軽巡洋艦

Last-modified: 2022-02-17 (木) 17:23:11

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ケーニヒスベルク級軽巡洋艦

概要

基本的に何でもソツなくこなすバランス型の艦艇である巡洋艦ではあるが、軽巡洋艦はその中でも砲戦重視型や雷撃重視型、防空型など一芸に秀でた艦が多いのが特徴である。
ゲーム内では搭載主砲の大きさによって軽重の区別を付けているらしく、軽巡洋艦のルーツである防護巡洋艦もその殆どが軽巡洋艦として扱われている。

アメリカの高ティア軽巡は魚雷を搭載していない艦が殆どで、代わりに砲戦能力が非常に強力。場合によっては重巡洋艦すら撃ち合いで撃破し得るポテンシャルがある。
日本の軽巡は全ての艦が魚雷を搭載可能であり、機動力の高さも相まって大きな駆逐艦という印象が強い。主砲も駆逐艦を狩るだけの火力は十分ある。

軽巡洋艦についてもう少し詳しい説明

軽巡洋艦の起源

艦船用機関の出力が乏しかった19世紀には、小型の戦闘艦に装甲を施すことは困難であった。このため舷側装甲の代わりに機関室の上の甲板を装甲(防護甲板)して、舷側防御は石炭庫によって代用させる『防護巡洋艦(Protected Cruiser)』が建造された。
防護巡洋艦では船体内の艦枢要部は防護甲板の下で守られており、上部構造物については、ここに浸水が生じても隔壁により防止できるという目論見から無防備に晒されていた。だが、1880年代後期以後の速射砲の普及が防護巡洋艦に破滅的な影響をもたらした。
特に1894年に生起した黄海海戦においては、短時間に大量の榴弾を投射された結果、艦枢要部が直撃弾を受けずとも非装甲部が徹底的に破壊されて戦闘能力を喪失する例が多発。この戦訓から、垂直防御を持たない防護巡洋艦の戦術価値は急激に低下・衰退してしまった。
結果、防護巡洋艦のうち大型の艦艇は垂直装甲を装備した『装甲巡洋艦(Armored Cruiser)』へと進化し、中型の防護巡洋艦は淘汰されていった。
このような流れの中、小型の防護巡洋艦は高速化によって新時代への適応を図ろうとした。これに応じて建造された艦種の一つが『偵察巡洋艦(Scout Cruiser)』である。当時発達していた駆逐艦を嚮導する小型・高速の巡洋艦であり、駆逐艦に匹敵する高速性能が求められたことから基本的には駆逐艦を拡大した船型となっているが、巡洋艦としての設計も求められたことから、防護甲板が設けられた。この偵察巡洋艦こそが、軽巡洋艦の直接的な祖先形に相当する。

軽装甲巡洋艦《軽巡》の登場

時代が20世紀に入り1910年頃にまで至ると、技術発展により艦船の主機がレシプロ機関から蒸気タービン機関に移行。さらに燃料が石炭から石油に変わることによって防護巡洋艦、ひいては偵察巡洋艦の防備の一部を担っていた石炭庫は不要な設備と化してしまい、そもそも艦の防御機構そのものが成り立たなくなってしまった。
一方で機関のタービン化によって出力が増大し余力も生じたため、比較的小型ながら舷側に軽度の装甲を施した軍艦が偵察巡洋艦の地位を受け継ぐ形で登場する。これが『軽装甲巡洋艦(Light Armored Cruiser)』、すなわち軽巡洋艦である。
本格的な軽巡洋艦のスタイルを決定づけたのは、イギリスの1912年度計画において建造されたアリシューザ級(下画像)である。この艦級は常備排水量わずか3,750トンに過ぎなかったものの水線部に最大3インチ(76mm)の装甲を施しており、石油専焼缶による蒸気タービン推進で28.5ノットという高速を発揮。「艦隊の目」としての地位を確立した。
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ちなみに「軽装甲」の名の通り、軽度だが装甲を備える艦が本来の軽巡洋艦の定義である。例えば同じイギリスのホーキンス級巡洋艦は排水量・艦砲の口径ともに当時の装甲巡洋艦に匹敵する大型艦であるが、装甲厚はアリシューザ級と当程度であり、建造当初は軽巡洋艦として分類された。
更に極端な例では、歩く英国面ことフィッシャー提督の乱心肝煎りで建造された所謂『ハッシュ・ハッシュ・クルーザー』カレイジャス級やフューリアスといった船も、戦艦と同クラスの主砲(15~18インチ砲)を搭載し艦体長も200mを超えていながら、その防御装甲の薄さから建造当初の類別はあくまで『大型』軽巡洋艦であった。

二度の軍縮条約と軽巡洋艦

巡洋艦の位置づけは第一次世界大戦後の軍縮条約によって大きく変化した。1921年のワシントン海軍軍縮条約は主力艦(戦艦および巡洋戦艦)の保有・建造の制限を主目的とし、巡洋艦を基準排水量10,000トン以下で砲口径8インチ(203mm)以下のものと定義して保有制限の対象外に置いた。しかし、このことが巡洋艦に準主力艦としての地位を与える結果となり、今度は基準排水量10,000トンと砲口径8インチ(203mm)の上限一杯の巡洋艦(条約型巡洋艦といわれる)の建艦競争が始まることとなった。
これをさらに制限しようとしたのが1930年のロンドン海軍軍縮条約である。ロンドン条約では砲口径6.1インチ(155mm)超過8インチ(203mm)以下の巡洋艦を「カテゴリーA」、砲口径6.1インチ(155mm)以下の巡洋艦を「カテゴリーB」と定義し、以後、前者を『重巡洋艦(Heavy Cruiser)』、後者を『軽巡洋艦(Light Cruiser)』とする呼称が一般的となった。どちらの場合もワシントン条約と同じく基準排水量は10,000トン以下とされた。
日本語では同じ『軽巡洋艦』という言葉であるが、その内実はこの時を境に大きく変化した。
かつて軽巡洋艦と対を成す存在であった装甲巡洋艦が軍縮条約の頃には過去の艦種となっていたこともあり、代わって軽巡洋艦と重巡洋艦が対を成す時代が訪れたのである。

条約明けから第二次大戦へ

軍縮条約において設定された軽巡洋艦と重巡洋艦の区分であったが、その基準はあくまで砲口径のみであったため、その名に反して、軽巡洋艦の方が「重く」、重巡洋艦の方が「軽い」場合もある。事実、日・米・英の三ヶ国が基準排水量10,000トンの上限一杯になるように建造した大型の軽巡洋艦は一部の重巡洋艦を基準排水量において凌駕していた。
日本では155mm砲装備の軽巡洋艦として他国に通告して建造開始した艦において、その計画段階から条約脱退後は203mm砲に換装することが予定されていたものがあり、この換装予定は機密事項であった。最上型重巡洋艦は、これに従い155mm三連装主砲塔を持つ姿で竣工し、条約脱退後に203mm連装砲に換装した。利根型重巡洋艦は、建造途中に条約脱退したため、竣工時点で203mm連装砲を装備した。どちらの場合も日本は203mm連装砲への換装を他国に通告しておらず、公式の分類上は第二次世界大戦終戦まで軽巡洋艦(二等巡洋艦)であり続けた。アメリカにおいても条約失効後に建造開始された軽巡洋艦の多くは排水量の縛りがなくなったため大型化・重装甲化し、条約型重巡洋艦に劣る部分は砲口径のみという艦級は少なくない。
また、空母の登場や航空機の脅威の増大、艦隊速力の全般的な高速化などの諸要因によって、量産が利く中型艦艇である巡洋艦に求められる役割が護衛・防空・嚮導などそれまで以上に多岐に亘るようになったことも軽重巡洋艦の境界を曖昧にする結果に繋がった。

いずれにせよ大型艦同士の水上砲戦が生起しづらい状況の中、フットワークの軽い巡洋艦隊や巡洋艦に率いられた駆逐艦隊は、第二次世界大戦において洋の東西を問わず様々な海戦で主役を担うことになった。
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クリーブランド級軽巡洋艦『モントピーリア』。数多の戦艦・巡洋艦・駆逐艦が沈んだソロモン海域での海戦において、武勲をあげつつ所属艦を一隻も失っていない日米双方で唯一の艦隊の旗艦として「ソロモンの伝説(Legend of the Solomons)」と呼ばれた。

その後の軽巡洋艦

第二次世界大戦後、誘導ミサイルの発達とともに、当時まだ大型だったミサイル装置のプラットフォームとして多くの重巡洋艦・軽巡洋艦が転用され、ミサイル巡洋艦となった。
戦闘距離の増大に伴って中距離砲戦用装備である主砲の意義も相対的に低下したため、新規に建造される巡洋艦のほとんどはミサイル巡洋艦となり、主砲口径によって定義される「軽」巡洋艦という艦種は自然消滅していった。
一方でその多用途性と中型艦ゆえの取り回しの良さは失われず、大型で融通の効かない戦艦に代わる艦隊中核戦力として、現代に至るもなお巡洋艦は世界の海を走り続けている。

主な役割

バラエティに富んでいるだけに全体として『これ』という概評を下すのが難しく、同じ国家ツリーの中でも艦によってかなり異なる立ち回りを求められる場合も少なくないことは覚えておこう。
基本的には敵駆逐艦への警戒およびその排除と、戦艦や空母の護衛が主な仕事となる。低~中ティア帯なら戦艦への積極的な砲撃も不可能ではないが、高ティアともなるとなかなか攻撃は通らない。
日本艦のように駆逐艦を拡大発展させたタイプの軽巡洋艦は強力な魚雷兵装を有していることも多いため、上記の役割に加え、戦艦等への雷撃も含めた準駆逐艦的な運用も視野に入れて欲しい。
逆にアメリカに代表される砲戦型の大型軽巡洋艦であれば、重巡洋艦同様に戦艦に随伴しつつ敵戦艦を榴弾で砲撃・炎上させることでの支援も積極的に狙っていきたい。手数が多いため、場合によっては重巡以上の圧力にもなり得るだろう。

ラインナップ

プレミアム艦は艦名を黄色で表示

国籍年代艦名耐久値
(基本値)
排水量
(最大値)
可視距離
(km)
最大速力
(kt/h)
航空機
(最大数)
対潜
アメリカ1900New Orleans13800591113.023.0××
1905Saint Louis151001083912.7523.5××
1923Omaha1845095088.3534.0××
1938Brooklyn235001270012.532.54
1941Atlanta2015081009.2532.5×
1942Cleveland25700143589.932.54
1945Fargo270001446412.532.5××
1948Worcester310501799713.833.0××
日本1900新高13500371614.522.0××
1910筑摩14820504013.127.0××
1920球磨1925059269.136.7××
1923夕張1885044007.9535.5××
1944大淀200001161615.034.012
イギリス1918Danae1852059257.9529.0××
1940Dido2535068509.632.2××
1945Belfast275001317510.3132.53
ドイツ1900Gazelle13500296314.522.1××
1909Emden15200426814.023.5××
1915Kolberg16500491510.025.5××
1934Nurnberg23100890011.032.0××
フランス1936La Galissonniere24700910010.831.0××
ソビエト1940Kirov24350943613.035.02
1950Chapayev255001430013.033.53
中国1910應瑞15800250012.025.0××
1929寧海2185030128.7530.0××
1929逸仙2042025506.526.0××
1936重慶28150666611.4532.33

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