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Last-modified: 2014-02-04 (火) 10:11:51

「さてこれから忙しくなるぞ。この地は上り調子だ。ますます財を築く機会というものよ」
ヴェルトマーのアルヴィスがグランベルの大名となって以来、商業の保護や街道の整備が進められグランベルの国内は好景気に沸き立っていた。
宿敵アグストリアとの合戦も有利に進めており両三年中にはアグストリアを屈服させるだろうとの見通しが広まると各地から仕官を求める野武士が集まり始めたのだ。
勝ちに乗っている者のところには人が集まるものである。
イザーク屋の亭主シャナンはそろばんをはじきながら笑みを零していた。
最近は料亭のみならず旅籠もはじめてみたがこれがなかなか好調だ。アルヴィスに仕えようと望んで集まる者たち相手に大いに稼ぐことができる。
人の集まる場所で商売をするというのは商売の基本だがさらにセリスという金の成る木が大いに人を集めてくれる。
この十数年で築いた富はそこらの家老や城代にも匹敵するであろう。
もはや一生遊んで暮らす事ができるだろうが人間の欲とは際限が無いもので、さらに多くを望む心がシャナンと名乗るこの男の中に芽生えていた。
「惜しいものよ…セリスさえ真に女子であったなればアルヴィス様の側室に入れることもできように」
あれほどの美貌に育った我が娘だ。
大名とて心を動かされるだろうに…となれば富も権力も思いのままなのではあるが……

さて…シャナンの元で蝶よ華よと育てられた芸伎のセリスは今宵も馴染みの客に酌をしていた。
今宵の客はグランベルに仕える武将の一人レイドリックである。
「おお愛い奴愛い奴…ささ、もそっと近うよれ近うよれ」
「お戯れをレイドリック様…」
セリスはこの客があまり好きではなかった。
厭らしい目付きの貧相な男でありなにかと言ってはセリスの身に触れてくる。
このような者の相手をしているとどうしても様々な事が思い出されるのだ。
子供のころの微かな記憶の中のシャナンは強く雄雄しい剣客だった…
生活のためとはいえ自分にこのような男の接待をさせるような男ではなかった…ように思う。
そして三年前に旅立ったあの若武者……
セリスに求婚する者は後を絶たないがあれほど真摯に自分を想ってくれた者はいなかった。
ユリウスは無事息災であろうか………
セリスが心楽しまぬ日々を送っていたとある一日―――――

セリスはどうにかシャナンに許しを貰って街を散策していた。
時には外に繰り出さないと息がつまる。
とはいえグランベルの城下でも有名人のセリスの事。
目立たぬように編み笠で顔を隠し着物も地味なものに変えている。
その甲斐あってか衆目に気付かれる事もなく久方ぶりに街を歩く事ができた。
「…街に出るたびに人が増えていくわ…」
向かいでは新しい建物が普請されている。街に出るたびにこの城下が発展している事が感じ取れる。
先代のクルトはアルヴィスに跡目を譲って楽隠居を決め込み、
アルヴィスの元でグランベルは北国の覇権を完成させようとしている事は市井の人々の目にもはっきりと感じ取れた。
彼かゼフィールのどちらかが天下人となると噂されるのも無理からぬ事である。

息の詰まりそうな日々のささやかな外出を終え、菓子屋で好きな煎餅を買い求めるとセリスは道を引き返し始めた。
久々の外出につい遠出をしてしまったが気がつくと日が沈み始めている。
「いけない。門限に遅れてしまうわ」
シャナンはセリスを心配してか帰りが遅くなる事を好まないしそれに娘の夜歩きは危険だ。
セリスは近道を通ろうと裏路地に踏み込んだ。
だがそれがいけなかった………
しばし人気の無い裏路地を進んでいると幾人か柄の悪い男どもがたむろっているのを目にした。
人が集まるという事はよからぬ者も増えるということだ。
関わるまいと来た道を引き返そうとするとそちらからも二人の男が道をふさぐように現れた。
彼らは下卑た笑みを浮かべてセリスの体つきを眺めている。
「あ…あの…通してくださいな…」
「そうつれない事をいうなよ姉ちゃん…ちっと俺らと遊んでいってくれや」
ならずものたちの首領格のガンドルフという男がセリスの華奢な細腕を強引に掴んで引き寄せた。
抗おうとはするのだが娘として芸事のみしか教わってこなかったか弱い腕ではどうにもならない。
しかもその拍子に編み笠が地に落ちて――――――

男たちはセリスの可憐にして見目麗しい素顔に息を呑み一瞬我を忘れた。
彼らはこれほど美しい娘をかつて見た事がなかった。
「た…たまんねぇな…」
「お、親分っおれはぁもう涎がでそうで…!」
「ば、馬鹿野郎ゲラルド!もの欲しそうな顔をするんじゃねえや!まずは頭からだろうが!」
血走った獣のような目をしたガンドルフはセリスを強引に組み伏せていく。
このようなところで野獣のような男どもに貞操を散らされてしまうのだろうか?
セリスの声は悲鳴すら鈴の音のように可憐に響く。
「お、大人しくしろや…そうすりゃ優しく可愛がってやるぜ?」
厭らしい笑みを浮かべてガンドルフがセリスの着物に手をかけた瞬間…
手下の悲鳴が響き渡った…
「な、なんだいいところで!!!」
怒声をあげたガンドルフが振り返って目にしたものは地に倒れ付した子分どもと長髪を靡かせて立つ一人の浪人者であった。
「全国津々浦々を旅して回ってきたが…どこにも貴様のような下衆はいるものだ」
男は研ぎ澄まされた太刀を構える。
喚き声をあげて襲い掛かるガンドルフは瞬く間にみね打ちを受けて意識を失った。
その太刀捌きはまさしく流星を撒き散らしたかのように流麗であった。
「大丈夫か娘?これに懲りたら女の一人歩きは控える事だな」

セリスは声も出ない。それはそうだろう。
目の前にいる男は自分の義父なのだから…だが…何かが違う。
いつもの義父と違い眼光は自信に満ち溢れて鋭く立ち振る舞いは燐としている。
「義父…様?」
ぽつりと漏れたその言葉に男は不可思議そうに瞳を瞬きした。
「…人違いではないか?私に娘はおらん。私はそんなにそなたの父上に似ていたのかな?」
その剣客は長い黒髪を指ですくとセリスの手を取り立ち上がらせた。
「さあ早く家に帰るがよい」
それを言い残して踵を返す剣客の背をセリスは呆然と見送っていた……

イザーク屋からセリスが行方を眩ませたのはそれからすぐの事であった。
星だけが彼女…いや、彼の行方を知っていた………

次回

侍エムブレム戦国伝 死闘編

~ シグルドの章 敗残者たち ~