対戦の記録/4期/宮津九龍浜岸枠/小野宮市

Last-modified: 2016-02-25 (木) 20:46:13

マップ

  • 区政施行時(たぶん1970年)
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  • 現在(1977年)
    小野宮市
    🇯🇵日本
    都道府県佐奈川県
    団体コード1145-14
    面積191.9㎢
    人口1,936,054人(1987年)
    人口密度10,008人(1987年)
    隣接自治体伊勢崎市・三室谷市・宜野湾市 -風見市 -香風市 -美談市
    市の木ケヤキ
    市の花オオイヌノフグリ
    他のシンボル市の動物:ぱんにゃ 市の衣装:巫女装束 市の歌:夢見るままに恋をして
    小野宮市役所
    所在地〒373-0001 小野宮市中央区森野1-1
  • 小野宮市(Onomiya City)は、佐奈川県にある政令指定都市で、県庁所在地である。

概要

小野宮市は、佐奈川県内のみならず当地方では最大の人口規模を擁する。

経済面や鉄道・道路などの地理上、県内他市よりも風見市・香風市とのつながりが強い。また、小野宮-風見-香風都市圏を形成する一都市である。また市では小野宮圏をリードする広域交流拠点都市となるべく、「おのみや新都心」の形成を目指している。総合卸売市場の他、鉄道の一大ターミナルである小野宮市を抱え、当地方では最大規模の物流拠点となっている。

地理

隣接する宜野湾市との経済的・地理的・文化的関わりが深く、共に業務核都市に一つの都市として指定されている。近年、小野宮駅から風見駅まで35分程、香風駅まで40分程で行けるその交通の利便性から、人気が高まり人口が爆発的に伸びている。特に20代、30代、50代周辺の人口が多く、市全体を活気ある雰囲気にしている。

比較的自然な環境が近いことなどから若年世帯を中心とした人口の流入が続いている。市内に学校が多いことや、周辺都市の学校も小野宮市内の駅を最寄とする場合が多いことから、学生の街としての顔も併せ持つ。また、市内には宇宙研究開発機構(SANA)猪熊陽子研究所(開所時は文部省猪熊陽子研究所)があり、日本の量子力学の研究拠点として知られる。

  • 地形
    小野宮丘陵上に位置する南部(後述する地域以外のほぼ全て)と、七里潟を干拓した中央部(石浜区北部・結橋区北部・瀬戸区北西部・七里区南部・逢坂区南部)と、逢坂丘陵上に位置する北部(七里区北部・逢坂区北部・岸原区全域)とに分けることができる。る。

歴史

  • 平安時代以前
    • 縄文時代
      七里潟付近に大きな集落が栄える。多数の翡翠加工品が出土したほか、遠く離れた美草県各務台市でも小野宮産の翡翠加工品が出土され、翡翠を中心とした交易で栄えたとみられる。
    • 弥生時代
      伝承では後334年、結姫神宮に伝わる巫女舞が始まったとされる。
    • 飛鳥時代
      645年に起きた大化改新により、政権は全国を支配する体制を整え、地方を多くの国に分け、現在の小野宮市はほとんどが逢坂国に含まれることになった。
    • 奈良時代~平安時代
      逢坂峠が歌枕として「百人一首」にも登場し、貴族の別荘地として発展。推定人口5000人。
    • 鎌倉時代
      平安時代後期から鎌倉時代にかけて、市域は逢坂国に成立した岸原荘を本拠に同国西南部から逢坂国北部にかけて結姫神宮の勢力下にあった。
    • 室町時代~戦国時代
      小野宮市域内は「神宮領」として戦が禁止され、天下統一時も秀吉の支配が(形式上)及ばない地域とされた。
    • 江戸時代
      幕藩体制となった江戸時代以降、神宮領は大幅にされ、
      結姫村のみが神宮領とされ、それ以外の市域は小野宮藩領とされる。
      • 新田開発
        江戸時代には七里潟の干拓が開始され、田沼意次がそれを支援。江戸時代には未完のまま終わるも大幅な石高増となった。
  • 明治時代以降
    1868年…市内南部が結姫県・市内北部が逢坂県となり、結姫県の県庁は小野宮(現所在地)・逢坂県の県庁は峠下に置かれる。
    1872年…結姫県と逢坂県が合併、佐奈川県となる。
    1889年…町村制施行により現在の各区域とほぼ同一の各村域に再編。(小野宮・逢坂・結姫は町制)
    1895年…三山鉄道が一期姫路~小野宮間に鉄道を開業。市域には七里潟・麻衣田・掛川・藤沢・小野宮の各駅が開設される。
    1903年…三山鉄道が小野宮~二期春日井港・小野宮~宜野湾を開業。
    1905年…三山鉄道が鉄道国営化法により買収。鉄道院小野宮本線と鉄道院宜野湾線となる。
    1915年…小野宮軽便鉄道が高ケ坂掛川間・中村結橋間で開業。
    1921年…小野宮町で上水道整備が始まる。
    1923年…結姫町・逢坂町で上水道整備が始まる。
    1924年…市域の町村が合併し市制施行。小野宮市となる。人口は3万3400人。
    1927年…結姫に結姫女学園開校。
    1937年…陸軍の研究所が藤沢に移転。以後軍都として整備されていく。
    1939年…七里潟が埋め立てられ、陸軍演習場となる。
    1941年…住宅公団が小野宮市に進出。藤沢に陸軍住宅地である星ヶ丘住宅を建設。
    1943年…小野宮市電が開業。
    1945年…日本の敗戦により市電や軽便鉄道が走行している箇所以外の軍用地が連合国軍に接収。
    1955年…星ヶ丘住宅返還。
    1965年…地下鉄一号線開業。
    1970年…小野宮市、政令指定都市となる。
    1975年…小野宮市財政白書「こども急増びんぼうはくしょ」刊行。
    1977年…人口100万人突破。当時一年で15万人人口が増えるという異常事態であった。

市政

市長と市議会については、従来統一地方選挙の後半日程において改選されてきたが、政令指定都市に移行したため、県知事・県議会と同じ前半日程で執り行うことになった。このため、1970年の選挙から、佐奈川県知事・県議会・市長・市議会が同日に投開票されるという全国的にも稀な“クヮルテット選挙”となり、市選挙管理委員会は、4つの選挙に関する事務を同時にこなすという難題を背負うことになった。なお、知事・市長が任期半ばで辞職(失職)、あるいは県議会・市議会が任期半ばで解散しない限り、この“クヮルテット選挙”は今後も続くことになる。

祭事

的祭 - 1月6日。結姫神宮で開催される。国の無形民俗文化財に指定されている。
市民桜まつり - 4月上旬(2日間)。市役所通りで開催される。統一地方選が行われる年は5月中旬に若葉まつりとして開催する。
逢坂の大凧 - 5月(節句)。七里浜地区で14.4メートル四方の大凧があげられる。さながわのまつり50選に選定されている。
瀬戸夏祭り - 7月下旬。さながわのまつり50選に選定されている。
ふぇぇ湖湖上祭花火大会 - 8月1日。ふぇぇ湖湖畔で開催される。打上玉数は5000発である。
小野宮七夕まつり - 8月上旬。さながわのまつり50選に選定されている。
人形浄瑠璃 - 8月中旬。結姫神宮で開催される。
市民祭おのみや - 8月中旬。さながわのまつり50選に選定されている。
弘法橋灯ろう流し - 8月16日。壮麗川の弘法橋下の河原で開催される。
納涼花火大会 - 8月最終土曜日。壮麗川の結橋付近で開催される。
逢坂峠夏祭り - 8月27日、28日。逢坂峠駅周辺で開催される。
小野宮よさこいRANBU - 9月中旬。

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