大谷能生の朝顔観察日記

Last-modified: 2007-08-22 (水) 04:15:00

<一年限定:大谷能生の朝顔観察日記

 
 

(注意:朝顔は観察しません。すいません。)
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●八月十四日
 
 主のいない部屋はガランとして、コロコロコミックとコミックボンボンが少しほこりをかぶっていた。プラモ狂四郎やとどろけ!一番の単行本が散乱している。棚に並んだログインを手に取ると、オールザットウルトラ科学とヤマログの部分が全て切り抜かれていた。見たところ5000枚以上あるCDやレコードは、アルファベット順にきちんと整理されていて、Nのところを見ると、また買ったのだろうか、棄てたはずニューファストオートマティックダフォディルズの CDが、ネッズアトミックダストビンとナイロンボンバーズに挟まれて並んでいた。机の上には、川崎君、ちろみ氏とともに金閣寺の前でポーズを決める能生の写真があった。きっと修学旅行の時のものだろう。三人の真ん中で、ナイフに写るレモンみたいな笑顔を見せている(両脇二人のあくまで暗い顔とのコントラストがそれをより際だたせている)写真の中の能生に、「宮本武蔵なんかちっとも偉くないよ」とつぶやいて、写真立てを倒した。と、ここまで書いてきたが実は部屋に入ってきて最初にした事がある。僕は真っ先に、暖炉前飾の真ん中辺のすぐ下にある真鍮の小さなツマミから汚れた青いリボンでぶら下げてある、安物の、見かけばかりのボール紙製の名刺差しに入っていた一通の手紙を手に取ったのである。そこにはこう認めてあった。
 
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きしゃさま
あたしは、八つです。
2ちゃんで、「大谷熊生なんていないんだ。」っていっている子がいます。
パパにきいてみたら、「オーバーロードのひとたちに、といあわせてごらん。オーバーロードで、大谷熊生がいるというなら、そりゃもう、たしかにいるんだろうよ。」と、いいました。
ですから、おねがいです。
おしえてください。大谷熊生って、ほんとうに、いるんでしょうか?
 
山内バージニア 大阪府大阪市関目
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 この少女の疑問に対する歴史的回答が、オーバーロードエスプレッソ創刊号の巻頭に掲載され、世界中の読者の涙を誘った事は皆さんご承知の事と思う。お手元に無い方のため、以下に再掲する。
 
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バージニア、おこたえします。
大谷熊生なんていないんだという、2ちゃんのお友だちは、まちがっています。
きっと、その子の心には、いまはやりの、なんでもうたがってかかる、ニートこんじょうというものがしみこんでいるのでしょう。
2ちゃんねらーは、信頼出来るソースしか信じません。
うたぐりやは、心のせまい人たちです。
心がせまいために、よくわからないことが、たくさんあるのです。
それなのに、じぶんのわからないことは、みんなうそだときめているのです。
けれども、人間が頭で考えられることなんて、おとなのばあいでも、子どものばあいでも、もともとたいそうかぎられているものなんですよ。
わたしたちのすんでいる、このかぎりなくひろい宇宙では、人間のちえは、一ぴきの虫のように、そう、それこそ、ありのように、ちいさいのです。
そのひろく、またふかい世界をおしはかるには、世の中のことすべてをりかいし、すべてをしることのできるような、大きな、ふかいちえがひつようなのです。
 
そうです。バージニア。
大谷熊生がいるというのは、けっしてうそではありません。
この世の中に、愛や、人へのおもいやりや、熱燗があるのとおなじように、大谷熊生もたしかにいるのです。
あなたにも、わかっているでしょう。
世界にみちあふれているスピリッツやリキュールこそ、あなたのまいにちの生活を、うつくしく、たのしく、時にくるしくしているものなのだということを。
もしも大谷熊生がいなかったら、この世の中は、どんなにくらく、さびしいことでしょう!
あなたのようにかわいらしい子どものいない世界が、かんがえられないのとおなじように、大谷熊生のいない世界なんて、そうぞうもできません。
大谷熊生がいなければ、人生のくるしみをやわらげてくれる、子どもらしい信頼も、詩も、ロマンスも、ぬる燗の徳利もなくなってしまうでしょうし、わたしたち人間のあじわうよろこびは、ただ目にみえるもの、手でさわるもの、かんじるものだけになってしまうでしょう。
また、子どもじだいに世界にみちあふれている光も、きえてしまうことでしょう。
 
大谷熊生がいない、ですって!
 
大谷熊生が信じられないというのは、妖精が信じられないのとおなじです。
ためしに、クリスマス・イブに、ストリーム・ベースにたのんで小田さんをやとって、ソロモンじゅうのリックドムを作ってもらったらどうでしょうか?
ひょっとすると、コロニージェネレーションの反旗の趣旨が、わかるかもしれませんよ。
もちろん、コンスコンのおどろきもわかるかもしれません。
しかし、たとい、えんとつからおりてくる大谷熊生のすがたがみえないとしても、それがなんのしょうこになるのです?
大谷熊生をみた人は、いません。
けれども、それは、大谷熊生がいないというしょうめいにはならないのです。
この世界でいちばんたしかなこと、それは、子どもの目にも、おとなの目にも、みえないものなのですから。
バージニア、あなたは、大谷熊生がステージでおどっているのを、みたことがありますか?
もちろん、ないでしょう。
だからといって、大谷熊生なんて、ありもしないでたらめだなんてことにはなりません。
 
この世の中にあるみえないもの、みることができないものが、なにからなにまで、人があたまのなかでつくりだし、そうぞうしたものだなどということは、けっしてないのです。
サキソフォンをぶんかいして、どうして音がでるのか、なかのしくみをしらべることはできます。
けれども、目にみえない世界をおおいかくしているまくは、どんな力のつよい人にも、いいえ、世界じゅうの力もちがよってたかっても、ひきさくことはできません。
ただ、信頼と想像力と詩と愛とロマンスとアル添酒だけが、そのカーテンをいっときひきのけて、まくのむこうの、たとえようもなくうつくしく、かがやかしいものを、みせてくれるのです。
そのようにうつくしく、かがやかしいもの、本醸造は、杜氏のつくったでたらめでしょうか?
 
いいえ、バージニア、それほどたしかな、それほどかわらないものは、この世には、ほかにないのですよ。
 
大谷熊生がいない、ですって?
 
とんでもない!うれしいことに、大谷熊生はちゃんといます。
それどころか、いつまでもしなないでしょう。(良かった!)
一千年のちまでも、百万年のちまでも、大谷熊生は、和モノ女子たちの心を、いまとかわらず、よろこばせてくれることでしょう。
 
オーバーロード編集部一同
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 これにて「大谷能生の朝顔観察日記」は終了です。日記は新サイトに移行します。
 
 
 
http://www.ootany.com/
  
 
 
 
 
 一年余にわたり、ご愛読ありがとうございましたー

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●八月十三日
 
梅酒を呑んで考えた。
マメに働けば腹が立つ。
野暮に水させば泣かされる。
意地でも張らねば退屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると文字を動かしたくなる。
どこへ動かしても住みにくいと悟ったとき
偏見が生まれてアナグラム・チャンスがしたくなる。
 
三十五はもう若くない。男の夢の曲り角。
 
 
大谷熊生、肘枕。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●八月十二日
 
「俺のサマソニ07はこれで終わり」宣言いきなりの撤回。いそいそと幕張へ。勿論マニックス目当て。つかそれだけ。勿論最前キープ。いきなりのユーラブアス!卒倒!弱さを引き受ける事のポジティヴィティってものを俺は信じたいよ!つかもう断固支持。つか絶対確信犯。悪い意味で。オレがマニックスを気に入ったのは、オレが原因だと言わんばかりの選曲だ。曲の方はロックなので楽しいと思います。真UK裏番長。ギターロックの極北。バランスの妙。後ろ振り向いてたら360度まわって実は前向いてた、みたいな。ニッキー!帰りにレモネード買って帰ってきて!勿論俺のこの衝動だって恋だと思います。TORTOISE よりもKREIDLER、KREIDLERよりもROVO、ROVOよりもNED'Sという人にオススメ。そんなこと無理ですけれども。夢を与えてくれてありがとう。そしてモータウンジャンク。この時は本当に死ぬかと思いました。超ひもロック。超ロック法。自重しつつ全力で鳴らされちゃった「音」。90年代の悦凱陣。あらかじめ失われたセンチメンタル、アイエヌジー。4real will be my epitaph.ロンドンで観たいよ観たいよ観たいよー。沸点低めで。最後はモーターサイクルエンプティネスで一安心そして完全燃焼。もう滂沱滂沱。ダダ漏れ。俺んなかではリッチーは伊豆でサカナ釣ってる事になってます。はーい。俺のサマソニ07は本当にこれで終わり。当然勢い重視。即座に幕張を後にして横浜に戻りました。ジンジャーエールはそんな味です。ちょー楽しかったー

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●八月十一日
 
 川崎君の家に泊まったわけは、サマーソニック07大阪に参戦するためだったのでした。始発で舞洲へ。九時前には無事ダンスステージに到着。開場待ちをしているとリハのコンドラ、ジェニーの生歌が聴こえてきてヒートアップ。九時過ぎ開場。最前キープ。タイムテーブル通りにスタート。エレワのイントロで会場から歓声。蜂の巣時代からのファンとして感無量。のちの衣装は新作銀ツナギ。ゆかとあーは名古屋とおなじ。あーはレギンスが追加されていてポリのチラ防止と思われる。二曲目はコンドラ。あーの「揺れて!」の指示はないものの横揺れ+MIXで応戦。地上戦ということでPPPHは我慢。ここで一回目のMC。サマソニでも自己紹介。これはみなさん大阪の方なんですか?「ヨコハマー!」と絶叫。得意の自虐ネタ。曲の方はテクノなので楽しいと思います。ACのCM見たひと!の問いかけに全力で挙手。ゆかも手を挙げてたからやっと見ることができた模様。つづいてポリ。ひこぼしとほぼおなじバージョン。ブレイクで鳥肌。三分半ほどなのでおそらくシングルに収録されるショート・エディット。名曲。俺のこの衝動だって恋だと思います。そしてTSPS。今年最高に暑い日に真冬の曲を聴いたら気温が2度下がりました(黒歴史)。まさかのジェニー。自重しつつ全力でコール。マイクスタンドのネジが緩むも放置ののち。それをなおすあー。二度目のMC。ジェニー知ってるひとー。はーい。実はすごいこと言っとるんだよね詞のなかでね。そんなこと無理ですけれども。夢を与えてくれてありがとう。最後はチョコ。Tシャツは洗濯するんだよー。のちのヘッドライナー発言がなくて一安心そして完全燃焼。俺のサマソニ07はこれで終わり。地上戦初回はまずは勝利。即座に舞洲を後にして横浜に戻りました。帰りの新幹線の中でさっそく三人の市長にサマソニ乙メール送信。ほんと楽しかったー

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●八月十日
 
 京都の川崎君の家に宿泊。東山文化と足利義政についてじっくりと語り合ってみました。
 
大:日本文化というのは、平安時代からスタートさせることが無論常識だけど、実際今の我々につながっている生活文化を中心に見てみると、起源はたいてい室町からなんだよね。
川:あたしは中世、あるいは室町時代でもとくに東山文化に相当の関心を持っているんだけど、けれども、その中心にいる足利義政(1436-90)という人には、いつも当惑させられてばかりなのです。
大:義政という人は、いま、われわれ生身の人間が想像できないような嗜好的な世界をもった人間らしいということは、ひょっとすると、そうかもしれないな。
川:義政については関心を持つ学者は多いみたいだけれど、おっしゃるように、くっきりした研究なり伝記なりをまとめた人はいませんね。
大:中村直勝さんが少しおやりになったね。
川:あと、評論家の唐木順三さんとか、辻善之助さんとかもおりますね。
大:しかし義政そのものを書いてるんじゃない。
川:そうね。それにしても、おおぜいの人が飢え死にしていることを知っていながら花の御所を建て直したりしているくせに、義政は一般民衆の救済のためにはわずかな金しか使わなかった。
大:しかし自分の遊びのためだったら、全然お金を惜しまなかった(笑)。
川:まったく(笑)。それにしても、いま銀閣寺はもちろん禅寺ですし、義政は禅宗を信じていたのだけど、それと同時に浄土宗の信仰もあったのよねぇ。
大:あと、迷信も信じていたようだね。
川:東求堂をみると、阿弥陀さんをまつってるわよね。禅で悟りを開いているなら、それは必要ないことだと思うのだけれど・・・。
大:そうだね。いかにも極楽へ行きたそうな、欲深げな義政を感じるエピソードだね(笑)。悟りを開いているなら、それはもちろん必要ないことだ。
川:ようするに気違いなのよ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●八月九日
 
男の意気地「貧しい音楽」は
知らず知らずのうちに読ませてしまう
 
二回読ませるところがある
三回読ませるところがある
膝を打たせるところがある
笑ってしまうところがある
泣けてしまうところがある
叫びたくなるところがある
 
読み終るのが惜しくなる
生きる望みが湧いてくる
斎藤ハイム主人に会いたくなる
 
中村町の松風を聞く横浜市
主人は細君と住んでいる
主人は酒が好きである

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●八月八日

大「蘇峰の言論活動がそのまま日本のナショナリズムの軌跡と重なるのは、蘇峰の思想的スタンスは一種の便宜主義に根差していたからなんですよ」
ち「要するに、常に政府の膨張主義的な現状の追認に陥りやすい性質を持っていたということですね」
大「まさに明治国家の伊藤博文を初めとしたイデオローグたちの掲げた、四民平等・万機公論・文明開化といった約束手形を非権力の立場から現実化しようとするものです」
ち「大逆事件に対して文化人の中で公然とこの事件を批判したのは、徳富蘆花だけであったと言っても過言ではないね」
大「三島がニューオーリンズへ行ったのは初回の世界旅行ではなく、二回目に招待を受け、そのとき本物のブードゥを見たくてハイチへ足をのばし、さらにキューバへも立ち寄ったことがあり、その帰りがけにニューオーリンズにも寄ってみたらしいんだね」

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●八月七日
 
 後クローバーは、FROCK開設以来月刊デスコ家(旧ニフ家)を外戚に持たない170年ぶりの天皇であり、ボードオペの地位を権力の源泉としていた月デ政治がここに揺らぎ始めることとなります。パテオ時代末期にコヨーテ宮出身でニフの復権を目指すあでり天皇が、息子ののりわと天皇に譲位してエレポ政治を行ったが、これが現在において最後のザバダックである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●八月六日
 
 ディズニーランドに行きましたよ。学生の頃などは、ディズニーランドは過激な乗り物があまりないので物足りなく思っていましたが、年々乗り物に弱くなってきている今は有り難い。スターツアーズも酔いそうなのでやめました。アリスのティーパーティなんかは論外ですな。ところで、夏休み期間ということで光と花火のショーみたいなのがあるんですけど、その中で、ちょっとした火柱というか火の玉みたいなのがボワッと出て来るんですけど、それが10数メートル離れた所で見てても熱いんですよ。火の威力を改めて感じた一日でした。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●八月五日
 
 私は、梅酒は、三年経てば、すなわち、三度の夏を越せば、だんぜん美酒と化すと信じている。梅酒にかぎらず、すべての酒がそうだと思う。その際に、梅酒のなかの実を抜くかどうかは意見のわかれるところであろうが。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●八月四日
 
 山本周五郎さんが、その晩年において、京都に遊びに行ったとき、南座の、川でないほうの斜めむかいにある「元禄」といいう酒場で色紙を書いた。山本さんはその生涯において、三枚しか色紙を書いていないという。その色紙には「寒い」とだけ書いてある。署名は「周」の一字。まあ、実に、言い得て妙という気がする。山本さんは、本当に寒いと思ったのだろう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●八月三日
 
 自転車で長八へ、座敷で昼食。もうエシャロットも終わりだろう。タクシーを呼んでニューグランドへ行く。避暑と買物と妻を家事から解放するため。八月初めにニューグランドでローストビーフ、九月の終りに丘の上のハンプティでプレーンオムレツ、十二月は天使の翼でケーキ、二月にサンダーボルツの牡蠣、というのを年中行事にしたいと思っている。久しぶりに山下町のハンザで夕食。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●八月二日
 
先日買物帰りの普通のカップルが近所を手つなぎながら歩いてたんです。
普通のカップル。そしたらなんかFROCKの話してるんです。
で、よく聞いたらなんか「Jude部屋が…」とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、公衆の面前でエレポ部屋の話してんじゃねーよ、ボケが。
FROCKだよ、FROCK。
カップルで迎撃オフか。おめでてーな。
よーし今夜もRT! 走召糸色木亥火暴、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、3時過ぎたら回線切って(課金落ち)。
RTってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
SEND送ったやつはいつハンドル変えてもおかしくない、
(^_^)か(^_^)/~か、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。:-pは、すっこんでろ。
で、やっと話題が変ったかと思ったら、女の方が、くいりりら、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、くいりりらなんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
ものほしげな顔して何が、くいりりら、だ。
お前は本当にみかかを気にして課金落ちなのか。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、くいりりらって言いたいだけちゃうんかと。
RT通の俺から言わせてもらえば今、FROCK-RT通の間での最新流行はやっぱり、
宇宙語(例・c;w@x#)、これだね。
社会人としての常識、カナ打ち。これが通の書き込み方。
ファミアカの連中はハナから相手にしない。で、カナ打ちで対応。これ最強。
しかしギタポ部屋に書き込むと次から板長に推薦されるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、FBEATでも荒らしてなさいってこった。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●八月一日
 
 私は夏が好きである。子どもが生まれたら是非「夏」の字をつけたいと思っている。大谷夏生、これでいい。何がいいって、男でも女でもOKな所がいい。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●七月三十一日
 
 朝から鼻血。嫁が出勤しようと玄関を出ると、朝顔の苗が届けられていた。早速に植えかえをする。物置の屋根に乗っている植木鉢を取るところから始めたので大変だった。猛暑ヲ凌グニ重労働ヲ以テス。
 ちなみに、私の家の真向かいは消防署であり、時に2階ほどの高さの二つの塔にロープを渡して訓練などしている。その日も炎天下の中、訓練に励んでいた。彼らの目に、平日の昼日中、物置の屋根にのぼり、朝顔の植え替えをしている色眼鏡の男は、どう映っているのだろうか。しかも、私は、鼻血を押さえるため、鼻にティッシュを丸めて詰めているんである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●七月三十日
 
 ようやく思い立ち、植繁で朝顔の苗を購入。「ついにその気になったかい」と親方にひやかされつつ、黄蝉葉系を中心に色々と物色。縁側ではご隠居がステテコ姿で、素麺とトマトで直しかなんかをやっている。いかにも涼しげだ。このご隠居さんとは将棋仲間であって、今日も縁側対局とあいなった。「こっちばっかり酔ってるんじゃ具合が悪い。第一、フェアー(どういうわけかこの時ご隠居は語尾を過度にのばす)じゃねぇや。おい、先生(恥ずかしながら私、ここではこう呼ばれているのだ)にも一杯持ってきてくんな」。奥さんが焼酎と氷を持ってきてくれる。谷中生姜に自家製の味噌、ガラス皿のさらしタマネギには、卵の黄身が落としてある。縁側の奥に猫が寝そべり、そよと風が吹いて風鈴が鳴る。プールから帰ってきた子ども達が奥さんにカキ氷をねだっている。こういうのを天国と言う。朝顔は忘れた。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●七月二十九日
 
 一日戦死。しかしながら幸いにもエイミス言うところの「形而上的二日酔い」にはならずに済んだ。そのエイミス、二日酔いにはコルトレーンが一番だと言ったそうだが(二日酔いの状態で起きた時まずすべき事は、隣に寝ている女とする事だとも言っている)、僕に言わせれば、二日酔いに良しというもの、チゲを召しませ、という事になる。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

●七月二十八日
 
 朝六時起床。「新音楽の哲学」の新訳を、音友の渡辺訳とつきあわせながら読むうち面倒になってきて、Tuebingen版とSuhrkamp版をひっぱり出して音読しているうちに午後になり、すっかり独語モードになった頭で関内のクラフトビアバーに向かう。
 着くとすでにちろみ君がベアードのクールブリーズピルスをぐびぐびとやっている。今日は日電音の川崎氏が所用でこちらに来るので、横浜案内かたがた新居で飲みましょうという事になったのだが、こういう集まりの場合彼は必ずと言っていいほど顔を出してくるのだ。
「よく店の場所がわかりましたね」
 僕は半ばあきれ顔でそう言ってから、同じくベアードのIPAを、嫁はいきなり「今週のシングルモルト」(タリバーディン10年)のソーダ割りを注文。オーダーの妙とはこういう事を言うのかも知れない。
ちろみ君が二杯目、常陸野ネストのホワイトエールを一口含んでから言った。
「朝顔を観察してみませんか」
 一瞬、言葉に詰まる。僕、朝顔観察日記などと称しながら、まるっきり観察などしていない。観察どころか、種を蒔いてもいない。その事を気に病んでいないといえば嘘になる。それが証拠に、どこかの軒先の桟にからまるちょっとした蔓なんかにどきりとさせられる事がある。鼓動が早まる。ベアードのIPAが事の他苦く感ぜられる。目の前が暗くなる。脳内で細かな独語が群れている。それがバラバラになり、何かを形づくろうとしている。おぼろげに輪郭があらわれる。どういうわけか、それがビグザムのように見えてくる。…確かにビグザムだ。それにしてもなぜ。嗚呼、機動ビグ・ザム!そこへちろみ君がたたみかけるように言う。
「これからは朝顔の時代です」
 うまい事を言う。確かにそうかも知れない。朝顔の季節です、ではなく、朝顔の時代です、という所に迫力がある。一種の真実味がある。朝顔に対する真摯な思いがある。
「品種はもちろん団十郎です。黄蝉葉栗皮茶大輪です。バッチリです!」
なんて事を言う。後から考えてみると、何がバッチリなのか全くわからない。全くわからないが、混乱したまま、うなずこうとしたその時、わき腹を嫁に肘で突かれ我にかえった。
「いや、やはりやめておきます。…つるべ取られて、なんて事になると元も子ないですから」
 その後は二人、曖昧な微笑の応酬となった。嫁はそしらぬ顔で「バジルならいいんですけどね」なんか言っている。
そして、予定を大幅に遅れて、川崎氏が店にあらわれたのである。やや憔悴したような表情で席に着くと、やおらシャツを脱ぎタンクトップ一枚になり、メニューを仔細に見当した後、決然とそのオーダーを放った。そしてそのオーダーは、我々三人を驚かせるに充分なものであった。
「Ich moechte bestellen. Ich nehme das. Uerige Alt, bitte!」
 独語モードになった頭で聞き間違えたのではなく、たしかに川崎君はこう注文したのである。まさかここにあるはずはないと思いきや、アムステルダムの Bierkoningから仕入れてきたとのこと。小ぶりのグラスでご相伴にあずかり、Gerstenmalz、Caramelmarz、Rostmalz の絶妙なバランスを堪能するも川崎氏は一言「酸味が出ていますね」と言い放ったきりノルトライン・ヴェストファーレンの至高に手を出そうとしない。
 大物電子音楽士に面会したところ、完膚なきまでに叩きのめされたことが憔悴の原因だそうで、下手に話を聞いて、次回の対局で私に協力を求めてこられるようなことがあったら迷惑至極。注意深く言葉を選んで、満足に生きられずに死んだひとたちの話題へと誘導。
 案の定、ちろみ君と川崎氏は、偉そうな顔しやがって、を連発。単純なものだね。
その後、箕面のリアルペールエール、サンクトガーレンのアンバー、富士桜のラオホ、ネストのホワイト、スワンレイクのゴールデン、いわて蔵のリアルエールIPAを飲む。1パイントとはどのぐらいの量なのか何度聞いても分からない。いつも嫁に三合くらいと教えてもらってようやく量として実感できるのである。つまりこの時点でビールを二升強飲んだことになる。
 モツ焼キ屋へ移動。他の三人は生ビールなんてものを注文している。とうぜん私はモツ焼キのときはホッピーと決めているわけで、酎とホッピーの割合は酎3対ホッピー1くらいがちょうど良い。読者諸兄も是非試していただきたい。
 さてそのモツ焼キ屋であるが、広さは学校の教室の半分ぐらいであって、妙に天井が低い。ガレージか何かを改装したようでもあり、厨房の奥は特に仕切りもなく外に続いているように見える。どういう作りになっているのか皆目わからないが、肉が旨いのは確かである。その上お勘定の方もリーズナブルであって、おカミさんの対応も気持ちがいい。そして何より、ホッピーがあるというのがいい。ホッピーの無いモツ焼キ屋を僕は認めない。酎とホッピーを延々と飲んでいくと、最後には酎の方が先に底をつくというような店がいい。この店にはそういう匂いがある。ホッピーだけは切らさないぞという気概がありありと感ぜられる。要するに僕の唇が火傷をしないのはホッピーのおかげであると言ってもいいし、そしてそれはまったく不思議ではないのだ。
 基本的に立ち飲みの店であり、縦長のテーブルにめいめいが勝手に陣取って飲むというスタイルの都合上、いわゆる相席になるという事もしばしばであって、この日もそうであった。我々の左隣に五十がらみの二人の男女がやって来、やがてツマミの交換がはじまった。男は「成田闘争で六年くらった」と、赤ら顔で上機嫌に言った。僕としてはこういう相客は大歓迎であって、しばし当時の話(無論僕の場合は本で知ったのだが)で盛り上がる。若いのにどうしてそんな事知ってるの、とますます上機嫌。川崎、ちろみの両氏はうつむいてちびちびとビールを飲みながらガツ刺かなんかつまんでいる。そうして例のごとく二人でひそひそと囁きあいながらニヤニヤしている。成田闘争って何でしたっけ、多分あれ、戦国時代かなんかの合戦の一つじゃないかな、あぁ、薬子の変みたいな、いやそれは平安時代じゃなかったっけ…。と、相客の女の方がちろみ君に向かって、
「あんた、いま笑ったでしょ!」
 一瞬静まりかえる一座。ちろみ君、モツを口に運ぶ手がとまる。彼はお得意の曖昧な微苦笑を浮かべ、「えぇ、まぁ」。このまま放っておいて様子をみようかとも思ったが、武士の情け、注意深く言葉を選んで、もう一度、満足に生きられずに死んだひとたちの話題へと誘導する。退屈したのか、女はトイレに席を立った(立ち飲みで席を立ったとはこれいかに)。すると男の方が、
「彼女、知的障害者なんだ。作業所で知り合ってね。でも、見えないでしょう」
「夫婦じゃないよ。奥さんは別にいる。六年くらっている間もずっと待っててくれたんだ。いい女だよ」
続けてなんの脈絡も無く、
「それでね、俺、解放同盟なんだ、うん。すぐそこに事務所があるけどね」
 立ち飲みで隣り合っただけの酔客にがんがん切り込んでくる。受けて立つ、という類の事ではないけれど、スルーして適当にというのも仁じゃない。何といったって、僕はシンパなのだから。21世紀最初の無頼派なのだから。久々にあらわれた酒の香りのする音楽評論家なのだから。そして何より、楽に死ぬよりも苦しんで偉くなる方を選んだ、ソルトピーナッツの元常連なのだから!
 そして売買春の是非について激論をかわす。松沢呉一ファンの川崎氏も参加するも、相手に分からないだろうと思ってかすべて松沢の受け売り。失笑。四合瓶の焼酎を八本ほど空にする。これは三升強であるということは自分の酩酊状態と一致して理解できるのである。新居にちろみ君と川崎氏をご招待。朝まで六時間にわたり三人でセッション。嫁はローリングでセッションに参加。最後の数分感をアップロードしておきます。
http://mcem.hp.infoseek.co.jp/ootanichiromikawasaki.mp3
 明け方、始発で帰るという川崎君を近所までお見送りするも長時間の飲酒で意識朦朧。
「久々の横浜飲みでしたのに、なんだかグダグダで…。すみませんでした」
「いいえ。私は、楽しい思いをしたと思います」
 川崎君はそう言うと、肩にかついだ大きなラジカセでポップウィルイートイットセルフを大きく響かせながら、朝焼けの中を歩み去っていったのです。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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