友東その2だよ~

Last-modified: 2017-06-17 (土) 17:54:00

朝、東郷はパチリと目を覚ました。
覚醒の時にうとうととまどろむ事は少ない。大抵は目を開けると同時に頭も起きている。
布団から身を起こして枕元に用意してあった制服に袖を通す。着替えもすんなりと済ませた。
今こうしてテキパキと身支度を出来るのは、失っていた両足の感覚を取り戻すことが出来たからこそ。
だがそれ以上にこの動きを身体が覚えていたからだろう、ごく自然に以前のように動けるようになっていた。
「さて、まずは朝の日課ね」
髪を軽く梳かしてまとめ、机へと向かう。開くのは教科書、といっても学校で使用しているものではない。
日本という国の成り立ちを旧世紀の歴史から学ぶ、これは東郷の趣味である。
朝食までのわずかな時間ではあるが、朝日が差し込む静かなこの時はとても充実したものであった。
しかしはまり込んではいけない。時の思想家たちの遺した言葉に胸打たれていては、今日これからの予定に支障が出る。
分厚い教科書を読むのはそこそこにして、東郷は部屋を出た。
朝食をすませて隣の家へ。毎朝のこと、もう向こうの家族も公認だ。
「おはようございます、お邪魔しますね」
挨拶をして親友の部屋へと向かう。物音がしないということは、まだ寝ているようだ。
少し口元が緩む。いつだったか風先輩が樹ちゃんの寝顔を毎朝見るのが楽しみだと言っていた。
その気持ちにはとても共感できる。東郷も、この朝のひと時を楽しみにしていた。
「友奈ちゃん起きて、朝よ」
「んぁぅ…? とーごーさん…おはよ」
大きな大きなあくびをしてみせて、友奈はのんびりゆったりと仕度を始める。
この親友が目覚めの悪いことも計算済み。髪を結って授業の準備をして朝食を食べてから出かけても充分余裕がある。
「友奈ちゃん、スカートにしわが寄ってるわ。かける時に気をつけないとダメよ」
東郷は洗面所にあったヘアアイロンで軽くしわを伸ばした。応急処置としてはこれで良いだろう。
「あちゃー、脱いだ後気にしてなかったからなぁ。ありがと東郷さん」
姿見の前で最終的な身だしなみをチェックして、二人は並んで家を出た。

中学までの少し長い道のりを二人は歩いて登下校している。
リハビリという目的もあるが、こうして自らの足で歩くという行為そのものを大切に感じていたい。
それに話しながら歩いていればあっと言う間に着いてしまうというものだ。
「今日の体育バスケだったよね。私すぐ持ったまま走っちゃうから苦手だなー」
「ふふ、友奈ちゃんは前へ前へと意識がいっちゃうのよね。一旦止まって味方の位置を確認するのも重要だよ」
「頭ではわかってるつもりなんだけどね。それに背が高い人にマークつけられちゃうともう動けなくなっちゃって……」
友奈は頭の上で手をヒラヒラとさせた後、ふと東郷の方へと顔を向けた。
いつも通り友奈の話を静かに聴いて、時折相槌をうってくれる東郷の顔を見るとき、友奈は少し首を上げる。
これは今まではいつも通りのことではなかった。
脚が治り、車椅子の必要がなくなった東郷は友奈と肩を並べて歩くようになった。いや、並ぶと東郷の方が少し背が高い。
数字にすると4センチ。
今までは東郷と顔を合わすときは前の車椅子に乗っている東郷の顔を覗き込んでいた。
車椅子を押す後ろの場所が自分の定位置。でも、もうその必要は無い。
もちろん、こんなことを感じているのは悪いことだとわかってはいる。
東郷が自分で立ち、歩くことは喜ばしいことだ。姿勢も所作も綺麗で、スラッとしていて一縷の隙も見せない。
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、とはまさに彼女のためにあるようなことわざだ。
そんな姿に思わず見とれてしまうこともあったが、そのたびに少し首を上げる違和感が友奈の胸に積もっていった。
たった4センチ。されど4センチ。
この身長差は友奈にとって天高くそびえるような壁であり、地の果てまで続くような溝に感じられることもあった。
「大丈夫よ。友奈ちゃんはその分動きが機敏だもの。パスを回して相手を翻弄する作戦でいってみましょう」
思い悩む友奈に東郷はそう言って笑いかける。
あぁ、この笑顔を見させられると全てを許されたかのような落ち着いた気分になってしまう。
見透かされていたのだろうか、友奈は申し訳ない気持ちを隠すように笑い返した。
「と、東郷さんは背高いし運動神経いいから上手いよね! ダンクシュートなんて決められちゃうかも!」
とうっとシュートの動きを真似てみせる友奈。
そんな友奈を見て、東郷は微笑んでいたがその視線は遠くへと向けられていった。
「そう、ね。背が高いといっても女子の中では、というだけだし。私より高い人たちはいっぱいいるわ。それに……」
一旦言葉を切った東郷は改めて友奈に向き合う。風になびく長い黒髪が友奈の顔をすこしくすぐった。
「怒らないで聞いてね? 私、友奈ちゃんとは車椅子に乗って接していた時期の方が長いから、こうして並んで歩いていると友奈ちゃんの顔が近くにあって驚くこともあるの」
二人の歩みが止まる。学校のすぐそばであったが、なぜかこの場で聞くべき話のような気がしていた。
「あの頃は友奈ちゃんがよくしてくれて、とても助かっていたわ。その好意に少し甘えていた部分もあったし……だから」
俯いた東郷は困ったように笑った。
友奈はその表情に、自虐しているような雰囲気を感じた。
「後ろに友奈ちゃんがいてくれた安心感っていうのも確かにあったの。もちろん一緒に歩くのがいやって訳じゃないよ。ただ、時折友奈ちゃんが包み込んでくれるのが嬉しかったからつい……」
「東郷さん!!」
友奈は言葉をさえぎるように東郷の手を取って握り締めた。それを見て目を丸くする東郷。
これ以上独白を聞いていることはできなかった。東郷以上に自分もまた相手に怒られそうなことを考えていたからだ。
そしてその気持ちを隠し続けることはこの親友の前では到底不可能であった。
「私……私も少しそういうとこあって……東郷さんとの距離がなんだか離れちゃったように感じることもあって……でも!」
悩んでいるのは自分だけではなかった。そのことがわかってまたも、友奈は東郷に救われたのだ。
悩んだら相談、この五箇条はたびたびすっぽ抜けてしまうことがある。
「東郷さんが大好きな気持ちは変わらないから! だから東郷さんがして欲しいこと何でも言って! 私が出来ることなら何だってするから!」
「友奈ちゃん……」
思わず、握り締めた手に力が入る。しかし、握られている方の東郷は微動だにせず、そっともう片方の手を友奈の手に重ねた。
真剣な眼差しに応えて、東郷も見つめ返す。
「ありがとう友奈ちゃん。私たち、同じようなこと考えてたんだね。それがわかって安心したわ」
友奈の肩から力が抜けていく。胸に残っていた違和感もほどけていくようだった。
「うん、こちらこそありがとう東郷さん。これからはもっともっとも~っと! ちゃんとお話しようね」
「えぇ、どんな些細なことでも。……でもそのためには時間がいっぱい必要ね」
二人の足がまた動き出す。どちらからともなく、止まっていた時間が動き出すように。
「う~ん……だったら、えいっ」
「きゃっ」
握っていた手を離した友奈は、東郷に思いっきり身を寄せてその腕に絡みつくように抱きついた。
「今日からここが私の定位置ね!」
「も、もう友奈ちゃんったら……」
一瞬驚いていた東郷だが、その腕を振り払うことはせず、友奈の体重を預かるように歩き出す。
こんなに可愛らしい親友と二度と離れたくはない。
それは心も身体も。
二人は先ほどより少し近い顔を見合って、微笑んだ。