グループBは、自動車レースに使用する競技車両のカテゴリーの1つ。
一般の市販車に改造を施す点ではグループAと同じだが、グループAよりも大幅な改造が施せる点が異なる。
1981年、FIA(国際自動車連盟)の下部組織だったFISA(国際自動車スポーツ連盟)によって、それまで1から8の数字によって形成されていたレギュレーション(国際自動車競技規則・付則J項)を改定し、AからF・N・Tという8つのアルファベットへ簡略化されたものの1つである。*1グループBはかつてWRC(世界ラリー選手権)のトップカテゴリーとして定められており、1983年から全面的に施行された。*2
連続する12か月間に200台製造された車両がホモロゲーションの対象となる。従来のWRCのトップカテゴリーであったグループ4が、連続する24か月間に400台生産することを義務付けていたことから、マニュファクチャラーにとっては大幅な負担軽減措置となった。*3
後に、「ワークスカーとして選手権に参戦する車両となるエボリューションモデル20台をラリーカーとして認める*4」という文章が追加されたことで、この規定を最大限広くとらえた各社ワークス、特にトップクラスの技術を持つワークスの手により、グループBでの選手権は実質限りなくプロトタイプスポーツカーに近い車両、つまり「外観は市販車に似ているが中身はまったく別物の車両」で行なわれることとなった。
そのため施行当初から様々な掟破りのマシンが投入され、最終的には、
という怪物ともいえるマシンたちが続々と登場することになった。*5その加速力は0-100km/h加速を1.7~2.5秒でこなし、これは1,000馬力とも言われた当時のF1カーをも凌いだと言われている。*6このとにかくパワーとスピードを追求した技術者たち、操縦性もへったくれもないマシンを操るドライバーたち、その暴力的な走りに魅了されたギャラリーたちによってWRCは狂気と熱狂の時代を迎える事となった。
しかし極限の速さを求め、行き過ぎた開発競争はやがて事故という形でその危険性が表面化することとなった。
- 1985年第5戦のツール・ド・コルスで、アッテリオ・ベッデガの運転するランチア・ラリー037が立ち木に激突し、ドライバーのベッテガが死亡。
- 同年第8戦のアルゼンチンラリーで、アリ・バタネンの運転するプジョー・205ターボ16エボリューション2が下り坂で猛スピードで横転し大破。この時運悪くシートがシャーシから外れてしまい、ほぼシートベルトが意味をなさなくなり車の中で振り回されたことでバタネンは瀕死の重傷を負ってしまう。*7*8
- 1986年第3戦ポルトガルラリーで、フォード・RS200にてワークス参戦していたヨアキム・サントスが、コース上の観客を避けようとして観客席に時速200キロメートルで突っ込んでしまう。死者3名(一説には4名)を含む40人以上の死傷者を出す大惨事となった。*9
ドライバー・観客を死傷させてしまう大惨事が立て続けに起こったにも関わらず、関係者は主催者側の観客整理規則のまずさ等に事態の責任を求め、グループB車両の性能の暴走を認めなかった。*10
しかし同年(1986年)第5戦のツール・ド・コルスで決定的な事故が発生する。初日からトップを独走していたトイヴォネンが緩い左コーナーにノーブレーキで突っ込みコースオフ、崖から転落した直後に車両が爆発炎上。トイヴォネンはコ・ドライバーのセルジオ・クレストとともに死亡した。*11このトイヴォネンとクレストの死亡事故で、グループB車両そのものが危険だという事実は誰の目から見ても明らかとなった。
FISAはこの死亡事故を受け、緊急に会議を招集し2日という異例の早さで以下の声明を発表した。
これによってグループBは、わずか5年でWRCの主役の座を追われることとなった。*13その後、グループB車両はWRCを追われた後も様々なモータースポーツで活躍することになる。、前述のプジョー206ターボ16はホイールベースを改造*14した改良型の205T16GRをパリ・ダカールラリーに投入し、後継機の405T16GRと併せて4連覇を達成しており、「砂漠のライオン」の異名と共に他チームに恐れられた。
また、アメリカで行われるパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムに、参加車両に対する制限が無いアンリミテッドクラスが存在する為、現在でもプライベーターがかつてのグループB車両で参加している。かつてはワークス体制で出走したグループB車両も多く、プジョーやアウディなどが活躍した。
このようにグループBの廃止により数々のラリーカーたちは歴史の表舞台から姿を消すことになった。そして三菱スタリオン4WDラリーやシトロエンBX 4TC等の悲運のラリーカーを産み出してしまったのも事実である。
競技で使用できなくなった後は行方不明になった車両も多いが、ワークス(の母体となっているメーカー)で僅かに保管されている他、コレクターの手に渡り、ファンイベントでの展示やパフォーマンスなどに用いられている車両もある。*15
現在でもホモロゲーション取得用に生産された市販モデル、競技用のモデルはファンの間で根強い人気を誇る。市場に出ようものなら数百万から数千万の値段がアッサリとつくこともある。
今日では、グループBのようなマシンが世界選手権を走るのはあまり見ることはできないが先述のパイクスピークヒルクライムや世界ラリークロス選手権では、900kg/900hpや1000kg/700hpといったグループB並のモンスターマシンが暴れまわっている。興味があるなら一度調べてみるのも良いだろう。
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