【ミッションエディット】イギリスの戦い

Last-modified: 2018-03-07 (水) 18:16:51

解説

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史実

1940年7月から1941年5月までに行われたドイツ空軍とイギリス空軍の戦いで、バトル・オブ・ブリテンとも呼ばれる。
緒戦でドイツ空軍はドーバー海峡付近の輸送船や沿岸の港湾を攻撃した。ロッテ戦術を使った戦法と軍用機の保有数において、ドイツ空軍が優位に立った。

数において劣るイギリスは、軍民一体となって空軍を支援した。レーダーにおいて当時世界で群を抜いていたイギリスは近代的なレーダー網を活用した要撃体制を構築し、イギリス連邦諸国から人的支援、中立国アメリカ合衆国からは経済支援を得ることができた。

ドイツ空軍は7月中旬から内陸部の飛行場を狙った空襲を繰り返してイギリス空軍に打撃を与えた。しかし、目標選定の失敗や必要な軍用機の整備不足、途中で主要な空襲目標をロンドンに変えたことなどにより、ドイツ空軍も大きな被害を受けた。10月になってイギリス空軍はドイツのイギリス上陸作戦を断念させることに成功した。その意味でバトル・オブ・ブリテンの結果は第二次世界大戦の重大な転機となった。
イギリス本土への上陸作戦準備は中止されたが、ドイツ空軍機による英本土に対する散発的な空襲や偵察、イギリス海峡上空での空戦はその後3年程度続いた。イギリスはスピットファイアの新型、ドイツはFw190といった新型戦闘機を繰り出して、制空権の確保と両軍支配地域への攻撃に鎬を削る事となる。

1942年、イギリス空軍はGCIと夜戦型のモスキートを投入、ドイツ空軍によるイギリス沿岸都市への夜間空襲を封殺した。続き1943年、スピットファイア LF.9 (Mk. IXの低空型) が投入されると、ドイツ空軍は昼間戦闘機も圧倒され、海峡上空の制空権は完全にイギリスに移行し、二度とドイツ優位に傾くことはなかった。

最終的にはイギリス本土上陸作戦の実施に向けた港湾施設・兵器工場の破壊が失敗に終わり、イギリス本土への一切の作戦を中止した。また1941年12月のアメリカ参戦により1942年以降、アメリカ陸軍航空隊の第8航空軍によるドイツ本土への昼間空襲が増加。さらにP-38など米軍の長距離戦闘機がドイツ本土まで爆撃機を護衛するようになると、独ソ戦でも消耗していたドイツ空軍は西部戦線では本土防空に専念せざるを得なくなり、海峡上空の航空戦は終焉した。

イタリア空軍はドイツ空軍側で少数の航空機を派遣したものの効果なくイギリス軍に撃退される。ドイツ空軍の攻撃は翌1941年5月頃まで継続された。

参戦機体

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