一、出会い

Last-modified: 2008-09-21 (日) 18:12:05

 その日も、その商店街は静まり返っていた。
 出歩く人など、見かければ戦後まもなくパンダを見るような眼で見てもおかしくないほどいなかった。一人の女子高生を除いて。


 女子高生は制服姿のまま、商店街を歩き回っていた。駅前によくある、昔はまあまあ人がここを歩き回り、近所付き合いもあっただろうなあという、憶測しかできない商店街だ。
「んー、やっぱシャッター街だなあ」
と、当然のことを言ってみる。彼女がここに居る理由、そんなもの言ってみれば単純だ。
 ヒマだから。
 誰も来ないから、誰も知らないようなすんばらしく面白いことがあるんじゃないかなあ。そういう淡い希望を抱いて歩いているのだ。
 というのも、彼女は本が好きで、町の図書館によく行くのだ。それで、学校帰りに駅から図書館に行って、帰りに少し曲がるだけでここに来れる。まあついでというわけだ。
 あちこちにある、様々な看板。喫茶店から、布団屋まで。いずれも今となってはシャッターをかたくなに下ろしてしまっているが、かつての面影を淡く残している。正直なところ、数十年前はどれほど賑わっていたのだろうかと考えるだけで、彼女には楽しかった。
 そのとき、彼女は開いている店を見つけた。看板は所々黒ずみ、下地の色だっただろう赤は、既に日に焼けていた。文字なんて形すらなく、看板から得られたのは相当な歴史だけだった。
「……開いてるのかな?」
彼女は意を決して入店する。埃っぽい空気が全身を包んでくる。思わず咳き込みそうになる。
 まず眼に入ってきたのは、あたり一面にある本だった。表紙が読めるものから、表紙自体がないものまである。あたり一面、というのは、本棚もあるにはあるが、入りきらず床に縛って置かれているものが多かったからだ。
 どうやら、古本屋のようだ。
「ごめんくださーい! 誰かいますかー!」
言葉は本に吸い取られた。ハウスダストが声と入れ違いに肺にがばっと入ってきた。思わずむせる。
 眼が薄暗い店内に慣れてくると、奥にある赤茶けた扉に気づいた。奥で店主はヒマな余り寝ているのかもしれない。そう思った彼女は、その扉に手をかけ、開いた。


 ――見事に、彼女の予想は砕かれたが。
 彼女は驚きの余り息を呑んだ。重苦しい、かび臭い空気。
 そこにあったのは、小さな平屋の古本屋の外見からは到底予測できない、虚空がピラミッドの石で閉じ込められたような場所だった。遺跡のようにも思える。暗い中でも眼で見える範囲だけで三十階建てのビル以上の高さがある。その上は、真っ黒で何も分からない。
 そしてその虚空には、光る、私の身丈ほどもある球が無数に浮いて、ゆっくりと漂っていた。
「何、これ……」
 やっと出した言葉は、それだった。しばらく茫然自失していたのだが、いきなり言葉が後ろから刺さってきた。
『ちょっと、おまえ』
 びくっとして、エクソシストのように振り返る。獲って喰われるんじゃないかと思った。でもそこにいたのは……。
 ――鳥だった。
『勝手に入ってもらっちゃ困るんやけどな~?』
「――きゃあああぁぁぁぁぁ!!」
彼女は先ほどの恐怖と驚きが混ざった悲鳴を上げた……。

 鳥は、器用に椅子をがたがた押しながら彼女に勧める。
『ちゅーか、おまえ客かいな? なら、早う言わんかいな』
「とっ……ととと鳥……」
彼女は鳥に指差して鶏のように詰まりながらいう。それに対して、鳥は飢えたカラスのような声で言う。
『トリちゃうわ! 俺はヨタっちゅーねん!
 で、おまえ、名前なんてゆーねん?」
「あ、あたしはサキ……本藤沙紀だけど……。
 どうして鳥が喋ってる……?」
『ト・リ・ちゃ・うっつーてるやろ!』
「じゃあ、――ヨタだっけ――は何?」
『俺は案内人や!
 さっき、おまえが俺に無断で、入った場所のな!』
 ヨタは、「俺に無断で」を強調した。トリの骨格に似合わず、腕組みもとい翼組みをしている。とりあえず、とって喰われはしないだろう。
「あれって……?」
『ん? なんや、おまえ、あそこが何か知らんと入ったんか? アホとちゃうか~?』
「あそこに誰か店の人がいると思って。ヨタ、店の人は?」
『だ~か~ら~俺やっちゅーとるやろ!
 ……もしかしておまえ、俺らの事何も知らんと来たんか?あー、それであんなリアクションしたんか』
「そうだよ~! 誰でもトリが喋ってたら驚くでしょ!
 ていうか、ヨタ、そのいいようじゃ、何か秘密があるんでしょ~? 教えてよ!」
『はあ~? なるたけここのコトは秘密なんや。教えてやるわけないやろ? ん?』
 ヨタはばさばさと飛ぶと、椅子の横に置いてあったサキの鞄の上に止まる。そして、クチバシで器用に鞄を開ける。その中を見て、にっと笑った。比喩ではない。感情が浮くはずのない鳥の顔が、眼が細くなって口元が上がったのだ。サキはというと、今度は悲鳴を上げず不思議そうに、まじまじとヨタを見つめている。
『へぇ~。サキやったな。
 お前、こういう、物語が好きなんか?』
「え、うん。よく読んでるけど?」
『どんな物語や?』
「ファンタジーとか?」
 そう答えると、嬉しそうにヨタは笑い出した。それから飛び立つと、クチバシで器用にもコーヒーメーカーからコーヒーを注いだ。砂糖は? と訊く。ミルクは欲しいけど、と答えると、ティースプーンとミルクが付いてきた。
『ま、飲めや』
 そういわれたが、サキは眼を細めてじろーっとコーヒーを睨みつける。かなり警戒している様子だ。
『なんもけったいなモンは入っとらんわ!』
「いや、トリに言われても説得力無いっすよ……」
かなり芳しい。そして、美味しそう。
『いらんねやったら、返せ!』
「分かったよ~。おいしそうだし……」
意を決して飲んだ。
 やはり。芳醇な香り、ほろ苦さ。
「あ、意外……」
『旨いか?』
「うん、おいしい!」
『良かったわ。
 サキ、おまえ、この時勢にええ心構えやなあ……。うん、まだおってんな、本を真剣に読んでくれるヤツが』
また翼を組む。眼を閉じて、感慨深い様子だ。人間なら、涙していることだろう。
「えぇ? 結構居るんじゃない?」
『おるにはおるけどな、気持ちが違うんや。
 うん、気に入った! 教えたろ、俺らの秘密を。
 おまえやったら結構気に入ると思うで』
 ヨタは話し出した。


 『物語は、第二巻に行くにしろ、短編で終わるにしろ、いつかは終わるやろ? でもな、ホンマは終わらへんねや。ページがそこで尽きても、物語は終わらへん。例え、物語を紡ぐ人間が、登場する人間だけを創って、物語のあらすじを書いただけでも、そこから全ては始まって、終わることの無い世界だけが生まれるんや。その世界の真ん中にあるんが、――サキっていったな――おまえが居るこの世界や。おおかたの物語の世界では知られてへん。でも、この世界だけが唯一「創造者」がいない世界でな、いわゆる現実ってことや。ほかの物語では、【秘境】とか、【エルドラド】とか呼ばれることもあんなあ。
 ま、ここからやったらほかの物語の世界に行けるっちゅうわけや』
「……それ、ホント?」
『おまえ、ファンタジー的なことを受け入れろよな。俺が喋ってる時点で既にファンタジーやろが。ま、それで、さっきの場所を、――ま、世界によってちゃうけど――俺らは【旅の扉】って呼んどる』
「それで、ヨタって……?」
『俺か? 俺は現実世界にぎょうさんある旅の扉ひとつひとつにおる、【扉の守り人】や。ま、物語を好んどるおまえやったら、連れてってやってもええやろ』
「ふーん。面白そうじゃん。……ちょっとうそ臭いけど」
『一度行ったらおまえもそんなこともいえへんようになるやろ。明日は土曜や、明日午前九時是田古本誌店前に集合』
 そういうと、ヨタはふっと宙に掻き消えるようにして居なくなってしまった。そして、目の前の本たち、古ぼけた机、埃をかぶった水道、全てのものが崩れ落ちるように消えていき、サキ自身も気づくと、コーヒーカップを持って空き地の前に突っ立っていたのだった。
 時計を見ると、門限を越えかけていた。