romaashawz

Last-modified: 2021-05-23 (日) 13:24:06
ロマーシャ戦争
Romaasha War
Romallsha Waz
Романшкая война
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ログロムヌス製の戦車を装備しヴァル戦車戦?へ向かうスィーザーラント郷土防衛軍?
年月:1971年12月25日~1972年8月16日
場所:南部スィーザーラント、北部トルトーリア、北部ナジンスカヤ
結果:スィーザーラントの勝利
交戦勢力
File not found: "Switherllant Republic.png" at page "素材置き場"[添付]スィーザーラント共和国?File not found: "トルトーリア国旗.png" at page "素材置き場"[添付]トルトーリア帝国?File not found: "soviet.jpg" at page "素材置き場"[添付]評議会人民共和国?
支援
ログロムヌス共和国?
クルーダー朝
中央州連邦?統一ジョルゴワ国家連合?
指導者・指揮官
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File not found: "Switherllant Republic.png" at page "素材置き場"[添付]ウィリアーム・ジャコブ
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戦力
1972年2月11日以前
9個師団5個旅団2個連隊 22万人
戦車40両

1972年2月11日以後
11個師団8個旅団 32万人
戦車210両
15個師団 32万人
戦車160両
15個師団3個旅団 27万人
航空機80
損害
死傷 44万人(民間人含む)
戦闘車両 150両
死傷 21万人(民間人含む)
戦闘車両 220両
死傷 5万人
戦闘車両175両
航空機32機
ロマーシャ戦争
ニイカヤタマ作戦 - スクウェニアの戦い - ネーヴィジュアの戦い -
スクウェニア・ルーテア包囲戦 - ヴェレーン攻防戦 - クスノキ防衛戦 - サイクロプス作戦 -
ヴァル戦車戦 - SNR介入 - 二等分作戦 - SNR対スィーザー宣戦 - バズーリア作戦 - ナジンスカヤ条約

背景

講和での認識不一致

硝子戦争?の後、潜伏していた政府が帰還して独立したスィーザーラント共和国?であったが、隣国となったトルトーリア帝国?はロマーシャ地方の帰属権を要求していた。
当時トルトーリアは硝子戦争に参戦してこそいなかったものの、中央州連邦?よりロマーシャ地方、北部トルトーリア(現ロマーシャ含むスィーザーラント王国?トルトーラ人自治4州)の割譲を約束されていた。
しかしNINP諸国(およびログロムヌス政府)はスィーザーラント政府に旧グラス公国のカーラニズ自治州(スィーザーラント地方バズーラ山脈以北とロマーシャ)の割譲を約束しており、講和会議では対グラス連邦に参戦していたスィーザーラントが優先されるとNINP代表により記載された。
結果、ロマーシャ含むカーラニズ自治州全域はスィーザーラントに割譲され、ロマーシャのトルトーリア系やトルトーリア、および中央州連邦に不満の残る結果となった。

戦争準備

トルトーリアは中央州連邦と協定を結び(アル・ジャミル協定)、中央州連邦から硝子戦争で活躍した第一世代現代戦車戦車TP-62の提供や、スィーザーラントをトルトーリアの影響下に置くことへ合意させると戦争準備を開始。
スィーザー側は戦災復興に注力し軍備は切り詰められていたため、トルトーリアは好機とみて越境測量などの挑発を開始した。
1971年9月27日、スィーザーラントも動員を開始した。

戦争推移

勃発

12月25日、「スィーザーラントによる銃撃」を名目にトルトーリア軍が一斉にスィーザーラント領内に進撃。
これは「ニイカヤタマ作戦」(ニイカヤタマはトル・トーラ信仰の聖地)と呼ばれる周到に計画された作戦で、バズーラ山脈を越えたトルトーリア軍は早急にロマーシャの主要都市ロマーシュナを占領し、スクウェニア・ルーテア方面でも多数の戦車の投入によりスィーザーラント軍はなすすべもなく(特に200両あったトルトーリア軍の戦車へ対処できる対戦車火器が不足していた)各地で撃破され、作戦開始から2日でスクウェニア・ルーテアにて2個師団が包囲された。トルトーリア軍はスクウェニア・ルーテアを包囲にとどめ、スィーザーラント首都ヴェレーンへ軍を進撃させるも、そこでスィーザーラント唯一の機甲大隊(グラス製重戦車Ektaper988や多数の装甲トラックを装備)やヴェレーン防衛を任されたウィリアム・ジャコブ司令官の市街地ゲリラ戦闘よりヴェレーンは陥落せず、損害に青くなったトルトーリア軍が先に撤退した。しかし、守りきれたのはその2つのみで、ヴェレーンは戦略的に包囲され、トルトーリア軍はサウサフォーン、ネーヴィシュアまで進出しており、スィーザーラントは南部をほぼ失う大敗北を喫した。トルトーリア軍は作戦を変更、スクウェニア・ルーテアへ総攻撃を開始するも、そこでは市民(女性や子供含む)すら武器を手に取り徹底抗戦を行っており、陥落はまだ先になると思われた。

休戦

1972年2月11日、NINP諸国と統一ジョルゴワ国家連合の仲介によりトルトーリア・スィーザー間で休戦が結ばれる(CSFの影響力の増加を懸念したと思われる)。
この間、スィーザーラントはグラスが設計した87A6(T12)?のなどの兵器を「スクラップ」の名目で世界中から(特にログロムヌスは「スクラップ」を大量にスィーザーラントに売却していたことは有名)かき集め、戦力を増強していった。
また複数あった民兵組織をスィーザーラント郷土防衛軍に取り入れ、指揮系統の一本化に成功する。
一方のトルトーリアは講和会議に向け軍の一部を休息させており、これがのちの戦況に変化を与えたと考えられる。

再開

トルトーリアは講和を望むも、スィーザーラントは黙殺。業を煮やしたトルトーリア軍が休戦破棄・一斉攻撃を開始した。
総攻撃によりヴェレーン市にトルトーリアの歩兵がなだれ込み、市内の6割を占領されるも、スィーザーラント軍はゲリラ攻撃による補給路の寸断などを徹底して行ったため、トルトーリア軍はヴェレーンにて包囲され、(硝子戦争で使用された使い捨て対戦車火器を再利用した兵器が活躍した)、戦況は一気にスィーザーラント有利に傾いた。
しかしこの激戦の最中、アドラーフ・ミッタマーイヤー総司令官が狙撃され死亡。ヴェレーン攻防戦で戦果を挙げたウィリアム・ジャコブが後任となった。

逆進攻

スィーザー軍は機甲師団を先鋒に、アスハーシナ平野で攻勢を開始。トルトーリア軍は機動防御のために多数の戦車が貼り付けられ、大規模な戦車戦が発生した(ヴァル戦車戦?)。しかしこれは陽動であり、本命はトルトーリア軍が通過不可としていたバズーラ山脈の樹海であり、そこをスィーザーの騎兵部隊が通り抜け、スクウェニア・ルーテアを包囲していたトルトーリア軍を奇襲。トルトーリア軍は突然の予想しない側面攻撃に大損害を食らい、スィーザーラントはスクウェニア・ルーテアの解囲に成功した。そのままスィーザー軍は進撃し、CSF=スィーザー国境に遂に到達。
トルトーリア軍東部方面軍(4個歩兵師団、2個機甲旅団)が完全包囲され、壊滅する大損害を被った。
その後スィーザーラントは着実に領土を開放し、バズーラ山脈の防衛線をも超えトルトーリアへ逆進攻(サイクロップス作戦)。
トルトーリア首都・カーブールはスィーザーラントの手に落ち、トルトーリアは領土の現状維持及び賠償によってスィーザーラントと講和した。

評議会人民共和国の介入

評議会人民共和国(以下SNR)はロマーシャ戦争再開時に東方の第4管区・第5管区に動員令を発して攻撃の準備を整えつつ状況を伺っていたが、スィーザーラント軍が旧国境を越えるに至り5月31日に国家評議会が攻撃を可決、6月1日に宣戦布告と同時にトルトーリア方面においては5個自動車化歩兵師団及び第4サマルア騎兵旅団から成る第19軍(指揮官 A・V・キリュシュキン中将)、スィーザー方面においては6個歩兵師団および第3親衛戦車師団から成る第67軍(指揮官V・P・パブロフ中将)が越境行動を開始した。この他に航空支援のため陸軍の第6襲撃連隊および第19オートジャイロ連隊が出動した他航空軍が前線防空の為に出動しているが敵航空機が不活発な為空振りに終わっている。第19軍は軽微な抵抗を排除しつつ6月14日までにおよそ100km前進したが補給面での不安を理由に停止、一方第67軍は当初から険しい山岳とスィーザー民兵の激しい抵抗により攻撃は難航し、北部スィーザーにおいては7月2日までに123km前進して装甲車両243両が損傷、うち67両を全損して停止し、南部スィーザーにおいては6月24日までに65km前進して装甲車両107両が損傷、うち32両が全損しさらに76両を放棄して停止している。第67軍は第4管区においてツーラ戦役のために正規師団が出動しているため急遽正規師団で兵役に就くべき新兵(師団は代わりに熟練した予備役兵を編入して出動していた)を二線級の装備しか持たない予備師団に編入して歩兵師団を編成していたため戦闘力が低く、それを補うために中央管区から精鋭の第3親衛戦車師団を派遣し分割して歩兵支援に充てていたが、山岳戦役においては逆効果で擱座した戦車はしばしば進軍路を塞ぎ、履帯を破損した車両を谷底に投棄して進撃することさえあった。低地においては戦車は有効な火力を発揮したが視界が狭く、歩兵や砲兵は練度不十分なため十分な援護を与えられず、しばしば奇襲や肉薄攻撃で撃破された。対地攻撃に特化したジェット推進オートジャイロであるSh-16襲撃機と姉妹機であるA-16捜索偵察機は砲兵の代役として大活躍し、数多の敵兵にロケット弾を投射したが酷使された分損害も大きく、およそ4割(事故含む)を損失している。国家評議会は増援を送り込み、サボタージュの疑いでパブロフ中将を更迭しS・A・クルシコフ中将を第67軍指揮官に据えると共にキリュシュキン中将に攻撃を催促し、7月1日、キリュシュキン中将はようやく重い腰を上げ6個自動車化歩兵師団および3個サマルア騎兵旅団で以って攻撃を再開した。しかしすぐにスィーザー軍側面に当たったためキリュシュキン中将は進撃を停止、この攻勢では3日間に10km前進しただけであった。国家評議会は更なる攻撃を求めたがキリュシュキン中将は兵站面での不安を繰り返し強調し、また麾下の師団は完全に機械化されていないこともあり要請を拒否した。一方クルシコフ中将は装備の補充と正規師団の2個自動車化歩兵師団の増援を受けて北部スィーザーで攻撃を開始したが強力な火力支援の実施による弾薬消費量の増大と併せて兵站への負担が増大した一方で北東部の兵站線は膨大な兵力を抱えるツーラ軍集団への補給のため余裕が少なく、第67軍が要求する弾薬を供給できなかった。そのため攻勢は遅々として進まず、8月の撤兵までにおよそ60km前進したに過ぎなかった。8月に入るとトルトーリア・スィーザー間での紛争が終息し、国防評議会が現在の人民軍には問題が多くスィーザーとの正面戦争は無益であると警告したこともあり、国家評議会は一方的に“1912年に不当に共和国の資産を搾取した反革命派への懲罰行動の完了”を宣言、9月までには第19軍、第67軍とも完全に撤兵した。ロマーシャ戦争中の人民軍は過剰なまでに攻撃的な教義に従い有利な射撃位置にある散兵に対して銃剣突撃を繰り返して死骸を積み上げ、また低練度に起因する歩戦協同の不十分、砲兵の火力発揮の不十分のためゲリラ戦に大いに苦しめられている。

関連項目

スィーザーラント共和国?
トルトーリア帝国?
評議会人民共和国?
・バトル・オブ・スクウェニア
スクウェニア・ルーテア包囲戦を描いたスィーザーラント映画。

素材

トップの画像:第一次中東戦争のイスラエル軍機甲師団の写真(パブリックドメイン)