Joseph Beuys
年譜
- 1921 旧西ドイツのクレーフェルトに生まれる。~少年時代をオランダ国
境付近のクレーベ、後にリンデルで、厳格なカトリック環境のもとで過ごす。→
自然科学的興味 - 1938 クレーベ在住の彫刻家アーシレ・モーアトガートのアトリエを訪れ
る。彫刻家ウ゛ィルヘルム・レームブルックのカタログに衝撃を受ける。 - 1940 アビトァーア(大学入学資格試験)合格。ドイツ軍から招集され、
ポーゼンの航空通信学校へ配属される。~ここで出会った上官のハインツ・ズィー
ルマンに大きな影響を受ける。植物学、動物学、を修め、又料理の腕をみがく。 - 1943 急降下爆撃機の乗員になったボイスは墜落し、クリミア半島を移動
中にタタール人に助けられる。~傷口に脂肪を塗り、体温を保つために体をフェ
ルトで包み、ミルクやチーズを与えられた経験はその後のボイスの芸術活動の核
となる。 - 1947 デュッセルドルフ芸術アカデミーに入る。~アカデミーの教授エー
ウ゛ァルト・マタレーの彫刻の仕事を手伝い、高く評価される。→後に不仲に・
・・ - 1954 ファン・デア・グリンテン兄弟の家で初の展覧会が開かれる。
- 1957 失恋のショックからこの後2年間鬱病を患う。
- 1959 エーファ・ウ゛ルムバッハと結婚。
- 1961 デュッセルドルフ芸術アカデミーモニュメント彫刻科の教授に就任。
息子ウ゛ェンツェル誕生。 - 1967 デュッセルドルフ芸術アカデミーにてドイツ学生党を結成。
- 1971 入学を許可されなかった志願者17名とともにアカデミーの事務局
を占拠する。→入学許可がおりる。「自由大学のための委員会」を設立。 - 1974 ハインリッヒ・ベルとともにデュッセルドルフに「自由国際大学」
を創立。初代校長に就任する。 - 1976 ハンブルク市からリヒベルク賞を受賞。
- 1978 旧西ベルリン芸術アカデミー会員になる。
- 1984 イタリアのボローニャ市より名誉市民賞を受賞。西武美術館での「ヨーゼフ・ボイス展」のために来日。
- 1986 ドィースブルク市からウ゛ィルヘルム・レームブルック賞を受賞。
デュッセルドルフにて死去。ミュンヘン市立レーンバッハウス美術館にて「ボイ
スを讃えて」展が開催される。69人の作家が参加。
主なアクション、作品
- 1963 アクション「シベリア交響曲」
- 作品「脂肪の箱」
- 1964 アクション「ボスーフルクサスの歌」
- 1965 アクション「そして私達の中で・・・、私達のもとで・・・、大地のもとで・・・」
- アクション「死んだウサギに絵を説明するには」
- 1966 -アクション「グランドピアノのための均質浸透:現代の最も偉大な作曲家はサリドマイド児だ」
- アクション「ユーラシア」
- アクション「シベリア交響曲第34楽章」
- アクション「マンレーザ」
- 1967 アクション「本流」
- 展覧会「並行過程1」
- 1968 アクション「並行過程2」
- アクション「大発電機」
- 1969 アクション「私は君を解放する」
- 1971 アクション「買い物袋のアクション」
- 1972 アクション「掃き出す!」
- 1974 アクション「私はアメリカが好き、アメリカも私が好き」
- 講演「新しい社会へのエネルギーの方向」
- 1976 作品「汝の傷を見せよ」
- 作品「市電の停車場」
- 1977 インスタレーション「作業場の蜜蜂ポンプ」
- 1979 作品「ブラジルの基礎」
- ニューヨークのグッゲンハイム美術館にて商業資本の援助を全く受けない大回顧展
- 1982 アクション「7000本の樫の木」
- 作品「作業場」
- 1983 インスタレーション「20世紀の終焉」
- 作品「苦悩の部屋」
- 1984 アクション「コヨーテ川」
- 1985 マルチプル作品「カプリ・バッテリー」
- 空間彫刻「苦境」
- 空間彫刻「パラッツォ・レガーレ」
拡張された芸術概念
- ボイスは生前何度も「私達はみな芸術家である」と語っている。これは言葉の通りに、人は全て画家か彫刻家である、とボイスが考えているととるべきではないであろう。芸術という概念は、いわゆる「芸術家」の「仕事」と思われている、絵を描く、彫刻を作る、詩を紡ぐ、メロディーを綴る、小説を創作する、等・・の活動にのみあてはまるものではない。
- なぜなら、私達は誰であろうとも「創造性」という能力を備え持っており、
この「創造性」とは、美術、文学、と同じように医学、農業、教育学、法律、経
済、全ての分野において、応用され、発揮されるものであるからである。そして
また、人間にとっての芸術という概念そのものが、その普遍的な「創造力」と関
連しているのだから、芸術という概念は人間の活動全てにあてはまるものなので
ある。これがボイスの語る「私達はみな芸術家である」という言葉の真意ではな
かろうか。 - そして私達全員、習練されるのに値する「創造性」を内に秘めており、その「創造性」は、世界のあらゆるところにおいて発揮されるべきで、私達のすべてがそのことに気付く能力と、権利を持っているのだ。少数の天才とよばれた「芸術家」達だけのためのものであった古い芸術の栄光と歴史は行き場をなくして硬直しており、今こそ私達人間全員の無意識の内に抑圧された「創造性」は、私達の生命、魂、精神のうちにおいて呼び起こされ、広い世界、宇宙へと解き放たれ、いきいきと躍動する新たな「芸術」へと変容を遂げなくてはならない。これこそ、ボイスが最高の芸術作品と呼ぶ『拡張された芸術概念』なのである。
社会彫刻
- ボイスは「社会彫刻」という、彼の一生を捧げたあくなき概念的作業において、まずに第一に人間を芸術的に教育する必要性を説いている。芸術が全ての教育の領域と生の領域において統合されて初めて、ひとつの精神的で民主的な効率のよい社会が成立しうる、というのである。
- 同時にボイスは、芸術家が個別の作品をつくりだしていくという伝統的な芸術的概念にはっきりと疑問を投げかけている。そもそも、ボイスは彫刻という概念を全てを包み込むようなものと捉えており、彫刻の概念とは言語と思考において始まり、会話において修得され、感覚と意欲を形態へと導きうるものであるとしている。ボイスは、従来の幾何学的な思考とプロセスで”あるもの”を刻みつける「彫る」というプロセスを経た「彫刻」=Bildhauereiと、内的なものから生まれる有機的な形成物を意味する「彫刻」=Plastikerを区別している。
Bildhauereiが思考的にも、物質的にも硬的なものであるのに対して、Plastikerは液体や一般的な運動プロセスや、進化的な根本原理から発生するもの、すなわち運動を意味するものであり、これが「社会彫刻」へと発展していく。 - 「彫刻」=Plastikerはなにか硬直したものではなく、躍動する力を体験でき
るエネルギーにみちたプロセスであり、彫刻とは見られる以前に聴かれるもにで
あるとボイスは主張する。例えば、流れる水が創り出す渦や心臓の鼓動のリズム
は、彫刻を創り出す運動でもある。こうしてボイスは従来とは別の「人間学的な
彫刻理解」を促したのである。 - つまり彫刻においても、「彫刻」という芸術作品が完成品ではなく、むしろ、芸術作品は最大の謎であり、人間自身が解答であるということである。芸術家のみの作品を到達点とした芸術概念の伝統は終わり、私達は新たな「社会的な芸術概念」と共に発展していかなくてはならない。
- 「社会芸術」、すなわち『社会彫刻』は、言語と思考において始まるが故に、私達はお互い語ることによって社会彫刻の精神的基盤を求め、その基盤によって私達は創造的に世界を決定していく存在であることを認識し、体験する。
人間自身が起こしうる変革あるいは変動について、繰り返しボイスは「芸術作品が最大の謎なら、人間がその解答になろう」と述べている。ボイスは今日の人間を、まずその可能性の初期段階として見ている。すなわち、芸術もこれから成立していくものと見ているのである。