闇の友友その4だよ~

Last-modified: 2017-10-01 (日) 23:07:29

「とっても疲れてるね」
高嶋友奈は結城友奈を観察する。
細い花瓶の中で萎れきった花のような力のない佇まいが、彼女の心身の窮状を訴えていた。
猫背気味に椅子に腰掛け、視線を合わせる事すら億劫そうに床を見つめている。
疲弊した手足は固く強張り、もはや胴体に接続された棒切れ同然の役割しか果たしていない。
こちらがどれだけ話しかけても、油切れの機械のようにぎこちない動作で頷くだけだ。
高嶋友奈は別段それに腹を立てたりはしなかった。
彼女がその顔に苦悶を浮かべ幾度も立ち止まりながらも、悲壮なまでの執念でこの部屋までの逃避行を完遂した事を知っていたからだった。

「早く楽になれるように、おまじないしようね」
高嶋友奈は微笑みながら結城友奈の胸に触れ、その心の最奥から密かに酒?童子を回収した。
何物にも代えがたい解放感に深い息を吐いた結城友奈の顔に血色が戻り始める。
死肉のように固まっていた手足もだらりと垂れ下がり呼吸を始めている。
猫背は更に酷くなったが、高嶋友奈が姿勢を助けてやると椅子にもたれかかるような姿勢に変わることができた。
唇は何やらゆっくりと動いてる。話したい事があるのだと察した高嶋友奈は、いつまででもそれを聞いてあげようと思った。
いつもありがとう。聞こえてきたのは夜風のような囁きだった。
「このくらいの手助け、結城ちゃんの為ならわけないよ」
高嶋友奈は努めて明るく返した。結城友奈もまた、少しだけ笑った。

「これ、飲んじゃおう。疲れに効くよ」
高嶋友奈が取り出したのは、小さな徳利と豪勢に飾られた盃だった。
「入れ物がそれらしいだけで、中身は果汁ジュースだから。美味しい青汁みたいなものだよ」
よもや酒かと一瞬訝しむ表情をした結城友奈を安心させようと、高嶋友奈は手を振りながら付け加えて説明した。
当初は手渡された盃を片手で持っていた結城友奈だったが、徳利から勢いよく液が注がれると慌てて両手に持ち替えた。
「大人の人は、これでお酒を飲むと元気になるって聞いたから。気分だけでも、ね」
一杯目を注ぎ切った高嶋友奈は徳利を垂直に戻し、結城友奈の一口目の瞬間を待つ事にした。

不思議な液体だった。
並々と注がれたそれは透き通って透明であり、揺れる盃の上で波紋一つ立てていない。
凍てついた湖のように静謐でありながら、入念に温められていたらしく盃を通した微熱が結城友奈の手に伝わってきた。
結城友奈はしばらく盃に注がれた透明に光る液体に見惚れていたが、やがて意を決したように目を瞑りぐいと一飲みにした。
不思議な味だった。
すっきりとした後味を噛み締めている頭から、孤独、恐怖、不安、あらゆる濁ったものが排出されていく。
液体を取り込んだ身体から、疲労、苦痛、悪寒、あらゆる濁ったものが排出されていく。
結城友奈は自分の頭と体に生命の熱が戻ってきている事を実感した。

気が付けば結城友奈の両手は恭しく盃を徳利に差し出し、二杯目を求めていた。
「お。お客さん、意外といけるクチですねぇ」
高嶋友奈は微笑みを崩さず、冗談めかして言いながら二杯目を並々と注いだ。
今度は躊躇せず一飲みにした。
体内のしこりが全て取り除かれていく。結城友奈は心地よい息を吐きながら体内洗浄の快感に酔いしれた。
優しいプランクトンに悪いものを食べてもらっているようだ、と思った。
「皆ね、もう私がいなくても大丈夫なんだ」
結城友奈は気分良さげに、自分に言い聞かせるように語り始めた。
それを見た高嶋友奈は徳利を構えつつも、正座して時折相槌を打ちながら、傾聴の姿勢を堅持した。

「東郷さんも園ちゃんも夏凛ちゃんも樹ちゃんも風先輩もみんなみんな強いんだよ。一人前の勇者なんだよ」
三杯目。
高嶋友奈はそれに肯定も否定もせず、ただ微笑んで話を聞いていた。
「こっちには頼れる昔の勇者もいるし、東郷さんの昔の友達もいる。新しい仲間もいる。誰も寂しくもないし怖くもない」
四杯目、五杯目。
高嶋友奈はそれに肯定も否定もせず、ただ微笑んで話を聞いていた。
「今だってそう。私がいなくても、皆で集まって遊んだり訓練したりしてる。勇者はもう私じゃなくてもいいんだ」
六、七、八、九、十。
結城友奈の脳裏には勇者部のメンバーの今がはっきりと映し出されていた。
乃木若葉の号令の元、スマートフォンを没収しての基礎体力訓練を遊びのメニューになぞらえて行っていた。皆、笑顔だった。
最近はずっとそうだった。幻視や思い込みではなく、結城友奈には遠くにいる勇者部の何人かの姿がはっきりと見えるようになっていた。

結城友奈はそれきり何も喋らなくなり、ただ無言で盃を差し出しては液体を一飲みにした。
高嶋友奈はそれを肯定も否定もせず、ただ微笑んで盃を継ぎ足し続けた。
やがて、九十九杯を飲み切った頃。高嶋友奈はゆっくりと切り出した。
「結城ちゃんを求めてる人はいっぱいいるよ」
紡がれたのは空虚な励ましの言葉だった。少なくとも、結城友奈にはそう聞こえた。
そんな人がいるのなら、目の前に連れてきて顔を見せてほしいと思った。盃を空けて次を急かした。
高嶋友奈は飽きもせず微笑みながら徳利を傾け、並々と液体を注いでみせた。
「今はまだ見えていないだけ。たくさんの人が、ううん。世界全部が結城ちゃんの助けを求めてる」

そうかもしれない、と結城友奈は思った。
何も世界は勇者部だけではない。この世界に生きている人が助けを求めているのなら、それに応えてあげたいと思った。
だがそのためには勇者の力だけではだめだ。世界中の涙を見逃さない目と、世界中の悲鳴を聞き逃さない耳がいる。
人の身では到底不可能だ、と結城友奈は諦念した。
「でも、私には誰がそうなのかわからないよ。神様にでもならないと」
高嶋友奈は微笑んで、いつも通りのトーンで尋ねた。
「ねぇ結城ちゃん。もし結城ちゃんが世界中の皆を助ける、神様みたいな勇者になれるって言われたら、なりたいかな」

結城友奈は神様という言葉の重さにしばし逡巡した。
頭の中を、勇者部や神樹や世界や学校やバーテックスの記憶が白黒の無声映画のように通り過ぎていった。
結城友奈は一通りそれを眺め終わると、ポツリと一言だけ呟いた。
「なりたい」
微笑む高嶋友奈が手を伸ばした瞬間、結城友奈の懐でスマートフォンが鳴った。
それがお開きの合図だった。
結城友奈は名残惜しそうに立ち上がり、ふらふらとした足取りで部屋の入口まで歩くと、トイレを借りてから部屋を出ていった。
そうして部屋から少し歩いたところで、胸が重くなるのを感じ、その重みに揺さぶられ思い切り前のめりに転んだ。
かなり激しく地面と激突したが、幸運なことに体のどこからも血は流れていなかった。
結城友奈は地面に突っ伏したままスマートフォンを操作し、無事であると返事をした。

部屋の扉が閉まった後、高嶋友奈はトイレの扉を開いて微笑んだ。
「お掃除しなきゃね」
黒ずみ一つない花柄の壁紙。
明るい配色が施された可愛い猫柄のスリッパとトイレマット。
およそ3.2Lの鮮血に染まった洋式便器は、凄惨な殺人現場のように生々しく息づいていた。
高嶋友奈は一つ大きく息を吸い、掃除道具を取りに部屋へ戻っていった。