FF2
ゴードンを仲間にした後、太陽の炎を取らずに反乱軍のアジトにいるヒルダに話すと彼女が喋る台詞。
ヒルダ「ゴードン! あなたっていうひとは……あなたがいれば ヨーゼフも しなずにすんだのに!」
ゴードン「ヒルダ きいてくれ! わたしは…」
ヒルダ「あなたの いうことなど ききたくありません!」
ヒルダは、ヨーゼフに対しては絶大なる信頼を持っていた。
彼の消息が途絶えた時、ヒルダは本気で心配していた。娘のネリーを侍女にしたのも彼を思ってこそ。
そして、彼の死後にヒルダに話しかけると、彼の無念を無駄にしまいという、彼女の決意が感じ取れる。
だからこそ、彼の犠牲を踏みにじるかのごときゴードンの勝手な振る舞いを、彼女は許せなかったのだ。
GBA版以降のリメイクでは、少しだけセリフが変更されている。
ヒルダ「ゴードン! あなたは……。あなたがいれば、ベルは必要なかった。ヨーゼフも、死なずにすんだのよ……!」
ゴードン「ヒルダ、聞いてくれ! 私は……」
ヒルダ「あなたの話など、聞きたくありません!」
ゴードンは何を言おうとしたのだろう。言い訳の余地があったとは思えないが…。
- 普通に「私はエギルのたいまつを取りに行こうとしたんだ」じゃないだろうか。
これを言ったところで火に油を注ぐ結果にしかならないが。
このセリフから程なくして、ヒルダはフリオニール一行の助けになろうと飛空船を飛ばしたことで帝国の捕虜になってしまう。
ヒルダが捕虜になったために発生した事案は以下の通り。
すべて、ヒルダが前線に立とうなどと思わなければ起きなかった事態である。
このセリフの時点では捕虜になる前なのでゴードンを非難したが、この後ヒルダのとった行動もまた「たまたま人が死なずに済んだだけ」の大失態。
救出された後ゴードンへの接し方が柔らかくなるのは、捕虜になっている間にそのあたりのことを考えてのことだろうか。
ゴードンが勇気をだして自らベルを取りに行こうと先走った結果ヨーゼフは死に、指揮官であるのにヒルダが本拠地を離れた結果フリオニール達は3度ばかり死ぬような思いをさせられた。
- ヨーゼフが死んだ結果幼い一人娘が天涯孤独の身となり、町は有力者を失う形になった。
縋る者がいなくなった分だけ彼らの悲哀が強調され、ヒルダの動揺に拍車をかけるのは自然の成り行きである。 - あの時点では、反乱軍にはまだ縋れるものが複数ある。
ゴードンがムリせず、僅か手前で待ってさえいればあっさり防げた事態でもあるから始末が悪い。
フィン陥落時に踏みとどまったスコットは無念の死をとげ、逃げて生き延びたゴードンは紆余曲折の末に反乱軍の指揮官としてフィン城の奪回を成功させた。
一連の事件では「王族の責任」・「勇気と無謀」というものについて考えさせられる。
- スコットは城を封印しており、ある程度死を想定していたといえる。
敵に捕われる事も、軍に迷惑をかける事も無かったので、必ずしも無念というわけでもない。 - 人間ベストな行動がとれてもベストな結果が常について来るはずもない。フリオニール達も手は尽くしたとはいえ、一度は大戦艦の爆破に失敗して犠牲者を出している。ヒルダが助かった後はゴードンとの険悪な雰囲気もなくなって一応、2人共失敗から何かは学べた…のだろうか。
そもそもゴードンが無断で動く事自体があってはならなかった。
もしゴードンまで責任の所在を遡るのなら、反乱軍に関わらなければヨーゼフは死ななかったのだから、ヨーゼフを反乱軍のエージェントとして使っていたヒルダもまた同罪になる。
もちろん通常はそこまで責任を問われることはまずないし、時には部下に死を免れない任務を命じなければならないのが「指揮官」というもの。
- だからこそ「人の上に立つ者」は感情に任せた糾弾をしてはならないの。良くも悪くも、うっかりヒルダの若さと情の篤さが出てしまったシーンである。
正直、このエピソードに関してはスクウェアのシナリオの作りが甘いと思う。
この時点でゴードンは反乱軍の所属ではなく天涯孤独の身。つまり自身の行動には何の責もない訳で、話に無理がある。
- 例えば主人公がリングを持ち帰った段階でゴードンが考えを改めて反乱軍に志願し、受け入れられるというエピソードを入れておく。その上で、大戦艦襲来時に周囲が止めるのも聞かずに飛び出して行ってしまう。ヒルダは主人公にゴードンの後を追うように依頼する…みたいな流れにすればすっきりしたんじゃないかな。
FF9でも発端のエピソードが登場する。
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DFFではクイックバトルの解説でミンウが言ってくれる。