コメント/肥前忠広
Last-modified: 2023-01-11 (水) 21:13:54
肥前忠広
- ぼろぴ うぜぇよ 触るんじゃねぇよ 傷に響く あ?鍛刀が終わってるな ん?手入れ部屋が終わったな 馬:歩きの方が慣れてんだがな お守り:へぇ?使い捨てにするつもりじゃあないのか 家具運びとか俺はやらねぇよ んあー…知らせか、これ 失敗 ①ん…飽きた ②なんだこりゃ! ③俺に作らせるんじゃねぇ! ④文句あるのか?ええ!? --
- 馬当番開始「おれに馬の世話なんてさせるんじゃねえよ」 --
- 刀剣破壊「あぁっははっ……、もう…これで…斬らなくていいんだ……よな……?」 --
- コメントにあった乱舞ボイスが掲載されてましたがイベントページで開始直後に書き込まれた怪しいものであり、ぶっこぬきかガセの乱舞台詞報告する愉快犯がよく出没していることから一旦消しました。 --
- また掲載されてますが、どうなんでしょうねこれ…? --
- うーん……怪しい情報を掲載するままはどうかと思うのでまた一旦消しました。 --
- 一口団子「差し入れだってのに酒じゃねぇのか」 --
- 二刀開眼「そこかよ」 --
- 武市瑞山獄中書簡の島村寿之助宛の手紙で、折れた肥前を朝尊に打ち直してもらい長き脇差にした。という感じの記述があるらしいので、これを採用して脇差にしたんですかね。ただこの本を直接読んで確認した訳では無いのでソース不十分なのですが…高知とかの大学図書館に所蔵されてるらしいので確認出来る方確認して欲しいです… --
- 首の傷跡も折れたことを反映してるんでしょうかね。担当絵師同じ陸奥守にも竜馬襲撃時の鞘の傷かと想像できる傷跡が図録にありましたし、そういうのキャラデザに落とし込まれる方なのかなと。 --
- 首の傷跡は岡田以蔵が打首で処刑されてるからかと思っておりましたが、折れたことを反映してる可能性もありますね…鋩子が折れたから脇差にしたそうですし、となれば場所もなんとなくそれっぽいですし。 --
- 馬当番終了「言わんこっちゃねえ。馬が怯えてやがる……」 --
- 資源発見「あ?ゴミじゃねーのか、それ」 --
- ↑を書き込みした本人ですが、「あ?」が「あぁ?」の方が近いと思ったので、一応修正しました。 --
- つつきすぎ「っ……うぜぇよ」 --
- 上のは通常です こっちは中傷つつきすぎ「っ騒ぐんじゃねぇよ、傷に響く」っつとか…のニュアンス?が難しいなぁ --
- 開戦(演練) 「訓練?……かったるい。」 --
- 手入(軽傷以下)「フッ…寝る」(「フッ」は息を吐くような感じで表現が難しい) --
- 軽傷「っざけんな」 --
- ゲスト参戦のときはカンスト近い極脇差でも機動抜かれると聞いたのですごい高レベルの設定なのかな。そこまで強くなるほど政府所属期間長かったのか、政府のバフなのか。入手時の台詞から特命調査報酬刀剣たちはイベキャラだったときと同一人物のようだから、仲間加入でレベルリセットはマスター権が審神者に移動したからかな。 --
- 極短刀は40代は抜かれるけど70代以上は先に動けるらしいです。ゲスト時は機動100越え? --
- うちの部隊は極47愛染、ゲスト肥前、極43薬研の行動順なので、単純に高レベルと言うわけではなさそうです。未検証ですが部隊の平均レベル(前述の部隊の平均レベルは43)付近ではないかと思います。 --
- うちではレベル70の不動極・ゲスト肥前・レベル70のにっかり極 の順で行動した --
- 極なしの部隊だと一番速かったそうです --
- 極96陸奥守よりも肥前が早かったです --
- 紋の真ん中の花は武市半平太の家紋を圧縮したものにも見えるんですが武市半平太の手に渡ったこともあるんでしょうか? --
- 武市の在京日記及び書簡によると、肥前の刀を以蔵に貸す→天誅一回で折られて以蔵には新しい刀代を渡す→肥前の刀を刀工の南海太郎朝尊に修理に出して長脇差に→武市の親戚宅に渡すとなっている。 --
- 「俺」表記を「おれ」に直しました。 --
- 内番(手合せ):肥前「……てめえかよ」陸奥「どうれ、運動不足の解消じゃ」 --
- 内番(手合せ終了):陸奥「わしがやっとう苦手じゃと、言った覚えはないぜよ?」肥前「……ふん」 --
- 内番の組み合わせ報告というものがあってな、そちらも見ていただけるとありがたい --
- 来歴に関して、伝聞や個人の推測などあやふやな部分が多過ぎると思います。引用元をつけたり、諸説の整理などをお願いします --
- ブサイクで貧乏くさくてガラが悪くてまったく可愛げがないイラネーの一言 --
- そういうのわざわざ書き込みに来なくていいから --
- 靖国神社に展示されていた話は詳細が不明だし、いらないのでは? そもそも暗殺に使用した刀を靖国に堂々と展示するのか疑問だし、肥前刀は偽物も多いから信憑性薄すぎませんか --
- 【刀剣会誌 10号 明治34年(1901年)8月発行】 6/16刀剣鑑定会を開催。その中に、龍馬佩刀「肥前忠広」との事。 >一、喰出し鐔拵附短刀 亂刃 此の刀原長二尺六寸肥前忠廣作坂本龍馬之を藏す文久二年壬戌春龍馬脱藩し、其の友河原塚茂太郎之を武市半平太に贈る。半平太又岡田以藏に與ふ。以藏本間精一郎を京師に斬て折れる。平井収二郎因て其の斷鋒を収めて短刀となし之を佩ぶ。旣にして事あり死を賜ふ。乃ち之を井原應助に贈り、付するに皇能國乃云云の和歌一首を以てす。應助難に長州に奔るとき潜に余が囚室を過ぎ之を留めて去る。實に元治元年甲子秋八月十四日の夜也。嗚呼。此の刀前後七子を経て六子皆忠義烈皇家の爲に殉す。余や碌々獨り存し。馬齢年々老ゆ。此の刀を撫して今昔の感に堪へざるなり。 --
- その後肥前忠広は子爵の本多忠敬という人物の手に渡ったらしい。 --
- 龍馬から川原塚茂太郎経由で武市半平太の手に渡ってると言う事は、龍馬が刀を託した相手は岡田以蔵じゃなくて武市だったのかな? --
- 武市は土佐勤王党の盟主だし、おかしくはないと思う。その後、武市から以蔵に渡された刀は、龍馬のものと同一かはわからないね。文久2年7月は武市を含めた土佐藩の参勤交代が大阪で足止め、脱藩した龍馬もこの時期京都か大阪にいたようで、記録には残されていない水面下の活動がかなりあったから、わからないことが多い --
- 内番靴はかかと踏んでるのかそれともかかと無しタイプのスニーカーなのかどっちだろう --
- かかとの部分がぐにゃってしてるように見えるので、踏んでるのかなと思ってる --
- 来歴についてわかる範囲で加筆修正しました --
- 習合セリフについて、信頼に足る情報が入ったので記載しました --
- 小ネタの「~~その頃には肥前忠広はとっくに手放された後である」は、別になくてもいいような…。いつ手放したかについて確かな資料があるわけでもないし、処刑されるときには既に刀を所持していないのは当たり前だろうし。 --
- 歌仙の中傷が引き合いに出されてるから歌仙との違いを書いたのでは --
- 俺となっているところをおれと直しました --
- 軽傷2「ああ?」なんか前にnが入った感じの発音なんだけど文字にするのは難しい --
- 戦装束の物騒さと内番服のコンビニ感のギャップが・・・ひたすらツンツンしてるけどご飯あげたら態度は変わらずも懐きそうだしなんか面白いヤツだなぁと。初期刀が吉行なのもあって極も楽しみ。頑張って育てるぞ! --
- 初代忠吉の銘と、忠吉一門を付け加えました。本家の二代目が近江大掾忠広なので二代というとこの人だけど、「忠吉」としての二代は土佐守といえるので。武蔵大掾銘が代作という点も… --
- 「折れて脇差になった肥前の刀」なら、岡田以蔵が使用したのは一度きりなんだよな。武市半平太の日記と書簡によると、以蔵にすぐ新しい刀代を渡して、肥前の刀は修理後もずっと所有していたようだ。武市家の家紋と逸話からの顕現というセリフでその辺匂わしてるね。 --
- 今日確認したところ、手合せ完了時の台詞が微妙に異なっていたので編集しました(「え」→「ぇ」) --
- 短刀になった方の肥前忠広、どうもそれっぽいのが現存するらしい。数年前高知で展示されてたようだ。平井収二郎の依頼で南海太郎朝尊が短刀に直したってさ。収二郎は半平太とも龍馬とも親しいんだよなあ。どういう気持ちで短刀にして大事にしてたんだろう。 --
- 高知県立歴史民俗資料館の平成24年度 高知・岡山文化交流事業Ⅰ『特別展 刀 武士の魂 備前の名刀と土佐ゆかりの刀剣』図録に掲載。 短刀 銘 文久二壬戌歳太郎朝尊一生窮力鍛之 土左平井二郎所佩 平井収二郎所用 文久二年(一八六二)個人蔵 刃長二六・六㎝ 土佐の刀工南海太郎朝尊の短刀。平井収二郎の依頼により朝尊が作刀したもの。収二郎切腹後、長く妹の加尾が秘蔵していたという。最近の調査で、拵にくくり付けられている木札が靖国神社遊就館のものであることが判明。一時期同神社に寄託されていたことが確認された。 拵は、青貝塗小脇差拵(鞘に藤巴紋金色絵高彫、柄に黒鮫を着せるが黒糸は崩れている)で、小柄と割笄が付く。 --
- 龍馬が半平太に託して、半平太が以蔵に貸して、折れた先端を収二郎と朝尊が直した肥前忠広の片割れ、ちゃんと残ってるんだね。経歴が多分どの刀よりも土佐の志士の刀だな…。 --
- 高知市立龍馬の生まれたまち記念館に「坂本龍馬が持っていたとされる」肥前忠広(一部)が、個人から寄贈されたそうです。かつての陸奥守のように「伝」が付けられるでしょうが、これで一応、現在の所在が判明したことになるのかな?(情報源は読売新聞オンラインの地域>高知の4/3付記事) --
- 散歩・ピン差し込み「あぁ?」「かったりぃ……」でした --