対戦の記録/4期/宮津九龍浜岸枠/宜野湾コンツェルン

Last-modified: 2016-01-15 (金) 14:32:52

宜野湾コンツェルン(Ginowan Konzern)は宜野湾大都市圏(宜野湾市、日光市、高崎市、豊田市、小浜市)を中心に多角的な事業を行う企業体である。

統括持株会社である「宜野湾HD」の傘下に各事業を展開する子会社が存在し企業グループを形成している。

略称は「宜野湾グループ」、また中核事業会社より「宜野急グループ」と称される。

 
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  • 事業子会社一覧
  • 交通事業紹介
 

社史

 

宜野湾コンツェルン(以降:弊社)の祖業は日光市北部(奥日光地区)での豊富な木材を用いた林業事業であり、1900年代中盤までは宜野湾-日光市域規模での建設、林業、不動産を基盤とした企業であった。

転機が訪れたのは1948年に国鉄線が分割民営化され、旧国鉄宜野湾駅(現:宜野湾駅)と宜野湾線を払い下げられたJR線の運行開始に伴い、宜野湾市内と駅前を結ぶバス事業に参入した事による交通事業への参入である。

 
  • 1948年 宜野湾産業株式会社。宜野湾駅と宜野湾市内を結ぶバス事業を開始し、バス事業へ参入。
    バス事業を行う子会社として「宜野湾交通株式会社」を設立。
    • 当時の宜野湾市は宜野湾駅と宜野湾市中心部が離れていた為、利便性に欠けており、集客力も大して無かったが、「宜野湾駅への他私鉄沿線計画がある事」「駅前に広大な原野が広がり土地取得が容易な事」「交通を主体とした都市開発が望める事」「本業との相乗効果が望める事」などを踏まえ当時の宜野湾産業株式会社社長判断により交通事業進出が決まる。
  • 1949年 宜野湾駅-日光市を結ぶ路線敷設免許を持つ「宜野湾軽便鉄道」を買収。
    同軽便鉄道は資金力不足により休眠状態となっており、これを買収し軽便鉄道から路面電車に免許を申請し直して建設開業する。
    • 同年中に宜野湾交通株式会社と宜野湾軽便鉄道は対等合併し新たに「宜野湾電気鉄道株式会社」となる。
      また、宜野湾交通株式会社が行っていたバス事業は廃止となり鉄道への一本化がされた。
  • 1950年 宜野湾電気鉄道本線にて併用軌道の廃止と専用軌道化が実施され、現状とほぼ同じ路線状況となる。
    • 鉄道事業が好調であったが併用軌道区間の40キロ制限が所要時間に大きく影響していたため、宜野湾市-日光市地域での区画整理事業と共に専用軌道化を進め、現在の本線と同様の環境を実現
  • 1950年 宜野湾市内での路面電車の営業を開始。
    • 宜野湾市-日光市間を結ぶインターアーバンであった本線とは別に、宜野湾駅と宜野湾市内各所を結ぶ市内電車(路面電車)の事業を開始。
      これにより、中町線、西町線といった宜野湾市中心部を環状運転する市電が開業。