱の焼き直しであった。
 身体は軋み、喉の奥はからからに渇き、目の奥はちりちりと焼き付く様な痛みを彼に与える。相変わらず手には焼け火箸の温度が張り付いているが、その実、心も身体も完全に冷え切っていた。
 嘗ての様に、めでたいと心の中で言い聞かせながらも、奪われた、という実感が脳裏をぐるぐると回り続ける。

「お、おい……相棒? 大丈夫か?」
「……で……日に……る」
「デルフ……こりゃ重症もいい所よ? 声かけるだけ無駄じゃない?」
「ぼ、僕もそう思うね……っていうか、目、怖……」

 心配の言葉を投げかけたデルフリンガーではあったが、極度に内向した状態である源之助に届く筈もない。
 キュルケとギーシュは、デルフリンガーを諌める様にして言ったが、彼らの腰は若干引けていた。下手に近づけばどうなるか分からない。そんな危機感を抱かせる状態である。

「ちょ、ゲンノスケ? そっちじゃないそっちじゃない!」
「今宵…………日……ござる」

 ようやく自分達の順番が回って来ようと言う時、ふらふらとした足取りの源之助が、空に続く穴へとそのまま行きそうになった時、咄嗟に手を伸ばして助けたのはキュルケであった。
 それに振り返った源之助の顔を間近で見て、

(だ、誰よ!?)

 と、彼女は驚愕したと言う。

 迫力等と呼べる代物ではなかった。竜にでも顔を覗かれた様な恐怖感がキュルケの背筋を奔った。下手な者であれば、失禁してもおかしくはなかっただろう。それ程の威圧感を放つ、源之助の表情であった。
 普段無表情な者が、感情を露にすると驚きをもたらす事は多々あろうが、彼ほど顕著な例を、キュルケは知らない。タバサの笑みよりも貴重であろうとすら思う。
 どうにか無事に船に乗り込む事は出来たのだが、出来るだけ源之助には近づかないで置こう、そう心に決めたキュルケであった。

「……? どうした相棒。さっきから目ぇ見開いてたから、痛えのかい?」

 船に乗り込んでから、いか程の時が流れたであろうか? 不意に感じた左目の霞に、源之助は無造作な手つきで目を擦った。
 ようやく人間らしいアクションを起こした源之助にほっとしたデルフリンガーが、声をかける。
 返答は短い首肯であった。

「こは何事!?」
「え、いきなり何!? おめーが何事!?」

 そして、唐突に左目に浮かんだ、別の場所の光景に源之助は瞠目する。左目に映るは、礼拝堂と思しき場所に佇む二人の男女と、それを見守る一人の男。
 花嫁衣装も艶やかなルイズと、ワルド。そして祭壇の前で彼女らを祝福するウェールズである。
 ここまでなら彼とてこうも驚愕は見せない。場の雲行きが怪しいのである。
 式の最中であると言うのに、そこに漂うは粘つくような執念を押し隠せぬワルドの表情が生み出す、瘴気とも呼べそうな空気。
 途中、明らかな拒絶を見せるルイズに対し、ワルドが見舞ったは平手による一撃であった。

「こは婚姻の儀にあらず!」
「ちょ、だから何言ってんの!? おめー!」

 源之助の鼓動は早まり、生温い汗が全身を伝った。
 左目から映る光景はまだ続く。ワルドの杖が、ウェールズの胸に赤い花を咲かせた。
 ここでようやく源之助は己がまんまと策にはまった事に気付く。
 裏切り者であった貴族派のワルドが、ルイズの傍に自身を近づけぬ様、己を陽動したのだ。
 咄嗟に己が大刀を抜き放ち、源之助は船外へと飛び出した。

「相棒!? どこ行くってんだよ!」
「ちょっ!? ゲンノスケ!?」
「き、君ぃ! 船はもう出発すると言うのに!」
「…………?」

 飛び出した源之助を、一行は一様に驚きの視線でもって見送る。何事と言うのか?
 ガンダールヴの力を最大限に発揮した源之助の疾走は、本人も思いもよらぬ速度を生み出していた。
 これならば、間に合わぬ事もあるまい。
 ガンダールヴのルーンは、源之助を見放してはいなかった。

「ルイズ殿!」
「……貴様!?」

 礼拝堂の扉を神速の斬撃で斬り飛ばした源之助は、そのままの勢いでもって、今正に振り下ろされんとしていたワルドの杖に、刀の鍔を押し当てた。
 狙うは問答無用の鍔迫り。
 杖ごと押し切ってやろうとの心構えの源之助の意図を察したか、咄嗟に身体を引いたワルドは、そのままひらりと勢いを付けて彼の遥か後方へと飛んだ。
 勢い込み過ぎていたせいか、追撃が間に合わず、源之助はほぞを噛む。

「ゲンノスケ!」

 ようやく求めていた助けを得て、ルイズはその顔を輝かせた。
 それとは逆に、ワルドの表情は憤怒のそれである。
 目は血走り、歯は砕けんばかりに食い縛られ、杖を握る手には万力の如き力が篭められている。

「どこまでも邪魔をしてくれる……フジキゲンノスケ!」
「ルイズ殿、下がられませい」

 頬に赤い痣を作ったルイズの姿に、心中には猛り狂った様な怒りが奔っている源之助。裂帛の気合を込めた視線が、ワルドを貫いた。
 ルイズは自らの使い魔のこの無表情に、今や絶大な信頼を寄せている。
 源之助の後ろに下がりながら、事の顛末を見届けようとルイズはその目を見開かせた。

「……貴様を相手に出し惜しみ等よもやせんよ……」

 距離はいくら流れの秘法を用いたとしても、埋められぬ程の間がある。
 どう接近したものかと、刀を担ぎながら考える源之助の目の前に、ワルドが放った雷雲が接近してきた。
 『ライトニング・クラウド』。まともに当たれば人を容易に殺傷せしめる威力を秘めた魔法である。先ほどのやり取りの間に、ワルドは詠唱を済ませていたのだ。
 初めて見る魔法に、一瞬の戸惑いを源之助は見せた。気付いた時にはそれは最早間近。避ける事敵わぬ為、咄嗟にそれを刀で受け止めようとし、

「馬鹿ッ! 相棒! そいつじゃ無理だ!」
「きゃあっ!」
「…………!?」

 刀ごとその腕を焼かれた。悲鳴こそ上げぬ源之助であるが、相当な重傷である事は見て取れる。ぶすぶすと肉の焼ける臭いと音が辺りに漂った。
 激痛によって絶たれそうな意思を、源之助は唇を噛み締める事によって繋ぎ止める。

「くくく……いい表情じゃないか。ゲンノスケ。死ななかっただけ幸運だったな」

 常人の戦いでは最早勝負ありであろう。
 だが、藤木源之助は侮れぬ男である。身を持ってそれを痛感しているワルドは、駄目押しとばかりにその身を呪文によって、五体に分裂させた。

「風の遍在。どうだ? 絶望的な気分を味わうのは?」
「ゲ、ゲンノスケ……だ、大丈夫……!?」

 膝を付いた源之助に、ルイズが駆け寄って言葉を投げかける。
 口から血を垂らす彼は、それに対してうわ言の様に答えた。

「こ、これからにござる……」

 雷雲によって焼かれた刀は最早役に立たぬ。かといって、脇差では心もとない。
 購入してより初めて、この場に於いて源之助はデルフリンガーを鞘から抜き放った。

「……な、長かった……」
「デルフ! ふざけてる場合じゃないでしょう!?」
「……だってよぅ」
「これからにござる……」

 焼かれた腕は重傷だったが、神経系統までは侵されてない様だ。
 指の握りを確認しながら、源之助は自前の物よりやや太いデルフリンガーの柄に、ネコ科動物が爪を立てるが如き掴みをした。
 その間に、じりじりとワルドが距離を取りつつ、『ウィンドブレイク』の魔法を放ってくる。
 避けられぬか!? ルイズが訪れる無惨な結末を想像し、目を瞑った時、デルフリンガーの声が礼拝堂に朗々と響き渡った。

「相棒! 俺ならアレを何とかできる! 俺を振れ!」
「…………!」

 咄嗟に振ったデルフリンガーによる流れは、押し寄せる風の全てをその刀身に吸い込ませた。

「馬鹿な……貴様そんな剣を!?」
「おでれーたか! これが俺さまの本領発揮よ!」

 源之助によって日々丹念に磨かれた刀身が、先の魔法を吸い込み更に輝きを増した。
 これには源之助も感嘆の息を漏らした。この様な業物が存在するものかと。

「だが、五対一で、どうする!」

 飛び道具は当てにならぬ。だが、自身には絶対的な数の有利があるのだ。そう言い聞かせ、五体のワルドが源之助に殺到した。『エアカッター』の魔法をその杖に纏いながらである。
 が、途中自身の顔に死相が宿るのを実感するワルド。異様な構えでもって自身を待ち構える源之助の姿に、背中に氷柱を差し込まれた様な気分を味わった。

 ――――虎眼流が秘奥。星流れの構えである。

 先ほど振った際には無かった、刀身を挟む左手の存在。腰を落として構えた源之助の姿に、一切の隙が見当たらなかった。
 しまったと思うも、最早間に合わず。飛び掛った五体のワルドは引くこと敵わない。

「ぐぬっ!?」

 苦痛の呻きを一つ、腕の負傷を堪え放った源之助の星流れが……

 斬。

「―――――――ッ!?」

 遍在の四体を一閃の元に斬り伏せ……

「あああぁぁぁぁぁああああああああああ!!」
「……ひ……ゲンノスケ……」

 むーざん むーざん
 きーんぱつの だーておとこずーんずん
 るいずとしーきをあーげたら

「浅いか……」

 あーかいまがくしさいた

「目がぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 一番の後方より攻め来たりていた、残る本体の目を、真一文字に切り裂いた。負傷により、精妙な指の動きが制限された為、深く斬り込めなかったからだ。
 奇しくもワルドに与えられたそれは、仕置き追放された源之助の元同門、伊良子が師に与えられた傷口と同様の物であった。
 目から鮮血を迸らせるワルドは、獣の断末魔にも似た声を上げて悶え苦しんでいた。
 唐突に闇へと叩き込まれた視界が、否応無しにワルドの心中を混沌の淵へと叩き込んでいる。
 屈辱の極みであった。
 一度ならず二度までも同じ相手に土を付けられたばかりか、己が目の光を奪われたのだ。その心中や如何程のものであろうか。

「……あ、あう、あうあう」

 血みどろのワルドの姿に、まるで陸に上がった魚の如く口をぱくぱくと開け閉めさせ、ルイズはその場にへたり込んだ。
 かつての婚約者の無惨な姿に、言葉もない様である。単純に耐性の無い流血沙汰に、思考が凍結状態に陥っていると言う話でもあるのだが。
 予想外の己の切っ先の伸びと、その神速にて恐怖の一閃に気を良くしたデルフリンガーは、終始ご機嫌であった。武器としての本質を引き出すのにこれ程適した相方がいようか? 感涙ここに極まれりといった様子である。

「使い手って奴はこうでなくちゃいけねぇ。お美事だったぜ」
「否、これからにござる」
「「へ?」」

 かけられた声にいつもの無表情かつ、抑揚の無い声で答えると、目の前のワルドに対して再び剣を振りかぶった。
 ルイズとデルフリンガーの声が重なる。こいつ、とことんまでやる気か、と。
 対手のワルドは、混濁した意識の中ただ生存本能に従い、おぼつかぬ足取りでこの場から遁走しようとしている。ともかく仕切りなおさねばならぬ。すぐにでも水のメイジによる治療を受ければ光を取り戻す事も不可能では無いはず。ただその一心で。
 無論、その様な事を許す源之助ではない。
 逃げようと脚に力を篭めたワルドに向けて、デルフリンガーによる流れを放つ。ワルドの魔法を警戒しながらであった。

「うむっ!?」
「――――――ッ!?」
「って、相棒ぉぉぉぉぉ!?」

 右腕の負傷、と、ルーンによって酷使された筋肉が悲鳴を上げていた。星流れの骨子による握りは、常の流れより遥かに握力の調整が難しいものである。
 指先から抜けたデルフリンガーは、源之助の意図とはあらぬ方向に飛んで行き、ワルドの右足の甲に深々と突き刺さった。
 再びの負傷に、ワルドの口から声ならぬ叫びが漏れた。苦痛の二乗が彼の脳髄を突き刺し、生命の危機を叫ぶ。

 自身らしからぬ失態に、源之助はがちりと歯を噛み鳴らした。
 腰の小刀に手をかけようにも、既に彼の右手に宿る握力では、掴む事すら容易ではない。
 突き刺さったデルフリンガーを抜こうと足掻くワルドをすぐにでも斬ろうと、無理矢理掴んだ小刀が、またもあらぬ方向へと飛んだ。
 焦りである。未だかつて経験した事の無い程の焦りが、源之助の行動を短慮にさせたのは間違いではなかった。
 しかし、武器を持てぬ事は、彼にとって問題足り得なかった。いや、むしろ持たぬ方が今の彼の気持ちと、女性として最大の侮辱を受けた主の気持ちを晴らすに相応しい状態へとワルドを追いやる事が出来よう。

「婚姻の儀をかかる破目に陥れたワルド子爵……仕置き仕る……」
「ちょ、ゲンノスケ……これ以上……」

 ばさりと着物の上をはだけ、これでもかと言わんばかりに鍛え上げられた上半身を晒した。
 突然の行動に思わずルイズは目を伏せる。
 デルフリンガーによって足の甲を床に縫い付けられたワルドの睾丸は、赤子の如く縮み上がり、見開いた目からは新たな鮮血が零れ、頬を濡らした。

(ち、ちがう……決してこの様な筈では……)

 頭に思い描いていた未来とはまるで違う現状に、ワルドは内心で血を吐くような言葉を漏らした。
 全身を硬直させたワルド。その脳裏をよぎるものは、かつてラ・ヴァリエール領にて、中庭の池で、泣いているルイズの姿。

「な、泣いているのかい……ルイズ……」
「「…………」」

 血の涙を流しながら両の手を広げるワルドの姿には、既に理性と言ったものが感じられなかった。自らを襲う圧倒的死の気配に酔ったのか、幽鬼の如き立ち居ぶるまいと言動である。
 現状の逃避の為、脳が見せた情景は、現在のワルドにとって何よりも現実的なものであった。
 そのワルドに、ネコ科動物の如きしなやかな身のこなしで飛び掛った源之助は、アッと言う間にその身体を組み伏せると、馬乗りになって容赦なく両の手を彼の顔に、胸にと手当たり次第に振り下ろし始めた。

「……ゲ、ゲンノスケ……」
「あ、相棒? ちょっと?」

 どぉんどぉんどぉん、と、肉と骨がぶつかり合う音が礼拝堂に響き渡る。

 握力が戻らぬ為、拳の体裁を作らずに叩き下ろされた源之助の右手は、既に骨折によってぐしゃぐしゃになっていた。それでも表情一つ変える事無く、淡々と、まるで事務的な動作で彼はワルドの身体に手を振り下ろし続ける。
 鬼気迫るその様子に、制止の声などかけられる筈も無く、ワルドの足を縫うデルフリンガーはおずおずとした声を漏らすばかりで、ルイズは己が使い魔の名前を小さく呼ぶ事しか出来なかった。
 どれ程の間そうしていただろうか? 礼拝堂の外から、悲鳴や鉄火音が轟き始めていた。

「レコン・キスタ!?」
「………………」

 現状を悟ったルイズが声を上げるも、源之助は未だにワルドを殴る事を止めようとしていない。既にワルドの顔は原型を留めていないが、まだ微かに息はあった。思いの外しぶといのも伊良子と通じている。

「ゲンノスケ! それまでよ!」

 自らの言う事は良く聞く使い魔である。ショッキングな光景に心奪われがちであったが、こういう時にこそ主としての威厳を見せ付けるべきだと思い至ったルイズは、毅然とした態度で源之助に言ってのけた。
 ワルドに構っている暇は無い。今すぐにでもこの場から離れなくてはならないのだ。
 ルイズの言葉を受けた源之助は、返り血にまみれた顔を上げ、ワルドの足に刺さったデルフリンガーを無事な左手で拾い上げて立ち上がった。

「も、もう終わったかな……?」

 そんな中、礼拝堂の入り口から、ルイズと源之助に向けて声をかける者がいた。
 扉から顔を半分覗かせ、おずおずとした様子を見せているのは、先ほど源之助と港で別れた筈のギーシュその人である。

「あんたこんな所で何やってんのよ!?」
「いやぁ、彼がいきなりイーグル号から飛び出したもんだから、やっぱり気になっちゃって。結局彼に守られた部分も多いしねぇ……で、一応迎えに来たんだが……」

 照れ笑い気味に言うギーシュだが、礼拝堂に漂う濃厚な血の匂いに、表情を歪め鼻をヒクつかせた。その正体を知るのが恐ろしい為、敢えてそこから目を逸らす。

「もう船は出てるでしょ!」
「それは大丈夫だよ。タバサの乗ってきた……」
「ギーシュ」
「「?」」

 会話に割り込んだ源之助は、ギーシュの名を呼ぶと、指で背後に大の字に横たわるワルドを差した。

「ちょっ! ……子爵がなぜこの様な……酷い有様じゃないか」

 こみ上げる胃の内容物を飲み下しながら、ギーシュはワルドの姿を認め、声を上げた。
 それを意にも介さず、ワルドを指差したまま源之助はギーシュに告げる。

「石を落とせ」
}}}