#2 Hunt

Last-modified: 2021-02-15 (月) 02:20:08

#2 Hunt -狩り-


 ガラステーブルの上に置かれたタブレットに女性の写真が映し出され、それと共に複数枚の紙媒体の資料が置かれる。

「頭、例の女の情報が掴めました」

「……どれどれ」

「名前は明日香。暴君やタイフーンなど、様々な異名を持つハイカテゴリ・アークスです。数々の大御所から指名で依頼を引き受けるなど、その腕を買っている者も多いようです」

 派手な様相の外観に似合わず店内は薄暗く、ネオンピンクの照明やレーザーが飛び交ってる様子はなく、いつもならミラーボールが反射させたサイケデリックな光に包まれたクラブのフロアにいつもの賑わいは無かった。そんな様子では当然客もおらず、いるのは全身黒一色のスーツに身を包んだの強面の男が五人。若い風貌の男が三人と、見るからに一回り二回りは歳を重ねた初老の男性が二人。中でも&bold(){頭}と呼ばれた男には額から顎にかけて大きな傷があり、真っ当な人生を送っていないのが伺える。
サングラスを掛けた一人の若い組員が資料に記載されたアークスの情報を読み上げる。

「ふむ……情報に乗ってる年齢よりもかなり割に若く見えるようだが、これはいつの写真だ」

「こちらは二週間前の写真になります。これも”アークス特有の複雑な事情”ってやつのようでして。先日報復に向かったファナリスの連中の話によると腕が化け物みたく変形したなどの話やアークスの間で囁かれている噂では、どうやらあのダークファルスの力を宿しているとか……いかがいたしましょう」

「正直なところ、わいらの手に余る人材っちゅーことやな」

「恐れながら」

「構わん、何としてでも攫ってこい。ダークファルスだかなんだか知らねえがケジメってもんはつけてもらう。……おい先生んとこ行ってクスリ貰ってこい。この[[rb:形 > なり]]なら良い値が付くだろうからな」

三人のうち二人の若い組員が頭の指示で行動を始め、フロアには傷有り顔の老人と初老の男性、サングラスの組員だけが残された。

「そしてもう一つの件ですが」

「見つけたか?」

「いえ、依然行方を晦ましておりまして」

「奴が儂らを裏切るのは二度目だ。一度は奴の働きに免じて許したが、二度目はない。……見つけ次第殺せ。首を儂の前に持ってこい」

「かしこまりました」

 サングラスの若い組員はタブレットを回収しフロアから去っていく。静かだったフロアに続々とクラブのスタッフが出勤し、すぐに店内はガヤガヤと音を立て始める。店のダンサーたちが入ってくるのとすれ違うようにして残った二人も店をあとにしていった。


「任務の活動報告が完了しました。本日のクライアントオーダーは以上になります、お疲れ様です」

 コフィーの業務的な労いの言葉を聞き、笑顔でクエストカウンターを離れる。歩きながら仮想端末を展開させ、背中に背負ったディムパルチザンをアイテムパックに仕舞いこんで戦闘服から外出用の服装へと着替える。戦闘服に武器を背負うアークスとすれ違いながら、市街地への外出申請を提出し、ポータルの前で待機する。

 待つこと一分足らず。階層都市エスタハへの外出申請が受諾され、ポータルへのアクセスが可能となった。
 アークスは自由に市街地へ出入りすることが出来ない。市街地は本来ダーカーと戦う手段を持たない人々の暮らす領域であり、保有するフォトン量もアークスに比べ少ない。故にアークスが自由に出入りしてしまうと服や肌に付着したダーカー因子の残滓を市街地へ持ち込んでしまうのだ。一人や二人なら露知らず、塵も積もれば山となる様に数百人単位のアークスが出入りすれば、市民がダーカー因子に侵されてしまう可能性が上がってしまうのだ。しかし簡易浄化によって残滓を洗い流すことで出入りは可能となる。
 とはいえ、申請は必要になる。簡易浄化で洗い流せない量のダーカー因子が付着していた場合など申請が受諾されなければ市街地とアークスロビーを繋ぐポータルにはアクセスできない。
 中でもここ、階層都市エスタハは特殊でアークスの活動拠点となるシップと市街地が完全に切り離された特殊な居住形態をとっている。故に通常よりも厳重なチェック体制が敷かれている。

 明日香は、人事課から外出許可が下ったことで今こうして無事階層都市エスタハへとたどり着くことが出来たのだ。第1階層は最もアークスの出入りが多い商業区画であり、この辺りにはアークスを対象とした商品が多く存在する。通りに面したショップの間を抜け裏の路地を行く。路地裏を進むと突然現れる鉄のエレベーター。エレベーターに乗り込み下に向かうボタンを押す。
 エレベーターを出て薄暗い路地を抜けた先には、煌びやかな装飾が施された第壱階層とは対照的に落ち着きのある雰囲気の街並みが広がる第4階層が姿を現した。第1階層から第4階層へと直下できるエレベーターのすぐそばにある、猫の看板が目印のカフェテリアが明日香の目的地だった。
 友人から勧められたそのカフェのブレンドコーヒーは、通なマニアたちの間で話題となっており、最近それがニュース番組で特集が組まれたことでより多くの人々に認知され、人気を呼んでいた。それを流行に敏感な友人が教えてくれたのだ。

「すみません、ブレンドひとつ」

 時間帯の問題か落ち着きのある雰囲気の問題か、カフェには若い子はおらず主婦や老人、どちらも噂通り女性が多い印象を受けた。日差しは強すぎず弱すぎず、気温はやや暖かめの過ごしやすい気候に設定された市街地は少し薄着の人が多く、店の前のテーブル席で会話を楽しむ客もいる。明日香も店外のテーブル席に案内され、紙媒体の小説を片手にブレンドコーヒーを待っていた。

「ここ良いかな?」

 赤い髪のマンバンヘアの若い男がこちらの返事を待たずに席についた。街の雰囲気にもあったフォーマルなスタイルの服にアンダーリムの眼鏡。とても紳士的な雰囲気を漂わせた男はニコニコと話しかけてきた。
 だが他にも席が空いているというわざわざ隣に座ることに首を傾げながらも、どうぞと席に促した。

「ここ最近雨続きだったからなぁ、洗濯物も良く乾きそうないい天気だな」

「……そうですね。風も暖かくて気持ちいいですし、とても過ごしやすいですよね」

「ここのブレンドを飲みに来たのか?」

「ええ、友人に勧められてからハマってしまって」

「ここのブレンドは最近メディアに取り上げられて人気になったんだよな。休日はお姉さんみたいな若い子が沢山来てるんだぜ。じゃあ今は優雅な読書タイムって訳だ。それ、何読んでるの?」

「友人に勧められた小説です、男性には少し詰まらないものだと思いますが」

「ジャンルは?」

「一応……恋愛ものです」

「有名な作者?」

「そこまではちょっと分からないですね……」

「普段からよくここに来るのか?」

「ええ、まあ――」

 男の質問責めは止まらなかった。おそらく自分より10以上は若い男に声を掛けられるのは悪い気はしないが、それにしてもこの男は少し馴れ馴れしい。片肘をつき、手の甲に顎を乗せながらこちらを見る。時折ボディタッチまでしながらの質問攻め。正直鬱陶しい。
 ピロリン、と丁度いいタイミング届いたメールの通知。内容は些細なクーポン券だったが、この通知を理由にして緊急の依頼が入ったと嘘をついて男から離れようと思った。腕の端末を確認しながら男の様子も窺った。

「――すいません、緊急の依頼が入ってしまったみたいで。今注文してるコーヒーはぜひお飲みになってください。……じゃ、私はこれで」

 少し捲し立てるように言い男に背を向けた時、グッと腕を後ろに引っ張られる。

「まあ待て」

 思いのほか強い引きに重心を後ろに持っていかれた。このままだと倒れると思ったが、男の膝の上に座るような形で尻餅をついた。すぐに退こうと思った時には男の腕が腹の上で組まれ、そのまま後ろから抱擁されてしまった。

「――っ!」

 思わず大きな声が出そうになった口を手で塞がれ、

「し~っ!。大きな声を出すな。そのまま顔を俯けてじっとしてろ」

 抵抗するが細身の体の割に力は強くなかなか動けない。口をもごもごさせていると更に男は、

「変に抵抗すると怪しまれる、じっとしろ。――じゃないと痛い目見るぞ」

 その言葉を聞き、一度男に従うことにする。男が離した一瞬の隙をついて逃げてやろうと思った。

 店が面した通りが騒がしくなってきた。顔を少し上げ、ちらりと騒がしい方を目で追ってみると場にそぐわない派手な装飾と色合いのファッションをしたチンピラ集団が何かを探すように周囲を窺いながら走ってくるのが見えた。

「あいつ、どこに行きやがった」

「一番街までは追えていたのに路地を使われたか……」

 話の流れからチンピラたちは誰かを追っているようだったが望みの人物は見つからず、そのまま店の前を通りを走っていくのを見送った。
 恐らく、チンピラたちが追っていたであろう男が、チンピラが通り過ぎても尚、自身を背中から抱きしめるようにしていた。

「あの」

「……行ったか」

 明日香の声に顔を上げる。少年たちの声が消え、姿が見えなくなったのを確認すると男が明日香の腹の上で組んでいた手を離す。
 顔を上げると周りでお茶を楽しんでいた婦人たちが、やや頬を赤ら口に手を当てこちらを見ていた。状況を見れば若い男の膝の上に座り、抱きつかれているような状態。衆人環視の中で堂々とイチャつくカップルのような光景を再確認すると顔から火が出ているように熱くなった。
 男を押し退け、コーヒーの代金だけ机において走って裏道に駆け込んだ。

「あぁ、おい待てって」

(恥ずかしい……恥ずかしい……年甲斐もなくあんな)

「おい明日香、待てって」

 男は依然明日香のあとをついてくる。

「……っ! ついてくるな」

 振り向きざまにミドルキックを放つも男は身を捻るだけの最低限の動きだけで蹴りを回避し、

「まあ、話を聞けって」

「貴方のような軟派な男性と話すことはありません」

 男はピタリと足を止めたと思ったら、腹抱えて笑い出した。

「あっははははは――なんか様子が変だと思ったら、俺が誰か分かってなかったのか」

「私も交友関係は広い方ですが貴方のような方は存じ上げませんね」

「じゃあ当ててみてよ」

「結構です、急いでいるので」

「緊急の任務なんて来てないのにどこに行くってんだ? まあ話を聞け、俺だよ俺」

「なんですか、詐欺ですか」

「俺だよ、この間の便利屋だよ」

「あの時の、便利屋?」

「そうだよ、しがない便利屋さんだよ」

 明日香の広い交友関係の中でも、便利屋を営んでいるような人物は思い当たらなかった。記憶を整理すると惑星リリーパで奇襲を仕掛けてきた髑髏面の男の顔が過る。 確かにあの時、便利屋はマスクを付けていて顔は見えなかった。だが本当にこの男があの便利屋なのだろうか、と自分自身に問い掛ける。

「証拠は」

「証拠も何もあの場には俺とあんた、そんでチンピラしかいなかったろ。通信にもジャミングをかけてたんだ、管理官だろうがあの状況を知っているのは俺たちだけだ」

「やっぱり……あのジャミングは貴方が」

「俺とアンタの回線だけだと怪しまれて足が付くかもと思って、かなーり大掛かりになったがな。あの地域全域に広げておけば電波障害かなんかで誤魔化せると思ってな」

「……仮に貴方があの時の便利屋だとしましょう。で、さっきのチンピラに追われていたのは貴方ですか。また面倒事に巻き込むつもりなら迷惑なのでやめてください」

「おいおい、そいつはおめでたい勘違いだな。アイツらはアンタを探してたんだぜ?」

「何故、私を」

「おいおい、めでたいだけじゃなく頭ん中お花畑か? お前はブラック・ウッズで暴れたことを忘れたのか?」

「ということはあれはこの間のチンピラたちの……」

「そういうこった」

 殺し屋とは言わず便宜上”便利屋”を名乗る刺客を差し向けるも、結局明日香を始末出来なかった組織はそもそもの問題を起こしたファナリスに明日香を拉致してくるように指示を出し、チンピラたちは血眼になって明日香を探していた。そうしなければ自身がドラム缶に押し込められ海に沈められることになるからだ。自身がそのような状況下に置かれていることを教えてくれたのは他の誰でもなく、一度は明日香を殺そうとした便利屋本人だった。

 改めて見る便利屋の素顔は思っていたよりも若そうに見え、一見したらおしゃれなだけの好青年だが、口から出る言葉は鋭い切れ味の煽り文句ばかり。カフェで見せた紳士的な雰囲気は泡沫の夢だったのか、声音もカフェで話しかけてきた「軟派な男」の時よりも低い声で話かける。何処か気取った雰囲気もなくなりやや気だるげに話すが演じてる感がない。恐らくこっちが彼の素でさっきまでのはあくまで演技だったと感じた。

「んで、本題だ。なんでわざわざ俺が元標的のもとに命懸けで駆け付けたのかを話そう。……俺を雇わないか?」

「何故、私が?」

「アンタの護衛のためにさ」

「自分で言うのは少し気恥しいですし、貴方も知ってるとは思いますが、私そこそこ強いです。貴方に守ってもらう必要はないです。それにこれは元はと言えば私が起こしたいざこざです。他人を巻き込む訳にはいきません」

「そいつは重々承知の上さ。だが俺もアンタも今は組織を敵に回し命を狙われている。奴らにとって賞金首だ。ウッズは政府の監視指定組合だが、そうなる前からここら一帯を支配していた極道だ。街の至る所に奴の仲間が居る。隠れても仲間から仲間へ情報が拡散されすぐに見つかり、追手が来る。平穏な生活を望むなら、奴らに潰されたくないのなら、俺たちが奴らを潰さなきゃならねえんだ、わかるか?」

「それと私が貴方を雇うのになんの関係が」

「この間、俺はアンタを逃がした。それはアンタのしたことが間違ったことだと思わなかったからだ。女に乱暴するクソ野郎に相応しい罰だ、その行いは支持する。だから俺は自分の信頼を代償にアンタの命を救った。ここで殺すにはもったいない正義感を持った奴だと思ったからな。だが、そのお陰で俺も命を狙われるようになっちまった、本来奴らから貰うはずだった報酬は、こうして命を救ったやったことだし、あんたから頂こうと思ってな」

「なるほど。で、おいくらなんですか、その報酬っていうのは」

便利屋は明日香に五本指を分かりやすく広げた掌を見せる。

「 え、5メセタですか。便利屋さんってお安いんですね。まるでお賽銭みたいで……」

「それは天然で言ってんのか? ばーか、ガキのお小遣いかっての。  万だ、万!500万[[rb:OD > オラクルドル]]に決まってるだろ! だが、金が払えんなら払わなくてもいい。その代わりにこれから何かあった時うちを[[rb:贔屓 > ひいき]]にしてくれりゃあな」

「贔屓ですか?」

「例えばアンタに重要な任務が来てたとする、だが依頼を発注するクライアントは待っちゃくれない、そんな時アンタの代わりに俺がその[[rb:依頼 > オーダー]]を引き受ける。そんでその依頼の報酬はアンタに六割、俺に四割。ってな感じで気軽に使ってほしい訳よ」

「そんなことでいいんですか」

「小さい事だが、便利屋にとっちゃそういうのが飯を食うのに必要なんよ」

 便利屋の提案は悪くないものだ。明日香にもいつも贔屓にしてくれるお得意さん、依頼主がいるように、この便利屋にとって自身がお得意さんになればいいのだ。

「お得意さんになってくれんなら、ウッズ潰しに協力するぜ」

「便利屋ってのは建前じゃなかったんですね」

 便利屋は手を差し出し契約の握手を求めてきた。これに応じれば明日香と便利屋は契約で結ばれフェアな関係となる。便利屋の強さは、一度命を賭けた戦いをした相手だからこそ理解できる。この男とは協力関係にあったほうがいい。もし断れば、今後、毎夜毎晩、言い知れぬ不気味さを纏う刺客に怯えながら暮らすことになりかねない。この男が求めるのは金ではなく、人脈。自身の力を売り込むために明日香を利用したいに過ぎない。自身の命とこの男に利用されることを天秤に掛けるなら、当然後者を選ぶ。契約する事で明日香もまた便利屋の人脈を利用できる。多額の金銭ではなく新たな信頼関係を買うことで済むなら安い買い物だと、明日香は便利屋の握手に応じた。

「よろしくお願いいたします」

「これからも便利屋"NICO"をご贔屓に」


 件のナイトクラブ『ブラック・ウッズ』といった施設が多くある第[[rb:壱拾弐 > 12]]階層は治安が悪く、ヤクザやギャングといった手合いが多く出入りする階層だ。街の至る所にタギングが見られ、威圧的な恰好をした若者で溢れている。公安局の自治区統制が届いているにも関わらず治安が悪い。というのも第壱拾弐階層はあらゆる表現の自由を許された区域。街の壁や道路のタギングも若者たちの表現の象徴として描かれており、ナイトクラブやバーといった若者が多く集まる施設が多いのも国が需要に見合った場所を提供しているのだ。

 街の雰囲気がそんなだからか昨今の第壱拾弐は昔から続けていたであろう小売店などの多が撤退し錆び付いたテナントや入居募集看板の貼られたシャッター街となってきており、それらはチンピラ達カラーギャングのたまり場となり果てている。そんな中で階層を隔てる天井を劈くように聳える三棟のタワービルは、多くの若者をターゲットに機能性とお洒落を掛け合わせた最新鋭のスポーツシューズを売り出すシューズメーカー『Nabeat』の企業ビル。
 カラーギャングの抗争が頻発するような場所に企業の重要な開発拠点を構えてもそこを荒らすような輩が現れないのには相応の理由がある。企業を裏で支えているのが『ウッズ・ファミリー』だったからだ。

「皆さんご存知ネイビーツのケツ持ちが、まさかヤクザだとは誰も思わないだろうよ」

「裏にそんな繋がりがあったなんて、ちょっと残念です」

「確かに裏の繋がりは残念だが、カッコイイデザインのシューズが多いから俺はそれを知った上で愛用してるぜ」

「私も好きですよ、ここのスニーカーは」

 三棟のビルを少し離れた距離で囲むように点在する背の低い雑居ビルの屋上から、ビルの足元を眺める二人の視線の先には、大手シューズメーカーとは縁の無さそうな全身黒一色で纏めた屈強な男達によって厳重に警備された地下駐車場の入り口があった。地下駐車場に出入りしている車は黒塗りのフルスモークばかり。車から現れるのも当然、営業マンのスーツとは毛色の違うスーツを纏ったどれも厳つい人達だけ。

「本社にイヴァンが居るのは確認済みだ」

「なら、適当に暴れて呼び出しますか?」

「そうだな」

 そういうと便利屋はフッと軽く踏み出し建物の屋上から急降下し警備員の視線の先に飛び降りた。

「よう名もなき三下くん、かくれんぼに飽きたんで違う遊びの提案に来たぜ」

「てめぇは!」

 便利屋の顔を見るなり拳銃や警棒を構える黒服たち。

「イヴァンの出迎えはねえのか?」

「たかが便利屋ごときに若頭が直々に顔を合わせるとでも?」

「なんだよ、友達のいないアイツに紹介したい奴がいるってのに、冷たいねぇ」

 便利屋が指を鳴らし合図を出すと、三下の頭上の壁に捕まっていた明日香が飛び降り、刃を展開していないディムパルチザンを振り払い三下たちの腹部に強い衝撃を与える。

「グフッ……」

 衝撃に揺らされ嘔吐する者や意識を失う者もいた。倒れ込む警備係を踏み越えロビーに足を進める。

「この登場、なんだか少し恥ずかしいんですけど」

「ヒーローっぽくてカッコいいだろ、まあ俺以外誰も見てないがな。 便利屋の仕事がうまくいかなくなったら映画監督になろうと思うんだがどう思う」

「はぁ……」

 騒ぎを聞きつけたウッズの下っ端達が武器を手に駐車場に集結しはじめた。ヤクザの組員たちが握る武器は企業製のものではなく、明日香には馴染み深いアークス製の強力な武器が多いことが見て取れた。何処かの支部が反社会的勢力に武器を横流しにしているという新しい事実を突きつけられ、疑いの目を向けていたアークス内部の腐敗を強く確信した瞬間だった。

「ほら見ろよ、俺の処女作に出演したいってエキストラがこんなにも集まってくれたぜ」

「タイトルはもう決まってるんです?」

「そうだなぁ……『ハンティング』だ。恋人を失った一人の女狩人がその復讐を果たす作品だ」

「まさか私が主演だなんて言いませんよね?」

「さあ、初めてのそしておそらく最初で最後の合同練習だ、エキストラとうまく呼吸を合わせてくれよ」

「……私のギャラは高いですよ?」

 駐車場に続々と集まるウッズの構成員たちを前に二人は各々武器を構える。明日香はディムパルチザンのブレードを展開し、便利屋はヴィタエスレインを抜刀する。

「この先、映画が売れちまったら俺とアンタは有名人だ。ネットリテラシーの無い連中に悪意あるやり方で顔を晒上げられないようにしっかり対策はしなくっちゃな」
 
 そう言って便利屋は何かを明日香に放る。
 投げ渡されたのは動物の面。黒い体毛に黒い皮膚、ヒューマンのような毛深い動物。そう、ゴリラのお面。対して便利屋が被ったのは可愛らしいウサギの面。便利屋を横目に見ながらゴリラのお面を被る。これでメディアに顔が晒されることはなくなるが、マスクのチョイスにどことなく悪意を感じざる負えなかった。

「……顔を隠すため、ですよね?」

「あったりめぇだろぉ?決してアンタをゴリラ女みたいに思ってるとかそういう事じゃない。たまたまだ、たまたま」

「たまたまですよね」

「そうだ」

「そうですよね」

コチラのタイミングを待ってくれていたかのようにお面を装着し終わると同時にウッズの軍団が二人を目掛けて突撃を開始した。

「一番、バッター、ニコォー!」

 マスクの下でウグイス嬢っぽく叫びながらヴィタエスレインの鞘をバットに見立てフルスイング。鉄の塊が腹部を直撃し凄まじい衝撃が一人の構成員の身体に奔った。おそらく数本肋骨が折れた構成員はそのまま後方の仲間を数人巻き込み吹き飛ばされ、壁に叩きつけられ呼吸困難になっていた。ただの一振りで成人男性5,6人を吹き飛ばす怪力を見せつけられるが、ここで怖気ずく分けにはいかない。目の前で吹っ飛ばされた仲間を見ながらも続々と武器を手に向かってくる。中には鈍器や刀剣から銃に持ち替え発砲するものまで現れ始めた。銃声が七番街に木霊する。

「まあ民間の武装組織なんてこんなもんだろう、特に三下連中はな」

「でも、警戒は怠らない方がいいのでは――」
 
 戦闘中であるにも関わらず余裕の表情で言葉を交わす二人。完全に構成員を舐め切った態度の便利屋に対して、明日香は一人一人に警戒して当たる。便利屋は、こんなものは準備運動に過ぎないと曲芸染みた戦い方をする始末。明日香は再三、便利屋に忠告した。
 しかし明日香の忠告を遮るようにズドンと放たれた砲撃によって、煙と共に姿を消す便利屋。ウッズの構成員が雪崩れ込んできた非常階段の横、大きな搬出用エレベーターを破壊して現れたのは、ひょろ長い細身の人影。

  「ルツゥゥ!今日の晩飯はハンバーグの予定でな、その頭潰して挽肉にしてやる!!!」  

「いってて……よぉイヴァン。ったく出迎えが遅いぜ」

ジャリジャリと瓦礫と砂利を踏みしめ起き上がる便利屋の表情は痛みに耐えながらも、相手を煽るような表情で、相手の神経を逆撫でするような口調は変わらず、手本のように煽りに反応したイヴァンがゴリゴリと音を鳴らしながら自身と同じくらいの大きさのランチャーを引き摺り近付く。

「おうおう、ミジンコみてえに小さかった糞ガキが随分粋がるようになったじゃねえか。ハンバーグにてめぇのソーセージも添えてやる」

ダグバルブを引きずりながら徐々に近づいてくるイヴァンの前に明日香は立ちはだかる。

「なんだこのゴリラ女は、新しい女か」

「ああ、俺にお似合いの別嬪さんだろ」

「男のカチコミに付き添うなんてロクな女じゃあねえな。――なあ女、おれぁ紳士なもんで、出来れば女に手はあげたくないんだよ」

 膝カックンでもしようものなら膝から崩れ落ち全身の骨が砕けそうな細身をしながらも巨大な大砲を持つイヴァンがじりじりと近付きながら言う。明らかに只者ではない男の風格に気圧されながらも、前に立ちはだかり行く手を阻む。

「気の強い女は嫌いじゃないぜ。頭の御眼鏡にも適うだろうよ――散々遊んだら別の玩具として遊んでやる」

「ヤクザってのはこんなのばっかりなんでしょうか。お生憎様、私も玩具に困ってはいないんですよ、それに貴方のソレじゃあ……楽しめそうにないので遠慮させていただきますね」

 明日香は男の顔からスーッと下へ動かし下半身を一瞥する。明日香の視線に気が付いたイヴァンは額に血管を浮かばせた。

「このクソアマ」

「伏せろ」

 便利屋の声に従い身を屈めると、頭の上を細身のナイフが四本通り過ぎていった。不意打ちに対応しタグバルブで弾くも打ち漏らした二本がイヴァンの腕に突き刺さる。

「おいおい。俺と遊んでくれるって約束はどうなったんだ? 俺との関係は遊びだったのか?」

腕に刺さったナイフを抜き投げ捨て

「お前との遊びはもっと薄暗くてムードのある場所で二人だけの空間でやったるわ、じっくりじっくりとな」

「俺は堪え性がなくってね、今すぐ遊んでほしいんだよなぁ!」

 明日香の身体を馬飛びし前に出る便利屋。姿勢を低くしたまま懐に潜り込むように疾走し連撃を見舞う。近距離武器対遠距離武器では間合いに入ってしまえば前者が優位に立てる。弾をリロードする隙を与えない連撃且つ相手を疲弊させる正確な斬り込みでイヴァンを圧倒する。

「イヴァンは俺が抑えるお前は先に行け、後で追い付く!」

 便利屋の声を信じ、二人の横を走り去る。エレベーターはイヴァンに破壊されており、上へ登るには非常階段を駆け上がるしかなかったが、上層階からは蟻のように構成員たちが雪崩れ込む。一人一人相手にしたらキリがなく、上につく頃には朝を迎えそうだと思った明日香は、勢いよく壁にパルチザンを突き刺し鉄棒のように利用し宙に飛び出すと、別のパルチザンを手に転送し同じ要領で壁に差し飛び出した反動をうまく利用して壁を飛び上がっていく。普通では考えつかない移動方法であっという間に上層階に到達しようとする明日香に構成員たちの脚は追い付かず、焦った一人の構成の行動から非常階段の構成員の隊列は瓦解し、男たちの猛る声は別の叫び声へと変わった。


 駐車場の柱や壁を巧みに使った立体機動でイヴァンを翻弄する便利屋。自身が持ち込んだヴィタエスレインの他にその場にある瓦礫や鉄骨の廃材を武器として使って戦う。

「ちょこまかと、うざってぇ!」

 イヴァンはジャケットの内側から手榴弾を取り出し、自身と便利屋の間に放り投げた。

「おいおいそれはやべーって!」

 視界に手榴弾が移ると攻撃を止め、後方に飛び退くとほぼ同時に爆発。衝撃で駐車場を支える柱が折れ建物全体が揺れているように感じた。イヴァンも今の攻撃には多少なりともダメージを負っていた。上半身のスーツはびりびりに破け、ナイフが刺さった方の腕に追い打ちを掛けるように瓦礫片が刺さっていた。

「自分への被害を顧みないとか、やっぱイカれてるぜお前」

「テメェだけには言われたくねぇな……なぁ今はどっちなんだ」

「さぁ、どっちだと思う」

 問いに問で返した便利屋の目は明日香に向けていたものとは違い鋭く冷たいものだった。口調や仕草は便利屋のままなのに今までの彼とは別の人間がそこにいるかのような違和感があった。

「てめぇを殺す前に一つ聞いておく、あの時なぜおまえは去った」

「……平和な人生を歩みたいからだ」

「はっはっは、化けもんがよう言うわ」

 便利屋でもイヴァンでもない声に二人が振り返る。
 明日香とすれ違うようにして非常階段の肉塊を踏み越えて現れた男。金色の辮髪、顔を横断する大きな傷跡、首筋にある虎のトライバルタトゥーが目立つ、訛り口調の男がパン、パン、と手を叩き笑いながら現れた。

「なんだ、ジャオ。まだお前こんなシケた企業の[[rb:用心棒 > バウンサー]]やってたのか?」

「んや、嬉しいことに一昨日で契約終了や。今日は別の要件でウッズのとこにな」

『ジャオ』と呼ばれた男は腰に携えていた小太刀を指でくるくると弄ぶ。

「ジャオ! ルツをヤるの手伝え」

「イヴァンちゃ~ん、あんたかてこいつの腕っぷしは分かってるやろ。あんたじゃ役不足やし、その身体じゃ余計に無理やろ」

「黙れぇぇい!……どいつもこいつも舐めた口利きやがって」

 華奢な腕にめいっぱい血管を浮かばせ強く握った拳で勢いよく殴りかかるが、便利屋はものともせず飛び上がり回避すると身を翻しイヴァンの顔面に蹴りを入れた。勢いの乗った蹴りでよろめくもなんとか持ちこたえ本来ランチャーとして使うはずのダグバルブの柄を握りしめ鈍器として振りかぶった。
 駐車場内全体に響き渡る金属音と共にダグバルブは真っ二つに切り裂かれる。

「……さっきの質問に答えてやるよイヴァン、ああそうだ今の俺は紛れもない[[rb:化け物 > ルツ]]だ。正解した褒美に《頭潰して挽肉にしてやるよ》」

 ダグバルブを叩き斬り、その向こうから現れた便利屋の手がイヴァンの顔面を掴んだ。凄まじい膂力で掴まれた痛みに藻掻き苦しむイヴァンに追い打ちをかけるように便利屋の手から、黒い影のような瘴気が流れイヴァンの頭部を包み込んでいく。

「があぁ……あぁ……あ……」

 イヴァンの喘鳴が徐々に影に飲み込まれ音を失くしていく。顔面を掴まれた腕を必死に掴んでいた華奢な腕に浮き上がった血管が引き、だらりと脱力する。全身の力が抜けたようで完全に便利屋の怪力に持ち上げられている状態となった。
 便利屋が手を離し、イヴァンがぐしゃりと地面に落ちる。顔を覆っていた黒い瘴気が消えていき、ひび割れた粘土細工のように顔面に亀裂が入り完全に意識を失った、絶命したイヴァンの顔が曝される。

「……相変わらずおっかない[[rb:能力 > ちから]]やな」

 顔面を掴んでいた便利屋の腕もだらりと脱力し、そのまま天井を仰ぐようにして立ち止まる。束の間の静寂が駐車場に訪れる。

「んで、今のあんたは”どっち”なん?」

 ふらっとジャオの方に顔を向ける便利屋の眼には氷のような冷たさはなくなっており、いつもの陽気な彼の表情に戻っていた。

「どっちって何だよ。俺はオレしかいないぜ」

「……あぁ、そうやったな」

 その含みのある言い方にジャオは何も追及せず、深堀せずいつもの調子の彼に頭を掻いた。

「てか丁度いいところに現れてくれたぜ心の友よ、ちょっとばかし手伝え」

「それは友人としてってことか?」

「あぁ、半年前の借りの返済ってことでよ」

「んぐ……それを言われちゃ断れないやんかぁ」

 イヴァンの亡骸を踏み越え非常階段の肉塊を軽々と飛び越えていく便利屋のあとを渋々追い掛けるジャオは、そのまま上階の資料保管室に連れ込まれた。

「こんな所に何の用や、まさか密室に二人きり……アカンあかんで。わしらはただの同業や、そないな関係になるんはちょっと……」

「阿呆か、んなわけねぇだろ」

「じゃあ何のために来たんや」

「『MIKE強請り』の証拠を探しにきたんだ」

「なーるほど……んじゃ、一緒に来てたあのお姉さん誘ったのはあくまでついでだったわけか」

「実際、俺も彼女も追われてる身だ、俺はまだしも彼女は清廉潔白なアークスだ。裏の業界と繋がりがあるなんて、マイナスイメージは無い方がいいだろうという俺の親切心さ」

「結果、その親切心とは裏腹にもっと嫌な業界に足を踏み入れさせてしまったわけだ」

 ジャオが、棚に寄り掛かりながら煙草を片手に見る端末には、様々な種族・人種・国籍・所属の人々の名前と顔写真のついたリストが映し出されていた。そこにはジャオ自身の名前と写真も、便利屋の名前も記載されていた。画面をスクロールしリストの最後に新たな名前が書き加えられていた。
 <カテゴリ:A>という欄に記載される明日香の名前。

「こんな短期間でリストインか、しかもAカテ。あんたの最速記録は塗り替えられちまったなぁ。どれくらいでリストインしたんやったけ」

「三週間だ。……まさかアイツが三日で仲間入りするとは思わなかったな」

 資料保管庫はその名の通り入ると、所狭しと並べられた棚に今時珍しい紙媒体で作られた数々の書類がファイル分けされ保管されていた。表の顔であるネイビーツの企業秘密や新商品の企画書、他企業を強請るために集められた他社の幹部陣のスキャンダルなど組織に関する重要な情報がまとめられた資料の数々だ。
 実を言うと、今回のブラックウッズ潰しの本当の目的は明日香の護衛でも援護でもなかった。ネイビーツのライバル的な関係にある企業、同じスポーツシューズメーカー『MIKE』からの依頼。水面下で進行していた人気シューズメーカー二社によるコラボプロジェクトを控えたマイキとブラックウッズ。そんな中、ブラックウッズが掴んだというマイキの課長の横領に関する情報。CEOはこの件を公にせず課長を懲戒解雇。しかしブラックウッズはそれをマスコミに渡すと揺すり件のプロジェクトをネイビーツ主導で進め、収益の八割を徴収すると脅迫されていたのだという。

「マイキの情報は……っとコレやな、見つけたで」

 ジャオが見つけたバインダーには件の横領事件に関する文書が保存されていた。

「これを持ち帰ってマイキが内容を精査した上で破棄したら、あんたの依頼は完了っと」

「まあ監視指定組合が、ここまで派手に暴れちまったら公安の監査が入って、共同プロジェクトもネイビーツの運営とか、それどころじゃなくなるだろう」

「これをあんたのオフィスに届けといたらええんやな」

「ああ、頼んだぞ」

「これでこないだの借りはなしや。次からは依頼料頂くで」

「おう。俺は彼女の援護に行くわ、一応今回のもう一人の契約者だ」

「はいよ、まあ楽しんでこいや」

「そうさせてもらうわ」

 資料保管庫から出てそのまま上下階へ別れるジャオと便利屋。拳を突き合わせ別れの挨拶をすませるとジャオは下へ、便利屋は上へ階段に足を踏み出した。


 下階の爆発騒ぎで装飾品や観葉植物など色々が散乱した上階社長オフィス。窓から差し込む屋上看板の照明や上空を漂う広告用の飛行船のネオンライト、街灯の黄色電光が部屋に差し込む。
 淀んだ血の匂いのする塊が明日香の前に転がっている。やや小柄で無駄のない筋肉質な身体、金色の短髪で鼻と顎に髭。便利屋から聞いていたウッズの特徴と一致する。うつ伏せになっている身体を捲るようにあお向けにすると、喉を刃物で切り裂かれ、両目にペンが突き刺さった状態になっていた。

「誰が」

 明日香が入ってきた扉の陰。明日香の死角から迫る人影。振り下ろされたダガーの気配を察知して身体を屈め避ける。向かってくる人影に腕だけを向け拳銃を撃った。小型徹甲弾が三発。うち一発が襲撃者の胸に命中する。飛び上がり、転がる亡骸と謎の人物から距離を置く。
 襲撃者は呻き、床に墜落した。

「音もない攻撃を避けるとは。流石アークスは感覚も優れているようだな」

「あなたのその電磁ダガーの振動音が微かに聞こえていましたから」

「なるほど、使い慣れていない武器は奇襲には向かないな」

 広告用飛行船が旋回し差し込んでいた光の角度が代り電磁ダガーを持つ男の姿が鮮明になる。
 全身白一色のスーツスタイルに不気味な笑顔の描かれた仮面を付けた薄緑色の髪の男は、電磁ダガーを投げ捨てる。

「何者?」

「うーん、そうだなぁ、ここは"戦争屋"とでと名乗っておこうか」

「彼は貴方が?」

「あぁ、コレ? 性分を弁えないゴミの掃除は大変だよね」

「それがドラン・ウッズだというなら、ゴミであることには同意しましょう。ですが、私は今貴方が何者かと聞いてるんです! ここで何をしているのですか」

「いや~、なんだかルツが楽しい事してるって聞いたからさぁ、挨拶しに来たんだよ」

「ルツ?」

「おやおや、お仲間の名前も知らないとはまだ信頼されてないようだね」

 再び襲いかかる男は手を開き明日香の首を掴むような仕草をする。およそ届くはずのない距離での動作のあと、明日香の頭がガクンと男の方向に引きつけられる。

「っ!?」

 まるで見えない何者かに頭を押されたようになりあまりに突然なことに脚が動かず転びそうになるが、手が地に着く前に男の膝が明日香の顔面を蹴り上げた。

「ヒャハッ!」

 鼻血が飛び散り、薄れゆく意識の中、辛うじてパルチザンを支えとして立っている明日香を恍惚の表情で眺める男。
 ジャラジャラと、男の袖口から金色のチェーンが伸び、鞭のように振り回す。力の入らない身体にチェーンを打ち込まれ、レザージャケットにビリビリと亀裂が入っていく。繰り返し繰り出される金色のチェーンが闇の中で光の円弧を描くと、明日香の身体を謎の肉塊が覆った。肉塊はチェーンによる斬撃を弾力によって跳ね返すとモゾモゾと蠢き腕に移動していき明日香の腕に覆いかぶさるように浸透していき、次第に殻のように硬く変質し始める。バキバキと殻が破れる音は部屋全体に響き渡り、尚も腕は変質を続け、もはや人間の腕とは呼べない異形の形へと姿を変えていった。
 殻には血管のような黒い筋が張り巡らされ、明日香の呼吸に呼応して動き、ぎちぎちと深いな音を鳴らす。

「……いいねそれが見たかったんだ。これが君の本性ってところかな?」

「……や、やめろ……!」

 鼓動する自身の腕を抑え込み、変質の進行を止めようとする。

「まだ……苦痛が足りないかな……?」

ジャラジャラとチェーンを引き摺り、徐々に明日香に近付く男。男が一歩踏み出す事に変質した明日香の腕の内側から何かが飛び出そうと殻が浮き上がる。

「あと一歩……ってところかな?」

 袖口から伸びるチェーンの数が増え、まるで触手のように自在に操られた天衣無縫な動きで明日香を襲う。変質した腕の鼓動が早まり、両者の間に周囲に赤黒い粒子が舞い始める。

「……あまり、俺の[[rb:契約者 > クライアント]]を虐めないでくれないか」

 ズォオオオオオ!

 声と共に影のように真っ黒な瘴気が地を這い、明日香と男を隔てるように男の行く手を遮る。声の方に振り替えると入口のドアに寄り掛かる便利屋の姿がそこにはあった。兎の被り物を脱いだ便利屋の顔は、昼間にカフェで会った男とは別人のようだった。カフェでの彼の声が演技であるのは見抜いていた明日香だったが、便利屋の本性までは見抜けていなかった。
 自身の血か、イヴァンの返り血か、血に塗れたスーツを着た便利屋の口は細い弧を描き、その瞳は狂気の色に染まっていた。
 明日香の身体は便利屋のその眼に無意識に反応し身体が震えた。体内と周囲のダーカー因子がざわつき本能的に同類の匂いを感じ取った。

「便利屋……さん……」

 便利屋は床に転がるウッズの亡骸を一瞥する。

「……大丈夫か?」

「はい……」

「少し休んでろ……あとは俺がやる」

「あの……」

「聞くな……なにも言うな」

 狂気に満ちた危険な匂いを感じていたのは明日香だけではなかった。仮面の男は瘴気を隔てた先の便利屋に対して畏怖を覚え生唾を呑み込んだ。
 刹那、瘴気の先にいた便利屋が男の背後に迫っていた。

「っ!?」

 甲高い金属音と共に血飛沫を上がる。便利屋の刀を仮面の男のチェーンが弾いた音だ。束になったチェーンをもいとも簡単に切り裂いた刀はそのまま男の仮面をも両断し顔の中心に傷を与えた。
 天井を仰ぐ男の顔面から噴水の血が吹き上がる。

「便利屋さん……」

「言ったろ、すぐ片付けるって」

 一人で立ち上がろうと試みるも足が縺れ、倒れそうになる明日香に肩を貸し起き上がらせようと肩を貸す。便利屋の手を借りながらも立ち上がり、テーブルや本棚の瓦礫に埋もれたウッズの方を一瞥する。自分の手では終わらせられなかったが、形はどうであれ今回のいざこざに終止符が打てたのだと実感し、前を向く。沈黙した瓦礫を越え、エレベーターに乗り込もうとした瞬間。
 グチャ。嫌な音を立てて便利屋の腹部から手が飛び出す。

「あ~あ、痛いじゃないかルツぅ~」

 天井を仰ぎながら仮面の男が音もなく近付き、便利屋の腹を突き刺した。
 ぐるりと天井を仰いでいた上半身を垂れ、顔を上げる男の顔には血が滴ってはいるが、その顔には刀によって傷付けられた傷は見当たらなかった。
 男の仮面の下の顔が暴かれると、強張っていた便利屋の力が抜けるのを明日香は感じた。

「ベネ……ディクト……?」

 顔を横断するようにジッパーで縫い合わされた特徴的な傷は他の誰とも間違いようのないもの。

「ちょっと弱くなったんじゃなーい?」

 勢いよく腕が引き抜かれ、明日香共々便利屋は膝から崩れ落ちどくどくと血を垂れ流す。ベネディクトと呼ばれたその男の顔を見た便利屋の腕は微かに震え、傷のせいもあってか、やや呼吸が早くなっていた。

「便利屋さんっ――!」

 腹に空いた穴を覗き込むように項垂れて、意識がだんだんと遠退いていく。
 明日香の必死な呼びかけも段々と遠く小さくなっていき。視界が真っ黒に染まっていく。明日香の言葉が意味を持たない音に聞こえていく中で別の声が頭の中で響く。


――よう、飼イ主

 女性の声にノイズ音が重なったような声が脳内に響き渡る。

――元気にしていたカ? マタ野良の如く地ベタを這いずり回ってるのカ? 此処の所、よく血ガ騒いでのう、よく目覚めるようになったのよ。

 「寝坊助が、ようやくお目覚めか」

――なニ、飼イ主様が、ベニーの砂利ん子に甚振られてるのを見て、飼イ犬として見てられなくなったのヨ。ネエ、久々に暴レたい気分だワ。

 「隣の女には手出すんじゃねえぞ」

――全ク、アタシが居ながら罪な男ネ。

――ほら、……起きなさい。


「ったく……昔はこんなに弱くなかったのに生温い世界に毒されちゃったか」

 ベネディクトは手の凝り固まった骨をポキポキと鳴らしながらゆっくりと気を失った便利屋に近付く。便利屋が意識を失った二分間、明日香は必死に便利屋の名を呼び続けた。

「――さん!」

 うるさいな。

――さあ、起きなさい。

「ルツさん!」

「……うるせえな」

 意識を取り戻した便利屋の第一声に周囲のフォトンがザワつく。
 便利屋の足元の影が一層濃くなり、タールのような黒い液状に変質していく。黒い液体は便利屋の脚を這いあがり、腹に空いた穴を埋めていく。液体に包み込まれた傷は一瞬で何事もなかったかのように回復し、便利屋がゆらりと立ち上がる。
 タールのような液体はどんどん広がり、室内に散乱したありとあらゆる瓦礫をその深淵に沈めていく。ベネディクトの足元に液体が届くと、彼の脚もその底なし沼に引きずられていった。
 ベネディクトの真っ白のスーツがタールに侵されて穢れていく。

「あぁ、穢い……」

 足が捕られて動けなくなったベネディクトに近付くと、自身がやられたように手刀でベネディクトの腹部を突き刺した。

「お返しだ」

 勢いよく突き刺した腕を引き抜くと、口から大量の血を流し項垂れる。がまたもやすぐに回復し不気味な笑みを浮かべて便利屋を見る。

「まったく、勘弁してほしいね。このシャツ凄く高かったんだから……」

「お前のその再生力……ようやくサマになってきたようだな」

 足元の黒い液体が便利屋の影の中に収束する。

「おかげさまでね……でもそれに対して、君は……」

 ベネディクトのジャケットの裾から百足のような構造の尻尾が現れる。

「――本当に心底弱くなったよ」

 尻尾が便利屋の身体に巻きつけられ、ベネディクトの方向に引き付けられる。便利屋の怪力で振りほどこうとしても、その尾は決して緩まることはなく、むしろ動けば動くほどきつく締まっていく。
 
「ぐっ……」

「このまま一緒に地獄に落ちようぜ兄弟」

 ベネディクトは窓ガラスに飛び込み高層ビルの最上階近い社長室の窓から便利屋共々身を投げ出した。尾が喉まで周り、きつく締まっていくそれでうまく呼吸が出来ないまま、便利屋は柱と窓枠を貫通し、ビルの外に投げ出された。喉を掴まれたまま二人は重力に従って地面へと近付いていく。
 地に落ちた二人は、爆発騒ぎを聞きつけた野次馬たちの真ん中へと落ち、凄まじい衝撃波で粉塵が巻き上げられた。

「ぐふっ……」

 逃げ惑う人々の叫び声が木霊する衆人環視の中、ベネディクトは尻尾による拘束を解く。

「僕は凄い残念だよルツ」

 血を吐きながら掠れた声で便利屋が問う。

「ひとつだけ聞きたい……『ルス』は生きてるのか」

「……あぁ、生きてるよ。今も君を待ち続けているさ。僕からも君宛に一つ伝言がある。――『弾は込められた』」

「……なるほど。あとは、引き鉄を引くだけか」

「もう逃がさないぞ【死穢】」

 ベネディクトが便利屋の顔に手を伸ばすと、再び凄まじい衝撃と共に何かが二人の近くに振ってきた。腕の変質を抑え完全に元の姿形に戻った明日香がボロボロの状態でディムパルチザンを握り、ベネディクトに刃を向けた。

「これ以上手出しはさせません……!」

 明日香の揺るぎない決意を瞳から感じ取ったベネディクトは手を引き、逃げ惑う野次馬たちの人混みに紛れるように二人のもとから姿を消した。
 完全にベネディクトの姿が見えなくなると、緊迫した状況で緊張していた筋肉が一気に解れ、便利屋と共にその場に倒れる。
 薄れゆく意識の中で、救急車のサイレンが聞こえてくると、助けが来たと安堵し、自らの意思で眠りについた。


「おーい!大丈夫か明日香嬢!!!」

「病院ではお静かにお願いしますっ!」

 ナースに怒られながらも入院中の明日香の元を訪れたのはウッズのクラブを襲った翌日、缶コーヒーをくれたチームメンバーだった。

「ええ、問題ありません。結局警告通りになってしまいましたね。……ご心配をお掛けしました」

「まったくだぜ、あのあと任務に送り出したら襲撃されてるし、戻ってきたら今度は自分から乗り込んで重傷負うとか。全く何考えてるんだか分んないぜ」

「め、面目ない」

「お嬢は理知的に見えて、結構頭のネジ外れてるからなぁ。まあ無事でよかったぜ」

「俺もクライアントオーダーの合間に来てんだ、また後日ちゃんとしたもん持ってくっから今は取り合えずこれ食って元気になってくれ」

 チームメンバーはベッド横のテーブルに果物籠を置くと足早に去って行ってしまった。
 便利屋を助けにビルから飛び降りた後、ベネディクトの何らかの思惑を阻止した明日香はそのまま意識を失ってしまった。度重なる戦いによる精神的疲労と怪我による身体的疲労によって意識を失い病院へと搬送された。
 重傷なのは明日香だけでなく便利屋も同様だった。明日香は左脚・肋骨を三本骨折していた。病院に搬送され目を醒ました時にはアークスの看護官とチームメンバーたちが目の前で、明日香が目覚めるのを心配そうに見つめていた。その時辺りを見渡しても便利屋の姿はなく、看護官に話を聞いても、通報によって駆けつけた時には明日香の他に重傷者は確認されなかったらしい。
 便利屋の性格上、ひょっこり顔を出してもおかしくないし療養しながら、もし彼が顔を出したらお礼を言おうと便利屋を待ったが、二週間の治療入院の期間中、病院に便利屋が現れることはなかった。
 ウッズ率いる<ブラックウッズ>は構成員の八割が重傷を負い、リーダーであるイヴァンは公安局によって正式に死亡が認められ組織は事実上解散となった。

 監視指定組合だっただけに他より徹底的な監査が入り、ネイビーツとブラックウッズの関係性、更にウッズの指示でネイビーツが、マイキや他シューズメーカーに脅迫をしていた事実が明るみに出た。ネイビーツの株価は暴落しブラックウッズは表も裏の顔も潰された。
 ブラックウッズの残党が組織を壊滅に追い込んだ明日香に対し、復讐しに来ることを警戒し、毎日誰かしらのチームメンバーが病室にいてくれることがチーム内で決まったが、その心配もなく退院するその時までチームメンバー以外には誰も来ることはなかった。
 リハビリを終え、退院する頃にはアークスクエストも、個人的な依頼主とのやり取りも問題なくクリアできるほどに身体も回復し、今までと変わらない平穏を取り戻した。

 退院からおよそ一週間後。地質学の研究に勤しむ大学教授からの地質調査のオーダーを終え、その日受けた依頼はすべて完了していた。
 時計を見てもまだ昼の三時過ぎ。水色の絵の具を溢したかのように雲一つない綺麗な青空の下、コーヒーを飲むのも悪くないかといつものカフェに足を運んだ。テラスのいつもの席、周りには優雅に午後のティータイムを楽しむの主婦の方々。
 退院祝いに友人がくれた新しい小説をお供にカップを傾ける。

「ここ良いかな?」

 赤い髪のマンバンヘアの若い男がこちらの返事を待たずに席についた。街の雰囲気にもあったフォーマルなスタイルの服にアンダーリムの眼鏡。とても紳士的な雰囲気を漂わせた男はニコニコと話しかけてきた。

「元気そうで何よりだ」

 明日香の元気そうな顔を見た便利屋はクシャッと無邪気な笑顔を向けた。いつかに彼女が便利屋に貰ったスマイルマークのステッカーのような明るい笑顔を。