全催馬楽曲一覧/な行

Last-modified: 2012-10-16 (火) 10:48:06

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催馬楽wiki/全催馬楽曲解説

な行

ながさわ

 長沢
  • 『簾中抄』の催馬楽目録にその名がある。
  • 水戸彰考館蔵『催馬楽』に詞章が掲載されている
         (藤田徳太郎『古代歌謡の研究』有精堂出版、1969)。
整定本文
長沢の 長沢の 池に群れゐる 鶴は皆 池に群れゐる 鶴は皆
おのが代々をぞ 君にまか おのが代々をぞ 君にまか
補足
「承平主基風俗」と注がある(藤田、1969)

なつひき

本文目録拍子一段二段同音1同音2備考
鍋04夏引夏引22913--
天02夏引夏引23914--五切(4,5∥4,6,4)
三02夏引夏引23914貫河》三段-
仁02夏引夏引23914貫河》三段-
貫河
東屋
走井
飛鳥井
夏引楽
整定本文
一段) 夏引の 白糸 七はかりあり 
    さ衣に 織りても着せむ 汝(まし)妻(め)離れよ  
二段) 頑なに 物言ふ女(をみな)かな ナ 汝 
    麻衣(あさぎぬ)も 我妻(わがめ)のごとく 袂よく 着よく 肩(かた)よく 
    小領(こくび)安らに 汝着せめかも(異説「縫ひ着せめかも」) 
※改行の位置は、天治本「五切」の位置に従った。
現代語訳
一段) 夏に引いた 白い生糸が 七はかりあるの
    着物に 織って着せてあげるから 奥さんと別れて 
二段) 頑固に あれこれいう女だなあ ナ お前 
    麻の着物といっても 私の妻のように 袂の具合も 着心地も 肩の感じもよく
    衿のゆったりしたものを お前 織って着せてくれるというのか
語釈
なつひき 夏に糸を紡ぐこと。
しらいと 糸の美称。絹糸とも、麻糸とも解釈される。
  ここは、二段の「麻衣」に対比させた、絹糸とみるべき。
なゝはかり 「なゝ」は具体的な数値を指すのではなく、「多量」の意。
  「はかり」は糸を計量する際の単位。ただし、これも具体的な単位とは見ない。
さごろも 衣。「さ」は接頭辞。
ましめ なんじの妻・恋人。二人称「まし」+妻・特定の恋人を表す「め」。
かたくなに 頑固に、融通のきかない様子で。
 囃言葉。他本に無い。
あさぎぬ 麻で作った衣。
わがめ 私の妻。
かた 鍋島家本「可安多」。本来小さく書かれるはずの母音「安」が大きく誤記されたものと見る。
こくび 小領。衣服の襟。
きせめかも 着せるだろうか(いや着せない)。「めかも」は助動「む」の已然形「め」+係助「か」+終助「も」。
校異
 「可多」(本説)
   「奴比支世女加毛」(異説)
 「毛乃以不乎美名加名_末之」
 「ヌヒキセメカモ」(本説、「同歌」説は「マシキセメカモ」)
   「モノイフヲミナカナ_マシ」(本説、「同歌」説)
 「ヌヒキセメカモ」(本説、「同歌」説は「マシキセメカモ」)
   「モノイフヲミナカナ_マシ」(本説、「同歌」説)
参考
『古今和歌集』恋四

夏引の手引きの糸をくりかへしことしげくとも絶えんとおもふな

催馬楽レパートリー内の同音
夏引》一段と 《貫河》各段        
         《東屋》各段
         《走井
         《飛鳥井
  • 『三五要録』『仁智要録』に「《貫河》三段同音」とある。
  • これは「《貫河》の三段と同音」ではなく「《貫河》(三段)と同音」の意と解するべき。
  • 『催馬楽譜入文』にも「《貫川》同音」とある。
唐楽・高麗楽との同音
〈夏引楽〉序
  • 〈夏引楽〉序は黄鐘調、序拍子で拍子数は23。
  • 夏引》の一段(拍子数9)と二段(拍子数14)を合わせたものと、同音関係にある。
  • 〈夏引楽〉序、破は『三五要録』『仁智要録』にないが、『博雅笛譜』に掲載されている。
     
解説
詞章は、女と、妻のある男との掛け合いとなっている。
一段は、女が「白い生糸で衣を作ってあげる」と、男に妻との離縁を迫る内容。
二段は、男が「妻なら麻衣でも着心地良く仕立ててくれる」と、女の誘いを拒否する内容。


黄鐘調〈夏引楽〉の名は、〈石川楽〉同様、いかにも日本で作られた感がある。
〈夏引楽〉の名は『教坊記』等に見られないことから、
催馬楽《夏引》、《青馬》を元に日本で新作された唐楽曲であろう。
また、〈夏引楽〉は『三五要録』『仁智要録』に掲載されていないことから、
院政期には既に伝承が絶えていたものと思われる。

なにそもそ

 なにそもそ、何曾毛曾、絹鴨
  • 水戸彰考館蔵『催馬楽』に詞章が掲載されている。

    右の詠双調を以て音と為す。故に呂歌の末に加ふ。参入音声及び在座の間《竹河》曲を唱ふ。罷出音声は《我家何曾毛曾を唱ふ。次に《此殿》三曲を奏す。

    (藤田徳太郎『古代歌謡の研究』有精堂出版、1969)
  • 源高明『西宮記』巻二

    嚢持唯だ進む。綿を計り〈絹鴨〉を奏す。次に《此殿》曲を奏す。着座。

  • 藤原定家『源氏物語奥入』「竹河」条

    すべて踏歌には《我家》《此殿》〈万春楽〉〈なにぞもそ〉この催馬楽四をうたひ候

  • 四辻善成『河海抄』巻十

    踏歌に《我家》《此殿》〈万春楽〉〈なにぞも〉四曲をうたふ、皆呂なり

整定本文
なにそもそ なにそもそ 
絹かも 綿かも 銭かも 布かも なにそもそ
補足
男踏歌の際に歌われた曲。
催馬楽の曲名と解するべきか、一考を要する。

なんばのうみ

本文目録拍子同音1同音2
難波海難波浪10--
難波海難波海12--
難波海難波海12--
難波海難波海12--

にはにおふる

本文目録拍子同音1同音2備考
庭生庭生9--
庭生庭生9--二切(5,4)
庭生庭生9--
庭生庭生9--
老鼠

ぬきかは

本文目録拍子一段二段三段同音1同音2備考
鍋05貫河貫河27999--
天--貫河-------或絶後及数十年
或依不伝家説不書也(巻末)
三03貫河貫河27999--
仁03貫河貫河27999--
夏引
東屋
走井
飛鳥井
夏引楽
整定本文
一段) 「貫河の 瀬々の 柔ら手枕(たまくら)
    柔らかに 寝る夜はなくて 親さくる夫(つま)」   
二段) 「親さくる 妻(つま)は まして麗(るは)し
    しかさらば 矢矧(やはぎ)の市に 沓買ひに行(か)む」 
三段) 「沓買はゞ 線鞋(せんがい)の 細敷(ほそしき)を買へ
    さし履きて 上裳(うはも)とり着て 宮路通はむ」 
現代語訳
一段) (女)「貫河の 瀬々(逢瀬のたび)の 柔らかな腕枕で
    穏やかに 寝る夜もなくて 親が遠ざけてしまう
二段) (男)「親が遠ざける 彼女は いっそう美しい
    それならば 矢矧の市に 沓を買いに行きましょう」
二段) (女)「もし沓を買うなら 線鞋の 細敷を買って
    それを履いて 上裳を着て 宮路を行きましょう」
語釈
ぬきかは 《席田》にも登場する美濃国の「いつぬき川」とする説と、
      「矢矧」「宮路」から、三河国の川とする説とある。
      三河国の川といえば「矢作川」が想定される。
せゞのやはらたまくら 逢瀬ごとの、柔らかな腕枕で(→解説)
おやさくる 親が引き離して逢わせてくれない。
つま 恋人の称。男女ともに用いられる。一段を男(夫)、二段を女(妻)ととる(→解説)。
るはし 「うるはし」の転。
しかさらば それならば。副「しか」+副「さ」+「あら」+接助「ば」。
やはぎ 三河国の地名。「やはら」と通じるか。
かむ 行こう。「いかむ」の転。
せんがい 粗い絹糸で作り、紐で締める沓(『全集』)。
ほそしき 女性用のそこの細い沓(『全集』)。
うはも 衣の上から付ける女性用の裳(『全集』)。
みやぢ 都大路(朱雀大路)とする説、三河国の宮路山付近とする説とがある。
校異
 「ヌキカハ セセノ」「マシテルハシ」「シカシャラハ」(本説)
 「マシテルハシ」「シカシアラハ」(本説)
 
参考
『万葉集』巻第四、安貴王の歌一首(534) 并せて短歌(535)(新全集、1995)

遠妻の ここにし在らねば 玉桙の 道をた遠み 思ふそら 安からなくに 嘆くそら 苦しきものを み空行く 雲にもがも 高飛ぶ 鳥にもがも 明日往きて 妹に言問ひ 我が為に 妹も事無く 妹が為 我も事無く 今も見る如 副ひてもがも
  反歌
しきたへの手枕まかず間置きて年そ経にける逢はなく思へば

『万葉集』巻第十一、正述心緒(2615)

しきたへの枕をまきて妹と我と寝る夜はなくて年そ経にける

『万葉集』巻第十四、東歌(3369)

足柄のままの小菅の菅枕あぜかまかさむ児ろせ手枕

『万葉集』巻第十四、東歌(3420、3502)

上野(かみつけの)佐野の舟橋取り放し親はさくれど我は離(さか)るがへ
我が目妻人はさくれど朝顔のとしさへこごと我は離(さか)るがへ

『枕草子』60「河は」(新全集、1997)

細谷川、いつぬき川、沢田川などは、催馬楽などの思はするなるべし。

  • 「いつぬき川」は《席田》の詞章に表れる。《貫河》とは別とする説もある。
『源氏物語』「花宴」[5](新全集『源氏物語①』、1994)

(源氏)大殿(葵の上)には、例の、ふとも対面したまはず。つれづれとよろず思しめぐらされて、箏の御琴まさぐりて、「やはらかに寝る夜はなくて」とうたひたまふ。

  • 気心の通わない葵の上へのあてつけであろう。
『源氏物語』「常夏」[2](新全集『源氏物語③』、1996)

(源氏)「貫河の瀬々のやはらた」と、いとなつかしくうたひたまふ。「親さくるつま」は少しうち笑ひつつ、わざともなく掻きなしたまひたる(和琴の)すが掻きのほど、いひ知らずおもしろく聞こゆ。

  • 「親」が解しがたい。
    催馬楽の原義に沿うならば、玉蔓を、保護者(源氏)が隔離する、の意味であろうが
    あるいは実父(内大臣)から隔離するの意味とも解せるだろうか。
『千載和歌集』巻第十三恋歌三(藤原長能、782) 

やはらかにぬる夜もなくて別れぬるよゝの手枕いつか忘れん

催馬楽レパートリー内の同音
貫河》各段と《夏引》一段        
         《東屋》各段
         《走井
         《飛鳥井
  • 『三五要録』『仁智要録』《夏引》に「《貫河》三段同音」とある。
  • これは「《貫河》の三段と同音」ではなく「《貫河》全三段の各段と同音」の意と解するべき。
唐楽・高麗楽との同音
〈夏引楽〉序
解説
  • せゞのやはらたまくら
    流れの速い「瀬」と、手枕(腕枕)の柔らかさとが直結しないため、諸注訳出に難儀している。
    『入文』は「瀬々の小菅の」とする本文を採用するが、現在確認できない。
    小西(1957)は「「瀬」と同音の「兄」にかけて「手枕」の序にしたものとみたい」とするが、
    「瀬」と「兄」の掛詞については他の用例を見ず、首頷しがたい。
    「瀬」を、「会う場所・機会」、もしくは「逢瀬」の意味で解すれば、
    (親の隙をついて)逢うたびの柔らかな腕枕で、でもゆっくりと穏やかに寝ていられる夜はない、
    というように、一応の意味を通じさせることができる。 
    『千載集』(13-782)藤原長能(949-1009?)の歌(→参考)が理解を助けよう。
  • 男女の問答体について
    詞章は、男女の掛け合いとする説、女どうしの尻取り歌とする説(木村、2006)などがある。
    「つま」が男女いずれをもさす言葉なので、このような揺れがみられるのであろう。
    以下に先行研究の判断を、管見の及ぶ範囲で一覧する。
    注釈書一段二段三段備考
    ~親放くるつま~まして麗ししかさ
    らば~
    沓買は
    ゞ~
    梁塵愚案抄
    催馬楽考
    催馬楽譜入文
    梁塵後抄『入文』説の引用のみ
    小西(1957)
    西角井(1959)「一段は男女とも決め難い」
    全体的に口訳と解説との間に齟齬あり
    池田(1975)「無理を承知で、全部女として通してみた訳である」
    臼田(1976)
    中田(2000)「当該歌の享受者がこのことで男女双方の立場を感得できるという効果が生じる」
    木村(2006)女(A)女(B)女(C)「恋愛の話から、お洒落の話に他愛もなく展開する、年頃の娘たちの会話仕立ての尻取り歌である」
    拙頁
    拙頁では、臼田(1976)中田(2000)同様、二段全体を男の言葉と解釈する。
    一段と二段とで「つま」にあてる意味を違えることになるが、
    女から夫(つま)を遠ざける親は、同時に男から妻(つま)を遠ざける親でもある。
    二段以降の歌が、木村(2006)のいう「尻取り歌」のごとくに、
    一段末尾「親さくるつま」に即興的に答えた男の返歌だったとすれば納得がいく。
    「しかさらば」以降は「あなたの家では会えないので、沓を買いに外に出ましょう」という意と、
    同時に「やはらかに寝る夜もないので、やはぎの市に行きましょう」の意を含意した、
    まさに「知的な遊び」(中田、2000)とも呼ぶべき表現形態であったことを想像させる。
  • 多段階による《貫河》成立の可能性
    原初の形態として、一段のみの段階を想定するのは、
    貫河》が、同音関係にある《夏引》一段から派生したと考えるからである。
    一段のみであれば、『万葉集』巻2615番歌、3420番歌などと同趣で、
    かつ《我駒》《妹之門》同様、男女どちらをも主体ととれる応用性のある歌であったろう。
    また、一段の貫河(美濃国)と、二段三段の矢矧・宮路(三河国)とで地域が異なるというのも
    歌詞が多段階を経て成立したことを想定することで、許容できるのではないか。
    二段以降の成立時期に関しては、
    もし「やはらかに」と「やはぎ」とが掛詞として用いられているのだとしたら、
    それは歌謡としての原初的な段階を想定するよりも、六歌仙以降の時代を想定するほうが自然であろうか。
『三五要録』
」は『三五要録』の旋律の区切り
さらに、鍋島家本により区切り(「」)を補った
・ ・
1ヌ キ カ ハ ノ       
2   セ  セ
3
4
5ヤハ
6   ヌ  ル
7   ナ  ク
8ヤ  
9  ツマ