&attachref(./SU100Y.png,nolink,30%);
#contents

*Tier 6 ソビエト連邦 駆逐戦車(課金戦車) [#qdc128f2]
[[公式紹介ページ >http://console.worldoftanks.com/encyclopedia/vehicles/ussr/SU100Y/]]
[[販売告知ページ>http://console.worldoftanks.com/ja/news/general-news/early-access-su-100y/]]


*スペック [#z60d77f1]
''車体''
|CENTER:|CENTER:SIZE(11):|c
|~HP|700|
|~車体装甲厚(mm)|60/60/60|
|~最高速度(km/h)|35|
|~重量/最大積載量(t)|63.9/67.4|
//|~実用出力重量比(hp/t)||
|~本体価格(ゴールド)|3,250|
|~修理費(シルバー)||

**戦車パッケージ [#p5e54506]
|CENTER:|c
|BGCOLOR(#dddddd):SU-100Y&br;(3,250G)|

***詳細 [#r1447d42]
|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|>|CENTER:SIZE(11):|c
|パッケージ名|エンジン|>|>|>|>|>|武装|履帯|>|>|砲塔|>|他|h
|~|出力|弾種|貫通力|ダメージ|総弾数|弾代|発射速度&br;照準時間&br;精度|旋回速度|砲塔装甲|旋回速度|視認範囲|HP|通信範囲|h
|BGCOLOR(#f0f8ff):CENTER:SIZE(11):|CENTER:SIZE(11):|>|>|BGCOLOR(#f0f8ff):RIGHT:SIZE(11):|>|>|BGCOLOR(#f0f8ff):CENTER:SIZE(11):|CENTER:SIZE(11):|>|>|BGCOLOR(#f0f8ff):CENTER:SIZE(11):|>|CENTER:SIZE(11):|c
//
|BGCOLOR(#DDDDDD):SU-100Y|GAM-34-BT|>|>|>|>|>|130 mm B-13-S2|SU-100Y|>|>|SU-100Y|700|71-TK-3U|
|~|890|AP&br;AP&br;HE|196&br;171&br;65|440&br;510&br;580|30|1,118&br;10G&br;978|3.75&br;2.90&br;0.37|30|--/--/--|26|350|~|440|
*解説 [#t736e611]
%%※いずれは技術ツリー内のプレミアム戦車になる予定だが、アップデート2.5現在、技術ツリー内には実装されていない。%%
2016/2/23のアップデートで、戦車ツリーから購入できるようになった。
*史実 [#h21a87b1]
SU-100Yはソ連が試作した自走砲で、失敗に終わったT-100多砲塔試作重戦車に海軍の130㎜B-13艦砲を搭載したものです。
車体ベースとなったT-100は、[[KV-1]]と共にフィンランドとの冬戦争で試験運用に投入されたSMKと共に使用されています。
1939年4月30日に多砲塔のT-100重戦車やSMK重戦車、単砲塔のKV-1戦車と共に第20重戦車旅団第90戦車大隊(指揮官はKVことクリメンテ・ヴォロシーロフ国防大臣の息子)に配備されてフィンランドとの戦争に投入されたのですが、SMKは運悪く雪だまりにはまった上、地雷または収束爆薬攻撃で誘導輪と履帯を破壊されて動けなくなったそうです。
機甲局総監D.G.パブロフの指令によりソ連軍がT-100で牽引しようとしましたが、航空機用の850馬力GAM-34-8Tガソリンエンジンをもってしても、全長8.75m、全幅3.36m、全高3.35m、重量55tの車体は重すぎて無理でした(T-100の重量は重量58t)、このため、ソ連軍はSMKを放棄して撤収してしまいます。
3ヶ月後に6両のT-28で牽引して回収しましたが、今度はこれを運ぶ貨車が無く、バーナーで切断してなんとか運んだのですが、持ち帰ってみると、KV-1の正式採用によりSMKの採用が見送られたので、組み立ての必要が無くなり、そのままスクラップとして放置状態となります、T-100も多砲塔戦車の有用性をスターリンに糾弾されて試作した2両は不採用の烙印を押される結果になってしまいます。
一方、このT-100を放っておくのはもったいと、T-100ベースにした工兵戦車の開発が進められていましたが、D.G.パブロフは目的を対トーチカ戦と敵戦車の沈黙化という、重自走砲への仕様の変更命令を下します。
これに従って、T-100Xが設計を開始しましたが、生産効率を向上させるためにキーロフ工場は砲塔を簡易化したT-100Yに変更、これが制式化されSU-100Yとなりました。
とはいえ、実際作られたのは1両のみでした。
3月1日にT-100の改修作業を開始、海軍の130㎜B-13艦砲を搭載する為に砲塔等の上部構造を取り外して簡易砲塔に作り変え、航空機用エンジンを重量増加に伴い強力な魚雷艇のエンジンに換装して、試作車は2週間後の14日には完成していました。
早速、第1次ソ連・フィンランド戦争に投入される予定でしたが、その翌日にフィンランドとの休戦が成立したことで、実戦に参加する機会を失ってしまいました。
当然ながら、量産もされず、残ったもう1両のT-100はSU-100Y試作2号車や派生モデルの試作の為に残されたとも言われていましたが、1950年代半ばまでチェリャビンスク戦車学校に置かれていた後は足跡が消えており、老朽化によりスクラップになり溶鉱炉で溶かされたのではないかとも言われています。
152mm砲を搭載したT-100Zや、別の130mm砲を搭載したオブイェークト103も計画はされていましたが、これらはペーパープランで終わっています。
その後、モスクワの戦車部隊に配備された所までは確認されていますが、実戦に関わったという記録は残念ながら残っていません、しかし、本車は現存しており、クビンカ戦車試験場内にある戦車博物館に展示されています。

なお、対戦車自走砲の本家筋にあたる[[SU-100]]は主砲が100mm砲搭載の為に付けられた型式であるのに対し、SU-100Yが130mm砲搭載でも型式が100となっているのは、T-100からの改変にあたるためで、SU-130と名目上の区別で呼ばれることもあります。
制式命名法則が一貫していないので、ソ連戦車には混同や誤認が起こることが、しばしば起こり得ます。
*コメント [#s948d1ee]
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