対戦の記録/8期/江北急行グループ/瀬名急電鉄

Last-modified: 2017-12-11 (月) 01:55:00

瀬名急電鉄(瀬名急)は、豊栄府瀬名区に本社を置く大手私鉄である。

豊証一部に上場し、江北急行グループを構成する企業の一つで、瀬名急グループの中核企業である。かつては「瀬名急行(せなきゅうこう)」を公式通称、「Sena Electric Express Railway Co., Ltd.」[注釈 1]を英文社名としていたが、2007年(平成19年)12月1日よりポスター・チラシ類などにおいて「瀬名急電鉄(せなきゅうでんてつ)」の名称[注釈 2]および新ロゴマーク、2010年(平成22年)10月21日[1]より「Senakyu Corporation」の英文社名を使用開始し、順次変更している。

グループ全体でのコーポレートスローガンは、「ゆっくりしていってね!!」(2008年以降)。

歴史

現在の路線の元となったのは、1904年に瀬名から結姫町経由で川西(現・臨港川西)までを結んだ瀬名臨港鉄道である。1910年には、同年開通した江北電気鉄道への直通を目論み結姫町に渡り線を建設したが、暫く使用されることはなかった。
開業当時の停車駅は、瀬名・砂原(現在の瀬ノ電砂原)・結月(現在の臨港結月)・溝口(現在の下野溝の口)・結姫町・下野(現在の香花園)・入江浜・姫磯・川西・東川西であった。1914年、姫磯瀬名間に軌道を新設。軌道線は1925年には経営を分離し、瀬ノ電となっている。

1923年、川西急行鉄道が川西~横原の免許を取得、27年に開通させた。当時の停車駅は新川西・乞田(現在のとよきたプラーザ)・籠池・二ツ沼・横原新田(現在の研都北国土研前)・横原であった。

1933年には同社は合併、瀬名急行鉄道となる。
瀬名急行鉄道は同年瀬名川西間の電化とともに川西地下線を開業、横原結姫町の直通運転を開始した。また、川西東川西間にはディーゼルカーが投入されている。
1935年に海岸線(入江浜~砂原)を開業、横原瀬名間直通列車の運転を開始。
1943年(昭和18年)、戦時企業統合政策(陸上交通事業調整法)により瀬名急行鉄道は江北電気鉄道に合併され、江北急行電鉄となる。

1945年6月の空襲で並行する旧江北電気鉄道の路線が破壊され、瀬名急は代行輸送を実施。結姫町の渡り線が活用されることとなった。