扉をあける音
……荒々しく内鍵を締めたあとの
ヒールを脱ぐ音
あーあ、と小さいため息をはきながら
髪をほどく、音
「疲れた……」
「おかえりなさい綾乃ちゃん」
「ヒッ……びっ…くりしたぁ…なによ、まだ起きてたの」
「綾乃ちゃん待っててん」
「……もういいって言ったのに」
綾乃ちゃんのため息
これは呆れ、私への興味がなくなる、音
「……相変わらずね」
眼鏡を置く音、ジャケットをハンガーにかける音。
あーもうあのタクシー、運転荒すぎなのよと
うちには聞こえないくらいの小さな声で愚痴を言っているけれどこれはつまるところ,うちへの苛立ちを運転手さんに八つ当たりしてるだけのことで。
居心地が悪いのかシャツのボタンを2つあけ冷蔵庫を開ける。
ウイィィン……
起動音が気まずそうに部屋に響いた
綾乃ちゃんが出す音すべてがうちを嫌いと言っているようで
……ってもうそれにも慣れたんやけど。
「……うち、そんな邪魔者?」
「なに、またそれ?もう勘弁してよ……」
はぁぁと項垂れ、冷蔵庫をバンッとしめる
プシュゥと空気を読まないビールの泡の音を
今日は許してやれない気分だ
「……また,って言うけどうちもう何週間も待ってるんよ」
「こっちは仕事なの。朝早くて夜はこんな時間、わかる?時間なんてないんだから」
「そやからうちがこうやって待って」
「それが余計なお世話なのよ!!」
カァン
ビール缶が木製の机に叩きつけられる
夜中の2時に、その高い音は心臓と、あと精神的に、悪い気がする
「……まずいビールね、なんなのこれ」
吐き捨てるように言い、また冷蔵庫を覗きに行く。あんな綾乃ちゃん、そのビールな、昔美味しいねって2人で飲んでたやつやねんで?
「…ほんまに変わってもうたなぁ」
「あなたがなんにも変わってないだけじゃない?」
別にうちが変わってないわけじゃない
変わりすぎたものに綾乃ちゃんが気づいてないだけや
「なぁ、ごめん。やっぱり今答えくれる?」
「……」
「もうあかんよ、ウチら」
綾乃ちゃんのビールを探す手がピタッと止まった。そのあとまた動き出す。
ずっと言っていた話。ズルズル引きずってここまで来てしまった。もう希望も夢も何もかも、青春なんてものでさえうちの全ては生徒会副会長と共にあったけれど。
「もういい加減にしよう?綾乃ちゃんも、気づいてるよな?」
「……」
プシュウと缶ビールは空気を読んで少し弱めに音を洩らした。ビール、あと何本あったかな、なんて考えつつ、ごくごくと喉を潤す音だけを聞いてうちは机に向かって話す。
「色々ありがとうな、好きな人おったのに、ウチなんか選んでくれて」
「……」
っはぁぁ、飲み終わりの音が聞こえた。やたらと肩が上下しているし、鼻をすする音もする。生徒会副会長は、昔から泣き虫やったっけ。
「……あなたを選んだのは歳納京子がダメだったからじゃないわよ」
「うそやぁ」
「ほんとよ、ほんとじゃないと、私のこの8年間が嘘になるでしょう」
「……ふふ。じゃあそういうことにしとくわ」
最後に向かい出すと以外に物事は早く進むものらしい。
「ねぇ千歳、ご飯食べましょうか」
美容にはうるさかったあなた
ご飯は19時までよ、と人差し指を立てて言っていたのに
今は、あなたが仕事と飲み会から帰ってくる時間に今から食べるご飯の話なんてしてる
「今何時か……分かってるん?」
「いいのよそんなのは、どうでも」
酔っているのか?もちろんそれもあるけれど、どうやらそれだけではないらしい。
だがやはり、その垣間見える余裕に最後の寂しさを感じる
「ビールまだある?」
「ええ、あと2本」
「じゃあちょうどやね」
最後の食卓を囲む。
ビールに、ご飯に、煮豆にたくあん。
何、これが最後?と笑ったけれど
きっとウチらの最後にはこのくらいが丁度いい。
やっぱり美味しいわね、とボリボリたくあんを食べる
あなたがやっぱりうちは大好きで、大好きやったよと言うと、私もよ、と言ってくれた
仕事より?と聞くと勿論と笑ってくれて
歳納さんより?と聞くと、当たり前じゃないと泣いてくれた
そしたら堰を切ったように彼女の涙は溢れに溢れ、変わらんとこもあったんやなぁと笑ったけれど、きっと彼女には届いていない。
ポニーテールはあの時よりも短くなって
髪色も少し落ち着いたけど
うちの前を歩く姿は今でも変わらず頼もしくて追いつくことすら出来なくなった。
優しい彼女が大好きで
彼女もうちが好きやったけど
好きなだけじゃどうにもならない事が多すぎた。
わんわん泣く彼女を横目に、プシュウと最後の缶ビールをあける。
この子の背中を支えるのはもううちじゃない
……なんか、でも
こんなに背中、小さかったっけ?
2人で最初に飲んだお酒が今少しだけ苦いのは
いらんことを知りすぎたせいかなぁ
なんて
いろんな音に囲まれながらうちはビールを飲み進めた
実際名前を呼ばなくなったり呼ぶようになったりする境目がお互いの感じる終わりだったりするんですね。
千歳が「ごめん」で綾乃が「ありがとう」で……
綾ちと、このあと荷物片付けて千歳が出ていくんだけど、なにかの呪いかのようにたくあんびっしり漬け込んだやつを置き土産で千歳がおいてて
その漬けてるやつの前で綾乃が「……こんなの何年思い出し続けないといけないのよ」って泣くやつですね。
綾ちと……ほんとにごめんなさい……でも本当にありがとう……