二、旅立ち

Last-modified: 2008-09-21 (日) 18:14:54

 翌日。サキはまたあの古本屋に向かっていた。スカイブルーのパーカーにジーンズという出で立ちだ。
 正直、サキはいまいち実感を持てていない。あの古本屋も、後で何度確認してもただの草がうっそうと生い茂る空き地だった。それが、本性に違いない。でも、昨日見たことも夢とは到底思えない。
 じゃあ、どっちが本当なんだろう?


 あの商店街に着く。しっかりと、唯一シャッターが開いた店がある。夢じゃない。その店に入ると、あの埃臭い、かび臭い匂いが鼻をつく。
『ああ、よう来たな、サキ』
ヘリウムの声。だが、その声の主は昨日のカナリアのような、黄色い鳥ではなかった。
「……犬?」
『ああ、これか? 俺は自分の姿を持ってへんからな。お前らで言う干支の姿を借りとるんや』
 そう茶色い体毛を持つ、柴犬のような犬は言う。ますます混乱する。ヨタって、ナニモノ?
『ほな、行こか。心配せんでも、物語に入ったら今の姿は無効になるさかい』
「無効って……」
ヨタは四本足で軽々と本の山を避け、奥の扉に進んでいく。サキはというと、けっつまづいたりしながら、ゆっくりと扉に進んでいく。
 サキが後ろに来たのを見ると、ヨタは後ろ足だけで立ち、前足で器用にドアノブを回して扉を開けた。
 そこには、前に見たのと同じ、入るものを圧迫死させるような巨大な遺跡があった。シャボン玉のようなモノが浮いて漂っている。あれが、あのひとつひとつが【物語】なのだ。
『んー、どれにするんや? 物語は星の数ほどあるからな。
 ま、適当でええやろ。じゃ、やっぱ【エピック】やな』
「えぴっく?」
『行ったら分かるわ。えーっと……あ、あれなんか手ごろやな。サキ、付いて来いや!』
 そういうと、柴犬は駆け出して、下のほうに漂ってきたシャボン玉に頭から突っ込んだ。それを慌ててサキも追う。
「……ちょっと、待ってよ!」
 ためらいながら助走を付け、飛び上がる。その後は、吸い込まれるように重力を感じなくなり、やがて、目の前が光に覆われた。



 どこか遠くから、鳥のさえずりが聞こえる。眩しい。
 眼を開けてみた。あたり一面の青空。小鳥が飛び交う。
 上半身を起こすと、手が草に触れているのが分かった。どうやら、自分のいるところは緑が多いらしい。振り返ると木々が立ち並んでいるのが見える。立ち上がる。
 それで始めて、自分が横たわっていたのが森のふもとの草原だったのが分かった。どこを見ても草原で、機械的なものは全く見えない。自分のいた世界からすれば、楽園といっても間違いじゃないだろう。
『気に入ったか?』
「きゃあっ!」
 いきなり後ろから甲高い、でも声の癖が男のような、中性的な声が飛んできた。驚いて振り向くと、灰色の毛に覆われた犬のようなものが頭を振っていた。
 ――オオカミだ!
「わ、わたしを食べても……おい、おいしくないよ……」
『アホ抜かせ! 俺や俺! ヨタ! ゆぅぉ~とぅた!』
「へ……?」
確かに、目つきはギラギラとしてオオカミそのものだったが、口元は不自然にニヤニヤしていて、ヨタの面影を残していた。ふぅっと、ため息をつく。
「おどかせないでよ……。ていうか、本当に別世界みたいだね。疑ってたよ、あはは。で……。
 なんでオオカミになってるの?
 耳の先に飾りみたいなのが付いてるし、おでこに変なマークみたいなのが付いてるよ?」
『ああ、これか? このエピックの法則に従ったら、俺はどうやら【魔法生命体】の役割を押し付けられたみたいや。あんま普段と変わらんけどな。
 てか、そういうサキもえらい女らしくなったなあ』
 女、らしく?
「って何コレ!? ちょっと、ヤダ、こんな格好……」
 色が最初着ていたパーカーに近かったこともあって、気づかなかった。サキの服装はフードのあるローブになっていた。丈が長く、足のくるぶしまで隠れてしまう。素足に短いブーツのようなものを履いていて、腕輪をしていた。髪のポニーテールはほどかれていた。ローブの胸元には鳥か何かをかたどった様な紋章が描かれていた。
『嫌がってもしゃあない。それがこの物語でフツーの格好なんやろ。それと、たぶんその荷物もお前のやろ?』
「え? うん。……え? なんで、私のなんだろ?」
『俺らは物語の登場人物の一人としてこの世界に潜り込んだんや。何かは決められへんが、俺らは役割を持ってこの物語におる』
 大き目の鞄を拾い上げる。ベージュの地味なもので、中には、一冊の変なのたくった文字で書かれた本と、櫛や皮で作った水を入れる袋、少しの共通通貨など、おおよそ本以外は旅に必要なものだった。全てに記憶がある。
 登場人物として与えられた記憶は次の目的地を指し示す。
「……次は、ハウリルの町に行かなきゃ」
『お、溶けこんどるやんけ。そやそや。俺はお前の付き人や。ま、今後ともよろしゅーな』
 そのときだった。不意に森の木々の間から何かが飛び出した。とっさに後ろに跳ねて避ける。棍棒を持った……。
「……魔物!」
 耳が細長く尖っている。緑色の皮膚を持っていて、ゲームでみるようなまんまゴブリンだ。でもサキには鞄や本でブン殴るぐらいしか手立てがないし、相手は五匹以上いる。と、オオカミのような唸り声を上げながら、ヨタは吠えた。それからぶつぶつと二言三言呪文のようなことを言った。
『ちっ、女の一人旅には危険は付き物や!
 氷よ、刃に姿を遷さん!』
 オオカミの牙の真ん前に、丸の中に三角形が描かれたような模様が現れる。光っていて、よく見ると細かい模様だ。と、そう思ったのも瞬間、そこからガラスのような鋭利なモノがすごい速さでゴブリンに向かって飛んでいく。サキの頭の半分はありそうだった。
 だが、軽々と棍棒で弾かれ、相手の怒りを燃え上がらせるだけだった。砕けた破片は、澄んだ音を発して消える。
『くそったれ! 俺の魔法じゃ歯が立たへん!』
 私に魔法が使えれば……。サキはそう強く思った。
 今は、これが『現実』なのだ。ここで殺されてしまっては……。私の物語の役割は、ここで死んでしまうことなの?囲まれてしまった。じりじりとヨタと背中合わせになる。
 諦めかけたそのときだった。
 突然、樹の上から人影が降ってきた。
 人影が持っていたのは、剣だったのだろうか。魔物から青い血が吹き出る。飛び降りるとき、斬ったのだ。そのまま、ひるむ魔物を斬りつける。二匹が倒れた。
 その人が着ていたのは、赤い衣だった。
「エクサ! 力を貸せ!
 邪なる心を持つ者よ、浄化の火に滅せ!【炎華】!」
サキの横に立ったその人を中心として、真っ赤な火が一気に上がる。だが、その火は決して熱くはなかった。苦しんでいるのは魔物だけだった。
 火が消えた後には、魔物の姿はなく、足元の草も焦げたりしていなかった。


「大丈夫か?」
 剣を肩に担ぎ、青年は言う。年はサキとそう変わらないだろう。金髪に近い、色の濃い茶髪はツンツンに逆立っている。赤い上着と青いだぼだぼのズボンはくすんだ様な色をして、草木染なのだと語る。端正だが、どこかあどけなく、悪戯好きそうな印象を与える。
「う、うん……君は?」
「俺はどうってことはないよ。気ィつけろよ」
サキは、青年に「君は(なんていうの)?」という意味で言ったのだが、青年は「君は(大丈夫)?」と取ったらしい。まあ、無理もないが。それをヨタは感じ取ったらしい。
『いやー、すまんかったな。お前、名前は何ていうんや?』
「俺か? 俺の名前はアーク、アーク=クロッサーさ。
 ていうか、お前、【魔生物】か?」
『ああ。俺はゼタ。お前さんも、連れてるみたいやな』
それを聞くと、アークと名乗った青年はふっ、と軽く笑った。胸元のポケットから小さな動物がでてきて、アークの肩にちょこんと座った。見た目はリスのようだが、手袋のように金具をはめている。背中にはヨタと同じ、円に樹をかたどったような模様がある。そして、もごもごと喋った。
『流石ですね。やはり、仲間の目は誤魔化せませんか』
「うわ~、かわいい!」
どうやら『マセイブツ』とは【魔法生命体】の略称らしい。
「こいつは俺の相棒さ、名前はエクサ」
 サキの中には、物語の登場人物としての記憶がある。
 魔法生命体。魔法で創られた生き物を模したモノ。マジクリーチャーともいう。この世界ではそう珍しいものではない。大概、ひとつの町にひとりやふたりは連れている人がいる。
 アークはくるくると格好付けるように剣を回し、背中に背負った鞘に慣れた手付で収めた。それから、こう言った。
「そういえば、お前、名前は?」
さらりというが……。
「えっとぉ……」
 ヨタが目配せする。そうなのだ。自分は『サキ』でも、物語の中では、登場人物としての名前があるのだ。現に、ヨタは既に『ゼタ』と名乗っている。
 ――そうするしか、ないか。
「私はイミナ。イミナ=フォミールっていうの」
「そっか。で、イミナ、何で魔法使わなかったんだ?」
 ちょっと、ムッとした。使い方が分からないから、困ってたのに。
『若しかして、貴方達、まだ【契約】を結んでいないのですか? ゼタさんにも悪いですよ』
「けーやく?」
「何だお前、知らなかったのか?」
 また、イラッとした。イミナはまだ旅に出て三月にもならない。故郷は辺境の村であった為、カルチャーショックも多かった、はずだ。
「はあぁ。よくそれでこんな山の中歩いてられるな。ゼタもさ、今までよく生きてたな」
『何、大丈夫や。ちょっと俺は例外でな』
『そうなんですか。どうでしょう? イミナさんも道中色々大変でしょう。【契約】を結んでおいては?』
 ゼタはイミナを見て、にやっと笑った。
『そやな。まあ、しとこか』
「ちょっと待ってよ、【契約】って、何?」
慌ててイミナは問いただす。自分だけ置いてけぼりでは、あんまりだ。
『すみません。契約と云うのはですね、私たち魔生物と人間との間で結ぶものです。その内容は、私たちが魔力を提供して魔法が使えるようになる代わりに、人間は命の力を少しだけ分けてあげると云う物です。
 通常、マジクリーチャーは契約を結んで命を分けて貰わないと幾許も生きる事が出来ません』
「ああ、それで! じゃあさ、ゼタ、早く契約を結んで! 
 って、命を分けるって……寿命が縮まるってコト!?」
「それは大丈夫だぜ。実際、俺は九つからエクサと契約してるしな。なあに、一晩寝りゃ元通りさ」
 そうアークは肩を上げる。ゼタは後ろ足で首元を描いている。
『じゃ、契約を結ぼか、イミナ』
「う、うん……」
 手ェだせや。言われるがままに手を水平に差し出す。
 突如として、ゼタは牙を剥き、その手に噛み付いた。
 イミナから声にもならない声が漏れ、顔は驚きだけに支配されていた。手からはだらだらと血が垂れる。逃げようにも、大きな力で噛み付かれ、手が動かない。
 激痛とは、こんなものじゃないだろうが、今のイミナからすれば十分激痛だった。牙は手を貫通しているようだ。
 数秒だったのだろうが、数時間に思えた。ゼタは手を離した。思わずイミナはもう片方の手で血だらけの手をかばう。顔は苦痛に歪む。
 アークとエクサは、無表情に光景を見つめている。
『手ェ戻すな! 差し出しとくんや!!』
 耐えた。差し出した手は真っ赤に染まり、ぽたりぽたりと真紅の雫が落ちてゆく。ゼタは不愉快そうな表情で口に染み付いた血を舐め取った。
 不思議な光景だった。
 少女の手から滴る血の雫が、徐々に草原に光る模様を描いていく。薄紅色の光が強くなっていっては、辺りが暗くなる。既に日が沈んだ後のようだ。
 足元の模様はゼタやエクサに描かれている模様になった。それから、光は真っ赤な稲妻となって周りにほとばしる。
『汝、我を永久なる友、永久なる四肢として求むるか。
 汝、我に生命を捧げんとするか。
 さすれば、我、汝に生命を託し、力を託さん』
 ゼタは訛りのあるイントネーションで言った。古めかしく、意味を汲み取ることが難しかったが、何と答えるべきかくらいは察することが出来た。
「……は、はい」
 声は弱弱しい。痛みで意識が遠のいていく。だが。目の前の光景は嫌でも脳裏にこびり付いた。
 足元の魔方陣は一瞬にして砕け散り、その破片はイミナの手に集まっていったのだ。その後には、手にあった噛み傷は全く残されていなかった。代わりに手の甲にあるのは、ゼタたちの方陣をリメイクしたような模様だった。
「……あれ? 痛く……ない?」
「よく頑張ったな、イミナ。女の子には少々苦だったか?」
そのアークの言葉は、気遣ってくれているのだろうか。どうであれ、イミナには反感しか沸かなかった。
「別に……」
『これで契約の儀は終わりや。あー、血ィ飲んでもーた』
『早速魔法を使ってみては如何ですか? 気持ちを集中させて、ゼタさんから力を借りるんです』
「ど、どうやって?」
まだ、そこまで分からない。
『祝詞を唱えるんや。後は考えたとおりになるさかい。
 最初は……ん、【水蓮】くらいでええか、「水よ、地より華を咲かせ」っていうんやぞ』
「最後に魔法の名前、付けたほうがいいの?」
「それ、俺のことか?」
 アークさんはカッコつけですからね、そうアークに向かって肩に乗っているリスは答える。アークはじろりと睨み付けた。
 イミナは、じゃ、付けなくていいんだね、というと息を整え、唱えた。
「水よ、地より華を咲かせ!」


 ざっぱあ。


 何も考えず正面に魔法を放ったところ、目の前に居たアークとその肩に乗ったエクサは、したたかに頭から水を被る羽目になった。
 アークは腰に手を当てた体制のままフリーズした。それにつられた訳ではないが、イミナとゼタも凍りついた。やっと口火を切ったのは、エクサだった。
『ま、まあ水は出ましたね、イミナさん……』
「ていうか、失敗してんじゃねえか」
そういってから、やっとアークは頭をぶんぶん振って雫をきった。それから赤い羽織を脱いで絞った。
「ご、ごめん……」
『あー、確かに失敗やな。【水蓮】っちゅう魔法は、下から水が沸いて宙に浮かせて叩き付ける魔法や。
 ま、最初にしちゃ上出来やな』
 んー、やっぱ最初からはムリか。
 エクサはふるふると身を振るって雫を弾き飛ばした。アークはというと、上着をばっとはたき、諦めたように腕の部分を腰に結びつけた。
「んで、お前ら旅してるんだろ?
 これからどこへ行くんだ?」
「ハウリルの町だけど?」
 そう聞くと、アークは複雑そうな顔をした。
「へえ、そりゃ奇遇だな。俺らも今から向かおうとしてたところだ。んー、付いてって欲しいか?」
「なっ……」
確かに助けてもらったとはいえ、初対面の人間に?
「……別にいらないよ。ゼタも付いてるし、私だってもう魔法を使える」
「あんな水遊びみたいなものでか?
 ここらの魔物は氷に耐性がある。果たしてその犬っころが役に立つかな? ま、俺らには関係ねぇけどな。
 エクサ、行くぞ」
『了解しました』
 ひょいとエクサはアークの肩に乗ると、こちらにぺこりと一礼してアークの髪の森に収まった。それから、アークは肩越しに手を振りながら去っていった。


「何アイツ! 私たちも行くよ、ゼタ!」
『とは言ってもや、あいつの言ってることも正しいで』
「え、もしかしてゼタ、氷以外の魔法使えないの!?」
『ああ、言ってなかったか? 俺らと人間は生まれながらに使える魔法の種類が決まってるんや。
 俺は氷、お前は水って感じや。
 当然、俺らはかんなり不利やっちゅうわけや』
 ……マジ?
 イミナはさーっと目の前が暗くなっていくのが分かった。意地を張っている場合じゃなかったかも……。
 今、出来る事はただひとつ。
「……ゼタ、私が背中に乗っても走れる?」
『結構キツイなあ……ていうか何キロや?』
『女の子にいうセリフ?』
 そう言いながらも、イミナはゼタの背中に跨った。自分の膝より少し高いくらいのゼタは、うっ、と呻いた。
『ちょっと……キツイで、イミナ』
「それでも魔生物? が・ん・ば・れ!」
 仕方なさそうにゼタは勢い良く走り出した。


 すぽーん。


 跨られていたゼタはすっぽ抜けてしまい、反動でイミナは派手に後ろにすっ転んだ。草まみれになりながら上体を起こすと、ゼタは彼方を駆けていた。慌てて後を追ってイミナは走り出す。ローブは走るのに向いていないのだなあ、と今更ながら思った。
「ちょっとー! ゼタ、待ってよー!!」
『そうやって走ってたら俺に乗れるくらいになるやろ!』
「冗談いうなー!!」