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Last-modified: 2018-08-17 (金) 23:27:24

※兄弟は結婚していません
 でもエリンシアとティバーンはラブラブです
 シグルドお断り

 

「お姉さま、はいどうぞ」
そう言ってエリンシアが差し出したのは紅色の浴衣だった。
「そういえばもう夏祭りの時期なのね……」
毎年この時期には白夜神社で夏祭りが開催されている。
その日だけは誰もが悩みも戦いも忘れて、みな等しく踊り、はしゃぎ、愉しんでいる。
引退して久しいが、ミカヤは毎年巫女として神社に舞を奉納していたのだった。
弟達が大きくなるころには後進に譲り、一般の参加者として祭りを愉しんでいたミカヤだったが、
ここ数年は暑さが厳しいこともあり、もっぱら留守番をして祭りには参加していなかった。
「たまには昔みたいに一緒に参りましょう」
エリンシアがそう声をかけてくれるまでは今年も参加しないつもりだった。
だから、その鮮やかな紅色を目にするのは久しぶりのことで少しだけ驚かされる。
(エリンシアはちゃんと大事にしまっていてくれたのね。私は忘れていたのに)
目に入る紅色はとても鮮やかで、薄情な主人に恨み言を告げているようにも見えた。

 

「はい、いいですわよお姉さま」
エリンシアがミカヤに着付けをしてくれる。
エリンシアが幼いころはミカヤが着付けをしていたが、何分器用な妹のことである。
すぐに姉よりも上手に着付けられるようになり、それからはずっとエリンシアが妹たちの着付けの世話をしていた。
「なんだかおかしくない?久々だし、私みたいな年増の浴衣姿なんて」
「まあお姉さまったら。全然変わらず愛らしいままですよ」
少しだけ陰りのあるミカヤの声色には気づかず、エリンシアは柔らかい笑みを浮かべる。
(昔のまま、か……)
弟たちは大きくなり、浴衣もそれに合わせて新しくなる。
ミカヤの浴衣はずっとこのサイズのままだった。長いこと。

 

「それでは参りましょうか」
エリンシアがミカヤを促す。
けれどもミカヤの足取りは重い。
「まだ外は暑いわね……私はもう少し涼しくなってから行くわ」
日が暮れ始めたとはいえ、外は汗ばむ暑さである。
しかし、ミカヤの足を重くしている原因はそれだけではなかった。
「お姉さま、でしたら私も……」
「鷹王様を待たせたら悪いわ。後からちゃんと行くから、エリンシアは先に向かってなさい」
あくまでミカヤに合わせようとするエリンシアの言葉を遮って、ミカヤは告げる。
できれば妹には年老いた姉よりも己の恋路を優先してほしいものだ。
ミカヤのその想いに偽りはなかった。
「そうですか……私お待ちしてますから、絶対ですよ?」
一瞬切なそうな表情を浮かべ、それから無理に笑みを浮かべてエリンシアはミカヤの元を去る。
本当はどうしてミカヤが祭りに行きたがらないのか、彼女は知っていた。
だからこそ優しい――そして甘い――彼女にはミカヤを連れ出すことはできなかった。
故に願わずにはいられない。大切な姉の殻を壊して、ただのミカヤとして連れ出してくれる、そんな人が現れることを。
(ごめんね、でもお姉ちゃんはこれでいいのよ)
エリンシアがどれだけ自分のことを大切に思って気にかけてくれているか。
それを知るミカヤは、熱気とともに罪悪感でまたその足を重くするのであった。

 

「だいぶ涼しくなってきたわね……」
何とはなしにミカヤはそうつぶやく。
だからといって祭りに出かける気にはならなかったが。
(私の見た目、結局巫女をやっていたころと変わらなかったな……)
ミカヤは不老の巫女である。
もちろん生きている人間である以上は、いつかは老いて朽ちていく。
しかし、その忌むべき血の定めによって、時を止められたかの如く若いまま年を重ねていた。
いつまでも変わらず美しい巫女の少女は、それだけで神のごとき崇拝を受ける。
それはミカヤがただの人間で、ただの女であっても関係ない。
人々は自分の見たいように巫女としてのミカヤを見るだけであった。
不老の巫女として、危ういほどの崇拝を集めるようになった頃、ミカヤはそこから逃げ出した。
(祭りでみんな楽しそうに踊っていても、私は独り……)
気づいてしまえば、それは重くのしかかる。
(みんなと一緒に踊って、ちょっとだけ感謝される。それが変わったのはいつからだったかしら)
それは遠い遠い夏の日。もはや帰ってこない過去の話である。
(だけどやっぱり寂しくて、弟たちを理由にして何度か祭りには行ってた……けれど)
ただの人として、姉として。けれどもそれは叶わない願いであった。

 

ミカヤは自分の白銀の髪を疎んでいた。
明らかに弟たちとは異なるその色は、家族の中にいてもミカヤを孤独にさせた。
カムイが生まれてからはそれも杞憂に終わったが、そのカムイもまた血の定めに支配されていることを知ったときは、当の本人よりひどく怯えたものだった。
もっとも、ミカヤと違って彼女は他のきょうだいと同じように年を取り、少々行き過ぎではあるが真っ当にカムイ自身に目を向けた好意を集めている。
杞憂に終わって、またミカヤは独りになったのである。
それでも――
(もしかしたら急にみんなと同じように年をとれるようになるかもしれない……なんてことはないのは私が一番わかってるのにね)
そんな夢物語に縋って弟たちと祭りに出かけたものである。
しかし、ミカヤは何も変わらない。弟たちは大きくなっていく。
何よりも悪かったのは、ミカヤの白銀の髪は目立ちすぎたのである。
どんなに普通の振りをしていても、見逃されることはなかった。
不老の乙女を再び巫女に――
そんな動きが本格化する前に、ミカヤは祭りから完全に遠のいた。
(弟たちを私の宿業に巻き込みたくない。絶対に――)
そうして夏祭りに向かう弟たちを見送り、また独りになるのだった。
けれども、それでよかった――たとえ胸の内にどうしようもない気持ちが沸き上がっても
それでよかったのである。

 

変化はいつでも騒々しい足音を立てるものである。
少々うるさい足音を気にも留めず、ミカヤの元へ来たのは燃えるような青髪の男だった。
「ミカヤ姉さん、ここにいたのか」
「アイク……」
いつもと変わらないラフな格好でミカヤに声をかけたのはあまりにもミカヤとは似ていない、けれどもそれがミカヤには寂しくも喜ばしい弟であった。
「どうしたの?夏祭りには行かなかったの?」
「祭りの櫓を組み立てて、一回帰ってきたところだ。姉さんは行かなかったのか?」
そう告げるアイクであったが、ミカヤはそれだけではないことに気づいていた。
(エリンシアが、私を連れ出すように頼んだのね……)
ミカヤは人の心を読むことがっできる。
しかし、大切な弟たちのことだ。心を読まなくてもどんなふうに動くかはわかる。
そう、この男を除いて。
「なら俺も残っていよう。花火はここからでも見えるしな」
「え……?」
てっきり自分を連れ出すものかと思っていた弟は、意表を突いてくる。
「でもアイク、それでいいの?」
ほっとした――それでいて少々残念な――気持ちでミカヤは尋ねる。
「ああ。踊りもあまり興味はない」
唐変木な男である。しかし、それが魅力に映るのがアイクという漢である。
何でもないように縁側に座るアイクに何となく従ってミカヤも縁側に腰掛ける。
しばしの無言。
「……今夜も暑いわね」
「そうか?だいぶ涼しくなったが」
何とも言えない気まずさに、適当に出した言葉すら叩き切られる。
そんな弟にミカヤはいつものようにため息をつく。
再びの無言。
「そういえば」
「ぅええ?」
突然声を掛けられ、おかしな返事をするミカヤを気にも留めず、アイクは告げる。
「姉さんがその浴衣を着るのも久しぶりだな。一緒に祭りに行ったのは覚えているか?」
己を磨くことにしか興味がないように見えるこの男も、家族との思い出はしっかり覚えているようである。
それがミカヤのことであれば、尚更。
「……ええ、忘れるはずなんてないわ。狐のお面なんてねだっちゃって、可愛かったんだから、あの頃のアイク」
ちょっとだけ皮肉を交えてミカヤは語る。もちろん彼女にとって弟はいつまで経っても可愛い弟である。
そして、そんな皮肉を変わらず気にも留めない男がアイクである。

 

「これか」
「ぶっ」
唐突にサイズの合わない狐の面をつけた滑稽な大男の姿に、ミカヤは思わず吹き出してしまう。
「まだ持ってたのね……って、なんで今持ってるのよ」
「倉庫の整理をしていたら見つけて、な」
毎度毎度予想外のことを突然行う予測できない男である。それでいて無自覚なのが質が悪い。
「こうやってお面をつけて姉さんに手を引かれて屋台を巡る。毎年楽しみにしていたな」
「そう……だったの……」
それはミカヤも同じであった。できることならば、ずっと続けていたかった。
「俺が高校に入るころには姉さんも祭りには行かなくなったが……昔は祭りの最後に巫女の格好をして踊っていたな」
ひやり。
不意に自分の後ろめたさを刺激され、ミカヤは肝を冷やす。
けれどもそれだけでないのがこの漢である。
「屋台も花火もあの頃は楽しかったが踊るのは結局今でも興味はない。だが、姉さんの踊りを見るのは好きだった」
「……え?」
攻め立てるかのような揺さぶりに、ミカヤは言葉の主を見つめる。
けれどもその言葉の主は、どこか遠い目をして続きを述べる。
「ミカヤ姉さんは歌もいい。だが祭りの日の、あの踊りはなんというか、俺には特別なものだったんだ」
そう告げる仮面越しの表情は読めないが、表情が読めないのはこの弟に関してはいつものことでもあった。
「……」
そして、顔を伏せるミカヤの表情も髪に隠れて窺うことはできない。
けれども、それは悲しみではない。決して。

 

またひと時の無言を挟んで、ぽつりと。
「なあ、踊ってくれないか姉さん。ここで」
「えっ……!?」
今日一日に何度も驚かされているミカヤだが、さすがに今回は隠せず声を上げる。
「姉さんの踊りを見てると元気になれた。久しぶりに見たいんだ」
本人たちは気づいていないが、こんな男アイクでも姉と二人きりの時には甘えるような弟らしさをいまだに見せる時がある。
そして、それにミカヤは大変弱いのである。
「姉さんが祭りで踊りたくないのは知っている。だからここで踊ってほしい。駄目か?」
「で、でも私こんな格好だし、巫女舞なんて……」
せめてもの抵抗をしてみるミカヤであったが、そんな程度ではこの漢は止まらない。
「おかしくないさ、夏祭りなんだから浴衣で踊っても。ほら」
そう言ってアイクがミカヤに差し出したのは、神事で巫女が携える鈴だった。
「……私の神楽鈴……貴方って人は、こんな時だけ準備がいいんだから……」
「そうか?」
暁天の神楽鈴。ミカヤのために名付けられたその鈴は、いつしかどれほどの雑踏でも涼やかに響き渡る――そんな力を持っていた。
手に取ると、神秘的な力と懐かしさがこみ上げる。
(……あなたのことも随分と長い間ほったらかしにしていたわね……ごめんね)
それでも磨かれて美しいままのその鈴に、妹の心遣いを感じて愛おしさもこみ上げてくる。
シャラン――――
その音色も、ミカヤと変わらずあの日のままだった。
「甘えん坊の大きな子狐さん。貴方のために特別に舞いましょう」
「ああ、特別な踊りを頼む」
ミカヤは随分と久しぶりに、心から愉しんで舞う。
昔は神のため、民のため。今は、ただ一人、弟のため。
その姿は女神のようでもあり、ただの少女でもあり。
けれども家族にとってはなんて事はない、大切な姉の姿でしかなかった。

 

――――ヒュー……パーン!
「あら、もう花火の時間なのね」
特別な舞を終えたそのすぐ後、ミカヤの背後で夜空に鮮やかな炎の花が咲いた。
それは闇を祓う、多くの人の願いを込めた喜びの花でもあった。
「きれい……」
「ああ、綺麗だな」
そう言いつつ、ミカヤをじっと見つめるアイクにミカヤは思わず頬を染める。
「え……」
「花火が」
そして、そんなことはお構いなし。それがアイクである。
「それに、姉さんも綺麗だ」
「ふぁあ?」
随分と直球な賛美に、ミカヤは本日二度目となる奇怪な声を上げる。
「姉さんの銀の髪に花火の光が映って、とても綺麗だ」
「……ああ、そういうことね」
何とも言えない気持ちでミカヤはため息をつく。
「ん?花火が映ってなくても姉さんの髪は好きだぞ」
「~~っ!そういうことは姉じゃなくて別の女の子に言いなさい!」
「?なんで怒ってるんだ?」
「怒ってないわよ!」
泣いたり笑ったり照れたり怒ったり。ミカヤは忙しい人だ。だから目が離せないとアイクは思う。
そして、どんな表情でも愛おしい。そんな風にも思っている。もちろん姉として。
「ふう……ね、アイク」
「なんだ?」
随分と晴れやかな姉の顔を見つめながら、アイクは応える。
「今からちょっとだけ……祭りを覗いてみない?」
「そうか。じゃあ行くか」
もうそろそろ祭りもお開きの時間である。
だが、アイクはそんなことには構わず応じる。そんなことはこの漢にとってどうでもいいことなのだ。
そして、今のミカヤにとってもどうでもよかったのだった。
「じゃあほら、早く行きましょう!」
「おい、引っ張らないでくれ、姉さん」
握った弟の手は夏の熱気よりもずっと熱かったが、ミカヤの心は涼やかで、足取りはいつの間にか風のように軽やかだった。

 

―――その後、ユンヌに乗っ取られたミカヤが祭りで大暴れして、エリウッドの胃が蝶サイコーになるのはまた別のお話である。
―――そして、祭りが終わった後、エリンシアがどういう意図で鷹王に延々と再行動の踊りを披露していたのかも別のお話である。