Fubuki class, 2 group, Ayanami (1936)

Last-modified: 2024-03-16 (土) 17:36:31

日本 RankI 駆逐艦 Fubuki class, 2 goup, Ayanami (1936) / 吹雪型駆逐艦 II型 綾波(1936)

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概要

1.89"Imperial Navy"で実装された日本海軍の駆逐艦。有名な「吹雪型駆逐艦」こと特型駆逐艦の1隻で、本艦はその中でも第2グループに当たる特Ⅱ型(綾波型)のネームシップである。

艦艇情報(v1.**)

必要経費

必要研究値(RP)36000
艦艇購入費(SL)140000
乗員訓練費(SL)39000
エキスパート化(SL)***
エース化(GE)***
エース化無料(RP)***
バックアップ(GE)***
護符(GE)***

BR・報酬・修理

項目【AB/RB/SB】
(初期⇒全改修完了後)
バトルレーティング4.0 / 4.0 / 4.0
RP倍率1.48
SL倍率1.5 / *** / ***
最大修理費(SL)1460⇒*** / ***⇒*** / ***⇒***

艦艇性能

項目数値
【AB/RB&SB】(初期⇒全改修完了後)
艦橋装甲厚
(前/側/後)(mm)
Steel, 10 mm
船体装甲厚
(前/側/甲板)(mm)
Steel, 8 mm
主砲塔装甲厚
(前/側/後)(mm)
3 / 3 / 0
排水量(t)2570
最高速度(km/h)57⇒*** / ***⇒***
乗員数(人)197

武装

種類名称砲塔搭載基数弾薬数購入費用(SL)
主砲127 mm
Type 3
連装3900**
対空砲13.2 mm
Type 93
連装210000**

弾薬*1

搭載武装解説ページ(弾薬テンプレート置き場)を開く

艦砲

武装名砲弾名弾種弾頭
重量
(kg)
爆薬量
(g)
初速
(m/s)
信管
遅延
(m)
貫徹力(mm)
100 m1000 m2000 m3000 m4000 m5000 m
127 mm
Type 3
Type 1 HEHE2323109100.428
Type 1 HEHE-DF2323109100.128
 

機銃

武装名ベルト名ベルト内容貫徹力(mm)
10m100m500m1000m1500m2000m
13.2 mm
Type 93
汎用T/AP/HEI/AP313027242119
AP-TAP/AP/AP/T333027242119
HEITHEI/HEI/HEI/T282724201816
 

追加武装*2

分類名称搭載数費用
(SL)
搭載条件
魚雷610 mm Type 9018***-
爆雷投射機Type 958***Bomb Mortar
魚雷
&
爆雷投射機
610 mm Type 9018***Bomb Mortar
Type 958

魚雷

名称重量
(kg)
爆薬量(kg)水中最大速度
(km/h)
(初期⇒改修)
射程
(km)
(初期⇒改修)
610 mm
Type 90
254048085⇒677⇒15

爆雷

名称重量
(kg)
爆薬量
(kg)
Type 95160100

カモフラージュ

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条件-
説明標準カモフラージュ
△△△
[添付]
条件
説明

研究ツリー

次艦艇IJN Yugumo
 
 

解説

特徴

--加筆求む--

 

【火力】
3年式12.7cm連装砲は砲塔旋回速度・装填速度が遅めだが、初速が910 m/sと比較的高く弾道が低くなるため若干当てやすいという利点がある。*3
また、雷装も射程こそ93式には劣るが十分強力な90式魚雷を18本搭載している。魚雷の搭載数では駆逐艦最多だ。
ここまでだと一見武装は強そうに見えるが、こいつの弱点は1⒊2m連装機銃が二挺あるだけで、油断している敵機ぐらいしか落とせない。格殺出来ずに爆弾を落とされて爆沈もあり得る。主砲の時限信管もあるが、装填速度や主砲旋回速度が相まって当てにならない。

 

【防御】
特に装甲は無い。立ち回りでカバーしよう。

 

【機動性】
睦月型からは遅くなったものの、そこまでストレスを感じるほどではない。

 

立ち回り

JDS Harukaze (DD-101)の実装によってBR4.0で合わせられる艦が増えた。VT信管と40ミリ機関砲で武装した対空のはるかぜ、610ミリと言う強力な魚雷を大量に装備した対艦の綾波と用途や試合状況によって使い分けられる様になった。以後のランクで使う事になるだろう夕雲、秋月ペアの様に臨機応変な戦闘を心掛ければ、十分な戦果を上げることが出来る。
とはいえ、本艦は対空火力以外は総じて優秀なので、従来どおりの使い方でも何ら問題はない。

史実

特型駆逐艦。俗に言う吹雪型駆逐艦は日本海軍が1920年代終わりから30年代初めにかけて建造した駆逐艦で、世界初の近代的駆逐艦として知られている。
全24隻が建造され、武装や船体等の仕様の差異から特Ⅰ型(吹雪型)、特Ⅱ型(綾波型)、特Ⅲ型(暁型)の主に3つのグループに分けられる。(それをさらに細かく分類し、10番艦「浦波」を改特Ⅰ型とする資料や、特Ⅱ型7番艦(特型全体では17番艦)以降の「朧」、「曙」、「漣」、「潮」とそれ以前の6隻とを区別して前期特Ⅱ型、後期特Ⅱ型と呼ぶ場合もある)

特Ⅱ型駆逐艦は特型駆逐艦の第2グループにあたる艦型で、1番艦の「綾波」は昭和2年。1930年に竣工した。全10隻の特Ⅱ型駆逐艦は太平洋戦争で緒戦から各作戦に参加し、最新鋭の駆逐艦に負けず劣らずその艦齢を感じさせない活躍を見せた。特に1番艦「綾波」の第三次ソロモン海戦での激闘の記録は今も色褪せることなく、特型駆逐艦の勇姿を後世に伝えている。しかし、本級も激戦の中に消耗を強いられ、「潮」を除く姉妹艦9隻が戦没している。

特型駆逐艦の詳しい解説(長いので格納)

注)本項では吹雪型駆逐艦全24隻を「特型駆逐艦」、吹雪型駆逐艦10隻(浦波も含む)を「特Ⅰ型駆逐艦」、綾波型駆逐艦10隻(後期Ⅱ型も含む)を「特Ⅱ型駆逐艦」、暁型駆逐艦4隻を「特Ⅲ型駆逐艦」と表記する。

計画経緯
1922年のワシントン海軍軍縮条約締結により日本海軍の主力艦の保有枠は対米6割に抑え込まれる事となった。主力艦が米太平洋艦隊に対して数的劣勢になる事が確定した今、日本海軍の米太平洋艦隊迎撃作戦は大きな変更を余儀なくされる。その過程で日本海軍が立案したのが、水雷戦隊による敵主力艦の漸減作戦であった。漸減作戦とは米太平洋艦隊との戦いにおいて主力艦同士の艦隊決戦の前に強力な雷撃能力を有する駆逐艦を主力とした水雷戦隊で敵主力艦を襲撃し、前もって敵主力艦の数を減らす事で主力艦の数的不利を補うという作戦である。
日本海軍はこの新たなドクトリンに合わせて米国との主力艦の戦力差を埋め合わせるべく艦隊型駆逐艦の設計に躍起になった。当時で駆逐艦といえば航続距離が短いため、領土近海付近で水雷艇などの掃討に当たり、主力艦の護衛に当たるというのが一般的な認識だった。しかし、日本海軍の欲した駆逐艦はその程度の役割で終わるものではなかった。日本海軍の欲した駆逐艦は決戦場と予想される内南洋まで独力で進出しうる強靭な耐波性と、敵主力艦に対する襲撃を有効ならしめる重雷装を有する全く新しい駆逐艦であった。
こうして計画されたワシントン条約対応型駆逐艦案は艦艇の設計を担当する艦政本部に無理難題を突きつける事となった。海軍が艦政本部に求めた「理想的駆逐艦」案は以下のようなものである。排水量1900トン前後、13センチ砲4門以上・8センチ高角砲1門搭載すること、61センチ三連装魚雷発射管3基(各門に魚雷2本 計18本搭載すること)、探照灯75センチ1基・45センチ1基を搭載すること、2/3燃料にて39ノットを発揮すること、14ノットで航続距離が4000浬であること、当時標準であった装備(一号機雷、爆雷兵装、掃海具、水中聴音器)を備えること、13センチ砲の仰角は45度とすること、満載状態航続距離を4000浬とし、必要であれば14ノットで5000浬を発揮できる予備燃料庫を設けること。この案は睦月型駆逐艦の航続距離や速力等の性能を上回った上で兵装を約5割増しにしたというとんでもないものであった。艦政本部はこの無理難題に対して「特型駆逐艦対策委員会」を設置、日本造船界の鬼才と謳われた藤本喜久雄造船大佐を基本計画主任に据え、全力をもってこの問題の検討に当たった。藤本はその才能を遺憾無く発揮し、こうして生まれたのが駆逐艦界のドレッドノート。特型駆逐艦であった。

特徴
本艦級は世界初の近代的駆逐艦と呼ばれる程様々な新機軸が盛り込まれている駆逐艦である。前級の睦月型駆逐艦と比較しても変更点や特徴を挙げていくとキリがないためある程度割愛して解説する。

まず、魚雷兵装である。前述の通り、敵主力艦への襲撃を可能にするためは従来の53センチ魚雷では力不足との判断から、新型の61センチ魚雷の搭載が決定された。こうして建造されたのが前級の睦月型である。しかし睦月型はあくまで峯風/神風型駆逐艦の発展改良型であり、原型の峯風型が53センチ魚雷を前提としていたため睦月型では61センチ三連装魚雷発射管2基の搭載が限度であった。無論、日本海軍はこの程度の雷撃能力では満足せず、特型には計画段階から睦月型の1.5倍となる61センチ三連装魚雷3基の搭載を早い段階で求めていた。藤本大佐率いる艦政本部はこの要求に見事応え、特型は61センチ魚雷を搭載する前提で設計された初めての駆逐艦になった。
特型の61センチ三連装魚雷発射管は睦月型に搭載されたものから改良を加えられた十二年式三連装発射管改一であり、これを船体中央部。第1煙突と第2煙突の間に1基、第2煙突と2番砲塔の間に2基の計3基搭載している。9門の魚雷発射管に合わせて各門2本ずつ、計18本の魚雷を搭載し、まだ不完全であるもののクレーンによる次発装填機能を有していたと言われている。
竣工当初搭載された魚雷は八年式魚雷であったが、後に九〇式魚雷に変更されている。(本ゲームではこの九〇式魚雷を搭載している) 日本海軍の魚雷の代名詞、九三式魚雷。俗に言う酸素魚雷の搭載は確認されていないものの、戦争後期に一部姉妹艦の中で搭載できるように魚雷発射管を改良した例(特Ⅱ型の「潮」など)や、特Ⅲ型の「響」が魚雷側を改良し無理やり酸素魚雷を搭載したという資料が残っている。

次に、砲兵装である。日本海軍の求める駆逐艦には敵主力艦を撃破する重雷装だけでなく敵主力艦を護衛する敵水雷戦隊を撃破する砲戦能力も必要とされていた。そのため、特型には日本海軍で初めて連装砲化及び砲塔化がなされた12.7センチ砲が採用された。この12.7センチ連装砲は特型だけでなく後の日本海軍の駆逐艦のスタンダードとなる主砲で、砲架の形状や仕様の違いからA型砲架、B型砲架、C型砲架、D型砲架の4つに分類される。このうち、特Ⅰ型はA型砲架、特Ⅱ/Ⅲ型はB型砲架を搭載している。また、砲配置も次級以降の日本海軍の駆逐艦の基本となる形態で、艦首側に1基、艦尾側に2基の計3基の配置になっている。
前級までの睦月型から主砲が砲塔化された理由は砲員を波浪から守る事を目的としており、弾片防御のためではなかった。そのため、砲の周囲は数ミリの鉄板に囲われただけに過ぎず被弾には脆弱であったものの、砲塔化は砲員の負担を大きく軽減するのであり砲戦能力の向上に大きく貢献していた。

続いて、船体である。特型駆逐艦を見た時に最も目を引くのが、美しい曲線が組み合わさった艦首部分であろう。特型では外洋の激しい波に対応すべく凌波性の向上に重点が置かれていた。前級の睦月型を含めた峯風型系統の駆逐艦は速力等のカタログスペックは優秀だったものの外洋航海時の凌波性に問題があり、思うように速度が伸びなかった。これを受け本級では艦首形状を一新し、睦月型の艦首からさらに強化したダブル・カーブド・バウを採用している。ダブル・カーブド・バウとは乾舷部分と喫水部分の曲率が異なる構造を持つ艦首で、特型では艦首シアーを始め艦首両舷に強烈なフレアも設け、徹底的な性能の向上を目指していた。この結果、特型は優秀な凌波性を手に入れ、その性能は水雷戦隊旗艦の5500トン級軽巡洋艦を上回るものだったと言われている。
特型は計画段階で38ノットを目指していたが、竣工後の公試では計画を上回る39ノット近い速度をマークしている。しかし、本級は14ノットで5000浬の航続距離を目指していたが、竣工後の実測ではこれを達成できず、理想的駆逐艦であった本型の唯一の不満点になっていた。
また、特型には数値に現れにくい特徴としてこれまでの駆逐艦から居住性が大幅に向上している事が挙げられる。航続距離の延長により長時間の艦隊勤務が必要となった本級では船員の健康や士気を維持するため、医務室や冷蔵庫を完備している。また、砲塔や艦橋が密閉構造になったことで艦橋要員や砲員の疲労を軽減することにも繋がっている。

こう言った特型の特徴はこの後に続く日本駆逐艦のスタンダードとなるもので、改良・発展しながら受け継がれている。また、特型の登場はこれまで艦隊の脇役であった駆逐艦が一躍して艦隊の主力に名を連ねるきっかけであり、その役割は現代のミサイル駆逐艦等にも通じるものがある。こうした事からも世界初の近代的駆逐艦の名にふさわしい存在であると言える。

しかし、その特型にも弱点があった。特型は小型の船体にこれまでの駆逐艦の常識を覆す重武装を搭載するという無茶振りと言っても過言ではない要求から設計された艦であった。こうした要求に見事応えた特型は確かに優秀であったが、あまりにも設計を突き詰めすぎて艦体に余裕がほとんどなかったのである。こうした影響は度重なる兵装の強化、機関改良などにより、重量の増大・バランス悪化という形で現れ、特型の弱点となっていった。
特にバランスの悪化は「夕鶴事件」や「第四艦隊事件」などで問題視されるようになり、復元性向上のため度重なる改修を受けている。

経歴
特型駆逐艦のが竣工した当時、この艦に匹敵する性能を持った駆逐艦は世界中どこにも存在せず、まさに「世界最強」の名を欲しいままにしていた。実際、特型が竣工した1928年から30年頃の他国で使用されてた駆逐艦を見ると、ほとんど全ての艦型が12センチ砲や53センチ魚雷を主武装としている事からも12.7センチ砲や61センチ魚雷を搭載する特型の異常な重武装ぶりが分かるだろう。
本艦級が公開された当初、性能を低く見積もった数値を公表してもなお、諸外国の海軍に恐怖を与える程の性能であり、いかに特型が卓越した性能を持った駆逐艦であるか窺い知ることが出来る。
全24隻の特型駆逐艦は列強諸国に一大センセーションを巻き起こし、他国海軍も特型からインスピレーションを受けた駆逐艦をこぞって建造し、就役させている。(米海軍のファラガット級や英海軍のトライバル級等)
しかし、特型駆逐艦はその驚異的な性能故に他の列強諸国によって目の敵にされ、軍縮条約で厳しく制限される程であった。主に米英によって主導されたロンドン海軍軍縮条約では「駆逐艦の備砲は5.1インチ以下。排水量は600トンを超え1850トン以下。合計排水量の16パーセント分のみ1500トン以上の艦を建造可能」という駆逐艦に関する非常に複雑な規定が設けられ、特型のような大型駆逐艦に関する保有枠を細かく設定されている。

太平洋戦争が始まる頃になると、さすがの特型駆逐艦も旧式艦と呼んでも構わない艦齢になっていた。しかし、その戦力は未だに第一線で通用するレベルであり、新型の甲型駆逐艦とも渡り合える性能を有していた。特Ⅰ型の「深雪」は1934年の演習中に姉妹艦の「電」と衝突事故を起こして沈没していたため、太平洋戦争に参加した特型駆逐艦は23隻だった。
23隻の戦乙女は各地で活躍し、その活躍は大正年代設計の古さを全く感じさせないものだった。緒戦は南方攻略戦に従事し、攻略船団の護衛、ABDA艦隊の撃滅に大きく貢献。ミッドウェー島砲撃、北方方面への支援。中盤ではアリューシャン方面やソロモン・ニューギニア方面へ出撃し、新鋭駆逐艦に混じって激戦を繰り広げた。とはいえ、時代は航空戦力の時代となりつつあり、有用な対空兵装を持たない特型駆逐艦は厳しい戦いを強いられることとなった。戦争後半では船団護衛に従事するが、米潜水艦の餌食となることも多く、艦隊型駆逐艦の始祖とも言える特型駆逐艦にとっては不本意な戦いをせざるを得ない状況が続いた。
緒戦から最前線で戦い続けた特型駆逐艦はそれだけ消耗も激しく、全24隻のうち戦争を生き残ったのは特Ⅱ型の「潮」と特Ⅲ型の「響」だけであった。

陳腐化の激しい駆逐艦という艦種において、戦時中の活躍もさることながら、10年以上の長きに渡り第一線の能力を有し続けた特型駆逐艦はまさに10年先を行く近代的革命駆逐艦であり、その名は現在も燦然と輝いている。

特Ⅱ型駆逐艦についての詳しい解説

特Ⅱ型駆逐艦について
以下では特Ⅱ型駆逐艦について解説する。
前述の通り、特型駆逐艦の第2グループに当たる特Ⅱ型駆逐艦は1番艦の綾波を筆頭に10隻の姉妹艦で構成される。中でも、「朧」「漣」「曙」「潮」の4隻は煙突周辺の形状の違いから後期特Ⅱ型に分類されることもある。また、改特Ⅰ型の「浦波」が特Ⅱ型の船体に特Ⅰ型の兵装を配備したという変則的な艦型になってるため、「浦波」を特Ⅱ型として扱い、姉妹艦が11隻と表記される場合がある。

特Ⅱ型の特徴/改良点
特Ⅰ型駆逐艦の改良型である特Ⅱ型駆逐艦は前級の特Ⅰ型駆逐艦と比較して主に2つの変更点がある。
まず、1つ目は缶室吸気孔の形状が変更された事である。缶室吸気孔とは、缶室(ボイラー)に空気を送り込むエアインテークのような働きをする設備で、特型は煙突周囲にそれが設けられている。特Ⅰ型の吸気孔は煙突の側部に「煙管型」や「雁首型」と呼ばれる途中で屈曲した形状で設置されていた。この吸気孔は高い位置にあるにもかかわらず、全力航行をするとどうしても海水が侵入してしまう事があった。そのため、特Ⅱ型ではその不具合を修正するべく、新たに「椀型」の形状をした吸気孔が第1,2煙突の基部に設置された。
この新型の椀型吸気孔から吸い込んだ空気は、二重構造になっている煙突の外筒と内筒の隙間を通って、缶室へ送り込まれる仕組みになっていた。これは海水の侵入を防ぐという働きだけでなく、缶室に向かう空気を予熱するという副産物的効果も得られ、燃費が良くなるという現象もおきた。こうした事から、特Ⅱ型の椀型缶室吸気孔は後の日本駆逐艦にも受け継がれ、日本駆逐艦のスタンダードとなる吸気孔になった。
2つ目は、主砲砲架の変更である。特Ⅱ型では航空勢力の脅威増大に対抗するべく対空能力の向上を狙って主砲が高角砲化されることになった。こうして開発されたのが本級に搭載された12.7センチ連装砲B型砲架である。
特Ⅰ型の搭載する12.7センチA型砲架は2門の砲が連動して俯仰角する形式であり、人力揚弾で発射速度は毎分10発。最大仰角は40度であった。これに対して、特Ⅱ/Ⅲ型の装備する12.7センチB型砲架は2門の砲が別々に稼働する独立仰角方式を採用し、機力揚弾により毎分20発前後の発射速度を持ち、最大仰角は対空戦闘を考慮して75度までとることが出来た。ただし、12.7センチ砲は元が平射砲であるため、対空戦闘時の最大仰角では発射速度は毎分4発ほどまで低下している。(日本海軍の主力対空兵装の八九式12.7センチ高角砲が毎分15発の発射速度である事からB型砲架の対空能力は限定的と見ることも出来る)
こういった変更により、B型砲架はA型砲架と比較して大きく外観が異なっている。
また、もう1つ特Ⅱ型の大きな特徴として巨大な艦橋が挙げられる。もともと特Ⅰ型の艦橋は
羅針艦橋上部に射撃指揮所と2メートル測距儀が装備される大型のものだったが、特Ⅱ型では、羅針艦橋上部に魚雷戦用の発射発令所が、その上部には射撃指揮所が、更にその背後に方位盤照準装置が追加装備され、トップには2メートル測距儀が装備されるさらに大型のものになっている。これにより、指揮設備が充実し、より高度な射撃を可能としていた。
しかし、こうした改良は重量の増大と復原性の悪化に繋がり、ただでさえ遊びの少ない設計だった特型には弱点にもなってしまった。なお、第四艦隊事件や夕鶴事件を受けて、特型駆逐艦は復原性改善の改修を受けており、特Ⅱ型も主砲の形状変更や、艦橋をスマートなタイプにするなどの改修を受けている。

余談ではあるが、特Ⅱ型の1隻である「漣」は他の姉妹と違い、後の特Ⅲ型に搭載される新型缶を試験的に搭載している。外観上の差はあまり見られないが、特Ⅲ型の缶は省スペースかつ低燃費を達成した優秀な缶であり、「漣」はそのテストヘッドであった。

 
吹雪型逐艦
1吹雪?特Ⅰ型
2白雪?特Ⅰ型
3初雪?特Ⅰ型
4深雪?特Ⅰ型
5叢雲?特Ⅰ型
6東雲?特Ⅰ型
7薄雲?特Ⅰ型
8白雲?特Ⅰ型
9磯波?特Ⅰ型
10浦波?特Ⅰ型改
11綾波特Ⅱ型
12敷波?特Ⅱ型
13朝霧?特Ⅱ型
14夕霧?特Ⅱ型
15天霧?特Ⅱ型
16狭霧?特Ⅱ型
17?特Ⅱ型
18?特Ⅱ型
19?特Ⅱ型
20?特Ⅱ型
21?特Ⅲ型
22?特Ⅲ型
23?特Ⅲ型
24?特Ⅲ型

小ネタ

「綾波」ソロモン沖の死闘

綾波の第三次ソロモン海戦での活躍を一言で説明すると、「戦艦2隻、駆逐艦4隻の敵艦隊に単独突入し、敵駆逐艦3隻を戦闘不能に追い込み、戦艦1隻にも損害を与えた」という凄まじいものである。無論、綾波も反撃を受け沈んだが、艦長を含む乗組員の大半は事前に退艦し、味方駆逐艦に救助された。

第三次ソロモン海戦第二夜戦が行われた1942年11月14日、日本海軍はガダルカナル島飛行場を破壊すべく、艦隊を3つに分けていた。飛行場への艦砲射撃を担当する戦艦・重巡の"射撃隊"、射撃隊を護衛する"直衛隊"、前路警戒担当の"掃討隊"である。綾波は掃討隊としてBR5の軽巡「川内」、味方駆逐艦2隻と共に射撃隊・直衛隊に先行して偵察を行っていた。
サボ島近海を偵察していた掃討隊の駆逐艦「浦波」が米・第64任務部隊を発見。掃討隊は追跡に向かうが、サボ島に電波が遮られたのか、綾波のみが敵艦隊発見の報を受け取っていなかった。川内ら3隻が交戦を始めたことに砲戦の音で気づいた綾波は加勢に向かうが、この時川内らは形勢不利とみて一時離脱を始めていた。結果として綾波は敵艦隊に単独で突入する形となった。
綾波は集中砲火を受けながらも距離5000mから砲撃を開始。被弾により魚雷発射管1基が損傷するが、砲撃が命中した敵駆逐艦「プレストン」「ウォーク」では火災が発生、戦艦「サウスダコタ」も電源が遮断され、復旧作業中のミスによりレーダー・副砲が使用不能となる。
さらに綾波は残された2基の魚雷発射管で雷撃を行い、「ウォーク」にとどめを刺し、駆逐艦「ベンハム」を航行不能とし落伍させた。この間も綾波は攻撃を受け続け、二番砲塔と機関室に被弾。航行不能となるも、ここで射撃隊を護衛していた直衛隊の軽巡「長良」と駆逐艦4隻が到着。火災発生中だった「プレストン」は日本艦隊から集中攻撃を受け沈没。さらに直衛隊の攻撃により駆逐艦「グウイン」も落伍した。
大損害を受け漂流した綾波は火災は発生していたものの浸水はなく、乗組員は爆雷の投棄や浮遊物の準備を行う余裕があった。駆け付けた「浦波」によって生存者が全員救助された後、綾波は魚雷の誘爆と思われる大爆発を2回起こし、沈んでいった。
翌15日、応急修理を行い「グウイン」ともに帰投途中だった「ベンハム」が沈没した。

これだけを見ると綾波以外にほぼ被害がなく、駆逐艦3隻を沈め、1隻大破させた日本側の大勝利のように思えるが、実はこの後に射撃隊の戦艦「霧島」が「サウスダコタ」ともう一隻の戦艦「ワシントン」に撃沈されている。また、この戦いを通じて米軍はレーダーを用いた夜間の射撃についてのデータを獲得。日本軍が猛特訓によって確立した夜戦でのアドバンテージが失われることとなる。

※直衛隊の合流タイミングについては諸説ある。また、「サウスダコタ」の電源喪失は自艦の主砲発射の衝撃によるものだとする資料もある。

特型駆逐艦の見分け方

特型駆逐艦の見分け方
特型駆逐艦は主砲と煙突、缶室吸気孔の形状で見分けることが出来る。
特Ⅰ型はA型砲架で煙管型の缶室吸気孔。
改特Ⅰ型はA型砲架で椀型の缶室吸気孔。(船体は特Ⅱ型と同様)
特Ⅱ型はB型砲架で椀型の缶室吸気孔。姉妹艦の中では1番大きな艦橋。(後期特Ⅱ型は煙突が低くなっている)
特Ⅲ型はB型砲架で第1煙突が細く、椀型の缶室吸気孔。また、艦橋がスマートな形状になっている。(新型缶の搭載で第1煙突が細くなっているのが特徴)

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上から順に特Ⅰ型「薄雲」、改特Ⅰ型「浦波」、特Ⅱ型「狭霧」、特ⅡA型(特Ⅱ後期型)「曙」、特Ⅲ型「電」(なお、比較の関係から「薄雲」と「電」は写真を反転させている。また、写真は撮影年代が異なるため、改修の関係で変化した魚雷発射管や主砲、艦橋形状などに差異が見られる部分がある)

魚雷発射管カバー

魚雷発射管カバー
特Ⅰ型と特Ⅱ型の竣工時、魚雷発射管は従来のハダカのままであった。これに対して、用兵側から主砲の砲塔化のように発射管にも砲室のような囲いを付けるべきであるという意見が聞かれるようになった。理由はもちろん、発射管の兵員を波浪から守るという目的が大きかったが、指揮系統の高度化により、従来よりも発射管の密閉化が必要になったという事もひとつであった。
この提案は、特Ⅱ型の「敷波」において試験されることとなる。魚雷発射管をベニヤ板の防楯で覆い行った発射公試の結果は良好だったようで、魚雷発射管カバーは実装へと動き出した。
しかし、ここで艦本四部(船体設計担当部署)から待ったの声がかかった。魚雷発射管に防楯を設置することは重量が増加する事を意味しており、ただでさえ重量バランスの悪化に悩んでいた特型駆逐艦にはとっては悪影響を及ぼすと考えられたからだった。だが、艦政二部(兵装担当)がそれを強引に押し退ける形で開発を続行。魚雷発射管カバーの装備が決定した。初期の魚雷発射管カバーは重量増加を懸念して、軽い合金のジュラルミンを使用したものであったが、ジュラルミンは海水で腐食するという重大な欠点を抱えており、ジュラルミン製カバーは断念。結局、魚雷発射管カバーは防弾性も持った特殊鋼が用いられることになった。
こうして、魚雷発射管カバーは竣工済みの各艦の改装時に順次取り付けられ、その後建造される駆逐艦には初期状態から装備されることになった。
なお、本ゲームの「綾波」には魚雷発射管カバーは装備されていない。史実の「綾波」にはおそらく、35~6年頃の改修に合わせて取り付けられたと思われる。

1936?

1936?
本ゲーム内では綾波 1936と表記されているが、前述の魚雷発射管のカバーが取り付けられていないことや、艦橋や主砲の形状が竣工時の仕様に近い事から、1931年頃の仕様だと思われる。

--加筆求む--

外部リンク

 

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コメント

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*1 爆薬量はTNT換算
*2 爆薬量はTNT換算
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