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#ref(./pt09.jpg,nolink,right,around,Lungo-Nango);
&color(Green){''【常勝の猛者】ルンゴナンゴ/るんごなんご''};
&color(Green){生没年:342~376};
-&color(Green){366 ~ 368:戦闘魔導師団長};
-&color(Green){368 ~ 372:ガラダエルラダ(現ノルバレン)属州長官};
-&color(Green){372 ~ 375:大魔元帥};
&color(Green){フェイス:とんがり(F1B or F5A)系};
#clear
----
魔法学校史上稀にみる落ちこぼれだったが、獣使いの才があり、魔法学校中退後に入った軍で魔戦士として活躍、頭角を現し、弱冠24歳にして戦闘魔道師団長に抜擢された。
#br
368年、当時、政情不安定であったウィンダス領ガラダエルラダ(現ノルバレン)の属州長官に着任すると、早々に領内を荒らしていたエルヴァーンのガレヤン族とサンドリア族を討伐して、さらに武名を高めた。
その翌369年、受勲のため赴いた元老院においてエルヴァーン諸部族討伐の必要性を提言し、その場で許諾を得ると、タルタル兵と野獣で混成した奇妙な軍勢ルンゴナンゴ軍(征討軍)を編制。
翌年(370)には、ロンフォールに侵攻、サンドリア族を滅ぼしたのを皮切りにクォン大陸を縦断する遠征を開始。
371年、現ザルクヘイムに侵攻すると、エルヴァーンの有力諸族、ファシュヴェル族とビュルトラン族及びサンドリア族の残党の連合軍勢を、ほとんど兵を失うことなく奇抜な戦術で次々と撃破。
&attachref(./pt10.jpg,nolink,Lungo-Nango);
その功績多大であったため、翌372年、異例なことに、通常は元老院議員が勤める大魔元帥に戦陣において任命された。
その後(同年)、破竹の勢いで大陸南部に侵攻。現グスタベルグにまで到達、そこを拠点としていた山岳部族シャティフのゲリラ戦術にこそ手を焼いたものの、翌373年、エルヴァーンの有力氏族が立て篭もっていた最後の砦モルトゥーグを陥落させ、ついにクォン大陸
#br
前人未到の二大陸制覇を成し遂げたルンゴナンゴ元帥は、モルヒェン岬に立ち寄るとこうつぶやいた。
終わっちゃった。
つまんないな……。
でも、まだ見ぬ海の向こうの敵が、
ボクと戦いたくて、うずうずして待ってるよ、
きっと…
生まれながらの獣使いであったルンゴナンゴの周囲で護衛を務めていたのは、ほとんどが獣ばかりであったため、その本気とも冗談ともつかぬ台詞に、答えた者はいなかった。
#br
しかし、374年、元老院から凱旋式挙行を理由に聖都に召還され、偉業によって一躍英雄になり各地で盛大な歓待を受けながら聖都に戻った彼を待っていたのは、栄光の凱旋式ではなく連日の査問委員会への出頭であった…。
そこで(375年)元老院より過去の作戦における独断専行を糾弾されたルンゴナンゴは、突如大魔元帥から解任される。挙句、聖都追放刑としてマウラへ移送され謹慎中に、手塩にかけた旗下の軍まで解体させられた。(一部の将兵が解散を拒み、ルンゴナンゴを救出す
そして間もなく(376年)、熱病に侵され、失意の内に頓死した。
#br
トリビューンや公式設定資料集にははっきりとは記載されていないが、数々の武勲によってウィンダス連邦内での影響力が高まりすぎ((ルンゴナンゴ軍解体の際には、解散を拒む一部将兵によって、ルンゴナンゴ救出の反乱が企てられていたという。このことからも、
#br
皮肉なことに、彼の死後、ウィンダスには敗北が続く。
377年のロンフォール総督府襲撃を皮切りにしたサンドリア族の反乱で現ザルクヘイムを失い、382年の第二次エルヴァーン討伐軍は後任の大魔元帥アトギノクトギが戦死する惨敗。
399年には6個師団が護っていた、ノルバレンのジャビゴゴ砦が陥落。
二大陸制覇からわずか26年で、ウィンダスはクォン大陸から一掃されてしまった。ある意味、彼が生きていた間がウィンダスにとって最も栄光のある時代だったのかもしれない。
#br
没後、罪人とされた彼の遺品や記録が散逸してしまった上、幼少の頃よりクァールのメウルルを生涯の友とし、数多の狂暴な野獣を手懐けて軍勢に加えていた、という彼の伝説は余りにも荒唐無稽であったため、彼の実在自体が怪しまれていた時代もあった。
しかし、大戦後の共同研究でエルヴァーン側の資料からもその信憑性が裏付けられたため、彼には獣使いの天賦の才があったのではないか、というのが最近の定説になりつつある。
#br
死から36年が経過した412年に名誉回復がなされ名誉議員の称号が送られたが、
これは当時不可侵条約を結びに使者を出した、サンドリア王国のランフォル王の提案によるもの。
また、同様に約300年後、彼の著したとされる魔道書をもとに戦術魔法大典「グリモア」が纏められ、当時のヴァナ・ディールに誕生した多くの軍学者(学者)の手に携えられることとなるが、これもバストゥークのシュルツによる編纂である。
死後も自国からは顧られることの少ない男だった。だがその功績は国境を越えて確かに評価されている。
#br
----
#br
なお、カンパニエのスカウトNPCとして「Rongo-Nango」と名乗る人物が登場している。ウィンダスに対して警戒感を露にする様子から、関係者である可能性は高い。
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#ref(./pt09.jpg,nolink,right,around,Lungo-Nango);
&color(Green){''【常勝の猛者】ルンゴナンゴ/るんごなんご''};
&color(Green){生没年:342~376};
-&color(Green){366 ~ 368:戦闘魔導師団長};
-&color(Green){368 ~ 372:ガラダエルラダ(現ノルバレン)属州長官};
-&color(Green){372 ~ 375:大魔元帥};
&color(Green){フェイス:とんがり(F1B or F5A)系};
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魔法学校史上稀にみる落ちこぼれだったが、獣使いの才があり、魔法学校中退後に入った軍で魔戦士として活躍、頭角を現し、弱冠24歳にして戦闘魔道師団長に抜擢された。
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368年、当時、政情不安定であったウィンダス領ガラダエルラダ(現ノルバレン)の属州長官に着任すると、早々に領内を荒らしていたエルヴァーンのガレヤン族とサンドリア族を討伐して、さらに武名を高めた。
その翌369年、受勲のため赴いた元老院においてエルヴァーン諸部族討伐の必要性を提言し、その場で許諾を得ると、タルタル兵と野獣で混成した奇妙な軍勢ルンゴナンゴ軍(征討軍)を編制。
翌年(370)には、ロンフォールに侵攻、サンドリア族を滅ぼしたのを皮切りにクォン大陸を縦断する遠征を開始。
371年、現ザルクヘイムに侵攻すると、エルヴァーンの有力諸族、ファシュヴェル族とビュルトラン族及びサンドリア族の残党の連合軍勢を、ほとんど兵を失うことなく奇抜な戦術で次々と撃破。
&attachref(./pt10.jpg,nolink,Lungo-Nango);
その功績多大であったため、翌372年、異例なことに、通常は元老院議員が勤める大魔元帥に戦陣において任命された。
その後(同年)、破竹の勢いで大陸南部に侵攻。現グスタベルグにまで到達、そこを拠点としていた山岳部族シャティフのゲリラ戦術にこそ手を焼いたものの、翌373年、エルヴァーンの有力氏族が立て篭もっていた最後の砦モルトゥーグを陥落させ、ついにクォン大陸
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前人未到の二大陸制覇を成し遂げたルンゴナンゴ元帥は、モルヒェン岬に立ち寄るとこうつぶやいた。
終わっちゃった。
つまんないな……。
でも、まだ見ぬ海の向こうの敵が、
ボクと戦いたくて、うずうずして待ってるよ、
きっと…
生まれながらの獣使いであったルンゴナンゴの周囲で護衛を務めていたのは、ほとんどが獣ばかりであったため、その本気とも冗談ともつかぬ台詞に、答えた者はいなかった。
#br
しかし、374年、元老院から凱旋式挙行を理由に聖都に召還され、偉業によって一躍英雄になり各地で盛大な歓待を受けながら聖都に戻った彼を待っていたのは、栄光の凱旋式ではなく連日の査問委員会への出頭であった…。
そこで(375年)元老院より過去の作戦における独断専行を糾弾されたルンゴナンゴは、突如大魔元帥から解任される。挙句、聖都追放刑としてマウラへ移送され謹慎中に、手塩にかけた旗下の軍まで解体させられた。(一部の将兵が解散を拒み、ルンゴナンゴを救出す
そして間もなく(376年)、熱病に侵され、失意の内に頓死した。
#br
トリビューンや公式設定資料集にははっきりとは記載されていないが、数々の武勲によってウィンダス連邦内での影響力が高まりすぎ((ルンゴナンゴ軍解体の際には、解散を拒む一部将兵によって、ルンゴナンゴ救出の反乱が企てられていたという。このことからも、
#br
皮肉なことに、彼の死後、ウィンダスには敗北が続く。
377年のロンフォール総督府襲撃を皮切りにしたサンドリア族の反乱で現ザルクヘイムを失い、382年の第二次エルヴァーン討伐軍は後任の大魔元帥アトギノクトギが戦死する惨敗。
399年には6個師団が護っていた、ノルバレンのジャビゴゴ砦が陥落。
二大陸制覇からわずか26年で、ウィンダスはクォン大陸から一掃されてしまった。ある意味、彼が生きていた間がウィンダスにとって最も栄光のある時代だったのかもしれない。
#br
没後、罪人とされた彼の遺品や記録が散逸してしまった上、幼少の頃よりクァールのメウルルを生涯の友とし、数多の狂暴な野獣を手懐けて軍勢に加えていた、という彼の伝説は余りにも荒唐無稽であったため、彼の実在自体が怪しまれていた時代もあった。
しかし、大戦後の共同研究でエルヴァーン側の資料からもその信憑性が裏付けられたため、彼には獣使いの天賦の才があったのではないか、というのが最近の定説になりつつある。
#br
死から36年が経過した412年に名誉回復がなされ名誉議員の称号が送られたが、
これは当時不可侵条約を結びに使者を出した、サンドリア王国のランフォル王の提案によるもの。
また、同様に約300年後、彼の著したとされる魔道書をもとに戦術魔法大典「グリモア」が纏められ、当時のヴァナ・ディールに誕生した多くの軍学者(学者)の手に携えられることとなるが、これもバストゥークのシュルツによる編纂である。
死後も自国からは顧られることの少ない男だった。だがその功績は国境を越えて確かに評価されている。
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なお、カンパニエのスカウトNPCとして「Rongo-Nango」と名乗る人物が登場している。ウィンダスに対して警戒感を露にする様子から、関係者である可能性は高い。
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