狂戦士の夢

Last-modified: 2016-08-13 (土) 23:42:02

ハーゲル王家の次男が皇帝の座に就いた、という速報はすぐに大陸全土へ広まった。
市井の井戸端会議から始まり、瓦版、わらべ歌、挙句の果てにはキラメロの活躍を描く演劇とまでなって瞬く間に波及した。
しかし。
全ての国民が今回の政権交代に関心を抱いていたわけでない。
逆に、大半の民草はハーゲル王国の主君が誰になろうとも、知ったこっちゃなかったのだ。
ただ、目先の生活が楽になればよい。
税負担が少しでも軽くなればよい。
徴兵制度がなくなればよい。
これら庶民の願いを叶える素晴らしい君主なら、誰が来ようと大歓迎だった。

 

ミリカ「ボルドノープルで新しい皇帝の即位式が行われたそうですって」

 

タイガー「ふむふむ……」

 

トハラの西に渺茫と広がる砂漠。
その中央にポツンと寂しく建つ、レンガ積みのキャラバンサライ。
一階に位置する酒屋で、タイガー・ランペルージは暫しの休息をとっていた。
薄汚れたジョッキに血の如く赤いウォッカを注ぎ、羊肉の燻製を肴にして一気に呷る。
その様子を眺めるのは、絹製のチャドルで顔以外を隠したうら若き少女だ。
彼女の名はミリカ。
この隊商宿をずっと一人で切り盛りしてきた、言うまでもなく敏腕の若女将である。
発育はまだ遅れているが、本人談によれば、魔物の一匹や二匹なら軽く退治できるという。
宿泊客の虎男は、そんなミリカに微かな不安と沢山の慈愛を持って接するのだった。

 

タイガー「このタイガー、ハゲの珍事に興味はない。あとどれくらいでエグバードの故地に到着するか、それだけが気になる」

 

ミリカ「お客さんたら、大層の物好きですね! エグバード王国のあった場所は三日ほど砂漠を行けば着きますよ。でも、シロアリさんに見つかると殺されちゃいますけど……」

 

タイガー「ふむふむ、ご心配ありがたいが、タイガーはデビルタームを殲滅する身。それなりの対策など、とうにできている」

 

その時、彼の返事を盛大な拍手が遮った。

 

男「いやはや、大したもんだよアンタの占いは! まるで当っちまっているぜッ!」

 

カウンター席の端に、二人の男が座っている。
向かって右側は屈強な土木作業員、左には頭に白いターバンを巻いた面長の男が気怠げに頬杖をついて酒を飲んでいる。
快哉を叫んだのは、恐らく右の男だろう。
まだ興奮が冷めておらず、しきりに立ったり座ったりを繰り返している。

 

男「こんなボロくさい木賃宿にも、アンタみてぇな大物が泊まるんだなァ! 故郷を当てちまうなんて、千里眼でも持ってやがんのかい!?」

 

ミリカ「お客さん! ボロくさい木賃宿って何なんですか。老舗旅館と言いなさい!」

 

男「すまねぇすまねぇ! もう出て行くから、食事代はそこの虎戦士さんにツケといてくれ!」

 

ミリカ「えー! ちょっと誰かー! あの喰い逃げ犯を捕まえてー!」

 

タイガー「ふむふむ……」

 

彼にとって占いなど女子供が楽しむ軟弱な遊びに過ぎぬのだが、どうやら面長の男、ただ運勢を占うだけでなく、客の出身地をピタリと言い当てるらしい。

 

タイガー「どれ、このタイガーが一丁試してやろう。当たれば良し、外れたならイチャモンつけて小銭を数枚せしめりゃいいのだァ」

 

ほろ酔い気分の虎男はグラスを置くと、千鳥足で占い師に近寄った。
隣に腰を下ろし、新しい肴を注文する。
大皿いっぱいに盛られたピラフや揚げたばかりの鶏肉が、ほかほかと湯気を立てて並ぶ。
油したたる唐揚げを口へ運びながら、タイガーはさっきの割れるような拍手について質問した。

 

タイガー「ふむふむ、私はタイガー・ランペルージと申す者。少し貴殿と面談したい。まず、尊名を聞かせ願おう」

 

ゲイリー「ゲイリー。トハラでバーを営んでる。人は俺を占い師と呼ぶが、別にそんなんじゃねぇ。クソッタレな天賦の才があるだけだ」

 

タイガー「ふむふむ……凡人からすれば、実に贅沢な悩みだな。そうだ、ここは一つ、タイガーの出身地を当ててくれ」

 

ゲイリー「アンタ、分かってるか? 他人の訛りを聞き分けるたァ、相当に高度な技術が必要なんだぜ。加えて言語に関する膨大な知識も、当然求められる。並みの人間にゃ到底無理だ」

 

タイガー「だが、貴殿にはできるのだろう?」

 

ゲイリー「もちろんさ」

 

タイガー「なら、タイガーの故郷はどこだ。実のところ、タイガーにも分からぬのだ。物心ついた時には、トハラで生活していた」

 

ゲイリー「なら、そこが出身地ってことでいいんじゃね? 俺に聞くまでもねぇな」

 

タイガーはムッとして口を一文字に強く結んだ。
初対面の人間に対して、ここまで横柄な態度を取る占い師など見たことがない。
自分の容姿が珍妙であろうと、トハラを魔の手から守る一介の戦士である。
馬鹿にされる理由がどこにあろうか、いやない。ないはずなのだ。
気を害した様子のタイガーに、占い師は一言つけ加えた。

 

ゲイリー「そうだな……そこまで正体が知りたいのであれば教えてやる」

 

ゲイリー「西の果てにダムドラという魔物が暴れている。お前の種族と深い因縁を持つクソ野郎だ。奴を討った時、アンタの運命は大きく変わるだろう」

 

ダムドラ、という四文字にタイガーの血は不思議と騒いだ。
何かとても大切な物を、遥か遠くに置き去りにしてしまったかのような。
こなすべき仕事を未だ放ったままにしているような、そんな焦燥感が鎌首をもたげたのである。
タイガーは食事代の銅貨をカウンターに置くと、足早に酒場を立ち去った。
こんなところで、酒など悠長に飲んでいる場合ではなかった。
ダムドラとやらの首根っこを早くひっ捕まえて、ゲイリーの言う『因縁』を突き止めねばならぬ。
他にもデビルタームの掃討を始め、沢山の依頼が自分の所属するギルド・バイバルスに届いている。
休むのは全てを終えてからだ。

 

ミリカ「ふぅ……」

 

ちろちろと燃える篝火が、熱を含んだ風に揺れる。
タイガーが去った後、ミリカはウィスキーを飲む占い師に耳打ちした。

 

ミリカ「やっぱり、虎男さんが何者かあなたには分かってたんですよね?」

 

ゲイリー「ああ、だが公の場で発表するものでもなかったよ」

 

ミリカ「どういうことなんですか?」

 

ゲイリー「世の中には、首を突っ込んでいい領域と悪い領域がある。奴は後者の方さ」

 

ゲイリー「狂戦士族って知ってるかい? 南西の孤島で文明と隔絶した生活を送る野蛮極まる戦闘民族さ」

 

ミリカ「えぇ……資料にある外見と全然違いますよ? まるっきり虎さんですし」

 

ゲイリー「だが、俺の見立てが正しいなら奴は間違いなく狂戦士の一族だ。それも、相当に高貴な家のな」

 

ここで彼は話を切ってしまった。
これ以上、面倒なことに深入りしたくなかったのだろう。

 

ゲイリー「あばよ、ボルドノープル出身の嬢ちゃん。料理と酒美味かったぜ」

 

ミリカ「えっ……」

 

ゲイリー「皇族なら襲われないよう気ィつけるんだな」

 

ミリカ「いつの間に聞き分けてたんですか! その能力本当に欲しいですよ~!」

 

ゲイリー「残念だが、俺が提供できるのは酒だけさ。今度俺の店に来な、極上のワインを飲ませてやるよ」

 

ミリカ「ま、まいど~」
タイガーは厩に繋がれているラクダから、丈夫そうな数頭を引っ張りだした。
手綱を近くの杭に縛りつけ、羊皮で作った袋を肩にかける。
陽光が腰に差した長刀の錵を一直線に滑り、砂利だらけの地面へこぼれてゆく。
一颯、また一颯と鞍上で素振りをして、刃音の鋭さを確かめる。
剣というものは複雑なもので、使い手との『心』が重ならなければ本領を発揮しない。
ただ獲物を斬るだけの刃と意識している内は、永遠に達人の領域へ踏み込むことは叶わぬ。
物言わぬ鋼といえ、共に戦場を駆けるかけがえのない仲間であり、自分の分身なのである。
細心の注意を払って、まるで我が子を慈しむかのように手入れすることが肝要だ。

 

タイガー「刀の体調、良し。銃弾の数、良し。心の準備、良し」

 

虎男はそう呟くと、ラクダに乗ってキャラバンサライの門をくぐった。
白い砂漠が照りつける太陽光を跳ね返し、それぞれ上と下からタイガーの肌を焼く。
日焼け対策として申し訳程度に泥を塗ってみたが、あまり功を奏していないようだ。

 

タイガー「ダムドラ……ダムドラ……。聞いたことがあるような、ないような。だが不思議と、懐かしい響きを感じる」

 

タイガー「……ミズハ」

 

ふと口をついて出た言葉に、タイガーは思わずたじろいだ。
ラクダを止めて先の名を反芻する。
本能の叫びに、じっと耳を傾ける。
だが、何も頭に思い浮かばない。
代わりに聞こえたのは、砂に住む魔族が自分の周りを泳ぐ乾いた音のみであった。
おそらく、数十匹はいる。
集団で獲物を取り囲み、隙を見て攻撃をしかけてくるつもりなのだろう。
確認せずとも、敵がデビルタームであることなど手に取るように分かる。
タイガーは両腰の長刀を抜くと、腰を低く屈めて臨戦態勢に入った。

 

タイガー「ふむふむ……。奴ら、もうここまで勢力範囲を広げておったのか」

 

砂中に泳ぐ白蟻型魔族を注視しながら、タイガーはその光景に違和感を抱いた。
デビルタームは元来、ゆるい楕円を描きながら獲物へ近寄って一気に仕留めるのだが、トハラで倒した歩兵に比べると、あまりに秩序立った動きなのである。
まるで自分を囲む透明な管の中を、水流に乗って移動しているかのようだ。
どこかに優れた指揮官でもいるのだろうか。
もしそうなら、単独で戦うのは得策でない。
必殺技のフルウェポン・コンビネーションも、使用可能な回数はあと指で数えるばかり。
ここは脆そうな部分を突いて、白蟻の陣形からいち早く脱出すべきだ。

タイガー「走れッ!」

彼はラクダの腹を蹴って走り出した。
通さぬ、と言い張るかの如く目の前に躍り出た歩兵を、一刀の下に斬り伏せる。
両側から飛びかかった白蟻も、次の瞬間には手足を失った肉となり、双刀を縦横無尽に振り回す虎男の足元へ転がった。

 

しかし、その時であった。

 

地面から突き出してきた一本の素槍が、ラクダの脇腹を貫いたのは。
右の脇腹から入った槍は左へ突き抜け、さらにタイガーの左脚まで深々と食い込んでいる。
放り出されたタイガーは体勢を整えようとしたが、山ほどいる白蟻の前では無力だった。
彼らは強靭な顎で、捕らえた獲物の身体を少しづつ食いちぎっていくのだ。
痛みに耐えかね、つい切り札を叫んでしまう。
こんなところで死ぬわけにはいかない。
ミズハを救いに行かなければならない。

 

タイガー「ウ……ウオオオオオ! フルウェポン・コンビネー……」

 

急に背中が軽くなった。
噛み付いていた顎の力も、消え失せた。
無論、切り札が発動したわけではない。
うつ伏せのままでいると、頭上から陽気な若者の声が降りかかってきた。

 

レムラス「よう大将! 砂漠で魔族と雑魚寝なんて、大胆なことするじゃない」

 

アグサ「ウチらが来なかったら、本当にマズかったみたいね」

 

クナラズ「とにかく、無事で良かった。貴殿の力は百万の精兵に相当するからな」

 

その夜、クナラズ達はトハラで仕入れた石と薪を使って、簡易的な焚き火台を作った。
パチパチと火の粉の爆ぜる音が小気味良い。
麻の袋から肉の塊を取り出したクナラズは、小麦のパンでそれを挟み、小枝に刺して焚べた。
王宮では毎日、大きな皿にピラフやらカレーやら異国の果物やらが盛られていたものだった。
あの頃を振り返ってみれば、今の食事は比べものにならないほど貧しい。
しかし、クナラズは考える。
気心の知れた仲間と食べる小さいパンの方が、一人で食べる豪勢なご馳走よりも、ずっと価値がある物なのだと。

 

クナラズ「……焼けたみたいだな」

 

少し焦げ目のついた肉汁溢れるパンを、向かい側に座るタイガーへ渡す。
アグサとレムラスにも配ったところで、ふと、タイガーが口を開いた。

 

タイガー「早朝の件、本当にかたじけない。あのまま貴様達が駆けつけなければ、白蟻の餌食となるところであった。礼を言う」

 

クナラズ「なんの、礼を言わねばならないのはこちらだ。貴殿がキャンプの跡や足跡を残してくれたおかげで、容易にここまで辿り着くことができたのだ」

 

アグサがクナラズの脇腹を肘で小突いた。
三人で示し合わせた内密の話があるらしい。
クナラズは串を捨て、その禿げあがった頭を額が地面に着くまで下げた。

 

クナラズ「タイガー・ランペルージ殿。ハーゲル王国第42代マハーラージャの子として、貴殿に頼みがある。どうか、ハーゲル軍の総帥として我々と共に王道を歩んではくれまいか。貴殿の力があれば、いかなる軍勢も打ち破ることができるのだが」

 

近くで話を聞いていたレムラスは、総帥という言葉に思わず肉を吹き出しかけた。
隣を一瞥すると、アグサも同じく目を丸くしてハーゲル王国の皇子を見つめている。
こんな虎か人かも分からぬ珍妙な男が将来、栄えある反乱軍の総大将となって、鞍上から偉そうに指示を飛ばしてくるのだ。
滑稽な光景と言わずして、他に相応しい言葉があるだろうか。

 

タイガー「ふむふむ……。それは実に魅力的な提案だ。数万もの兵を率いて敵軍に攻め込む時の快感は、何にも代えがたい。金銀財宝の類も沢山手に入る」

 

アグサ(やっぱ食いついてきた! 総大将の座は大きいよね……)

 

タイガー「しかし、辞退させていただく」

 

アグサ「えっ」

 

意外な返答を受けて、レムラスとアグサは絶句してしまった。
自分がバイバルスの最重要機密であるから、人前に姿を見せたくないのか?
いや、それでは観光客の多いトハラをうろついていた理由が説明つかない。

 

タイガー「タイガーには、救わねばならぬ者がいる。心の奥底で助けを求める死人の声が聞こえる。ミズハを永劫の苦しみから解き放つまで、貴様達と同行することはできない」

 

タイガー「馳走になった。では先にゆく」

 

彼は深々と一礼して立ち上がると、夜の砂漠へと走り去った。
後を追おうとした部下二人を、水平に伸ばした腕で引き止める。
タイガーにはタイガーの正義がある。
それを曲げてまで、自軍に参入させようとすれば、君主の器量が疑われる。

 

クナラズ「違う……それは建前だ」

 

他者をむりやり杭に繋ぎ止める度胸を、クナラズは持ち合わせていなかったのだ。
皇子はその夜、声を押し殺して泣いた。