これまでの歩み/マイ鉄1年半史

Last-modified: 2017-05-18 (木) 22:49:12

著者

たこたこ(倉急電鉄社長)

目次

  • まえがき
  • 創設の経緯
  • 創設からの10か月
  • 最初の事件
  • 最初の政権交代
  • 第二の事件
  • 暗黒時代の終わり
  • マイ鉄の復興

まえがき

マイ鉄ネットは2017年8月で二周年を迎えます。今(2017年5月現在)では参加社数は70を超えており、タグによる結束(Minecraft建築部など)やサーバーを除けばマインクラフトコミュニティーの中でも最大規模のものになりました。そのため、我々は参考とする前例がない中で活動を続けてきました。このような状況の中で当然トラブルも多く発生しました。もちろん現在もこの状況は続いています。
この1年半史は、トラブル続きの期間が終了した後に参加した人に対しての注意喚起になるとともに、今後同規模のコミュニティーを作ろうという方々の参考になるであろうという確信を持って書き記すものです。
筆者たこたこの主観が多く入っていますが悪しからず。

 

創設の経緯

マイ鉄ネットの誕生は2015年8月に遡ります。
 「Minecraftの鉄道界にも統一のコミュニティーを」という動きは、2014年ごろからあったと記憶していますが定かではありません。倉急電鉄社長のたこたこ(以下:たこたこ)が最初にマイ鉄ネット構想を提案したのは2015年3月12日です。しかし、その時すぐには実現に至りませんでした。2015年4月ごろに「Minecraft鉄道協定(以下:MRA)」が発足したためです。MRAは、すでに大きなコミュニティーとなっていた「Minecraft都市開発協定(CDA)」に参加していたメンバーが中心となり発足したものでした。規模こそ小さかったものの、建築界・鉄道系動画界など各方面からの参加があり、当時もっとも求心力のあった鉄道コミュニティーと言えるでしょう。たこたこはそこに参加することで当初の目的を達したのです。
 しかし、倉急とMRAとの関係は長く続きませんでした。これはMRAがTwitterのDMを中心にしたコミュニティーであったからと言えます。TwitterのグループDMは当時サービスが始まったばかりで不具合が多く、結局数か月間DMの招待通知が来なかったのです。結局MRAとの関係は途切れてしまいます。
 その後たこたこは他のMinecraft架空鉄道との個別の協力を結んでいくことになります。最初に常総急行のsou0007氏、次いでLock鉄道Lock氏、さらにはMRAにも参加していた西京メトロことEast Of End氏の協力も取り付けます。この時点ですでに4人の間それぞれに相互協力関係ができており、「今後もこの輪を大きくするには団体になる方が効率的だ」との考えから2015年8月1日、ついにマインクラフト鉄道ネットワークが誕生します。

 

創設からの10か月

 発足後はマイ鉄ネットの舵取はたこたこ一人の独断でやっていました。と言っても大きな役割を担っていたわけではなく、小さなグループで言い出しっぺが取りまとめをするといったレベルのものでした。とはいえマイ鉄の重要な連絡や会議は新たに用意したグループDM「連絡室」で行っていました。
 また当初から加盟審査制を導入しました。これはMinecraftのスクリーンショットを上げている人のみを入れるというものでした。
 このような体制の中、RTM界隈から多くの人が参加しました。しかし参加がRTM勢ばかりだったこと、そのRTM勢がマインクラフトの鉄道プレイヤーを一つにまとめようとしていたことに対して、嫌悪する風潮は少なからずあったようです。というのもこの時期は、急成長したRTMに魅了された人々が、他の鉄道MODで活動していた方に半ば押し売りをしていて、問題になった時期でした。そういったことと重なったので余計に反感は大きかったろうと思います。特に既にニコニコ動画で活動していた方々との距離は開くばかりでした。さらには「サル山」などと揶揄されたこともあります。
 そのような中でも2015年の12月には参加者は20人ほどになっていたと記憶しています。そしてこの時期になり「一人で加盟審査をするのは公平性に欠ける」という意見が大勢を占め、審査委員が設置されます。審査委員制度は都市開発協定CDAをならったもので、選任は直接選挙として公平性を高めることにしました。
2016年に入ってからは1月に加盟制度の明文化、2月に規約の制定をしています。この頃の規約は加盟審査のやり方に関することだけでごく簡単なものでした。当時上がっていた規約案はこちらから見れます。
 3月から4月にかけて、RTMerからさらに参加者が増え、4月には40人に達しました。

 

最初の事件

 かろうじて安定した運営をしていた2016年5月8日、マイ鉄を揺るがす事件が発生します。これによってマイ鉄のイメージは著しく低下し、既存の鉄道活動者との距離は決定的なものになりました。詳しくはTwitterのマイ鉄アカウントを遡るとわかると思いますが、概略を書いておきましょう。
 当時からたこたこはyoutubeで放送をしており、twitterにリスナーDMができていました。そのDMの名前は「ホモ鉄ネットワーク」でした。今から思うと馬鹿らしい名前ですが、当時は誰も気にしていませんでした。この名前は放送中に「マイ鉄にはホモばかり(もちろんネタとして)」という趣旨のコメントがつき、それによってついた名前でした。身内だけで運用していたDMなので別段問題はなかったのです。
 さて話は変わりますが、当時たこたこの放送には少々言動が危ういTN氏という人がいました。TN氏は放送中、何度かNGワードをコメントし、その都度注意がなされていました。このTN氏、5月8日当日はリスナーDMに話し相手がいなく、暇を持て余していたようです。そこでなんと彼は、名だたる動画投稿者の方々をリスナーDMに入れてしまったのです。当然DM名はホモ鉄ネットワークのままですから、入れられた方々は誹謗中傷を受けたと認識。マイ鉄ネットに対して批判の荒らしが巻き起こります。これに対して事情が分からなかったマイ鉄参加者は身に覚えのない批判に呼応して論争を始めてしまいました。マイ鉄ネット史上初の大炎上です。当日たこたこ本人が出かけていたことも災いして対応が遅れ、RTM界・マインクラフト鉄道界全体を巻き込んだ非難の応酬が起こっただけでなく、他の界隈にまでこの報は及びました。
 この事件によってもたらされた影響はとても大きなものでした。この事件の報は拡散され、ツイートの閲覧数は8000件を超えました。また事件後の論争でDM事件の被害者であった1名の動画投稿者の方がアカウント消去に追い込まれ、その方と協力していた2名の方もこの後3か月間でアカウントを消しています。一人の「話し相手がほしい」という欲が、結果的にマイ鉄の悪評を1万人に知らしめ、動画投稿者を消したのです。
 この惨事により、たこたこは代表を辞任する意向を示し、事後処理を始めました。先にも書いたようにもともと代表などという役職はなく、代表という地位が始めて明確に定められたのがこの時です。
 さらにこの事件の裏でもう一つの騒動が進行していました。加盟当初から「自分の鉄道の名前と被っているからマイ鉄ネットの名前を変更すべきだ」と主張していたIT氏が、この事件を受けて「マイ鉄と一緒にされたくない」と発言して大きな問題になっていました。「不適切な発言で、退会させるべき」との意見が多くある中、規約を超えた対応はできないとして、たこたこは「加盟者を不快にする発言をした」としてIT氏を半年の脱退扱いとしました。これに当初IT氏は「他の加盟者が不快になった証拠は何もない」として拒んでいましたが、最終的には了承しました。ただし2ヶ月後、IT氏は自ら脱退者を名乗り始め、反マイ鉄の活動を始めています。

 

最初の政権交代

 1ヶ月半後の2016年7月、トラブル対応・代表交代の方法などを盛り込んだ規約が制定され、代表はKKさんに移行されます。代表選挙を行いましたがKK氏以外立候補せず、結局信任投票で過半数になったため決定となりました。KK氏の公約は「マイ鉄の改革」であり、その内容は強いマイ鉄を作ろうとしているのであろうと感じさせるものでした。KK氏は生徒会も経験しており、その手腕でマイ鉄を引っ張っていく・・・はずでしたが、上手くはいきませんでした。
 さて、これまでの活動で会議制に陰りが生じてきていました。参加者が増える一方で会議は長くなり一方で発言する人は増えませんでした。このままでは先の事件のような緊急事態にすぐに対応できない可能性があります。この状況を打開するため、新しい規約では代表の権限を大きくしました。それまでトラブルへの対応は会議で行っていました。これは規約にはなく慣例となっていただけでしたが・・・。それを新しい規約では代表の一存で対応することにしたのです。今度はこれが仇となります。

 

第二の事件

 KK氏が就任して1ヶ月後の2016年8月20日、マイ鉄にさらなる打撃となる事件が起きました。IRこといもいぬ氏のサーバ(IR鯖)で個人間のトラブルが発生しました。これ自体は特にマイ鉄と関係がなかったのですが、問題を起こした本人で当時審査委員のKT氏の言動が波紋を呼びます。IR鯖内DMにて「マイ鉄から処分が下る」と脅すという事態が起きたのです。これに対してKK氏は事態の概要を調査したもののKT氏側の主張を採用し、いもいぬ氏側の責任だけを追求したために、いもいぬ氏とこけ氏はこれに反対してマイ鉄を離脱しました。
 またこの事態に対して「規約を遵守して脱退させるなら両方脱退させるべきだ」との意見が出ましたが、KK氏はこれを受け入れませんでした。マイ鉄内の多くのRTMモデラーは反感をあらわにし、後を追うように一人、また一人と脱退していきました。これによって参加者は10人ほど減りました。今もRTM界隈にある反マイ鉄の感情はこの時期に生まれたものです。
 この事態に対してたこたことEastOfEnd氏、tojo8000氏でKT氏の不信任案が提出されました。また別にCR箱日本さんから代表不信任案が提出されました。しかしKT氏の不信任案は可決されましたが、代表の方は今一歩で否決されました。これは不信任案の説明がなされたKT氏のものに対して、代表の方は説明がなく事情を知らない人達を取り込むことができなかったことによります。この後、CR箱日本氏は規約改正の方に動き、それまで不信任案の可決は2/3以上とされていたものを1/2としました。すでに会議や規約について気にかける人が減ってしまい、規約の改正が楽になってしまっていたのです。提出されればほぼ確実に可決されるといった有様でした。
 この段階になって、代表も規約も会議も参加者には望まれていないということが浮き彫りになったのです。

暗黒時代の終わり

 KT氏が不信任案可決によりマイ鉄を追われた後、また別の問題が浮上しました。審査が滞りがちになったのです。というのも残った審査委員どちらもが実生活の多忙で審査に手を付けられない状況になってしまったのです。ひどいものでは1ヶ月程度放置されるという事態に至りました。また当時加盟申請も前より多くなっていました。一つには先の件で脱退した人達がスパイアカウントを作成しマイ鉄内部への潜入を図ったのです。多くは申請却下されましたが、一部はマイ鉄内部に潜入することに成功したようです。こうしてマイ鉄内部で封じ込められた情報が外に漏れるという事態も発生しました。このような事態に対してKK氏は対応ができず、さらに反マイ鉄の波は大きくなります。
 またこの時期にKK氏の提案で実施された、マイ鉄参加者の役割分担制度も手詰まりになっていました。マイ鉄総務部・広報部・企画部など複数の部署が設置され参加者全員が割り振られましたが、多くは看板を用意したのみで、実質的な活動はほとんど行われませんでした。他にもマイ鉄公式サーバー計画(Minecraft大都市計画物語)がKK氏の呼びかけで始まりましたが、これは鯖主の解散宣言で無に帰しています。
 こうしてKK氏が公約とした「マイ鉄の改革」はことごとく失敗に終わってしまいました。
 そして10月上旬、再び高まった反マイ鉄の感情に呼応する形で再度代表不信任案を提出されます。これもたこたことEastEnd氏、tojo8000氏の連名によるものでした。この投票で不信任95%となり代表不信任案は可決されました。これによって第2代代表、KK氏は代表の座を追われたのです。
 趣味の団体の未来を一個人に委ねる。マイ鉄のこの体制はまたもや失敗を生んだのです。

マイ鉄の復興

 KK氏が追われた直後に選挙が行われました。立候補したのは、第二の事件で脱退した後再参加したばかりのあいかわ氏(神谷急行電鉄)、いもいぬ氏(MR)、副代表に就いていたニャルラ氏(大日本帝有鉄道)、たこたこの4人でした。以下に各候補者の公約の概要を残しておきます。

  • 第京快ニャルラ
    • 副代表の臨時化と、代表権限の縮小
    • 代表と分担することによる審査委員の仕事の縮小
    • マイ鉄ネット内の投票結果の開示
    • RTM事業者とトロッコ事業者の住み分け
    • マイ鉄ネットサーバの情報公開強化
    • トラブル当事者の一時的な加盟停止措置によるトラブル対応の強化
  • たこたこ焼き
    • 代表・副代表・雑談室・連絡室の廃止
    • Twitter外からの加盟受け入れ
    • 審査基準の引き下げとそれに伴う審査委員の負担軽減
    • マイ鉄ネットがもつ権限の撤廃
    • 投票を必要とする体制の解体
    • wiki全ページの編集・作成自由化
    • 部署の非公式化
  • いもいぬ
    • RTM事業者とトロッコ事業者の住み分け
    • マイ鉄Twitterアカウントによる内部情報を積極的な公開
    • 審査・会議のスピードアップ
  • 相川とっすぃ
    • 加盟審査を投票に一本することによる省力化
    • 審査委員の運営委員への移行
    • 代表・副代表・運営委員によるマイ鉄ネットの運営
    • 他団体の交流の強化

 投票の結果、2016年10月21日、たこたこが代表の座に返り咲きます。直後に立候補していた他の3人と審査委員経験者を集めて「マイ鉄の今後を考える会」が設置され、今後のマイ鉄の方針について話し合われました。
 個人の資質に全参加者をゆだねる代表制を廃し、代わってマイ鉄参加者の象徴としての宣伝本部長を設置すること。個人の生活に左右され、委員の活動を妨げる審査委員制度を廃止すること。代わってマイ鉄を自由参加制とすること。難解な規約を撤廃し最低限のガイドラインだけを制定すること。個人間のトラブルは自己解決すること。企画は個人が自由に行うこと。ブロックができず問題となっていた連絡室・雑談室を廃止すること。団体としての機能をすべて廃し、今後はコミュニティーとして活動すること。
 以上のことが決定され、2016年11月23日、山都急行(現:海咲地下鉄)しとろん氏を宣伝本部長として、マイ鉄は新しいルールのもと走り始めました。こうして現在のマイ鉄ネットがあります。