#4 Blacker than Black

Last-modified: 2021-02-18 (木) 17:42:34

 第4階層。
 第3階層ほどの人混みがなく比較的落ち着いた街の雰囲気と一致した街並み。政府の打ち出した緑化計画によって植えられた街路樹の緑が美しい通りの交差点に位置する一軒の酒場。人通りの多い交差点の角という立地もあってか酒場は夕方から多くの客で賑わっていた。入口の正反対側にあるバーカウンターには常連と思しき巨漢の男性が酒樽を抱えているような良い飲みっぷりを発揮していた。
対するカウンター内のマスターは豪快に笑う巨漢の男とは対照的に静かに店のグラスを磨いていた。
 街の人々の生活形態的に深夜にもなれば酒場に足を運ぶ人も減り、昼間は活気のある交差点の人通りも疎らになっていく。カウンターの常連はいくつもの酒樽をすっからかんに空け今日も酒場に金を落とす。マスターは支払いに対する領収書と共に一枚の写真を男に見せる。

「なんだこれ」

「黒王教団というものに心当たりは?」

「ないな」

「悪魔や怪異などの存在を信じ、破壊の先にある再生で世界を浄化しようと考えている宗教団体だ。彼らはダーカーなどの自身の欲望に忠実な生き物こそが本来世界で生きるべき存在とし、生きているだけで世界を汚染し同族殺しをひたすら続ける人間こそが世界の癌だと言うらしい」

「宗教の勧誘か? お生憎様、信奉を捧げたい枠は既に埋まっているんだ」

「そして彼らはダークファルスの存在こそがこの世界を、世界に蔓延る癌を排除する神なのだと信じ崇めている」

「宗教って盲信してるやつにしか理解できない領域ってあるよな」

「今回の依頼はその教団が会合に使ってたとされる建物の調査だ」

「なんでアンタにそんな宗教団体の調査なんて仕事が入ってくんだ。そういうのは公安に任せておきゃいいじゃねえか」

「俺に来たのは発生してるダガンの処理と狂信者の処理だ」

「天下のアークス様に人殺しなんてさせられないってとこか」

「さあね。狂信者の処理は俺がやる、お前さんには蟲共の処理を任せたい」

「……そうだなぁ、第16階層で最近話題のりんごの蒸留酒。かなり上質で美味いって評判なんだ」

「店のリストに追加しておこう」

「乗った。交渉成立だな」

 常連の男は勢いよく立ち上がり空になった酒樽の山に隠れた自身の愛剣を拾い上げる。男が剣の柄を握ると眩い閃光が輝き、背に携えると光は剣の中に集束して消えていく。
 ロングコートの内ポケットからスキットルを取り出し、一口含み、店をあとにした。


「――じゃあ、また頼むねお嬢ちゃん」

 第3階層の街角で目的の花を依頼主に届け終えたところだった。その花は一般的には高級品として扱われる非常に稀少価値の高いものだった。惑星ナベリウスの奥地、ある程度の階級のアークスでも立ち入りを制限されることもあるという『遺跡区域』のフォトン濃度の濃い場所にしか咲かない特殊な花。それを孫の結婚記念に渡したいという老婆からの依頼を引き受けた明日香はその花束を老婆に渡し、報酬を受け取った。高級品だけあって報酬も相応なもので封筒に入った紙幣の束を眺め笑みが零れる。
 引き受けていた依頼を全て達成し完了報告書をアークス側に送信すると、すぐに下階層に降りるエレベーターに向かった。便利屋の家であることについて調べなければならなかったからだ。
 
 情報参謀本部のカスラより預かった三冊のファイル、『DOOMS』『第壱拾玖階層の惨劇』そして『ドルグワント石盤』。三冊目のファイルの中身に詳細な情報は一切なく考古学者や宗教学などの専門家たちによる考察をまとめた資料数枚と解像度の低い写真データのみと、他二つに比べるとかなり情報が少ないものだった。数少ない情報から分かったのは、石盤自体は数百年前のもので宗教的な紋様や装飾が為されているがそれらに該当する宗教が未だ謎のままということ。要するにほとんど何も分かっていないのである。しかしそれでもそれが明日香の手に渡ったということはルツとこの石盤に何等かの関係があるということにカスラが確信を持っている証拠だった。本人に問いただしたいところだが、本人はシュツルム・リヒターに拘束されたあと行方が分からなくなっており、連絡もつかない。ならば出来る事は一つ、自分で調べるしかないと思った明日香は、彼の拠点にその手掛かりがないかと思い、第6階層の便利屋の事務所を訪ねた。

 カランコロン。ドアの上に備え付けられたドアベルが鳴ると奥から大熊猫のドローンがすばやくやってくる。

「あ、ごめんなさい、実は今休業中でしt……なんだ明日香さんか」

「こんにちわ大熊猫さん」

「どうしたの、見ての通りルツは帰ってきてないよ」

「はい、そうみたいですね……どうしたんですかこの荷物」

 いつもの散らかった書類まみれの事務所の姿はなく、あらゆる物が段ボールに箱詰めされて山のように積みあがっていた。

「事務所を移設するんだ。ルツが公安なりアークスなりに捕まった時は事務所を中層に移すってことになってたんだ。正直見られたらまずいものとかばっかりだからさ」

「手伝いましょうか?」

「助かるよって言ってもこっちの作業はあらかた終わっちゃったんだ、よければ先に12階層で荷受けの準備しててくれないかな」

 大熊猫に一枚の地図とチケット、合鍵を渡される。チケットは中層行きのエレベーター切符。地図はこれから向かう12階層のエレベーターから新しい事務所に最短で辿り着くルートが簡略化され書き記されていた。

「わかりました」

「僕も荷物運び出したらすぐに向かうから」

 いつも事務所にいるドローンを筆頭に十数台の宅配ドローンが荷物を次々運び出し、道路に行列を為し乍ら走っていく姿を見送ると自分も12階層行きのエレベーターに向かった。
 上層のガラスに守られた高速エレベーターからターミナルで乗り換える。上層と中層の間には階層一階分の大きな溝が存在する。その間は完全な宇宙空間になっているため、エレベーターでの行き来は出来ず本来ならこの間でのみポータルが使用される。ポータルで中層のターミナルに出る。そこに広がる光景が上層とはあまりにも違い過ぎて一瞬にして別の世界に飛ばされたのではないかと錯覚するほどだった。
 上層の各階層には疑似的に作り出された『空』が存在するが中層に空はなかった。各階層を遮るのは武骨な鉄の天井。太い鉄のパイプがいくつも街の中に伸びている光景は惑星リリーパの地下坑道を思わせる風景だった。上層とは違い格子状の柵にのみ守られたシースルーエレベーターは手入れはされているものの錆などがかなり目立つ。キーキーと金属の摩擦音を鳴らしながら、ゆっくりと下に向かって動き始める。
 格子の間から見える中層の風景を一言で表すなら『カオス』以外には言葉が浮かばないだろう。無計画的に増築が重ね重ね行われた掘っ立て小屋が階層を支える巨大な柱に、海辺のふじつぼのようにぎっしり建てられている。当然だがその一つひとつに人が住んでおり、家々の隙間に通る電線やケーブルに洗濯物を干したり、下の小屋の軒先の屋根に腰掛け煙草を蒸かす男性の姿など、狭い空間に多くの人々が暮らしていた。目的の第12階層もその光景に変化はなかった。強いて言うならやや中華的な装飾や造型の建物が多かったり、街のあちこちに『倒福』の張り紙が貼られているなど、少しばかりの違いは見受けられる。
 第12階層のターミナルに降りると目の前に広がる露店街に足を進める。露店は飲食店や装飾品がほとんど客引きが店前を通り過ぎるあらゆる人に声を掛けている。

「お姉さん、リリーパの稀少鉱物の腕輪! 今なら7000ODだよ!お得だよ」

 稀少鉱物と謳われて要られていたのはリリーパで取れる鉱物の中でも希少性など皆無なフォトン結晶だった。
 装飾品店の斜向かいでトルティーヤを売る少年に声を掛け、一つ売ってもらうと片手に持って観光気分を味わいながら事務所に向かう。露店街を抜けて家と家の僅かな隙間を通り、柱に巻き付く螺旋階段を登る。完全に人の手で無造作に置かれた不安定な脚立の橋を渡った先で坂道を下る。人の通りが多くなってきた大通りにでるとまた同じ装飾品店に戻ってきてしまった。

「あれ!?」

 地図を再度確認し、地図の通りに進んでも、結局露店街に戻ってきてしまう。

「あれ、おかしいな」

 こんな事をしてるうちに大熊猫の宅配ドローンが事務所に届いてしまう。

「迷っちゃった?」

 地図とにらめっこする明日香の肩を叩く紫髪の眼鏡の女性。明日香に比べると小柄ながらも女性らしい曲線美の大人の女性。

「ええ、恥ずかしながらそうみたいですね。……ここに行きたいのですが」

 見せるがあまりに簡略化されたそれに女性も首を傾げる。

「そうね、これじゃちょっと分からないわね。目的地の場所とか知ってたら案内できると思うのだけど」

「ええっと、『ろくろがいどうはちすかほうらくてい4F』?って書いてあります」

「あぁ、『轆轤街道 蜂須賀鳳楽亭』ね。あそこのラーメンは絶品よ。……こっちよ」

 女性はカツカツと地面を鳴らしながら明日香を先導する。
 露店街を抜けて柱に巻き付いた階段を登るまでは同じルートを歩く。すると眼鏡の女性は脚立の橋を渡らず脇道に入っていく。明日香も一度そこに行き着いたがその先は行き止まりで迂回路もあの脚立橋以外に見当たらず引き返したのだが、女性は壁と両脇を囲む建物の外壁を三点飛びして壁の上に立ってしまった。

「あなたもアークスならこれくらい余裕でしょ?」

 明日香も女性に倣って三点飛びで壁の上に立つと壁の先には別の露店街が広がっていた。先程までいた露店街とは違い、賑やかさのベクトルの違う繁華街。店先で行われる怪しい取引や、客同士の喧嘩で飛び交う怒号と違う様相を呈していた。

「はい、ここが目的地の蜂須賀鳳楽亭よ」

 案内されたのはそれまでに見た似た複雑化した共同住宅で一階部分が赤い寺院のような外観の中華料亭となった建物だった。店の前にもテーブルと椅子が並べられ多くの人が会食していた。
 店の大きな入り口の脇、小さい階段から二階に上がると小さな電悌が真正面で迎えていた。

「蜂須賀鳳楽亭を知ってるなんて通な人、なんて思ったけど違ったみたいね。何処かの船から移り住んできたの?」

「いえ、今回は友人の引っ越しの手伝いでして。お姉さんはこの辺に住んでるんですか?」

「いいえ、でも私も友人がここに住んでるからよく来てはいるわ、もしかしたらまた会うかもしれないわね」

 チーン、とベルが鳴り電悌が四階に到着する。外に出るとそこは普通の共同住宅。ロ型で中央が吹き抜けになってて、等間隔にドアが配置されている。入口には倒福のビラが貼られている。
 そこで分かれるかと思いきや最後の最後まで眼鏡の女性と同じ道を進み、目的地へと辿り着く。

「まさか隣同士だったなんて」

「ふふ、こんな偶然もあるのね。また会いましょう」

 アナログ式のドアロックに鍵を差し込み解錠し中に入る。中には当然何もなく電気もなく薄暗い。電気をつけ部屋を見て回るがお世辞にも綺麗といえる状態ではなかった。建物の外観からしてかなり前に建てられた建物ということは想像に難くなく、ここに至るまでの団地の廊下を見た感じからも、上層の豪勢な暮らしとは対照的に質素な暮らしをしているのは明白だ。

「明日香さん、来てる~?」 

 壁のシミを数えていると、ドアがガチャリと開き、アンジェと共に数台の宅配ドローンが到着する。
 宅配ドローンは荷物を降ろすとそのまま作業を開始しアンジェの指示のもと、運び込んだ家具を配置していく。明日香は一台のドローンと協力して掃除を進め、数えた壁のシミを綺麗にふき取っていく。


 二時間ほどが経過し、全ての宅配ドローンと大熊猫が到着し、通信環境周りも大熊猫の迅速な準備により完了。第6階層の事務所と大差ない状態にまで再現させた。

「こんなところかな」

「ふぅ、お疲れさまでした」

「ドローンの手助けもあって予想より早く終わったわね」

 肉体労働で疲れたアンジェはツナギの上半身を脱ぎインナーを晒した状態で大熊猫のドローンにうちわを持たせ扇がせていた。
 
「ご苦労様、アンジェ、明日香さん。……明日香さんにはこれを」

 封筒を受け取ると中にはオラクルドル紙幣の束。

「引っ越しのお手伝いのお給料です、ありがとうございました」

「いえ、そんな貰えませんよ」

「受け取ってください。働きに見合った報酬を受け取るのもプロですよ」

 大熊猫に言いくるめられ、封筒を受け取る。

「そういえば、今更ですけど明日香さんは何故便利屋に来たんですか」

「実は大熊猫さんにお聞きしたいことがありまして」

「ほうほう、それは一体」

「ドルグワント石盤って知ってますか」

 アンジェと大熊猫は急いで明日香の口を塞ぎ、半ば押し倒す様になってしまう。

「明日香さん……外でその単語出してないよね!?」

「ふんんふんんんんんふんん?(何か問題があるんですか?)」

「中層でこの話をするのは不味いけど、両隣は誰もいないはずだしいいんじゃない?」

 アンジェは大熊猫に提案するが、明日香は隣の部屋に眼鏡の女性が入っていったのを思い出す。

「……ぷはっ。あの隣の部屋に人、入っていきましたよ」

「左隣はずっと空き家だし、右隣は」

「右隣の家に女性が」

「そんなはずはない、右はルツの部屋なんだ……!!」

 三人はぎょっとした顔で部屋を飛び出し、右隣のルツの向かう。玄関に鍵は掛けられておらず、リビングに向かうと明日香をここまで案内した女性が部屋の掃除をしていた。

「あら、また会いましょうとは言ったけど、こんなすぐになるなんて思わなかったわ」

「アナタ何者!?」

 アンジェは作業着のポケットから拳銃を取り出し眼鏡の女性に銃口を向ける。大熊猫も腰をやや低く構えているが、対する眼鏡の女性は銃口を向けられている状況に怯える様子もなく、銃口を向けるアンジェに対して敵意を向けるまでもなく、ただ静かに佇んでいた。

「人に名前を尋ねるときはまず自分から……って言ってる間に撃たれちゃいそうね」

 女性は埃を被った棚の拭き掃除を再開しようと動くが、アンジェが引き金に指を掛ける。

「動かないで……ここはアナタの家じゃないわよね……どこの組の刺客?」

「確かに私の家じゃないけど、私の家でもあるわ」

 棚に手を伸ばすがアンジェは問答無用に女性の手を撃ち抜こうと引き金を引く。
 炸裂音と共にはじけたのは女性の白い手、ではなく棚に飾られた萎んだ観葉植物の鉢だった。しゃがんだ瞬間と発砲のタイミングが偶然被ったのか、女性は落ちた写真立てを拾い上げた。

「あーあ、水やりをしてない草とはいえ、勝手に壊しちゃうのはどうかと思うわ」

 埃を払った写真立てには、今より少し若い頃のルツと共に目の前にいる眼鏡の女性が写っている写真が入っていた。仏頂面で振り向くルツ、隣で微笑む眼鏡の女性と手前でカメラを持っているであろう青年。ルツと何等かの関りがあるのは写真を見れば分かるがそれが明日香達の味方であるという証明にはならない。

「勿体ぶらずに教えてくれませんか、貴女が誰なのかを。……私たちも最近面倒な事に巻き込まれすぎてて誰でも簡単に信じられる状況じゃないんですよ」

「らしいわね、カースドの研究施設鎮圧に協力してくれたんでしょ」

「なぜ、それを! 」

「……銃を向けられた状態で名乗るのも嫌だけど、これ以上ややこしくなる方が面倒よね。……私はクロウ、情報部特務機関シュツルムリヒターの隊長よ」

 仮想端末を操作し、私服から制服に着替えるとその肩にはカースドの施設で明日香を守ってくれた白いコートの集団の背中に描かれていたマークと同じものがあった。すぐにアークス用の仮想端末にアークスカードが送られ、その身分が偽りでないことを証明した。

「そろそろ、銃を降ろしてくれるかしら」

 アンジェは銃を降ろし、机に置く。クロウも深く息を吐いてソファに腰を下ろす。

「私が怪しかったのは認めるけど、だれかれ構わずに発砲するようじゃいずれ公安のお世話になるわよ、お嬢さん」

「アンタが最初から身分を明かせばここまで面倒なことにはならなかったわ」

「……そういうことにしておきましょ」

 大熊猫は棚に並べられた写真の数々を眺める。そこにはルツと大熊猫が同じギャングで雇われてる時に仲間に取られた思い出の写真や、大熊猫が知らない時期の写真が並べられていた。クロウと青年とルツで写ってる写真もまさにその一つだった。明日香も大熊猫に気が付いて一緒に写真を眺めるが、そこには明日香の知らないルツの一面が垣間見えた。
 
「ルツは今、どうしてるんですか」

「元気にやってるわよ。それはもう元気にね」

「どこに居るのかは教えてもらえないんですよね」

「ええ、守秘義務ってやつ」

「ここには何しに来たのよ」

「探し物よ。……きっと、そこのお姉さんが探してるものと同じものをね」

「ドルグワント石盤……ですか」

「彼が持ってるとは思ってないけど、関係する何かを持ってるんじゃないかなってね」

「結局ドルグワント石盤って何なんですか?」

「明日香さんは『黒王教団』って知ってる?」

「いえ、聞いたこともありません」

「黒王教団ってのはねーー」

 黒王教団とは昔から様々なシップで見掛けられる過激な思考を持った宗教の一つだった。悪魔とも言えるダーカーを神が遣えし使徒として崇めており、ダーカーの出現も好き勝手に宇宙を踏み荒らしたアークスに対し宇宙の神の怒りを買ったとして考えている。司教たちは宇宙の神、司教たちが指すところのダークファルスより啓示を受け、それに従って神に仇を為すアークスたちを粛清するために各地でテロなどを引き起こしていたという。
 啓示を受けた司教たちは何らかの方法でダーカーを船内に呼び寄せる力を持っており、これまでアークスシップの歴史の中で幾度となく発生している突然のダーカー襲来も彼らによって招かれていたとされはじめていた。
 そして数十年前初めて黒王教団の一派とアークスが衝突し、一派はアークスに逮捕され強制収容所に入れられたが、一派が拠点として利用していた教会から奇妙な物が持ち帰られた。
 それが『ドルグワント石盤』。その全貌は未だ謎のまま石造りの『何か』の欠片と思われ、その切り出したような綺麗な形状から石盤と呼ばれるようになった。石盤にはオラクルの公用語であるシオン語とは異なる未知の言語が記述されていた。その他で回収された石盤にも同じ言葉と思われる言語が記されていたことからこの言語は「黒王文字」と呼ばれるようになった。考古学者や言語学者の協力のもと黒王文字の解読作業が開始するもあまりにも少ない情報量に作業は難航を極めていたが、ある時再三行われてきた教団のテロ行為で収容された使徒の中にアークスに協力的な態度を示す老人が現れた。老人はオラクル連邦政府に集められた石盤は元々一つの大きな石碑だったと語り、そこに描かれた言葉をシオン語に訳す手伝いを申し出た。当然最初は誰もが老人を疑ったが、老人は政府に対し献身的な働きを見せ、徐々に信用を得ていった。
 老人の協力によりあっという間に解読作業は進んだ。所々著しい破損により読めない部分は多くあれど、石盤に記された記述から石碑の内容を断片的に読み解いた。

 11番艦で回収された一の石盤には『――死血に酔いし贄を成せ――穢れた血より産まれるは瞳を持ちし永久の赤子』
 42番艦で回収された二の石盤には『――人ならぬ生り損ないの獣たち――母の糧となり――』
 66番艦で回収された三の石盤には『――六つの器揃いし時――赤子喰らう』

 この三つだけでは全容を把握できなかったが、教団の老人は言った。
 これは『母』と呼ばれるダークファルスを召喚するのに必要な儀式について書かれている。『死血に酔いし贄』は、『母胎』と呼ばれる研究所で生み出されたダーカー因子を埋め込まれた被検体たちは己の性能調査のため、広い一室に閉じ込められ殺し合いを強要された。同じ施設で育ってきた仲間たちを殺し、最後の一人として生き残らなければ自由はない。そうして最後の一人となった者の周りには沢山のダーカー因子の混濁した血の海が広がっていた。その血は最後の一人の体内の因子と呼応するように脚元に集まり蠢き、身体を覆い尽くすようにして体内へ浸透し、大量のダーカー因子を溜め込んだ最後の一人はダークファルス、『永久の赤子』となるという話だ。そして血は赤子のもとに、残された骸は『母』のもとに送られるらしい。
 そして『六つの器』とは、六ヶ所の母胎から生まれた六人の赤子たちを指し、赤子たちは母の元に還ろうとする性質を持つらしい。成長し充分な力を溜め込んだ赤子が母の元に帰還すると、母はそれを糧により一層力を得て後世まで生き続けるのだという。詰まる所、目的の無い永久機関なのだ。母の血を分け子を作り、その子を喰らい母は生き、また新たに子を作る。この永久機関が何を目的に続いているのかについては老人は分からないと答えた。ただ昔から続いている教団の役目だと。

 そこで一人の学者は思った。その母胎とは何処にあるのか。老人は答えた。石盤は教団にとっては教典となる神聖なもの。それは母胎にのみ保管されていると。
 回収された石盤は三つ、どれもエウレカ同盟に加入するアークスシップで発見されていた。そして残る石盤は三つ、残された三隻の船。話が繋がり学者はいった、残る石盤はその三隻にあるのか、老人は深く頷いた。
 その後アークスと公安局の共同捜査によって母胎の捜索が開始されたが、動きを察知されたか、以降母胎は一箇所も発見されていないのだという。

「そんなことが起こっていたなんて……」

「特に明日香さんは同盟外国からの移住だから知らなくて当然だよ」

「私も黒王教団についてはあらかた知っていましたけど、石盤にそんな秘密があったなんて聞かされていませんでした。貴方はどこでここまでの情報を」

「さっき言った老人に会ったことがあるんだ」

「カスラさんはどうしてこれを私に……ルツさんと何か関係があるんですか」

「……15年前の事件の話は?」

「第壱拾玖階層の惨劇、でしたっけ」

「そう、それがまさに三つ目の石盤が回収された母胎での出来事なんだ」
 
「あの惨劇は元々DOOMSに対して排他的思考を持っていた上層部の人間が、アークスの許可を通さずに直接傭兵を雇って起こった事件だったんだ」

「母胎自体がとても秘匿性の高い存在だったから、基本的にアークスでもシュツルムリヒター他、上層部の一部しか知り得ないものだった。それを上層部内部のDOOMS排除派が情報規制を徹底していた情報部の許可なく、一般の人間に漏らしてしまったの」

「確かあのダリルって奴が暴れてたって情報部のファイルには……」

「そう、ダリル率いる傭兵団が母胎を襲撃したのは本当。でもダリル達が到着した時既に母胎は骸の山だったの」

 死血に酔いし贄を成せ。石盤の言葉が頭に浮かぶ。

「既に儀式が行われた後だったの。生り損ないの獣たち、恐らく他の実験体たちは一人に負け『永久の赤子』が生まれた。でもその赤子は同胞達だけでなく研究者たちも襲ったようで、隔壁の中で運良く生き残った学者の話では、産まれた赤子は拘束され司祭にしか知らされていない聖堂に連れて行かれたらしいの」

「確かに一人、他施設に移送されたって」

「そう、六つの器のひとつ、永久の赤子……それが彼なの」

 階層都市に来てから知らないことばかり突きつけられる。シュツルム・リヒターやDOOMSという存在。黒王教団。そして今まで何も知らず接していたルツという男の過去について。
 同じダークファルスを身に宿す者同士、シンパシーを感じることもあったが、境遇は全く違う。人知れず寄生されるように身体を乗っ取られ支配を喰い破ることで力を抑え付けた自分と、人の手によって意図的にダークファルスを身に植え付けられるも支配や抑え付けるのではなく共生という道を選んだ彼。世間的にはDOOMSとして一括りにされる存在かもしれないが、その本質は似て非なるものだった。

「もしかしたらあの爺に会ったら、明日香さんを乗っ取ったダークファルスのことも何か分かるかもしれないね」

「!?……それは、気になりますね」

「……私も少しその老人とお話したいわね」

「じゃあ会ってくるといいよ。爺は一個下の教会で、自分の罪を贖うためにいつも神に祈ってるから」

「明日香さんは分からないだろうし、アンタが下の階まで案内してあげなさいよね」

「ええ、そのつもりよ。私も気になるしね」

 大熊猫とアンジェは便利屋の営業再開を目指して準備を進め、明日香とクロウは言われた教会に向かう。


 上層とは違い階層間をしっかりと区切る隔壁はなく、どこまでも下に続く回廊を下っていく。『第壱拾参』のネオンの前を過り辿り着いた場所は上の階層と風景的な違いはなく、同じような光景が広がっている。クロウに案内されるがまま後ろをついて歩くと中華風な共同住宅が多い中、違う建築様式で建てられた教会がぽつりと佇んでいた。路上の階段の端にはロウソクが沢山野晒しで置かれ、それぞれに火が灯されている。いかなる強風が吹こうとも火は消えず、ただ揺らぐのみ。前の通りを歩く人々は教会からやや距離を取るように階段の前のちょっとしたスペースすらも迂回するように歩いている。
 
「ここね、なんだか嫌な感じがするわ」

「私もそう思ってました」

 二人が一歩、階段に足を踏み入れると背筋が凍るような悪寒に襲われる。ダーカーが出現する予兆で感じる、フォトンがざわつくような感覚。

「クロウさん……」

「貴女も感じたようね。いつでも武器を取り出せるように警戒しときましょう」

 一歩、二歩と階段を登り教会の扉に手を掛ける。恐ろしく冷たい鉄の取手を握り扉を開けると中の空気が外に飛び出す。ナベリウスの奥地、あの雪山で吹く風のような冷たい空気が二人の頬を撫でる。中の空気によって、どんな強風でも消える事の無かったロウソクの火が、ふっと消える。
 教会の中央、神を祀る祭壇の前に跪く老齢の男以外、人はいない。扉を閉め、中に入るとぶつぶつと呟いていた声が止み、老人が顔を上げる。

「におう……だが混ざっておる、純粋な黒の香りではない」

 振り返る老人の顔は皺だらけで開く口に歯は数本しかない。痩せ細った肢体、黒い立襟の服を着た老人はふらふらと立ち上がり、明日香に指を差す。

「身体に染み付いた漆黒の匂いはそう簡単に消えぬ、いつかまたお主を蝕むであろう」

 意味ありげな事を呟くと今度はクロウを指差し、

「ふむ……お主はまた珍しい。漆黒に導かれてこの世界に辿り着いたか……中で暴れたいと叫んでおる」

 クロウの中にもダークファルスが居ることを示唆する発言に驚く明日香。世間は思ったより狭いのか同じ悩みを抱えた人間にこうも頻繁に出会うものなのか驚きを隠せなかった。

「貴方、思った以上に危険かもしれないわね……そのことはあの男も知らない情報のはずよ」

「漆黒は闇に引き寄せられる因果、漆黒の引力は時に光をも呑み込む」

「私が貴方に会いに来た目的は二つ、ひとつは残る三つの石盤の在り処、もうひとつは貴方自身のこと」

 老人は再び祭壇の前に座り込み、クロウと明日香を見上げるようにして話始める。

「お主ら狩人たちに話せることは全て話した。石盤の在り処は、その場にいる者にしか分からぬ」

「……じゃあ貴方の話よ。貴方は十五年前の惨劇のあと、政府に協力し教団と石盤の存在とその真実を語り特例として監視の元で自由を得てきた。でもここ最近この教会を中心とした周辺地域でダーカーの発生が数件確認されているわ。そしてその全てが討伐隊の到着より先に姿を消している、初めから居なかったかのように一瞬で姿を消すの。……でも貴方が言ったように闇の残滓はそう簡単には消えないの、だから追跡も容易なのよ。……この街でまた儀式でも始めるつもり?」

 教会の中が急に騒がしくなる。カサカサカサカサと何かが這うような音が小さく響く。

「これも全て赤子と相まみえるがため」

 ドクン、ドクン。急に鳴り響く鼓動音。自身のでも隣にいるクロウのでも、老人のものでもない。耳元で鳴っているかのような大きな音と共に地面が揺れる。
 背後に気配を感じて振り向くとダガンがベンチや柱の影から顔を出し、カサカサと音を立てながらゆっくりと近付いてくる。
 明日香もクロウも瞬時に仮想端末を操作して手元に武器を呼び出す。

「神聖なる神の御前で武器を持ち出すとは不届き千万、すぐにでも神より天罰が下るであろう!!」

 フォトンがざわめき、足元から何かが迫り来る感覚に二人は飛び上がり、武器を壁に突き刺す様にしてぶら下る。二人の立っていた地面を突き破って現れた百足のような甲殻を持った尻尾が天井までも突き刺す勢いで飛び出てきた。何等かの感覚器をそなえたそれは周囲の様子を窺う様に一定時間その場に留まり尾の先を動かす。壁に足をついて街に飛び出す様に扉を蹴り駆けると、謎の尾はクロウの足元の壁を突き破壊する。しかし突きが空を切ると尾は地中の穴に戻っていく。
 
「やっぱり居たわね、厄介な奴が。……明日香さんあの長い奴は貴方に任せる。私はあの腐れ爺を追いかける」

「了解しました、くれぐれもご注意を」

「そっちも気を付けてね」

 明日香は穴の中に飛び込むようにして百足のようなダーカーの後を追った。