LT vz. 35

Last-modified: 2017-03-08 (水) 08:36:08

Cz03_LT_vz35.png

Tier 2 チェコスロバキア 軽戦車

公式紹介ページ

スペック

HP150
車体装甲厚(mm)25/16/16
最高速度(km/h)34
重量/最大積載量(t)10.5/11.0
実用出力重量比(hp/t)
本体価格(シルバー)3,900

パッケージ

LT vz. 38
(1,055/43,500)
LT vz.35
(230/3,900)
T-11
(235/1,310)
T-11/2
(565/7,640)

詳細

パッケージ名エンジン武装履帯砲塔
出力弾種貫通力ダメージ総弾数弾代発射速度
照準時間
精度
旋回速度砲塔装甲旋回速度視認範囲HP通信範囲
LT vz.35Škoda T-11/037mm Škoda A3LT vz. 35LT vz. 35150310
120AP
APCR
HE
52
74
18
40
40
45
9014
2G
9
18.75
1.90
0.40
4625/16/1632290
T-11Škoda T-11/037mm Škoda A3T-11T-11180
120AP
APCR
HE
52
74
18
40
40
45
9014
2G
9
21.43
1.90
0.40
5025/16/1635320
T-11/2Škoda T-11/237mm Škoda A8T-11T-11
135AP
APCR
HE
52
74
18
40
40
45
9014
2G
9
23.08
1.70
0.38
5025/16/1635320

解説

  • 概要
    Tier2チェコスロバキア軽戦車
    ドイツのPz.Kpfw. 35 (t)本来の姿。
     
  • 火力
    • 37mm Škoda A3
    • 37mm Škoda A8
      初期砲と最終砲。
      貫通等の基本性能は同じ。
       
  • 装甲
    前面25mm、側背面16mmとTier2軽戦車としては普通。
    角度をつければ機関砲を弾くくらいなら出来ないこともない。
     
  • 機動性
    軽戦車ではあるがそこまで早くなく、砲塔旋回速度も少々遅め。
     
  • 総論
    砲の選択肢は少ないが、基本的にはPz.Kpfw. 35 (t)と運用法は同じ。

史実

LT vz.35は1934年1月にチェコのスコダ(半公式的にはシュコダ)社がLT vz.34の後継となる騎兵隊向けの軽戦車として開発着手し、10月にモックアップがチェコ陸軍委員会に提示されました。
委員会はCKD社とシュコダ社に開発を打診しており、CKD社はLT vz.34の改良型であるP-II-aを提示。対してシュコダ社は新規設計のS-II-aを提示しました。

試作車の製作を委員会は直ちに要求して翌年6月には試作車2両が作られ、テストの結果、S-II-aにT-11の名称が与えられ、更に行った試験の結果は良好で各部の修正を行う事を条件に、10月にLT vz.35として制式採用と共に126~160両が発注されました。

車体、上部構造物、砲塔は装甲鋼板のリベット止めで製作されていますが生産性を容易にする考慮がなされた結果で、車体前部に操縦室、中央に戦闘室、後部に機関室があり、戦闘室に砲塔が載っています。
上部転輪は片側4枚、小型の下部転輪8枚持ち、2個1組でボギーに2組取り付けられ、リーフスプリングで緩衝されていました。 起動輪は後部にあり、誘導輪と第1転輪の間には履帯ガイド用の車輪が1枚付けられていました。操縦を容易にするために圧搾空気圧作動式変速機を搭載していましたが、のちの冬の東部戦線で故障を頻発していました。
外観こそは旧式の手法でしたが、40口径A3/34 37.2cm戦車砲を搭載した本車は、スタンス的にはII号戦車III号戦車の中間にあたりますが、ドイツ軍主力のIII号戦車と互角の性能を持っていました。
1938年まで総生産424両が作られ、生産はスコダが主に担当していましたが、CKDも90両を生産、追加発注でハンガリーから138両の発生を受け輸出、ルーマニアが126両を採用するとしてR-2の名称で発注されました、結局36両を受領しただけに終わり、382両を1939年に新たに発注しましたがドイツによるチェコ併合で取り消しになってしまいました。
チェコ併合後には、ブルガリアへ1940年2月にドイツから35(t)軽戦車として26両が輸出され、夏にスコダ社から10両を直接購入しています。

ドイツの併合により、LT vz.35はドイツ軍によって297両を接収し、218両が配備されました(残る79両は自由スロバキア軍が使用)。 接収時、空気圧サーボ式変速機などの信頼性が低かったため、可動台数は半分しかなかったと言われています。
接収されたPz.Kpfw.35 (t)に改称、東部戦線では冬季用ヒーターを取り付けていて、もともと乗員は3名だった定員が、ドイツ軍が接収後に改修して砲塔に装填手スペースを設けて4名に増やされています。
まだIII号戦車が揃わず、II号戦車を主力としていたドイツ軍からは歓迎され、動ける112両は第1軽機甲師団に配備されてポーランド戦に投入され、残りも整備されて1939年10月に編成された第6戦車師団、第11戦車連隊、第65戦車大隊などに配備されました。これらの部隊はフランスでの黄作戦(128両)及び東部戦線でのバルバロッサ作戦北部戦区(160両)に投入され初戦を戦い抜きました。
1941年12月10日までにドイツ軍に配備されていた車両のほぼ全てを喪失し、1942年になると、変速機の不具合や非力さが目立ち、残ってる車両は第一線から退いて後方任務へシフトされました。

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