
概要
BR・Tier
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| Tier | 1 |
| BR | I |
距離毎ダメージ減衰率
| 距離によるダメージ減衰 (改修前⇒改修後) | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| 距離(m) | 10 | 100 | 150 | 200 | 300 |
| 打撃力 | 5.3⇒6.4 | 2.7⇒3.2 | 2.5⇒3.0 | 2.3⇒2.8 | 2.2⇒2.7 |
| 貫徹力 (改修前⇒改修後) | ||
|---|---|---|
| 距離(m) | 10 | 1500 |
| 貫徹力(mm) | 1.0⇒1.0 | 0.1⇒0.1 |
性能
| 項目 | 初期値⇒最大値 |
| 口径(mm) | 7.62 |
|---|---|
| 打撃力*1 | 5.3⇒6.4 |
| 銃口初速(m/s) | 450⇒450 |
| 発射速度(発/分) | 800⇒920 |
| リロード時間 (秒) | 2.6⇒2.3 |
| 拡散値 | 84⇒84 |
| 反動制御(%) | 60⇒60 |
| 垂直反動 | 23⇒20 |
| 水平反動 | 13⇒12 |
| 供給システム*2 | 25発マガジン |
| 重量(kg) | 3.8 |
| スプリント係数(%) | 100 |
| カートリッジの質量(g) | 10 |
| 射撃方法 | オート,セミオート |
| 銃剣 | - |
解説
特徴
ソ連軍で初めて手にするBR1のサブマシンガン
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【火力】
瞬間火力は高めであり、近距離の殴り合いならおおむね優位を取れるだろう。
反面、発射レートの高さのわりにはマガジン装填数が心もとなく、弾幕を張るにはあまり向いていない。
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【適正距離】
中距離以内
命中精度があまり良くなく単発打撃力も低めなことを考え、遠距離は手を出すべきでない。
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【命中精度】
平均以下
リングサイトを採用しておりサイトの視認性は上々である。
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【総論】
BR1の中では上位に入るサブマシンガン
なのだが、BRと価格が上昇するとはいえ研究ツリーのわりとすぐ後ろに優秀なPPS-42・43が控えている。
本銃に注目する頃にはそれらを手に入れているだろう。よって影が薄い立ち位置となってしまっている。
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史実
1935年7月に採用された、設計者ヴァシリ・デグチャレフによって開発された短機関銃。
ソビエト軍は以前もトカレフのPPT-27、デグチャレフのPPD-1929などサブマシンガンを試作していたが、正式採用されたのはこれが初となった。
当銃はドイツの MP.18/Iに影響を受けており、古典的な「軽カービン」の流れを組んだ銃である。フル/セミ切り替えが可能であり、照準器は50~500mまで切り替え可能だった。
採用はされたものの、生産はそこまでされなかった。当時のソ連ではサブマシンガンは「ギャングの銃」であるという認識が蔓延っており、1939年には赤軍の装備から外され、NKVD、及び準じた国境警備隊によって配備されるのみとなった。
その潮流が変わったのが、1939年の対フィンランド戦争、いわゆる「冬戦争」によってフィンランド軍のSuomi KP/-31に苦戦した事である。
赤軍は冬戦争開始から1ヶ月後、緊急でPPD-34を前線に移送し、赤軍評議会の指示により再び当銃の大量生産が始まった。
赤軍はSuomi KP/-31のような大容量のドラムマガジンを装備したPPD-34を求めた。それがPPD 34/38の71発ドラムマガジン製作につながる事となる。*3
第二次世界大戦ではPPD 34/38と共に当銃は積極的に使用された。だが生産性の高いPPSh-41が採用されると、次第に姿を消していった。
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小ネタ
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