セリフ
中隊本部待機時 | どこに向かいましょうか? わたしはどこでもお供します! |
戦線勝利帰還時 | |
戦線敗北帰還時 | |
戦線転進帰還時 | |
営内選択待機時 | あっ、隊長じゃないですか! わたしに何か用ですかぁ? |
あいさつ | おまたせしましたっ☆ ようやく登場、中型ドイツ戦車の雛型!! 走攻守、一通り全部お役に立ちますよっ!(最初だけは......) |
帰る選択時 | また会いに来てくださいねっ☆ |
警備成功 | ただいま戻りました☆ もちろん勝利です! あ、これ今回の戦利品です わたしが集めてきました |
警備失敗 | |
演習 | 指揮官のために演習をがんばってきました☆ |
指揮値不足 | |
警備任務完了時(成功) | |
警備任務完了時(失敗) |
データ
- 能力値
耐久力 438 対装甲攻撃力 92 対施設攻撃力 58 機動力 34 索敵値 1 ショットトラップ 29 消費燃料 20 消費弾薬 38
史実
III号戦車は、第二次世界大戦のドイツの20トン級中戦車である。当初は生産が非常に少なかったが大戦中盤(1941 - 1942年頃)までドイツ戦車隊の主力であった。
ヒトラー政権下でのドイツ再軍備計画において、対戦車戦闘を行う機甲戦力の中心として計画されたのが本車である。支援戦車である4号戦車とともに運用されることが想定されていた。
特徴は3人が配置される大型砲塔と無線機の全車装備で、これにより高度な連携戦闘を可能にした。
主力戦車として開発されたにもかかわらず生産は遅れ、1937年から1938年末までにA型からD型がそれぞれ少数生産されたのち、トーションバーサスペンションを装備し、3号戦車の標準となったE型がようやく生産されるようになったが、ポーランド戦に参加したのは全部で数十両のみであった。半年後のフランス戦においても依然として十分な数は揃っていなかった。
フランス戦までは37mm砲を搭載していたが、ポーランド戦やフランス戦の戦訓から装甲が強化されるとともに、1940年代半ばより5 cm Kw.K. 38 L/42が装備されるようになる。この頃からようやく数がそろい始め、北アフリカ戦や独ソ戦では数的主力となっていた。
ところがソ連のT-34やKV-1といった戦車に対しては、新たに装備された威力の高い5 cm Kw.K. 39 L/60をもってしても性能的に対抗することが困難である一方、最大限強化されて垂直50mmという装甲は、それらの戦車が装備する76.2mm砲を防ぐには不十分だった。その上設計上の制約からこれ以上強力な砲を搭載することが不可能であったため、主力戦車の座を強化された4号戦車に譲り、さらに後継者たる5号戦車パンターの生産が1943年に始まると、III号戦車の生産は終了した。