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基本データ
No.200 | ||||
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レアリティ | {{{☆}}} | |||
ゲーム内名称 | {{{簡体字}}} | 翻訳名称 | {{{名}}} | |
所属/艦級 | {{{艦級}}} | |||
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艦船ステータス(初期値/最大値) | ||||
耐久 | {{{耐久}}} | 火力 | {{{火力}}} | |
装甲 | {{{装甲}}} | 雷装 | {{{雷装}}} | |
回避 | {{{回避}}} | 対空 | {{{対空}}} | |
搭載 | {{{搭載}}} | 対潜 | {{{対潜}}} | |
速力 | {{{速力}}} | 索敵 | {{{索敵}}} | |
射程 | {{{射程}}} | 運 | {{{運}}} | |
最大消費量 | ||||
燃料 | {{{消費燃料}}} | 弾薬 | {{{消費弾薬}}} | |
艦載 | 装備 | |||
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強化経験値 (火力/雷装/装甲/対空) | 0/0/0/0 | 解体資源 (燃料/弾薬/鋼材/アルミ材) | 0/0/0/0 | |
改造チャート・必要な核心 種類/数 | ||||
{{{艦船名}}} → 艦船名?({{{Lv}}}) ({{{~}}}核心×{{{n}}}) |
SD |
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入手手段/ドロップ海域
イベント限定艦「暴風雨中的Z」E5 or E7
性能や運用について
イベント限定艦で長門に次ぐ運用性能を誇る戦列艦二大幼女の一角!!
ウォースパイトと同型艦の為、攻撃力・速力は若干控えめだが補って余りある幸運がこの艦にはある。
来歴
クイーン・エリザベス(HMS Queen Elizabeth, 00)は、イギリス海軍の戦艦。
クイーン・エリザベス級戦艦の1番艦。
艦名はエリザベス1世に因む。クイーン・エリザベスは両大戦に参加した
第一次世界大戦
クイーン・エリザベスは1912年10月21日に起工し、1913年10月16日にポーツマスで進水、第一次世界大戦中の1915年1月に就役した。
地中海での試験中にクイーン・エリザベスは、オスマン帝国攻撃のためダーダネルス海峡に派遣された。同海峡に派遣された部隊は多くの巡洋戦艦及び前弩級戦艦が含まれていたが、クイーン・エリザベスは唯一の近代戦艦であった。
ダーダネルス海峡での海戦でクイーン・エリザベスは旗艦任務に当たり、1915年3月18日の戦闘ではイギリス軍戦艦の第一線を率いた。
4月25日のガリポリの戦いでは地中海派遣軍指揮官サー・イアン・ハミルトン陸軍大将の旗艦であった。5月12日にゴライアス (HMS Goliath) がトルコ軍の水雷艇により撃沈されると、クイーン・エリザベスはより安全な位置へ後退した。
その後クイーン・エリザベスはヒュー・エヴァン=トーマスの率いる第5戦隊に加わるが、ユトランド沖海戦時にはドック入りしていたため戦闘に参加することはなかった。
戦間期の1919年から1924年までクイーン・エリザベスは大西洋艦隊の旗艦であった。
1921年(大正10年)5月7日、大正天皇皇太子(当時20歳。のち昭和天皇)の欧州訪問にともない香取型戦艦2隻(香取《皇太子御召艦》、鹿島《第三艦隊旗艦》)がスピットヘッド(ポーツマス軍港とワイト島間の泊地)に到着する。
裕仁親王はクイーン・エリザベスを訪問し、在艦中は同艦のマストに皇太子旗が掲げられた。
翌8日、裕仁親王以下日本艦隊関係者、英国大西洋艦隊司令長官以下イギリス側関係者の午餐会がクイーン・エリザベス艦上で行われた。
食事後、裕仁親王はイギリス側高官の案内でエリザベス艦内を隈なく見学した。
1924年からは地中海艦隊の旗艦となる。
その後大規模な改修が行われ、上部構造は新たに建造され、6インチ砲が撤去、代わりに20門の4.5インチ砲といくつかの小口径対空砲が装備された。
更に、艦中央部にカタパルトが装備された。スペイン内戦期間中には海上封鎖に参加した。1922年には後に第一海軍卿となるジョン・H・D・カニンガムが艦隊航海士として乗艦した。
第二次世界大戦
第二次世界大戦中にクイーン・エリザベスは地中海艦隊の一部として活動した。
クイーン・エリザベスはアレクサンドリア入港中の1941年12月18日に、ヴァリアント (HMS Valiant) と共にイタリア軍の人間魚雷マイアーレによって大破着底させられた。乗員の9名が死亡した。応急修理の後アメリカ海軍のノーフォーク海軍工廠にて修理が行われた。
修理後は太平洋に派遣され、1944年までインドネシアの日本軍基地への攻撃に参加した。クイーン・エリザベスは1945年7月に帰国し、1948年3月にスクラップとして売却された。