大津城

Last-modified: 2010-04-17 (土) 17:09:33

大津城(おおつじょう)は、安土桃山時代に近江国滋賀郡大津にあった城。

概要

現在の滋賀県大津市浜大津、京阪電鉄浜大津駅周辺一帯にあった水城で、本丸は、現在の琵琶湖大津港桟橋付近にあたる。関ヶ原の戦いでは上田城などと共に、数少ない激しい城の攻防戦が行われた。その騒音は連日京都にまで届き、市民の中には弁当と水筒持参で見物に行く者まで出たという。

戦後に廃城となり、天守などが膳所城や彦根城に移築されたと伝えられる。彦根城の天守がかつての大津城天守の用材を転用して建てられている可能性が、昭和32年(1957年)に行われた彦根城天守解体修理の際に符号、墨書きが見つかったことを根拠に示されている。これにより大津城の天守は望楼型の4重5階であったと考えられている。

歴史

1586年(天正14年)、豊臣秀吉は坂本城を廃城とし、浅野長政に命じて新たに築城された。その後、増田氏、新庄氏をへて、1595年(文禄4年)に京極高次が城主となり6万石を与えられた。


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