camp

Last-modified: 2008-03-23 (日) 23:57:45

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Camp キャンプ

キャンプという言葉には、「野営する」、「テント生活をする」、「仲間」などの意味があり、1800年代前半アメリカでのレクリエーション活動から、青少年が仲間と一緒に野外でのびのびと楽しく遊びながら自然の中で生活することが、青少年の健康な身体と精神を効果的に鍛えることができるという教育的効果が発見されたことがその始まりと考えられている。現在のキャンプは、時代的変遷の中で、自然の中で楽しく遊ばせる健康活動としてのレクリエーション志向の時代を経て、次第に教育キャンプ、組織キャンプへと移行しており、その言葉の定義は混乱した状態にあるといえる。

キャンプの主な意義として現在一般的に考えられているのは、まず個性の表現や自己開発(自己実現、自立心)、また人間の相互理解や自然についての理解、野外生活術の習得、そして健康と体力の向上などである。

組織キャンプとは、明確な目標を持ち、意図的かつ組織的、計画的に遂行できる手段と人とを持ったキャンプのことであり、今日では社会福祉事業、特に障害児に対する援助サービスの一環として、療育キャンプや訓練キャンプが実施されている。日本においてこのようなキャンプの発展に多大な貢献をしたのは、民間青少年団体であるYMCAやボーイスカウトといった民間青少年団体の戦前の活動であり、アメリカなどと比較すると、日本のキャンプはスタート当初より個人の楽しみというよりも、教育的意味合いの強いものであったと言える。1960年代以降は文部省もその教育的意義を認め、野外活動の普及奨励を規定し、グリーンスクールの開始や、さらには自然学校として、自然環境での生活を積極的に学校教育へ導入しようという試みがなされている。

(Ver.1への補足)

批評家のスーザン・ソンタグSusan Sontagは、「キャンプについての覚書」(『反解
釈』1966 所収)で、キャンプを「不十分な深刻さ、経験の劇場化の感性」「感覚の
自然なあり方よりも、それを人工的に誇張するような感性」だといっている。

「高級文化」の倫理的な深刻さや格式、「前衛」のもつ葛藤への極限的な表現と区別
して、彼女は三つめの文化的な価値基準としてキャンプを位置づけている。世界への
徹底的に肯定的で審美的な態度でありながら、その態度を滑稽であると自認し、みず
からを面白がる皮肉な視線をともなった生き方、そのようなキャンプの感性は、自分
らの異質さをパフォーマンス化して、そうすることで逆に、現実や周囲の世界、社会
的な制度を異化していくことができる。

それはソンタグが、ゲイの美学や世界戦略を、60年代ポップカルチャー時代における
ダンディズムの可能性として評価したものであったが、今や、ポストモダン的な感性
としては一般化したともいえる。つまり、自己への再帰的な言及を欠かすことなく、
同時に自己のアイデンティティを、受け入れつつも、その生成それ自体を軽やかに問
題化していく感性である。

「キャンプ」な作家は、愛するものや表現しようとするものには誠実であるが、同時
に、「真面目さ」を窮屈だとして笑い飛ばしていく。それは、定住による登録と分類
を空間のポリティックスとする資本主義システムにあって、非定住のキャンプや仮設
テントによって自分自身を仮設のインスタレーションとして表現する「キャンパー」
にも通じる態度ではなかろうか。

参考文献

  • 松井みどり 2002 『アート:”藝術”が終わった後の”アート”』 朝日出版社
  • P・ブルッカー 2003 『文化理論用語集』 新曜社
  • 暮沢剛巳 2002 『現代美術を知るクリティカル・ワーズ』 フィルムアート社