序章

Last-modified: 2008-09-21 (日) 15:24:29

 夏真っ盛りの日だった。
 その中、昼過ぎにもかかわらず制服姿で、住宅の間の格子路を行く青年がいた。
 年は十代後半……高校生といったところか。
 きれいに整った髪をしていて、暑さにあてられた眼をしている。俗に言う、死んだ魚の眼。
 そして、そのまま高校の門をくぐる。部活か何からしい。
 校庭では、独特な奇声に近い号令をかけながらダッシュしていたり、ショートへわざと捕りやすくしているかのように打ち上げたが、一応全力疾走していたり。


 先ほどの高校生は、西側の校舎の階段を昇っていた。多くの人間がそこを使うらしく各階の窓は全開になっていた。
 と、その中のひとつの教室から女子が飛び出した。
「あ、厳原先輩! もーぅ、部長がいなくてどうするんですか! 副部長、愚痴りながら頑張ってるんですよ!」
「悪い悪い。ってか、レオンがか? まさか!」
と、厳原と呼ばれた青年は軽くあしらう。そして、そのまま少女を脇に避けて中に入る。その部屋には「多目的教室D」とプレートが掲げてある。青年は、驚きと感心そうな表情が入り混じった笑みを浮かべる。
「……雪が降るな、こりゃ」
声を聞き、中にいた地味そうな眼鏡の青年は立ち上がる。そのほかには誰もおらず、中はヘンに広々している。
「っミナト! 俺だってしたかないよ! ったく、今日中に文化祭で何するかまとめて提出しないといけないって聞いてなかったの?」
「聞いてたけど、徹夜明けで寝不足で幻覚という夢が見える能力に覚醒した俺に目覚ましが御慈悲を下さったのさ」
そう悪びれずに言う。
「文芸部風に言えばカッコイイとか思ってるのかもしれないけど、目覚まし壊すの何台目だよ?」
 華麗にツッコミを入れるそのふたりはいいコンビだ。
 覚醒剤やってるかもしれないワタクシ文芸部部長は厳原湊、長い付き合いでサポートによくまわるサボり癖の強い、眼鏡からビームを撃てるかもしれない文芸部副部長は新岡玲音。これは今年の文芸部の紹介内容だ。
 この高校の文芸部は、部員五人、部室なしの肩身の狭い部活だ。創られたのは開校当初からだが、一度として部員数が二桁の大台に乗ったことがない、とは顧問の弁だ。
「でさ、今本藤さんと案出し合ってたんだけど……ミナトは何かある?」
「……別にさ、もともとマイナーアンドマイノリティの通称ダブルエムの部活なんだからさ、例年通り作文リレーでよくね?」
 そう部長は荷物を降ろしながら言う。
「でも、何か変わったこともしてみたいんですよ」
これは今部長の後ろにくっついてきた、今年ひとりだった侵入、もとい新入部員の本藤沙紀の言葉だ。その眼は意志の強そうな光を放っている。
「たとえば?」
「それはないですけど……」
困ったように言葉を濁らせる。
「ま、一回はやってみろよ、な? 面白いんだから」
「特に樋口先輩がいるからね」
樋口とは三年生の部員だ。日頃あまり目立たず、書くものも日常の情景を書き綴ったものと大人しい先輩。だが、こういう祭りっぽいことでもうひとりの樋口先輩が覚醒し、暴走するという悪いクセがある。
「去年はヤバかったぞ~。いや、別にあっち的なわけじゃなかったんだけどな……」
「レオン、流すぞ」
「わっ、テメー一年の前でそれは止めろ!」
そう新岡は椅子をひっくり返しながら厳原のケータイをひったくろうとする。だが、それをのらりくらりと避けながら厳原は決定ボタンを押す。
『ワタクシ、新岡レオンは、生物園芸部のカボチャに、全裸で、猫耳をつけて、五十パーセントの愛の告白を、荷電粒子砲に跨って、ギャリック砲を放ちながら、キン肉バスター風に、煮込みますっ!』
わけの分からない文章が朗々とあたりに響いた。
「はははははっ!! 樋口先輩サイコー!!」
新岡は壁の方を向いてもたれかかったあと、ずり落ちて行った。
 作文リレーとは、文芸部員を筆頭に主語、動詞、修飾語とかかれた抽選ボックスの中の短冊に書かれた文章を順にとり、繋げて校庭に向けマイクでシャウトするという単純明快な出し物だ。それゆえ単純に笑えるが、他のクラス別や部活別の出し物に比べ、パッとしない。
 「あー、おかし」と、厳原の笑いが収まったころには、新岡は完全に沈没していた。
「……半分以上分かんないんですけど」
「それはよかった」
いきなりシャキッと副部長は立ち上がる。
「ま、分かる人は分かるし、分からない人は分からない。そういうもんだって。いいじゃん、それで」
「……そうですか?」
「そうですかって、本藤さん否定しないね。これ、本藤さんも読むんだよ? 部員全体で読んでから一般がやるんだから」
「マジですか!」
「マジですよ!」
 人をからかうような口調は、厳原の特徴の一つだ。
「試しにさ、去年のが残ってると思うからやってみようよ。えっと、ミナト? 文化倉庫にあるよな?」
「あると思うぞ。例年箱は補修しつつ使ってるんだから」
部長は立ち上がる。ついで新入部員、やっと立ち上がったのは副部長だった。

 三人は今いた校舎を出て、日の当たらない校舎の北側に向かった。そこには、一際大きな木造の建物があった。二年生の二人によると、これが文化倉庫らしい。
「これ、ほら、ここに書いてある。ホントは第三倉庫っていうんだけどさ、ここには文化祭の残り資材しか入ってないから文化倉庫っていうんだよ」
そうレオン先輩は説明する。
「っていうか、鍵ねぇじゃん」
「ててててってってってー」
副部長は某有名RPGの効果音を真似ながら、ポケットから何かを取り出すと、部長の目の前でチャラチャラいわせた。古ぼけた南京錠の鍵、タグには『第三』と書かれている。
「……雪どころじゃなく、綿飴でも降ってくるんじゃないか?」
厳原はレオンの持っている鍵をふんだくった。
「それは嬉しいねぇ。俺好きだぞ」
 荒々しくボロい南京錠を下ろすと、厳原はガタガタ音を立たせながら立て付けの悪い引き戸を開ける。
 目の前に開かれた世界は、とても陰気だった。当たり前だが、かなり眠っていたように見える。それも昭和初期辺りくらいから。鍵をくるくる回しながら先頭を行く、先輩の足元から埃が舞い上がる。
 乱雑に創られたペットボトルのタワーや、『青松高校文化祭』と書かれたベニヤ板の看板。ビニールテープを包帯のようにぐるぐる巻きにされ、猫の形をさせられた何か。その他にも、数えればキリのない数の物が置かれている。
「うっわ。水泳部、乱雑」
部長が手に持っているのは、何故かビート版。
「多分、リレーで使って面倒だから突っ込んじゃったんだろうね」
「ま、他の部活気遣うよりも、自分の事だ。自分が皆可愛いのよ~」
 わけの分からない歌を謡いながら、部長は近くのガレキの山から中段を引っこ抜く。当然、万有引力に従い山は丘となった。部長は無言で引っこ抜いた『液体窒素の実験』と書かれた看板をその上に置き、奥に足を踏み入れる。
 急に明るくなる。副部長が電気をつけたのだろう。だが、さすがに裸電球ひとつでは心許ない。
「いろいろ、あるんですね~」
実際、電球の明かりで陰になっていたものが見え出した。ここ数年分のものが山となっている。
「四年に一回、オリンピックと共に三年生が片付けるんだって。次は君たち一年生の番だからよろしくね」
「もっとも、逆に今の一年が貧乏くじともいえるけどね」
ついてない~、そう一年生は愚痴る。
「お、あったあった」
 部長は手に持った立方体の箱を掲げる。頭ほどの大きさがあるそれには、『主語』とデカデカと書かれている。続いて奥に救援に駆けつけた副部長も『修飾語』箱をとりあげる。それはふたまわりほど大きかった。
 本藤は床に散らばっているモノを避けながら先輩の下までたどり着くと、『動詞』箱を抱えた。
「こんなカビ臭いところ、さっさと出ましょうよ」

 荷物を抱えて校舎の階段を登り、多目的室に帰り着く。
「っさて、やってみますか!」
部長はダンボールに紙を貼っただけの箱に次々手を突っ込み、横幅数ミリの短冊を手にとっていく。
「……我輩厳原ミナトは、壮絶なる死を遂げた、書道部の室谷先生を、パラパラを踊りながら、イバラの冠を装着して、身だしなみを整えつつ、昇竜拳を交えながら、東京地裁に送検します。
 イマイチ、パッとしないな」
不服そうな顔をする。それを見て、副部長もそれをやる。
「どれどれ?
 ……麻薬の売人厳原ミナトは、皆の人気者、膝上十五センチのフリフリミニスカートのメガネっ子を、全裸で、四の字固めしながら、ボッコボコに殴打して、グチグチと言葉攻めしながら、頂きます」
「俺完全なる変態じゃん!!」
「完全なるコンボだな」
「因果応報じゃないですか?」
部長はツッコミを入れたものの、慣れているのか身振りのリアクションはしなかった。
「ま、本藤もやってみろよ」
そう部長に言われ、見よう見まねで短冊を箱から取り出す。厳原はその背後で、新岡が先ほどの短冊をそのまま文芸部日誌に貼り付けていることに気づいていなかった。
「えーと……化学室のフラスコとピペットのコンビは、恐竜から世界の支配権を奪った、麻薬の売人厳原ミナトを、校舎中を追い掛け回して、果物ナイフを持ちながら、波動砲を放ち、頂きます」
「また俺? 今度は三Pだし」
「……頂きますとか、部長の名前とか、部分部分レパートリー少なくないですか?」
「あ、それ意図的だよ。今年は本藤さんも入るから、気をつけてね」
さらりという。どうやって気をつけるんですか。
「やっぱ、これでいいじゃん。な?」
「……まあ、いいですか」
「じゃ、提出すっか」
そういって副部長は藁半紙を手渡す。受け取った部長は、自分でやれよ、といいながらも眼が笑っている。判で押されている『文芸部』の下に自分の名前を書き、その横に『作文リレー』と書く。
「説明は?」
「文芸部が誇るバックナンバーの(余りの)微塵切りを繋げ、異世界を作ろう!」
「採用」
なんとも適当だ。

 結果として、厳原は一時間と経たず校門を出ていた。コンビのレオンは道が違う。どういう因縁か新入生と同じ道を帰っていた。その横にため息がぽとり。
「どうした? 本藤」
「これで、あとの夏休みはやることなくなったなぁって」
別に友達が少ないわけじゃないし、宿題が全部終わったわけでもない。でも、やることが見つからない。そう彼女は語った。それを厳原は真剣と言うわけでもなく、ぼーっと前だけを見て聞いていた。
「厳原先輩は、こういうことないんですか?」
「ああ、よくあるね」
「そういう時、先輩はどうするんですか?」
んー。厳原は頭の後ろを掻いた。考えごとをするときの彼のしぐさだ。しばらく、間をおく。五歩ほど歩いてから答えが返ってくる。
「そだな、商店街回ってみたりするな。シャッター街、最近多いけど、たま~にちっさい玩具屋とか喫茶店がある」
彼女は首を傾げる。
「面白いですか?」
「何、出会いを求めてさえばいいんだよ。……ってそういう意味じゃないぞ? 暇つぶしができるって意味だ」
 首だけ横に向けて言った。そのせいで、本藤は厳原と眼があった。どうということはない。ただ感じるのは、口癖とかもっとクセがなくて、性格が違ったらいいのにな、ということだ。つまり、中々端正な顔をしているのだ。
「ふーん」
それだけ答えておいた。あとは駅までずっと無言だろう。今までもそうだったのだから。
 時刻も昼を少々過ぎた程度。当然日も高い。部長は時折あぢーっ、とか呟いている。
 まだまだ元気なクマゼミが、辺りに声を満たさせていた。