Ⅵ号戦車 ティーガーⅠ

Last-modified: 2017-03-17 (金) 10:29:04

Screenshot_20161220-120145.png

セリフ

営内選択待機時

何か用かな?

帰る選択時

また会いに来てくださいねっ☆

あいさつ

はぁーい!ティーガーⅠ型よ。よろしくね!
どんな戦車でもガツンとやっつけちゃうから遠慮なく
頼ってね! 力になるわよ。

警備成功

警備任務無事に終わったわよ!
ただ、私が出撃する必要あったのかしら・・・

警備失敗
演習

いい汗かいたわ! 私さらに強くなれたと思うの。
今度実戦で試してみてよ、ね。

データ

  • 能力値
    耐久力2354
    対装甲攻撃力419
    対施設攻撃力156
    機動力12
    索敵値1
    ショットトラップ18
    消費燃料69
    消費弾薬120
  • スペック
    全長:6.316m(車体)
    全幅:3.705m
    全高:3.00m
    重量:57.0t
    速度:40km/h
    武装:Kw.K.36 88mm戦車砲/L56
       MG34 7.92mm機関銃×2

ゲームにおいて

ドイツ重戦車娘の一人
耐久は断トツの一位(Ⅳ号戦車 D型の4倍強)、攻撃力はイベントで入手可能だったパンターD型に次いで2位と圧倒的な性能を有している(イベントが終了した現在パンターD型の入手手段はない)
その攻撃力は一撃で中戦車に撃破か撃破寸前のダメージ(350~800ほど)を与える。また重戦車固有スキル「追加ダメージ」で攻撃を2回行うこともでき、この攻撃を受けて立っていられるのは同じティーガー戦車などほんの一部の戦車のみである
これだけの攻撃力を中戦車並みの装填速度で敵に撃ちこめるから恐ろしい、さらに命中率も悪くない
圧倒的な耐久と攻撃力で1台いるだけでとても頼もしい
 
時代が進むにつれて生産される戦車が増えていくのがこのゲームだがこの戦車はゲーム開始時から生産可能になっている
よってゲーム開始時からポーランド戦線クリアまでがもっとも生産しやすい。ほしい場合シナリオを進めるのをやめて開発に専念すべきである
生産には膨大な資材と運を要求されるがそれだけの価値のある戦車なので気長に生産しよう、出ないときは出ない
 
運用上の注意点として燃費と足の遅さがある
消費燃料は中戦車2台分以上ととても多い
1マス移動するたびに燃料を消費するこのゲームでは膨大な燃料を消費することになるので警備任務で燃料をしっかり集めよう
圧倒的な性能を有しているが足がとても遅いという問題がある
動かしてみるとわかるがナメクジが這うようなスピードである、引くも進むも一苦労
自分で視界をとるのは困難なので偵察役の軽戦車が撃破されないように動かそう、偵察がやられた場合視界外から一方的に撃たれてしまうかもしれない
 
課金装備は特に必要ない
積むなら安全性を高めるために双眼鏡、命中率を高める改良型照準器が考えられる
 
 
イベント「クンマースドルフ実験場部隊」において敵として登場、今後のイベントでも敵となる可能性はある
足が遅い・視界が1しかないという弱点をつくためにまず敵の偵察をたたくのが一番。偵察撃破後は視界外から撃ちまくろう
 
イベント「クンマースドルフ試験場 砂漠機材試験」にも砂漠仕様で登場、今後のイベントでも敵となるのは間違いないだろう
色が赤い以外性能は変わらないので弱点を突いて倒そう

史実

クリックで表示
  • IV号戦車ティーガーlは第二次世界大戦期のナチス・ドイツで開発された重戦車である。制式名称は何度か変更されており、最終的にはVI号戦車ティーガーE型と呼ばれていた。
  • 1935年、30t級突破戦車として開発が始まった新型戦車は、戦局の推移の中でVK 30.01 (H)、VK 30.01 (P)、VK 36.01 (H)、VK 45.01 (P)など様々な試作車が製作され、規模が拡大していったが、最終的に1942年、VK 36.01 (H)を拡大し、VK 45.01 (P)に搭載されていた砲塔(VK 30.01 (P)のものを拡大した砲塔)を搭載した57tの車両が、VI号戦車E型「ティーガー」として採用された。
  • ティーガーの武装は高射砲から発展した8.8 cm Kw.K. 36 L/56であり、当時の連合軍戦車を遠距離から破壊可能である一方、正面装甲は100mmに達し、連合軍戦車は近接射撃でも容易には貫通できないという、まさに圧倒的なものであった。更に足回りには悪路に強いトーションバーと挟み込み式転輪を採用し、セミオートマチックトランスミッションとハンドル型操向装置を採用するなど、当時のドイツの科学力を結集した戦車だった。
    しかしそれゆえに、その機構は繊細で、無理をするとすぐに故障し、頻繁な整備が必要な為専門の整備中隊が用意される程だった。また最終的に57tに達した重量は運用を制限するとともにパーツの損耗を早めることになった。なによりその約1300両(現存するのは僅か6両)という生産数は、万単位で生産される敵戦車(T-34/76だけでも34,780輌生産されていた)と対峙するにはあまりに少なかった。
  • 前述の通り、ティーガーはもともと突破戦車として開発されたが、戦局の流れは既にドイツ不利に傾いており、1943年夏のツィタデレ作戦が攻勢作戦としてはほとんど唯一のもので、残りは防衛・救援作戦だった。ティーガーを装備する部隊は突破してきた敵を撃退する「火消部隊」の役割を担っていたが、防衛作戦においては機動力がそれほど必要とされないため、ティーガーの装甲と火力が有効に働く結果となった。
    その威風堂々とした佇まいと強力な火力と装甲から、ドイツ陸軍にはティーガー戦車の不敗神話が浸透しており、ティーガー戦車部隊は東西各方面から引っ張りだこで前線に長く滞在していることが多く、ミヒャエル・ヴィットマンやオットー・カリウスなど多くのエースを輩出した。
    彼らの累計撃破数は100両を遥かに超える凄まじいもので、連合国軍を文字通り「恐怖のどん底」に落としいれた。
    これは、「タイガーショック」とも呼ばれ、ティーガーを恐れる余りノイローゼに陥る兵士まで現れた。故に、生産数は少ないながらも世界で最も有名な戦車に数えられている。
    • しかし大戦後半になるとIS-2などティーガーに匹敵する性能を持つ戦車が登場したため、ドイツはさらなる怪物戦車であるVI号戦車B型「ティーガー2」を実戦に投入することになる。
  • ティーガーの改良型としていくつかプランがあり、7.5 cm Kw.K. 42 L/70を装備した砲塔を搭載するプランもあった。これはH2型と呼ばれ、途中からこの型への移行を行う予定で設計が行われたが、結局変更は中止され、従来の8.8 cm Kw.K. 36 L/56を搭載したタイプが最後まで生産された。
    1943年後半には砲塔をそのままに8.8 cm Kw.K. 43 L/71を搭載する改良案が計画され、クルップ社が提供した砲塔を基にヴェクマン社による試作が行われた。しかし完成は遅れ、後継車輌であるティーガーIIに譲る形で廃案となっている。
    防御面では曲面装甲を車体前部に「装着」したいわゆる増加装甲プランがあったが、これは諸々の事情でペーパープランで終っている。
    更に発展型としてF型が計画されたとの事なのだが、これは一切の記録も図面も今現在発見されておらずどういった内容だったのかは一切謎との事。
  • (余談)
    大日本帝国陸軍がティーガー戦車のライセンス生産を考え、実車も購入したのは大変有名だが
    ティーガーはその後契約に基づき10月14日発送、27日にはボルドーに到着、そこで足止めをとなる。
    戦局の悪化から日本へ輸送できなかったティーガーは結局ドイツ軍にそのまま貸与という形が取られ
    後に第101 SS重戦車大隊へ配備されている。

コメント ]