例外の本

Last-modified: 2024-07-06 (土) 22:07:07

第1部

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宇宙環境地球環境動物界およびそれらと人間との関連

第1項人間と動物界

1923年10月19日

人間と宇宙

人間はその生き方を含めて一つの宇宙です

大宇宙の中の小宇宙として宇宙のあらゆる法則性

宇宙のあらゆる秘密を全てうちに担っています
とはいえ大宇宙と小宇宙というのは全く抽象的な命題ですからこれを具体的にイメージするのは容易なことではありません

ですからこの講義ではまず大宇宙の多様な秘密の一つ一つを取り出してそれをさらに人間の内部に災発見するという作業をやってみようと思います

そこで人間がどのような意味で大宇宙の中の小宇宙なのかを具体的にするために
今日はまずいくつかの対象を取り上げてそれとの関連で人間を眺めてみたいです

もちろん私たちが拘束するのは宇宙の中の小さな断面にすぎません

宇宙の全体像を表現しようとしたら少なくとも試行作業を通してでも全宇宙を渡り歩かなくてはならなくなってしまいます

鳥の頭

まず人間の生活圏のすぐ情報に目を向けてみましょう
そこには鳥たちが生活しています

その鳥たちは地上や地中に住む動物たちと本質的に異なった姿をしています

鳥たちにも頭を主体の区別はありますが単なるそのような区別は知的な観察の結果に過ぎません
これまでも繰り返して述べてきたように
宇宙を本当に理解しようとするなら知的な理解にとどまっていないで
芸術的な観点をも導入しなければならないのです

その観点から鳥の頭を他の動物たちの頭と比べると
鳥の場合は非常に退化していて同じ頭だとは思えないくらいです

確かに外から知的に観察すれば鳥にも頭と銅と足があります

しかし
鳥の足も例えばラクダやゾーナ足と比べてなんと退化していることでしょう
そして鳥の頭も獅子や犬の頭に比べると全く萎縮してしまっているように見えます

頭らしい頭が存在しておらずその全てが犬や象や猫の場合の
航空の前半部と大して変わらないくらいです

鳥の頭は哺乳動物の航空を少し複雑化したようなものに過ぎないのです

鳥の死体もまた哺乳動物の死体に比べると全く退化しています

なぜなのでしょうか
非芸術的に観察するのでしたら全紙は
翼に変化したのだと言えば済むかもしれませんが
そういう言い方は非芸術的で想像力に欠けています

自然を本当に理解し宇宙の中に本当に参入しようとするのなら
自然の形勢力をいつも以上に深く洞察することができなければなりません

歌手的な鳥の頭は本来の鳥の頭ではないのです

鳥の歌詞的な姿からエーテル的な姿にレーガンを向けることができれば鳥のエーテル軽視全体が
本来頭だけの存在であることに気がつくはずです

他の動物たちのエーテル体のように頭どう主体があるのではなく
鳥のエーテル体の場合は単なる頭様々に変化した頭があるだけなのです

目に見える鳥の頭は腔だけを表しているようですがその後ろに続く部分
筋骨や背骨に似た骨格部分もまた全てが変化された頭とみなされるべきなのです

鳥はその全体が頭なのです
そしてそのような鳥の姿の意味を理解するには地球儀の過去を非常に非常に遠くまで遡らなければならないのです

鳥の背後には地球儀の長い歴史が控えているのです
例えばラクダの場合よりも長い歴史が
ラクダはどんな鳥よりもずっと後になってから生じた動物です

ダチョウのように地上に拘束されている鳥たちは
鳥の中では一番後になってから生じました

自由に空中を主張する鳥たち

わしやハゲタカは地球儀の非常に古い動物です

鳥たちは地球機どころか
元気対応機においても内臓から外皮に至る
全てをすでに備えていました

そして地球儀になってから鳥類となって翼や角質の
くちばしを形成するようになりました

今ある鳥の姿今ある鳥の外資は後になって生じました

鳥は頭部を比較的と早くから形成し地球儀のもっと後の諸環境の下で
翼を付け加えることができたのです

鳥の翼
しかし問題はもっと深いところにあります
悠々と大空を飛翔する場所を眺めてみましょう

太陽光線が外から働きかけてわしに翼を与え確執のくちばしを与えました

太陽光線といっても様々です
太陽は単に物質的な光や熱の力だけではなくドルイド教の意義について述べた時に話したように霊的な力をも発しています

そしてその霊的な力が鳥類に様々な色彩様々な翼を与えているのです

太陽が発する様々な力を霊視するとなぜわしがまさにわしの翼を持っているのかが理解できます

それではその和室人間との間にはどのような関係があるのでしょうか
この問題に答えるにはわしの本質に人選して
わしを内的芸術的に理解しそれが太陽の働きから
芸術的に形成されたものでありその働きは後で述べるように
他の小惑星のいろいろな働きによって強められているということも知っていなければなりません

太陽の働きはすでに付加する前からわしの中に働きかけ
翼をより正確に言えば
翼など物質体を生じさせたのです

そしてこの同じ太陽の働きは人間に対しては人間の脳を思考内容の担い手にしているのです

わしの多彩な翼の中に人間の中に生きる
思考の力と同じ力の働きを見ることができるのです

人間の脳にしわを作って思考の基礎である
あの内なる仕様の力を受容できるようにし
そうすることで人間をそもそも試作家にするのは空中のわしに飛翔するための翼を与えたのと同じ力なのです

ですから思考する時私たちは自分が翼を持ったわしに似ていると感じることができます
私たちの思考内容は脳から流れ出ますがそれと同様に翼はわしから溢れ出たのです

私たちが物質会からアストラル界にまで登れば
物質会で翼を形成した力がアストラル界で
思考を形成しているのを知ることができます

同じ力が物質感においてはわしに翼を与え
アストラル界においては人間に思想を与えるのです

このことはドイツの民間伝承が見事に語っています

姉の根元を切り取ってその中身を取り除くとき
その中身をドイツ語で魂と呼ぶのです

この呼び方は単なる思いつきだと思う人もいるでしょうが
思いつきなどではなくそもそも羽には特別なものがつまり思考形成の秘密が含まれているのです

ライオンの呼吸
ここで空中に住むわしから離れて陸に住むライオンのような哺乳動物に目を向けてみましょう
ライオンを理解するには環境の中にいけることに大きな喜びと満足を感じている様子を見なければなりません

哺乳動物の中でライオンやそれに近い動物たちほど伺い知れぬほどに見事な呼吸を行う動物は他に存在しません

元来動物はみんな呼吸のリズムと
血液循環のリズムと一致させているのですが
ただライオンたちの場合循環系のリズムがそれに依存している消化器官によって鈍重になっており
一方呼吸系のリズムは頭脳をより容易に形成するように軽快になっているのです

鳥の場合はどうでしょうか
呼吸活動が頭脳の中で行われているのです
ですから鳥の全体が頭部なのです外から見ても頭を周囲の世界に差し出して思考内容を翼の形にして生きています

正しい自然感情は自然美の体験を伴うのが常ですが私たちが心の内に生き生きと感じる思考内容と
鳥の翼との深い真菌性を感じる時ほど感動に誘われることは滅多にありません

そういう体験をするといつ自分が孔雀のように考えるのかいつ鷲のようにまたはスズメのように考えるのかもわかってきます

一方はアストラル的であり他方は物質的であるのに
互いに素晴らしい仕方で対応しているのです
ですから鳥の生活は主として呼吸から成り立っており
血液循環その他の働きはほとんど消えています

rsmvtalkラズが前に送ったテキスト
1私の心に一筋の光が入ってくることを願った
静かに頭を上げて私の目を覆って
ときめくこの声誰かを待つように
私の心を開いてくれるあなたと夢のようなstory
1ページいっぱいに詰め込まれた私達の出会い
あなたと一緒にいる時は私の姿が
鮮明になっていつのまにか笑顔が
春風のようにときめき近づいてくるその瞬間には
凍った心が溶けたの
今は集中しなきゃいけないtiming
あなたがいて私は毎日がparty
私たちの想像した絵が描けるように祈りながら
今日も深い眠りにおちるのSay good night
2なんだか今日は時間がゆっくり流れる
しずめた心がまた揺れるのはなぜ?
揺れるブランコが私の心のようで
行ったり来たりしていた時運命のように現れた
止まらないでゆっくり周りをみてみて
あなたと一緒にいる時は私の姿が
鮮明になっていつのまにか笑顔が
春風のようにときめき近づいてくるその瞬間には
凍った心が溶けたの
今は集中しなきゃいけないtiming
あなたがいて私は毎日がparty
私たちの想像した絵が描けるように祈りながら
今日も深い眠りにおちるのSay good night
C果てのない
さまよいの中に
不安でも私がいる
したい通りに感じるままにすればいいの
暗い記憶の扉を
少しの間閉じて1回叩くの
私が耐えられるだけ叩くの
新しく積もった雪を見た瞬間のように
その雪を踏む感じを思い出してこうやって
新しさに怖がる必要なんてない心配しないで始めよう3:30
ゆっくり一つ一つ私達二人世の中を
明るく染めるの立っているこの場所が幸せだよ
oお互いに向かい合って深い心の中を覗いてみて
あなたと私は今一緒だから
私たちを待つその終わりが近づいても
悲しまないで私たちの思い出を思い出して
一緒に過ごした瞬間があなたを幸せにする
ご機嫌にサヨナラを言うわSay goodbye

消化系
循環系のドン重さは鳥の羽ばたきの中で取り去られ存在しなくなっているのです

ライオンの場合の呼吸と血液循環の間には一種の均衡が存在しています

もちろんこの場合の血液循環も鈍重ではあるのですがラクダや
牡牛の場合ほどに鈍重ではないのです

ラクダや牛の消火作用は血液循環に非常な負担をかけていますが
比較的短い長で早く消化が行われるように作られているライオンの消化器官の働きは循環系の重荷にはなっていません

ライオンの呼吸はその循環系のリズムと均衡を保つように機能しています

ライオンは呼吸のリズムと心臓の鼓動のリズムとが内的に最も釣り合い調和している動物です

ですからライオンが限りない欲望を持って餌を漁るのはその欲望のもとにある時が一番嬉しいからなのです

そして上はいったんの動物の場合よりもはるかに大きな苦しみを与えます
食べることに貪欲ではあっても特に美食家であるわけではなく呼吸と血液循環の均衡状態によって
内的な満足が呼び起こされるのですから味にこだわる必要はないのです

ライオンが生きているという実感を持つのは獲物が養分となって
血の中に入り心臓の鼓動と呼吸との相互関係の結果深い内的な満足感を持って呼吸を感じ取れる時なのです

養分の摂取によって呼吸と血液循環との内的銀行を感じ取れる時なのです

ライオンが本当にライオンらしく生きるのは
血液が情報で脈打ち呼吸が下方で息づく時なのです

2つの波動のこの相互作用の中でライオンはライオンらしく生きるのです

ライオンの走り方
条約の仕方頭の動かし方見つめ方を観察してみてください
これらすべては均衡が破れたりまた均衡を保ったりの絶えざるリズミカルな繰り返しに発することがわかるはずです

ライオンの恐るべきあの眼差しくらい人に神秘的な思いを呼び起こすものは滅多にありません
その眼差しはうちに込められた圧倒的な力でこちらを見つめているのです
その力は対立している働きを内的に克服する力です

全く完璧な仕方で呼吸のリズムによって心臓の鼓動を克服する力なのです

そしてこれが外を見つめるライオンの眼差しの秘密です

とてもいま社不を感じてる
あああああ

芸術的な形勢力を知っている人がライオンの口を見れば心臓の鼓動が航空にまでリズムを伝えていると思えるでしょう
しかし呼吸がこの心臓の鼓動を抑えています

心臓の鼓動と呼吸のこのぶつかり合いがライオンの口に表現されているのです

ライオンは胸部機関そのものです

その外資もその生活態度もそのすべてがリズム系を表しているのです

心臓の鼓動と呼吸とのこの相互作用は心臓と肺の位置関係にも表れています

それでは大空を飛翔する鳥類や大気を呼吸する
福祉の消化系それでは大空を飛翔する鳥類や大気を呼吸するライオンから離れて牛に目を向けてみましょう

別の関連で述べたことがありますが
十分に放出した牛たちが牧場で寝そべっている様子にはとても興味をそそられます

牛たちの消火活動がのんびりとしたその姿や動作や目つきの中に見て取れるのです

どこかで物音がした時牧場の牛がどうするかを観察してください

頭を持ち上げようとしても頭の中に特別重たいものが詰まっているかのように容易に頭を持ち上げられないかのようなのです
まるで草を生むのではないのに頭を持ち上げなければならないのは変だと思っているかのようです

牛はこう考えています
一体何で今頭を持ち上げなければならないのか

草を食うためではないのに頭を持ち上げて何の得になるのか

どうぞ動物が頭を持ち上げる時の様子を観察してみてください

ライオンと牛とでは様子が違いますがその違いが頭の形にも現れています

牛は存在全体が消化器官のようです
消化の重たさが血液循環にのしかかり頭と呼吸を圧倒しています
上空の鳥海それから地上の牛の様子を見るときその堆肥は強い印象を与えます

鳥ライオン
牛と人間
もちろん物質体としての牛をどんなに高いところへ持ち上げても鳥になることはありません
しかし牛の物質体を空気と湿気からなる環境になじませそのエーテルケイシーをアストラル海に適用させるなら
牛は上空で鳥になるでしょう

牛のアストラル体が鳥にふさわしいものになるでしょう

上空の鳥に翼を与えるアストラル体の働きは牛の場合
肉や菌や骨を形成するために働いています

鳥の場合
翼を与えるアストラル性質が牛においては体を作っているのです

一方ワシのアストラル隊を地上のエーテル界物質会に適応させたとしますと
そのアストラル性質は例えば大地に横になって消化している牛のエーテル性質物質性質に物質性質に変わるでしょう

牛は消火活動を営むことで
素晴らしい独自のアストラル体を発達させています

消化している時の牛はとても美しいのです

それはアストラル体が素晴らしい美に輝いているからです

消火活動を非精神的だと思っている人が工事の立場から
牛の消火活動を見たならその通俗的な意見がひっくり返ってしまうほどに美しい霊的な光景を見るでしょう

ライオンの消火活動はそういう霊的な特徴を持っていません

鳥であればなおさらです
鳥の消火活動は全くと言っていいくらい
物質的なあり方をしています

もちろん鳥の消化器官の中にもエーテル体が働いていますが
アストラル体はほとんど全くと言っていいくらい働いていません

それに反して牛の消火過程におけるアストラル体の働きは全く壮大であり一つの世界全体であるとさえ言えます
そして似たものを人間の書記官とそれの継続である主体系にも見ることができます

人体のこれらの機関は人間の場合は一面的に発達することなく
他のアストラル活動と調和しています
このようにして空高く視聴する鷲と直接空気を楽しむライオンと大地の力と
結びついた牛という3つの動物の本性が人間の中で調和して結びついているのを私たちは見ることができるのです

言い換えれば人間の頭は取り留めたまるポーズであり
人間の胸はライオンの目玉ポーズであり
人間の代謝運動期間は
牛の壮大なるメタマルポーズでなのですが
それらが互いに見事に調和して働いているのです

本来人間は自然全体から生まれそして自らの内部に自然全体を
従って以上に述べたような鳥の世界
ライオンの世界
牛の世界を担っているのです

このことがわかれば人間は一つの小宇宙であるという
抽象的な命題を具体的イメージすることができます

実際人間は一つの小宇宙であり人間の中には大宇宙が存在しています

空中に生きる動物事情で大気に包まれていける動物
さらには地下の重力を主要な要素としている動物それらすべての動物たちが人間の中で調和した全体となって働いているのです

だからこそ
古代人は本能的
典礼的に宇宙を洞察しわしライオン
牛の調和した全体こそが人間なのだと考えたのです

このことを近代留学の観点から改めて考察するとき
繰り返して申し上げてきたことですが
古代人のこの偉大な人間観
わし人間の4聖獣の考え方に驚嘆せざるを得ません

明日はわしナイロンワシライオン牛を突き動かしている衝動を一つ一つ
取り上げるつもりですがその前に内なる人間と外なる宇宙との間に存するもう一つの対応関係をここで取り上げておこうと思います

思考感情医師
すでに見てきたように人間の頭部を知るにはその本性にふさわしいもの
つまり鳥類に目を向けその胸部の呼吸や心臓の鼓動を知るには自然の秘めたる秘密であるライオンに
目を向けその新陳代謝を知るには失態的構造を理解しなければなりません

このことは理解していただけたと思います
けれども人間の頭部は思考内容の担い手であり
胸部は感情の担い手であり代謝系は
医師の担い手なのですからその意味で人間
の魂は取りなつばさで天空を飛翔する思考回路試行作用の表れであり
ライオンの心臓の鼓動と肺の呼吸との内的調和の中で大地を徘徊する感情世界の現れであり
また牛の姿が示しているような主として新陳代謝の中に存する意思衝動の表れでもあります

人間の感情は和らげられてはいますが勇気を持っています

勇気のギリシア語は心臓胸を意味しています

このような発想は宇宙の霊的関連に無理解な現代においてはグロテスクな妄想だとしか思えないでしょうが
事実に基づいておりそして当然のことながら古代から言い伝えられてきました
そのことを示す良い例があのマハトマガンジーです

ロマンロランがまだ決して十分とは言えませんが彼を世に紹介してくれました
マハトマ鑑真の活動は政治的であるとはいえインド民族の中で言ってみれば18世紀啓蒙思想家がキリスト教に対したように
古代ヒンズー教に対していますが彼の啓蒙主義的ヒンズー教は伝統の中で牛の崇拝だけを保ち続けました

インドにおける政治活動のゆえに
イギリス人によって6年間もひどい獄中生活を送ったマホトマガンジーが
牛の崇拝から離れてはいけないと語っているのです

霊的な文化の中に根強く残っているこうした事柄を理解するには
牛の消火活動の中にどれほど大きな秘密が生きているか
地上的になった牛のアストラル的なものが
どれほど崇拝すべきものかを正しく記し必要があります

この点からヒンズー教徒の余震に対する
宗教的崇拝も理解できます

しかし今日の合理主義的出資主義的な概念によってはとても理解されそうにありません
私たちは医師感情思考を外なる宇宙の中にもそれに対応する小宇宙人間の中にも見いだすことができますが
人間の中にはそれ以外にもいろいろな働きがあり
外なる自然の中にも同じくらいいろいろな働きがあります

そこで今蛹から腸へのあの変身の家庭について考えてみましょう

蛾の返信
腸が卵を産みますとその卵から幼虫が出てきます
周囲から閉ざされた卵の内部には後の動物の素質が含まれています

卵から出てきた幼虫は光の充満する空気に
触れますそれが幼虫の環境です
そこで今幼虫が日光の充満する空気の中に生きているという事実に注意を向けてみましょう

夜ランプに火をつけると蛾がランプの日に向かって飛んできて
その光の中で死んでいきます
光がガニ作用して死を求めさせるのです
そこに生命存在に対する光の作用がはっきりと現れています

幼虫は光源の中に飛び込んでいくことができませんが
蛾が炎の中で死ぬ時には死ぬ時と同じくらい強くそうしたいと欲しているのです

蛾は炎の中に身を投じて火の中で死にます

幼虫も同じように炎を求めますがその炎は太陽から幼虫に向かって働きかける炎なので
太陽に身を投じることができません

光と熱への転身は幼虫の場合霊的なものにとどまっています

日光のすべての霊的な作用の中で幼虫は太陽光線の一筋一筋に従いながら
昼間太陽光線とともに行きそして夜のが光に身を投じて自らの物質体をすべて光に捧げるように
幼虫はその物質体をゆっくりと光の中に織り込みます
夜は休み昼は再び降り続けこうして自分の周囲に繭を紡ぎかつ折り巡らすのです

幼虫が流れてくる日の光の中で自分の
物質代である糸で織り出したものが眉なのです

今や蛹となった幼虫は
太陽光線を自らの中に取り込み自らの成分を使って太陽光線を周囲に折り巡らしたのです

蛾は速やかに物質的な光の物質的な火の中で燃えてしまいますが
幼虫は日の光に身を捧げ
求める日の光の一筋一筋を糸にして周囲に折り巡らします

解雇の眉を手に取ってよく眺めてください

202がでかいんだわ

それは
折りめぐらされた日の光なのです

ただその光は蚕の実態を通して物体化されています

内部の空間はその物体によって
閉ざされ外なる日の光がいわば遮断されているのです

しかし以前ドルイド教の悲劇との関連で言いましたように日の光から
巨大感情列石の中へ入っていくものそれが眉の内部に存在しているのです

太陽はこれまで日の光を行使して幼虫に繭を紡がせましたが
今やうちに働きかけて内部から顔を生じさせます
こうして循環が新たに始まります

鳥の卵の中では一つの経過でしたがここでは別々に分かれて現れています
どうぞこの家庭を卵を産む鳥の場合と比較してください

鳥の場合は自らの内部に石灰の殻が作られます
日の光の働きは石灰の成分を用いて

幼虫眉に分けられた全過程を一つにまとめています

全てが鳥の卵の形からの中で統合されています
この統合によって鳥の卵の中の成長過程は別用になっています

鳥が卵の形成に至るまでが蛾の場合は別々に
卵の形成
幼虫の形成さなぎの形成眉の形成に分かれています

私たちはそれを外から見ることができます
そして繭から蛾が生い出てくるのですこの全過程を
アストラル的に見ると何が見えるでしょうか

鳥の存在全体は人間の頭をつまり思考内容の形成期間を表現していました

それでは空中を飛ぶこともできしかも体制課程を非常に複雑な仕方でたどる側何を表現しているでしょうか

蛾が表現しているのはいわば頭部機能の継続頭部の働きがいわば全人間にまで及んでいる様子です

人間の頭部は物質的だけでなくエーテル的アストラル的に見ますと
卵の形成過程と非常によく似ています

頭の機能だけでしたらその時々の思考内容を形成するに過ぎないのですが
その思考内容は私たちの内部に沈み込んで全人間に働きかけそして再び記憶となって浮かび上がってくるのです

私たちが外界に対してその都度作り上げる
思考内容をよく観察してみてください

そしてわしの翼の中に物体化した思考内容を見ようとしてみてください

私たちの思考内容は単なる思考内容であり
一瞬一瞬の思考内容です

一方私たちの記憶内容には複雑な経過が生じています

肉体の中にもちろん霊的な仕方で一種の卵が形成されます

それはエーテル体においては幼虫の形成に似た何かであり
アストラル体においては蛹形成眉形成に似た何かです

私たちの内部に思考内容が生じるのは
蛾が卵を見つけるのに似ており思考内容の変容は
幼虫の変容に似ているのです

すなわちエーテル隊の営みが霊的な光に身を捧げて
思考内容を内なる眉のアストラル繊維で

織り出すと記憶内容が作り出されるのです
一瞬一瞬の思考内容の中に
鳥の翼を見るとすれば記憶内容の中には
多彩に輝く蛾のまたは腸の羽を見なければなりません

このようにして自然と私たちとの非常に深い結びつきが感じ取れます

こうする私たちは思考内容の世界を主張する鳥の中に見思い出す私たちは
記憶の世界を日の光にきらめきながら羽ばたく蝶の中に見るのです

人間が小宇宙であり外なる大宇宙の秘密を家に担っているからこそ
私たちは内なる思考内容感情移し記憶像を外なる自然界の中に再認識できるのです

アフリカの寓話
現実を見るとはそういうことなのです

ですから現実を単なる思考によって理解することはできません

単なる思考にとって現実などはどうでもいいことなのですから
思考は論理だけを求めますそして同じ論理で現実のどんな事柄をも証明できます
このことを明らかにするために最後に一つの比喩を申し上げて明日の話につなげたいと思います

ベラタ族というアフリカの黒人種族は深い内容のある美しい物語を持っています

ある時ライオンと狼とハイエナが歩いていると
鹿がいましたので山東のうちの1等が噛み殺してしまいました

この3頭は互いに仲が良かったのでこの殺したしかを仲良く分けることにしました

そこでライオンがハイエナに言いました

君が公平に分けてくれ

ハイエナは論理化でしたがその論理は生きたものというよりも死んだものに一挙しています

だから勇気次第
臆病次第でどうにでも変化します

ハイエナは言いました

石川さん等分しよう
1/3をライオンが次の3分の1を狼が
残りの3分の1を私が取ればいい

ところがライオンはたちまちハイエナを噛み殺してしまい
そしてオオカミに言いました

オオカミ君今度は君が分けてみてくれ

狼が言いました別の分け方をしようよ
君がハイエナを片付けてくれたのだから

もちろんまず君がハイエナの分として1/3を取りたまえ
次の3分の1はハイエナが言ったようにもともと君の分なのだから君が取りたまえ
そして残りの3分の1も君が取りたまえ君は獣の中で最も賢くて最も勇敢なのだからね

そう言って狼は三等分しました

そこでライオンがその分け方を誰に習ったのと聞きますと
狼はハイエナがそうするように今教えてくれたよと答えました

そうしたらライオンはオオカミを食い殺さずに
狼の論理に従って3つの部分を受け取ったそうです

数学的知的な理解力はハイエナにも
オオカミにもありました
2人とも3等分しましたがその同じ3等分の仕方を違った現実に適用したのです
そしてその結果運命が決定的に違ってきました

ハイエナは分け方を
狼と違った姿で現実に適応したために食い殺されましたが

狼は同じハイエナの論理を教えてくれたと狼自身が語っています

この同じ論理を別の現実に適用して自分が食われずに済むようにしたのです
同じ繁栄の論理が現実への適用の仕方でこんなにも変わってしまうのです

知的なもの
論理的なものはどんな現実にも適用できるのです

中傷作用は全てそうなのです
それはどのようにでも現実に適用できます
ですから小宇宙である人間を大宇宙と対応させる時も論理的に人間を考察するだけではなく
主治主義を芸術的
芸術的なものと結びつけるのでなければなりません

私たちが集中主義を変容させて芸術芸術的なものにし認識原理としての
芸術的なものを育成できたなら人間の中にあって自然的にではなく
人間的に営まれているものを外なる大自然の中にも見いだすでしょう
その時真の意味で人間と大宇宙との神話関係が見出せるの