基本情報
アデリナ・ドミトリエヴナ・ソトニコワ Сотникова, Аделина Дмитриевна | |
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画像出典 | |
所属 | エンジェルアカデミー |
コーチ | エフゲニー・プルシェンコ |
元所属 | CSKA |
元コーチ | エレーナ・ブヤノワ |
愛称 | アーダ (Ада) リーナ (Лина) デーリャ (Деля) |
身長 | 165cm |
出生地 | モスクワ |
生年月日 | 1996/7/1 |
スケート開始 | 4歳頃 |
現役引退 | 24歳 |
パーソナルベストスコア | ISU:224.59 (ソチ五輪2014) 国内:212.77 (ロシア選手権2013) |
教育 | ロシア国立体育スポーツ大学*1 |
SNS | |
Instagram(スクール) | |
功労スポーツマスター(ЗМС) 2014 |
経歴
6歳で近所のリンクでスケートを始めた。翌年には名門クラブCSKAに移り、2004年からエレーナ・ブヤノワに師事する。
ハイライト
2014年 ソチ五輪(個人戦) 優勝
2011年 世界ジュニア選手権 優勝
ロシア選手権 4度優勝
2007-08シーズンのロシアジュニア選手権は10位だった。
エレーナ・ブヤノワコーチが長期にわたって指導した選手である。
2015-16シーズン
モルドヴィアンオーナメントで試合復帰し銀メダルを獲得。ロステレコム杯で銅メダルを獲得。ロシア選手権では過去最低の6位に終わった。
2014-15シーズン
ロステレコム杯前週の練習において、フリップジャンプの着氷時に脚を打ち転倒。病院でのMRI検査の結果、靭帯に断裂が見つかったためにグランプリシリーズの欠場を決める。ロシア選手権も出場を回避した。ロシア選手権を回避したことにより、結局シーズン全ての試合を欠場した。ダンシング・ウィズ・ザ・スターズに出演し2位に入った。
2013-14シーズン
エリック・ボンパール杯と中国杯ともに2位となり、初のグランプリファイナル進出を決める。グランプリファイナルではSPで2位だったものの、FSでのジャンプミスが響き、5位で終える。ロシア選手権では2年ぶり4度目の優勝を果たした。欧州選手権ではSP、FS共に自己ベストを更新し2年連続の2位。地元ロシアで開催されたソチオリンピックでは、旧ソビエト連邦時代を含めてロシア代表選手として初めて、女子シングルで金メダルを獲得した。
2012-13シーズン
ロステレコム杯で5位、スケートアメリカで3位とグランプリファイナル進出を逃す。ロシア選手権は3位と3季連続のメダルを獲得した。欧州選手権ではSPで1位、総合では2位で銀メダルを獲得。初出場の世界選手権は9位で終える。
2011-12シーズン
このシーズンからシニアに移行。グランプリシリーズに初参戦する。中国杯とロステレコム杯はいずれも3位、2戦ともメダルを獲得したが、惜しくもグランプリファイナルへの進出はならなかった。ロシア選手権では2連覇を果たす。しかし翌月のユースオリンピックでは、FSのミスが響きトゥクタムィシェワに敗北、2位となった。世界ジュニア選手権は3位で、銅メダルを獲得した。
2010-11シーズン
出場可能年齢に達したため、ジュニアグランプリシリーズに初参戦する。オーストリア杯で、2位以下に10点以上の差をつけて優勝。FSは、当時の女子ではイリーナ・スルツカヤと安藤美姫しか跳んでいない3Lz+3Loのコンビネーションジャンプに成功。ジョン・カリー記念でも優勝を果たし、ジュニアグランプリファイナルへの進出を決める。ジュニアグランプリファイナルではSP、FSともに1位の完全優勝を果たした。ロシア選手権では2季ぶりの優勝を果たし、世界ジュニア選手権への派遣が決定。世界ジュニア選手権に初出場し、優勝。このシーズンの試合を全て優勝で締めくくった。
2009-10シーズン
昨シーズンのロシア女王として挑んだロシア選手権では4位、ロシアジュニア選手権では6位と表彰台を逃す。
2008-09シーズン
ノービス年齢ながら、ロシア選手権にデビューし、優勝。続くロシアジュニア選手権でも優勝を飾った。
技術・演技
高さのあるジャンプに定評がある。3回転アクセル以外の5種類の3回転ジャンプを跳ぶことことができる。3Lz+3Loのコンビネーションジャンプに史上3人目で成功した。また、特徴的で質の高いスピンができ、トラベリングが小さい。
プログラム
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