空中遊泳

Last-modified: 2010-01-24 (日) 10:13:51
 

 10月にもなると、北海道は急に涼しくなってきます。特に豊平峡は殆ど山にあるので、家の近辺は夜になると通り越して寒くなっていくものです。
 そんな中で、私は外で散歩するのが結構好きだったりします。この季節は私にとって、一番元気になれる時期だと思っていますね。

 

 目を醒ますと、自分の身体を支えているものが全く無い状態に気がつきました。辺りを見渡すと、見える風景に青空が多く含まれていて、いつもとは違う豊平峡ダムの駐車場が見られます。

 

「これは……」

 

 どうやら、駐車場まで歩いてきてベンチで休憩していたら、いつの間にか眠っていたようです。
 更に、眠っている最中に私のシャボン玉の術がまた暴走したようで、自分の身体を包み込んでしまい、泡はふわふわと宙に浮かんでいます。私の身体もまた、泡の中心で重量を失っていて、自分の長髪が重力の無い空間に広がっています。
 私の術が暴走するのはいつもの事です。妖精さん達の術は、文字通り"遊ぶため"にあるもので、不意に起きる暴走を制御するのは殆ど難しいのです。とはいえ、危険な効果を付け加えることは無いので、安全性は確保できています。ちょっと癖がありますが、慣れると逆に楽しいものですよ。

 

 もう地上から数十メートルは浮かび上がっているのでしょうか、地上が結構遠くなってきています。その代わり、八つ時を過ぎた太陽は黄金色を帯び始め、美しい空模様を映し出しています。そのアングルを特等席で観ることのできるこの能力は、やっぱり人生を楽しくできるものだと実感できます。
 私ははっと気付き、すぐに鞄の中からコンパクトデジタルカメラを取り出し、その風景を撮影します。最近のデジタルカメラも昔とは殆ど変わらないような気はしますが、雅和(まさかず)さん曰く大型モデルに搭載されていた機能や性能が、そのまま実装されているみたいで、かなり進歩しているみたいです。
 撮影し終えたら、すぐさまノートパソコンを開いてメモリーカードをスロットに差し込みます。撮影した写真データを移し、チャットツールで雅和さんにコールを掛けます。

 

『あ、結奈だな』

 

 思ったより早く繋がりました。画面は雅和さんを映し、その右下には小さく私のカメラ映像も一緒に表示されています。

 

「はい、ご注文の写真を撮影しましたよ」
『もうか?早いな』

 

 私は雅和さんに頼まれ、今日は北海道の風景写真撮影をしていました。先ほど撮影した写真は、最後の締めとして撮ったものです。

 

「合計で40枚ぐらい撮っておきました。場所はお話通り豊平峡の近辺で、ダム辺りをメインにしています」
『OKわかった。じゃあ全部送ってくれ』
「圧縮は」
『元データのままで構わん』

 

 私はデータをフォルダごと雅和さんの表示されている画面にドラッグ&ドロップします。別ウィンドウで転送中のダイアログが進行状況を表示し、まだまだ時間がかかることを訴えています。

 

『さっきから気になってるんだが、今どこにいるんだ?』
「え?豊平峡ダムの駐車場ですよ?」
『にしては何か後ろが』
「ああ、今はこうなってます」

 

 私は笑顔で答え、雅和さんに今の状況を見せてあげるために、ノートパソコンの画面上部に付いているカメラを地上へ向けて、今いる位置を教えました。

 

『え、ちょ、何だこれ!?』

 

 同居前に私のことを知っているのは、ルミさん達含む大神達だけなので、雅和さんはまだ私の能力をあまり知らず、本気で驚いてしまいました。

 

『今、空飛んでるのか!?』
「まあ、そういう事になります。ほら」

 

 私はカメラを再び自分に向け、ノートパソコンを少し身体から離し、そこからゆっくり手も離します。パソコンは私と一緒にふわふわ浮かび、まるで宇宙飛行士の映像配信のように手を振ります。

 

『ん……それはもしかして?』
「はい、シャボン玉の中です」
『まさかルミも一緒に』
「いいえ、これは私の持っている能力ですよ。……紅葉さんからは」
『まあルミが好きそうなS.Fを使える、っていうのは聞いてたが、まさか本当にシャボン玉のやつだったとは』

 

 雅和さんの顔が少し硬い半笑いになっています。

 

「私の場合は、ほんの少し想像するだけで生み出されてしまうので、少し癖がありますけど、ルミさんのとあまり変わりませんよ」
『そ、そうか。それで空中遊泳を楽しみながらの写真撮影か』

 
 
 

『ルミを見てていつも思うんだ。無重量状態ってどんな感じなんだ?』

 

 データを送信している最中、雅和さんが私に問いかけてきました。

 

「そうですね……。改めて考えてみると」

 

 人によっては、無重量状態に憧れる方もいます。私も確かに……。

 

「生きている中で、人は様々な制約を受けていると思っていました。この能力を得てからは、その制約の一つが解放されたような、そんな感じです」
『何かルミみたいな事を言うんだな』
「よく似ていると言われますから」

 

 私は笑って返しました。確かに、私とルミさんが出会ってからは、お互いの出来る事を共有し合っていたので、考え方も似てくるのでしょうか。
 しかし、無重量状態の感覚を説明して、と言われてもなかなか難しいものですね。あまり良い言葉が出てこなくて大変です。確かにふわふわ浮かんでいるだけでも楽しいのですが、何かそれだけでは無く、何とも説明し難い不思議な気持ちもこみ上げてくるのです。

 

「具体的に言えば、そうですね……。水の中にいる状態で、抵抗が全く無くなったような」
『うーん……分かりにくいな』
「あ、そうですよ雅和さん。実際に体験すれば早いです!」
『だが三十過ぎた男が今更なぁ』

 

 確かに、ちょっと理性が働きますよね。私はもうお構い無しですが。

 

「私達の間なら大丈夫じゃないですか。恥ずかしくも無いですよ」
『ま、まあ……そうだな』

 

 ルミさんはよく私に話してくれています。「どんな年齢になっても、"好奇心"という人の成長しようとする力は、等しく発揮できる」。私だってもう20代の後半になりますが、この"シャボン玉の魔法"をもっと追求して、より面白い使い方を見つけてみたいと思っています。雅和さんも、未知の体験を得るためなら、何でもやっても良いと思います。まあ、法に触れるのはアブナイですが。

 
 

 丁度データの送信が終わったみたいです。パソコンからデータ移動の終えた効果音が鳴りました。

 

『どれどれ、ちょっと見せてもらうぞ』

 

 雅和さんはファイルを開き、私の見えない画面上で写真のチェックを行っています。

 

『……結奈』
「はい」
『なんつーか……、上手いな』
「あら、お気に召しましたか?」

 

 そこまで気にはしていませんでしたが、オートで撮影するよりも、マニュアルで地道にやるのが楽しいと感じているのかもしれません。無意識の内に調整して撮っていたのでしょうか。

 

『クライアント(依頼主)も気に入りそうだな』
「お仕事用だったんですか?」
『ああ、法人依頼の仕事でな。そこまで多いわけじゃないけど、一応5万は入るぞ』

 

 雅和さんは、依頼でこの仕事を受けていたみたいですね。

 

『いやー助かったよ。俺は紅葉と違って美的センスは薄いもんでな』
「お役に立てて光栄です。が」
『あー、いや、分かってる。そうだな……、今度食事にでも』
「お礼は別にいいですよ、と言いたかったのですが」

 

 先走ってあらぬ事を口走った雅和さんは慌て、私はその様子を見て笑みを零します。

 

『あ、あー、了解した。じゃあ早速クライアントに送ってみる。結奈も遅くならん内にな』
「大丈夫ですよ。遅くなっても、このシャボン玉が守ってくれますから」
『そうか。まあとりあえず、後でな』
「はい」

 

 そう言って、雅和さんはチャットソフトを終了しました。私のパソコンに表示されていた雅和さんの映像が消え、フレンドリストの画面に再び戻りました。

 

「ふう……」

 

 一息つくと、また眠くなってきました。こうふわふわぽかぽかだと、私もシャボン玉になったような気分で、とても気持ち良いです。
 現実的には、しばらく長居していると空気や太陽光など、諸々の問題が起きるものですが、これは一種の"魔法"なので、シャボン玉の中の状態のコントロールぐらい容易いものです。自動で調整できるので、居ようと思えばずーっと中で浮かんでいられます。
 風は全く無く、遠くに流される心配は無いので、しばらくゆっくりしておきますか。
 こう緩やかで優しい時間というのは、今は貴重なひとときですからね。

 
 
 

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