009 の変更点

*第九景 傀儡 [#tb94732h]

武家にとって婚礼は家名を残し後嗣を
生むための厳粛な儀式であり
恋という概念の入り込む余地はない
相手は当主の一存で決まるのだ
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「お父上 どうせよと?」
「た 種え」
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たね…
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「おそれながら三重さま…
 先生はこの場にて
 三重どのとそれがしに男女の契りを
 結ばれるよう望まれておられるご様子」
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男女の契り…
「お痛ましゅうござりまする」
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武家の娘にとって貞操は誇りそのもの
胸の中に輝く 真白き打掛
それを実の父親が泥足で踏みにじったのだ
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「下がらせていただきます」
「三重どの!」
「大事ない 今日の父上はいつにも増してお痛ましい御容体…
 皆もひとまず ここを離れるが身のため…」
「権…」
「う 牛股 道をあけよ」
「お戻りあそばされますよう」
「先生は伊良子清玄を婿にお選びなされた」
「全ては虎眼流安泰のため」
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幼き頃から嫌というほど見てきた
父の仰せとあらば意志をなくした
傀儡となる高弟たち
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「藤木…」
あの時と同じ顔…
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三重が十の頃――
入門したばかりの藤木源之助に虎眼が
焼け火箸を握らせたことがある
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肉の焼ける臭いが部屋にたちこめたが
藤木は手を離さずゆっくりと灰をかきまぜていた
「出来ておる」
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その時と同じ顔をしているのである
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傀儡…
男はみな傀儡
三重は産むための道具
生まれてくるのは蛭子
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「い~~~~」
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死のう 舌をかんで死のう
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「お許したまわりますよう
 今 この場にて事を及べば
 三重さまは命をお断ちになりましょう
 さすればお家が絶えまする
 虎眼流と三重さまのために
 この儀 祝言の後あらためて
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「うわああああああああああああん」
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三重は泣いた 生まれたばかりの赤児のように
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「う うま うまれたぁ」
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伊良子清玄は傀儡ではない
もっとおぞましい何かだ
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その夜
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道場の煤払いを終えた
源之助が外出して二刻半
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剣士の生命線である指先の感覚はすでに失い
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今宵はめでたきにござる…
めでたき日にござる…
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先生はお選びになされた
伊良子…
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気がつけば相手の間合いの中にいた
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舟木流の刺客 信楽伊衛門は
居合いの名手である
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大刀の抜き討ちを一閃すれば
ちょうど首が飛ぶ距離に
源之助はたたずんでいた
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懐中の温石によって充分に温められた右手と
凍てついた右手
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抜き合いとなれば勝負の行末は明らかである
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「貴様ではないな 貴様の腕では兵馬数馬は討てぬ」
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馬鹿な…
速すぎる!
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この時源之助の放った脇差の一閃は
まさに神速と呼ぶべきものであったが
凍えた指が偶然に生み出した新手
この掴みこそ 虎眼流奥技流れ星の
骨子となる技法である
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剣はまだ藤木源之助を見放していなかった