新藤五あいず(魁)

Last-modified: 2023-08-19 (土) 12:13:40
型録
新藤五あいず.jpg新藤五あいず希少度 ★★★
分類
属性間合い短刀.png
種類短刀
奥義
奥義名和気風炉(わきふうろ)
効果エリア内の味方:能力値を1.25倍にする
公式説明
チームワークを大切にするお世話焼きの真剣少女。
健康オタクで、いつでも客をおもてなしできるようにと茶道具とお風呂の道具を持ち歩いている。
鎌倉幕府お抱えの名工、新藤五国光(しんとうごくにみつ)の最高傑作とも言われる「会津新藤五」(あいづしんとうご)とご縁を結ぶ。
加入時コメント
新藤五あいず、参上です。まずは一服いかがですか?
CV:藤島亜美 (クリックでセリフ一覧が開きます)
読み込み完了しんけん
ログイン今日もお茶が美味しいです
ログインボーナス
お知らせ
詳細なんだか、照れますね
戦績(リーダー)あ、見たいです!
屋敷お風呂上がりはやっぱりフルーツ牛乳ですよね。でも、ビタミン豊富な緑茶もいいですよ
飲む温泉、ありますよね?あれでお茶を点てるのは、さすがに飲み合わせが悪いんでしょうか?
大荷物ですみません。お茶淹れるにも、お風呂入るにも、色々入り用でして…
屋敷(好感度高)(反転)あついのは、わっ私だけですか?
(反転)そ、そんなに見つめられると、のぼせちゃいますよぉ
(反転)ふふっ、こういう時間が幸せなんですよ
屋敷(好感度低)(反転)こんな時こそ、茶の心…
(反転)今こそ、腹を立てずに茶を点てる時…
任務開始謹んで、お受けします
任務完了
討伐開始(易)温かいですね!
討伐開始(普)
討伐開始(難)
エリア移動はい、只今
攻撃てえい!
やっ!
攻撃(ミス)
攻撃(クリティカル)
負傷
回避・無敵
敗北寸前もう、くたくたです…
敗北いたたたた…汚れちゃいました
気合い1リラックスリラックス
気合い2神様!
気合い3見ていてください!
気合い4
気合い5
休憩お休みいただきます…
奥義命の泉が沸きますよ!
勝利体も心もぽかぽかです!
離脱私が至らないばかりに…
首級
屋敷へ(勝利後)お陰様でいい汗かけましたぁ
屋敷へ(離脱後)すみません…顔を洗って出直してきます
研磨(斬れ味良)気を遣っていただいてすみません
研磨(斬れ味普)お肌荒れてましたか?
研磨(斬れ味悪)ぼろぼろでお恥ずかしい…
布陣配置かしこまりました!
リーダー任命私、人を引っ張るタイプではないですが…
試斬・学舎開始上手くできますかね?
試斬・学舎成功やった!やりましたよ私!
学舎失敗
奥義習得何か込み上げてきました…!
奉納私の神様で大丈夫でしょうか?
奉納成功神はお許しになられました!
ボイス音量調整はぁ~、極楽極楽~
放置1あの、お茶が冷めるの待ってるんですか?あ、猫舌なのかしら
放置2もしかして、何かお困りのことでもありましたか?恨まず、怒らずですよ。
放置3私が正座で我慢できる限界時間を超えてしまいそうです
装備コレ頂けるんですか?
イラストレーター:クロトキ椿 (クリックで画像一覧が開きます)

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設定画


一周年

真剣少女について

  • 2020年4月2日のメンテナンスで、五連鍛冶期間限定ボックスで転入。
  • 2021年5月6日のメンテナンスで、魂鋼鍛刀に恒常転入。

刀談

この、凛として威厳に満ちた短刀は、名物「会津新藤五」です。鎌倉幕府お抱えの名工、新藤五国光の作で、彼の最高傑作とも言われております。
所持差である蒲生氏郷さんが会津の領主だったことから「会津新藤五」と名付けられました。
キリシタン大名の蒲生さんは刀剣にも詳しく、私の会津新藤五の他にも、かんなちゃんが持つ「鉋切長光」や、れおちゃんの「会津正宗」なんかも所持していたと伝えられているんです。和歌やお茶にも深い理解があったということですし、蒲生さんって凄い人だったんですね。
凄いといえば、蒲生さん、家臣に十分な褒美を渡せない時には、自らお風呂をわかして持てなしたというほど家臣想いだったとの逸話が残されています。分け隔てなく振る舞ったというこのお風呂は「蒲生風呂」と呼ばれ、このお風呂に入りたいとみなさん頑張ったそうですよ。ポカポカしてくる良いお話ですね。

刀の正式名称

短刀 銘 国光
名物 会津新藤五

逸話

この短刀は、戦国時代の武将・蒲生氏郷(がもう うじさと)が所有していた。
氏郷は近江国(現在の滋賀県)蒲生郡に生まれ、後に彼が豊臣秀吉の命により伊達政宗を抑える意味合いで陸奥国会津(現在の福島県会津若松市)へ移封されたことにちなんで「会津」の呼び名が付いている。
氏郷はキリスト教の洗礼を受けて「レオン」という洗礼名を与えられている。
あいずの格好はその逸話に拠るものだろう。

作風

鎌倉時代後期の相模国(現在の神奈川県)の刀工、新藤五 国光(しんとうご くにみつ)の作。
現存する彼の作刀のなかでも、最高傑作と呼ばれている。
長さは八寸四分五厘(約25.6cm)。

歴史

戦国時代、蒲生氏郷が所持したが、氏郷が40歳で病死するとその息子の秀行(ひでゆき)に相続される。
しかし、秀行は生まれながらに病弱で器量も父に及ばず、氏郷の急死にどよめく家中をまとめきれずに「蒲生騒動」と後世に呼ばれるお家騒動を発生させてしまう。そのことで、宇都宮へ減封されるが後に起こった関が原の戦いでは東軍について軍功を挙げ、その功績で会津へと復帰する。
だが、それまでの心労と再燃し始めたお家騒動の気配から病を発し、30歳で病没してしまった。
その後は息子の忠郷(たださと)の手に渡るものの、忠郷もまた疱瘡にかかり病死。
病の床にあった忠郷は、寵愛していた小姓の森川半弥という者に「この刀で供をしてほしい」と会津新藤五の短刀を授けて没した。しかし、その頃には主君の死に準じて追腹を斬ることは幕府によって禁止されていたため、森川半弥は死ぬことが出来なかった。
忠郷には嫡子が居らず、普通であれば断絶の所、妻が家康の娘であるということから格別のはからいによって忠郷の弟・忠知(ただとも)が蒲生家を相続したが、領地は伊予松山24万石へ減封となった。
主君の後を追えなかった森川半弥は、思う所有ったのか、同族の紹介で加賀藩主・前田利常へ会津新藤五を売り渡した。
元禄15年(1702年)4月に、五代将軍・綱吉が前田家を訪問した際に、前田家から綱吉に会津新藤五は献上され、以降は徳川家の所有となる。
昭和8年(1951年)6月9日、国宝に指定された。
現在は徳川家を出ており、広島県福山市のふくやま美術館寄託の「小松コレクション」の一つとなっている。

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