// 画像添付用コピペ→&attachref(); (編集メニューのクリップの記号ボタンを押しても入力できます//

**&size(17){''基本スペック''}; [#k39c9003]
駆動方式[MR]/ ミッション[5速] 1990年発売
初期馬力[280馬力]/カーナンバー:29-77

&attachref(./honda_02.jpg);

全長:4,430mm 
全幅:1,810mm 
全高:1,170mm 
最高速度:351km/h

|モード別カテゴリー|称号|
|ST無敗|【首都高無敗】|
|夏休み称号|【永遠のNSX使い】|
|ワンメイクバトル|【NSXチャンプ】+【NA1キング】|
|エンジン形式バトル|【V6選手権】|
|期間限定首都一TA・1|【伝説のNSX】|
|期間限定首都一TA・2|【俺のNSX】|

&color(Red){注意事項};:GT-R (R35)等と同様に、%%%''ドレスアップパーツ類及びカスタムカラーが存在しない''%%%。
またチューニングを進めてもマフラーの形状は変わらず、ロールケージも組まれず、車高も下がらないという点もGT-R (R35)と同じ。
''&color(Red){初期選択カラーから変えられない};''ので現状一生そのカラーと付き合うことになる。慎重に選ぶべし。

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備考:5DX+より追加。ホンダを代表するスーパーカー。

コーナリング性能が非常に良く、スライドコントロールも容易。
旋回中の挙動はMRらしくRX-7 Type R (FD3S)よりテールが滑りやすくややピーキーな挙動を感じるが、その挙動に慣れれば非常に速いコーナリングが出来る。
またコーナリングマシンにしては珍しく直進安定性も優秀で加速もかなりよく、最高速もそれなりに伸びる。

対戦時のブースト、対接触性能も良好。少々インにねじ込まれた際の粘りが弱いがさほど気にするほどではない。
車幅が同世代のクルマの中でも広く、SKYLINE GT-R V-specII (BNR34)をも上回る。無理な擦り抜けは避けたほうがよい。

初登場時(5DX+)のタイムアタックではC1内回り、広島といったテクニカルコースにおいて全国総合1位を保っていた。
現在は新環状、大阪、名古屋などのハイスピードコースで全国TOP10に多数ランクインしている。
実際にFDがこれまで独占していたコースレコードのいくつかをNSX (NA1)とCountach LP400が更新し、記録を塗り替え始めている。
乗り始めは違和感を感じるかもしれないが、全体的な性能は高水準でまとまっており、数あるMR車の中では比較的初心者でも扱いやすい車種。

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なお、ターミナルスクラッチ''12枚目''の当たり賞品として''NSX-R (NA2)''もある。
ただし現在は1日1回しか引けないという仕様になっており、よほどの強運の持ち主でもない限り''途方も無い日数がかかる''ので、入手には''覚悟''が必要である。
**&size(17){''選択可能カラー''}; [#j933b449]
(色見本左から)
|SIZE(17):COLOR(white):BGCOLOR(red):フォーミュラレッド|
|SIZE(17):COLOR(black):BGCOLOR(#fcc800):インディイエローパール|
|SIZE(17):COLOR(black):BGCOLOR(white):ニュートロンホワイトパール|
|SIZE(17):COLOR(black):BGCOLOR(silver):セブリングシルバーメタリック|
|SIZE(17):COLOR(white):BGCOLOR(black):ベルリナブラック|
|SIZE(17):COLOR(white):BGCOLOR(#002100):シャーロットグリーンパール|
|SIZE(17):COLOR(white):BGCOLOR(#474a4d):カイザーシルバーメタリック|
&attachref(./honda_02_color.png);
**&size(17){''雑記''}; [#a48cf290]
-このクルマはリアウィンドウのチームステッカーが上部ではなく下部に貼られる。
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-北米版MaximumTuneではアキュラブランドとして収録されており、エンブレムもアキュラのものになっておりわかりにくいがよく見ると左ハンドルになっている。
&attachref(./acura_02.jpg,nolink);
**&size(17){''実車について''}; [#a4765f290]

-湾岸マキシに収録されているNA1型((なお、NA2型(1997~2002年のE-NA2/GH-NA2型と、2002~06年の[[LA-NA2/ABA-NA2型>NSX-R (NA2)]]に分けられている)はマイナーチェンジ後に追加された3.2LのC32B型エンジンと6MTを搭載したモデルを指す。))NSXは「''地上のゼロ編''(単行本34~38巻に収録)」の連載時期が2006年春からという事から1990年~97年まで生産されていた''E-NA1型''というモデル。
原作では''岸田ユウジ''の試乗する4台の車両の内の一台として、山本の用意した''10年落ち・走行6万km・AT仕様''のベースグレード車が登場しているが、「''自慢のアルミボディはヘタり気味''」「''結果として高くなった高価な安物ダメグルマ''」等、作中においてはかなり手厳しい評価を下されてしまっている。
--原作では富永も山本に対し「ホンダはキライでしたね(笑)」と言い放ち、さらに「こだわる技術を間違えた」「その結果、(当初の計画である)安いクルマは達成できずに高額となった((当時アメリカ市場で「FF車の駆動系部分をカット&ペーストすることで、スーパーカーよりも安価にMRのクルマを供給する」というコンセプトが流行していた。作中ではゼネラルモーターズ・ポンティアック・フィエロなどが挙げられている。実際には相応に改設計が入ってはいるはずではあるが、NSX自身も本作では「初代レジェンドのカット&ペースト(大意)」とはっきり山本に述べられている。ちなみにこれやって大ヒットになった日本車こそMR2 GT-S (SW20)の先代・AW11型。…嘘は言ってないゾ(笑)%%&color(silver){AW11型は確かによく売れたし人気もあったが、SW20型以上に扱いが難しく、思い通りに曲げることすら困難なじゃじゃ馬だった。初期型であまりのコントロール困難に開けてみたら''吊るしなのに前後左右4つでサスペンションのセッティングが全然違っていた''んだとか…};%%))」と具体的な批判を投げかけるシーンもあるが、直後に「ダメクルマをちゃんと走るクルマとして世に出したのはすごいことではある」「NSXが不振だった事への対応が、多く売れそうにない[[S2000>S2000 Type S (AP2)]]だったのはメーカーの判断として評価している」とフォローもしているし、最終的には「''ドイツの工業製品とタメを張れるのは唯一ホンダだけだろう''」と認めてはいる。
またその山本もNSXに否よりなの自体は本当ではあるが「(開発段階での)ボタンのかけ違えがあり、かつそれを放置して進んだという意味ではポルシェ・911やそのご先祖様である356/1も同じ過ちをしている」「扱いの差は911が評価され、NSXはそれを凌駕出来なかったゆえのものだろう」など、一定のフォローを読者に提示してはいる。

-首都高SPLの続編である「''首都高SPL ゼロ''」では''竹端直也''の愛車として登場。まりなのFDと同様、大型のドライビングライトを装備しているのが特徴である。その後色々あって売却したが、かつて担当していた漫画家((モデルはおそらく原作者の楠みちはる氏本人と思われる。))が所有していたタイプRモデルを格安で譲ってもらい、それに乗り換えた。
--%%&color(silver){というか4部作を総合すると楠先生はホンダ党のフシがちょいちょい見られる(富永のS2000評、FL5型シビックを『SPL』で高く評価できるクルマとして登場させるなど)し、意外と実在車種を貶めていると取られるような表現は控えているようにも見える((これについては『頭文字D』の星野放言事件や『昴と流星』でのランエボの扱いが批判を浴びたセリフを[[同じ雑誌>週刊ヤングマガジン]]・同じ題材の連載として見ていたのもある可能性もある。%%&color(silver){しげの先生ばっかりだな。};%%))。じゃあなんで山本社長はああいったスタンスになったのだろう?};%%

-キャッチコピーは『our dreams come true』『緊張ではない、解放するスポーツだ』。 車名はホンダの新しいスポーツカー、「ニュー」「スポーツカー」と未知数を表す「X」を合成させた「''N''ew ''S''portsCar ''X''」の略である。
もともと第2期F1参戦を機に「世界に通用するHondaの顔を持ちたい」との願いから発売された車であり、バブル景気絶頂期の1989年に発表、翌1990年9月14日の販売開始から2006年1月末までの16年間フルモデルチェンジを行うことなく((ただし2回マイナーチェンジが行われている。))製造され、2005年12月まで販売された。

-NSXは量産車初のオールアルミニウムボディを採用したことで有名な車で、モノコックから足回り・エンジンに至るまでアルミニウムをふんだんに使っているが、同時に掛けられた手間とコストに比例して車両価格も高騰してしまっている。
価格は販売当初は1グレードのみの800万円((AT仕様は60万円高))に始まり、車両の改良や装備の追加などによる値上がりとカスタムオーダープランへの対応で900万~1,500万円台となっていた。なお発売から15年間は当時のスポーツカーの新車価格では日本車最高額だった。
--アルミニウムは腐食せず年月が経つと硬さが増す性質があるため、ボディは''事故を起こさなければ半永久的に使えるボディ''とも言われている。後述のリフレッシュプランで20年以上経過した個体(事故歴なし)を調べたところ全く劣化していなかったという。
エンジンも10万Km走行の個体のエンジン内部を内視鏡で覗いたところ、''全く劣化していなかった''という逸話がある。((流石にエンジンオイルやパッキン・ホース類など劣化が避けられない部分はきちんとメンテナンスする必要があると思われるが。))これにより経年車を新車時の状態にまで蘇らせる''NSXリフレッシュプラン''が可能となっているという。
リフレッシュプランについては[[NSX-R (NA2)]]の項目にも記述されているのでそちらも参照してほしい。
--発売当時はバブル景気であったため、納車が3年待ちと言われ、中古車が新車以上の価格で取引される現象もみられた。
ホンダは「約半年で納車できるように」と製造工員を倍にしての二交代体制を敷き、1日あたり25台の生産数を倍にする増産体制をとった。しかしその直後バブル景気が崩壊したことによりキャンセルが相次ぎ、通常の納期になった。
--15年以上に渡ってホンダにおけるフラッグシップの役割を担っていたが、NSXの生産終了以降はレジェンドにその座を譲った((そのレジェンドも21年には生産終了しアコードと統合となった。))。
生産終了の理由は、搭載するエンジンの排ガス規制対応が難しいコトに加え、生産時の手間やコストの多さから採算が取れないためであった。

-創業者・本田宗一郎の生家が鍛冶屋((主に日常品として使用する鉄製品を専門に扱う、製造・鍛錬業。NSXの開発責任者を務めた上原 繁氏は''「鍛冶屋とは、世の中の人々が毎日使えて誰にとっても使いやすく、そしてかつ息長く使える商品を作る商売だ。同じ鍛冶屋でも刀鍛冶とは違う」'' と開発メンバー達に説明した))であったことから、''「鍛冶屋のせがれ」''というフレーズを合言葉に、鍛冶屋の職人の作る''「世の中の人々が毎日使えて誰にとっても使いやすく、息長く使える商品」''をイメージし、''「日常での利便性と快適性を犠牲にせず、トップクラスの走りのパフォーマンスを誰でも堪能出来るスポーツカー」''を目標に開発が進められ、その''「ドライバー中心のスポーツカー」''というコンセプトの通りに作られたNSXは、''日本はおろか世界中のスポーツカーの在り方に影響を与える程''だった。
このクルマの影響を強く受けて開発されたクルマも存在し、有名所では''フェラーリ・F355''や''マクラーレン・F1''等がある。
--また宗一郎氏も、同社製の高級セダン・レジェンドの試作車を''一目見た途端、そのボディへ蹴りを入れた''のに対し、NSXのコトは素直に評価しており、開発時から何かと気に掛け続け、発表された際にはアルミニウム製のボディをコンコンと軽く叩き''「こりゃぁニューム((アルミニウムの略称。宗一郎氏が現役エンジニアとして活躍していた当時は、アルミニュームという呼称で呼ぶこともあった。))で出来てるのか。俺は早く辞めて良かったよ。俺が今も会社に居座ってたら、こんなクルマは出てこなかっただろうからな」''と、いの一番に褒め言葉を贈ったという。
また、栃木県・高根沢製作所のテストコースにて、NSXに試乗した際も''「お前ら、ちゃんとしたクルマつくれたな」''と、褒め言葉を贈っている。((ちなみに宗一郎氏の生涯で、最後に完成を見届けたクルマは軽MRオープンのビートであるが、''最後にステアリングを握ったクルマはNSXであった''))
''このクルマはホンダにとっては、まさに宝も同然である''。
--特にマクラーレン・F1はデザインを手がけたゴードン・マレー氏が開発中NSXを所有し、求める絶対性能は違えどNSXをベンチマークとし、快適性とスポーツカーとしての性能の両立の為の指標としていたといわれており、マレー氏本人も''「F1を10点満点とするならば、NSXは7点。ポルシェやフェラーリは3~4点」''と、NSXのポテンシャルを高く評価している。
ちなみに余談だがマクラーレン・F1の開発時においてホンダにV型8気筒または10気筒エンジンの供給を依頼していた。しかし当時のホンダはバブル景気の崩壊や本車の開発・販売不振で赤字を出しており、経営が苦しかったことから断られてしまった。そのためBMWから当時のフラッグシップモデルとして開発されていたM8に搭載する予定のV型12気筒のS70エンジンの供給を受けた。
''もしマクラーレン・F1にホンダ製エンジンが搭載されていたならば、NSXとは遠縁の親戚のような関係となっていたかもしれない''。

-自動車界の02年問題をクリアしたクルマでもある。((その他同社のS2000や、トヨタのMR-S、マツダのロードスターなど))この頃、Supra RZ (JZA80)やSKYLINE GT-R V-specII (BNR34)にRX-7 Type R (FD3S)といったライバルのスポーツカーは排ガス規制をクリアできず次々に生産中止に追い込まれたが、NSXは97年のマイナーチェンジで既にクリアしていた。

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-本車の上位モデルであるNSX-''&color(Red){R};''('92)((後にターミナルスクラッチで登場した[[NSX-R (NA2)]]とは別のモデル。))は、当時ホンダでF1コンストラクター争いをしていたF1ドライバーである、”音速の貴公子”こと故''アイルトン・セナ・ダ・シルバ''氏や、”雨のナカジマ”こと''中嶋 悟''氏が走行テストを行うなど、プロのレーシングドライバーが開発に参加していた事でとても注目を集めた。
--なお、NSX-RとベースグレードのNSXの分かりやすい相違点は、主にホイール((ENKEI製の15インチ5本スポークアルミホイール。純正の5本スポークも15インチである。))・フォグランプの有無・マフラー・シートの形状と色である((NSX-Rは赤く彩られた、専用のバケットシートが標準装備))。
特に、フルアルミ車体という前代未聞の取り組みが実ったのは、走行テストでボディ剛性の向上を訴え続けた、NSXの開発テストドライバーである玉村 誠氏と同様の意見を述べた、セナ氏の意見が決め手となった為と言われている。((ボディ補強用の強化バーには、''「セナバー」''とセナ氏の名前が付けられたという。))
--ちなみにYouTubeやニコニコ動画には、NSX-R完成披露会でセナ氏と中嶋氏が鈴鹿サーキット(西コース)をそれぞれ走行する''大変貴重な映像''が残されており、是非一度視聴してみてほしい。人馬一体となり、極限状態の中、命を賭して限界を攻めるプロレーサーの走りは、まさに''神業''である。
以下リンク参照。又は、「セナ NSX」or「中嶋 NSX」で検索。
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セナ選手の映像 [[YouTube>https://www.youtube.com/watch?v=uVy0lM2E-ug]] [[ニコニコ動画>http://www.nicovideo.jp/watch/sm213108]]
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中嶋選手の映像 [[YouTube>https://www.youtube.com/watch?v=a0BGI-HxvVo]]

-なおドリフトスピリッツでType-Rの名で先に収録されており、湾岸マキシとは違いエアロパーツが装着可能となっている。NSX-RとだったりNSX Type-Rとメディア等によって異なる場合がある。

-ドリフトスピリッツに収録されているNSX Type-R。シートが赤色のバケット形状になっている。
&attachref(./_20170915_165516.JPG,nolink);
-リア(マフラーがベースグレード車と異なる)
&attachref(./_20170915_165452.JPG,nolink);
-エアロパーツ装着 ホイール変更例
&attachref(./3752A7CD-F336-4300-BFA8-8DCD5EA94FC2.jpeg,nolink); 
&attachref(./2F170D3A-B5FF-4B37-A881-C52A00A46200.jpeg,nolink); 

-上記のNSX-Rが発売された後、1993年にドイツで開催されているADAC GT CUP((日本でいうGr.Nに近い、市販車両ベースのマシンで争われるレースシリーズ))にNSX-Rが参戦したコトを皮切りに、''NSXは本格的にモータースポーツの世界へと踏み込んで行く''。
最初に参戦したADAC GTでは、''ポルシェやBMWといったドイツの強豪スポーツカーを相手取り、何回か優勝を記録している''ものの、海外のローカルレースというコトもあってか、日本国内ではそれほど話題にはならなかった。
しかし、ADAC GTの参戦車両をベースに改良を施し、LM-GT2仕様として生まれ変わった''NSX-GT2''で、1994~96年の3年間にかけて参戦したル・マン24時間耐久レースにおいては、''高橋国光氏''や''土屋圭市氏''に''飯田章氏''といった著名な日本人レーシングドライバーを多数登用したコトもあって、''日本国内においても大きな話題となった''。
--参戦初年度の1994年はLM-GT2クラスに3台のNSX-GT2を投入。相次ぐ駆動系のトラブルに苦しめられながらも、14位・16位・18位と''全車が完走を記録した''。
参戦2年目となる1995年は、GT2クラスにプライベーターとして、チーム国光と中嶋企画の2台のNSX-GT2を参戦させる一方、''GT1クラスにホンダワークスとして参戦''。ボディ剛性の関係上、タルガトップモデルのType Tをベースとしたターボ仕様のレーシングマシン・''NSX-GT1 TURBO''を送り込んだ。残念ながら、肝心のNSX-GT1 TURBOはめぼしい成績を納められなかったものの、''チーム国光のNSX-GT2がクラス優勝を飾る''という快挙を達成した。
参戦3年目且つ最終年度の1996年は、チーム国光のNSX-GT2が参戦。''クラス3位の成績を残して有終の美を飾った''。
--これ以後は主な戦場を日本国内へと移し、1996年に''チーム国光がプライベーターとしてNSX-GT2で全日本GT選手権(JGTC)のGT500クラスに参戦''。翌年の1997年からは、マイナーチェンジ後のGH-NA2型をベースとしたJGTC仕様の''NSX-GT''を投入し、''本格的にホンダワークスが参戦開始''。これ以降のNSX-GTの活躍は周知の通りである。
-ル・マン24時間耐久レース LM-GT1仕様
(NSX-GT1 TURBO)
&attachref(./_20171128_153229.JPG,nolink);
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ル・マン24時間耐久レース LM-GT2仕様
(NSX-GT2)
&attachref(./_20171129_223631.JPG,nolink);
#br
JGTC-GT500 NSX-GT 1997年仕様
(avex童夢 無限NSX)
&attachref(./_20171128_153248.JPG,nolink);
#br
JGTC-GT500 NSX-GT 2000年仕様
(カストロール無限NSX:チャンピオンマシン)
&attachref(./_20171128_153217.JPG,nolink);

#br

-光岡自動車((富山県富山市に本社を置く自動車メーカー。1968年創業。中古車・輸入車ディーラー業や他のメーカーの車をベースにパイクカー風デザインにカスタマイズした車両の製造・販売で有名。))が2001年の第35回東京モーターショーに初めて出展した際に、初出展記念として本車の中古車をベースにしたコンセプトカーを製作した。
外装を剥がしてオリジナルのパイプフレームとボディを被せられた車で、公開されるとその独特なデザインからブースにはたちまち人だかりができたという。この時数十名から購入希望が寄せられた事で、光岡自動車はこのコンセプトカーを''「光岡・大蛇(オロチ)」''として市販することを決定した。
当初はホンダにNSX用エンジン((NA1型のC30A、NA2型のC32B、どちらを希望したかは不明。3MZ-FEは3.3Lエンジンであることから恐らくC32Bだと思われる。))の供給を希望していたが、NSXの生産終了や排ガス規制への対応が困難であることなどから断られてしまい、やむなくトヨタからV型6気筒3MZ-FEエンジンを供給してもらうこととなった。
オロチは湾岸マキシには未収録だがドリフトスピリッツには登場している。
&attachref(./無題.png,nolink);
#br
-本車のリトラクタブルヘッドライトを、デザインの似たトヨタ SUPRA 2.5GT TWIN TURBO R (JZA70)へ流用するカスタムも存在した。
#br
-頭文字Dの登場人物である北条豪のNSXもE-NA1型で、あちらはアドバンス製のFLATOUTフルエアロキットとGTウイング、ゴールドのBBS LMホイールで再現可能。ドリスピにもコラボ車としてフォーミュラレッドのボディにアドバンス製のFLATOUTフルエアロとBBS LMホイールを装着したNSXが登場している。
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-『ワイルド・スピードX2』ではテズ・パーカーの愛車としてアキュラ仕様のNSXが登場。ゴールド/マルーンに金文字モノグラム柄のリバリーとGTウイングが装着されている((因みに、テズ役のリュダクリス氏が歌う主題歌『''Act A Fool''』のMVにも本車が登場している。))。
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