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フレッド・ハーシュ / Fred Hersch

Last-modified: 2017-09-13 (水) 23:31:58
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フレッド・ハーシュは1980年代にデビューしたアメリカのピアニスト、作曲家。ジャズの伝統とクラシックの語法を消化したピアノスタイル、ジャズスタンダードの再解釈などで後続のピアニストに大きな影響を与えている。創作範囲はピアノソロ、ピアノトリオのみならず、様々な楽器演奏者とのデュオ(特にヴォーカリストとの共演が多い)や室内楽アンサンブルでも様々な足跡を残している。また教育家としても非常に有名である。

 
編集履歴
 

バイオグラフィー

生い立ち

1955年10月21日オハイオ州シンシナティ生まれ。4歳の時にピアノを始め両院に熱心な教育を受ける。小学3年生、9歳ころから作曲も始める。9歳から13歳まで理論、作曲、アナライズのレッスンを受ける。14、5歳の時音楽学校に入学。本人によるとその頃には四声の作曲や対位法、様々な作曲スタイルで書けるようになっていたという。幼い時はモーツァルトなどを聴いていた。
高校の時は様々なポップチューンを即興で変奏していた。
アイオワ州のグリネル大学に(1973年春?秋?)進学。大学で出来た友人にジャズのレコードを聴かせてもらい、ジャズピアニストの講師にブラックミュージックについて教わり、ジャズに興味が芽生える。だがクラシックの練習に孤独を感じ、また当時の石油ショック(1973〜1974年)によって冬から夏にかけて授業が停止されたため、1セメスターで大学を退学する。

その後シンシナティに戻り、1973年の12月から地元のローカルミュージシャンと交流を始め、ギグや教えてもらったレコードを通してジャズを学ぶ。最初にギグで挑戦した曲『枯葉』を収録したチェット・ベイカーやマイルス・デイヴィス、アーマッド・ジャマル、ビル・エヴァンス、オスカー・ピーターソン、サラ・ヴォーン、キャノンボール・アダレイのレコードを購入したり、地元のクラブでテディ・ウィルソンやチャールズ・ミンガス、サン・ラ、ビル・エヴァンスなどを聴いていた。またデューク・エリントンにはまり、30年代から60年代までのレコードを集める。

師事歴

ハーシュよりも4,5歳年上のドラム、ベース・プレイヤーとともに1年半シンシナティで活動する。当時はウィントン・ケリーのようなスウィングをし、チャールス・ミンガスのような曲を書こうとしていた。
その後バンドは解散し、1975年にジャッキー・バイアードの教えを受けにボストンのニューイングランド音楽大学に入学する。バイアードはチャールス・ミンガスやエリック・ドルフィーのレコードを通じて惹かれたという。バイアードからはアール・ハインズ、ファッツ・ウォーラーなどストライド・ピアノのプレイヤーから教えられる。バイアードへの敬意はその後も変わらなかったが、1年経つうちに彼の教えに疑問を覚え、クラシックのピアニストにも師事する。
サックス、クラリネット奏者のマイケル・ムーアともデュオ形式の演奏でお互いに練習していた。

下積み時代

1977年、NYに移住。ウディ・ハーマン・オーケストラに参加するが1ヶ月で辞め、リゾートやレストラン、プライベートパーティなどでの演奏で糊口をしのぐ。当時はスタン・ゲッツやジョー・ヘンダーソンのバンドでジョアン・ブラッキーンの代理として演奏していた。21時から2時までのグリニッジ・ヴィレッジでの演奏が終わった後、チャイナタウンで夕食をとり、4時から8時までジュニア・クックとのバンドで演奏した。50ドルの報酬は全てコカインに消えた。

 

そうした生活が続いた後、クラブ、ジャズ・マニアのハウスバンドの一員としての活動(様々なベテラン・ミュージシャンをゲストに迎えた)や、ブラッドレイズのギグに出演する。ブラッドレイズでのギグはサム・ジョーンズ・クインテットへの起用につながる(同バンドにはキース・コープランド、ボブ・バーグ、トム・ハレルがいた)。

ライブでの共演ミュージシャン

デビュー〜80年代

1984年、初リーダー作「Horizons」録音の前後、HIVに感染していることが発覚する。

第二作はブラッドレイズで知り合ったチャーリー・ヘイデンを迎えてのピアノトリオだった。このレコーディングを聴いたエンヤ・レーベルのオーナーがジェーン・イラ・ブルームとのレコーディングを持ちかける。
自身のグループを率いる一方でスタン・ゲッツ、ジョー・ヘンダーソン、トゥーツ・シールマンス、アート・フォーマー、ジェーン・アイラ・ブルーム、エディ・ダニエルズ、ジャニス・シーゲルと共演。
1980年から1986年にかけて、ニューイングランド学院で教鞭をとる。その後ニュースクールの教授に就任。[1]

90年代

準備中

00年代

2008年、HIVウィルスが脳に転移し、7週間の発作と8週間の昏睡状態に陥るが、リハビリの結果再び演奏活動に取り組むことができるようになる。

10年代

準備中

ディスコグラフィー

ピアノ・トリオ
チェンバー・アンサンブル
ピアノ・ソロ
デュオ

発言

音楽観

左手のメロディラインについて[6]
子供の頃から、ずっとバッハを好んで弾いてきました。左手の動きが活発なのが特徴です。弦楽四重奏を聴くのが好きで、そこにはもちろん四つのパートがあるわけです。私はそれらを聴いて引くことを続けてきました。ただしご存知のようにジャズの場合、リズムという重要な要素があります。ピアノは打楽器でもあるので、自分自身について言えば、ソロ・ピアノを弾くことは音階がついた大きなドラム・セットを演奏することに似ているし、ビッグバンドやオーケストラにも例えられます。メロディを歌うシンガー、あるいは、全てを組み合わせたトリオとも言えるでしょう。私のソロ・ピアノのアプローチは、他の誰とも違っていると思います。これまでに10枚を超えるソロ・アルバムを創ってきましたが、飽きることはまったくありません。果てしなく遠い場所まで行くことができるので、私にとってすべてが楽しみなのです。

影響源

他のミュージシャンに対して

ジョン・エイベアは、真に驚くべき才人です。伝統に関する知識が豊富なばかりでなく、自由で冒険的な精神と予測できない美しいサウンドの持ち主でもあります。(略)エリック・マクファーソンは各種のスティックを使用して、様々な色彩や音色を生み出します。エリックとジョンのコンビネーションは、とても美しいですね。彼らは、私にとって5組目のトリオ・メンバーになります

評価

脚注

[1]http://www.allmusic.com/artist/fred-hersch-mn0000095596/biography [2014/08/21]
[2]http://dothemath.typepad.com/dtm/interview-with-fred-hersch.html [2014/08/23]
[3]http://www.michigandaily.com/blog/filter/acclaimed-jazz-pianist-fred-hersch-discusses-his-musical-philosophy-teaching-and-hivaids [2014/08/24]3
[4]http://www.nytimes.com/2010/01/31/magazine/31Hersch-t.html?pagewanted=all&_r=0[14/08/28閲覧]4 HERSCH PLAYEDまで
[5]http://www.allaboutjazz.com/fred-hersch-live-at-the-village-vanguard-fred-hersch-by-celeste-sunderland.php [2014/08/28閲覧]新情報なし

[6]ジャズライフ2013年6月号