買い出しが終わって酒場に戻ってくると、パウロさんがルディを抱き締めていた。
私は弟子の大きく……はそこまでなっていませんでしたが、成長した姿を見たいと声をかけたら、嘔吐してしまったのだ。
なにかの病気かあるいはただのラクダに酔ったのか、どちらにせよ解毒魔術をかけようとした所で、青い顔をしたリーリャさんがヴェラさんとシェラさんにルディを宿屋に連れて行くよう頼んで。
何が何やら分からないまま、嵐のようにルディは去って行った。
私はよく分からないまま、二人の女性の顔を見た。ミリスで聞いた、吟遊詩人がルディの活躍を讃えた歌は今でも記憶に残っている。正しければ、燃えるような赤髪の娘が『狂犬』エリス、雪のような白髪の娘が『猟犬』シルフィエット……ルディと長らくパーティを共にしているはずの彼女達もルディの様子をよく分かっていないようだった。
二人とも、ルディの背中についていきたいようでしたが、リーリャさんの反応を見てこの場に残ることを決めたみたいだった。
「リーリャ、なにか知っているなら話してくれ」
パウロさんの声が静かになった酒場に響く。リーリャさんはしばらく沈黙していましたが、観念したように天を仰いだ。ルディに口止めされて今まで黙っていたことを謝罪して、リーリャさんは話し始めた。
「……シーローンでの出来事です。ルーディア様は一人罠にハメられて魔術が使えない結界に閉じ込められました。私が見た時にはルディ様は裸に剥かれて大人の男達に殴られていました。貞操は幸い奪われていないようでしたが、一歩間違えれば」
ギリッとパウロさんが拳を握るのが聞こえ、『狂犬』が殺気立つのが分かった。
「……もしかして、パックス殿下でしょうか」
「はい。でも、そこまでは空元気を見せるくらいには平気だったんです。パックス…、を挑発さえしてました」
呼び捨て。あのリーリャさんが敬称すら使わない。何をしたんですか、彼は?不安になった。
「彼は私を人質にして、ルーディア様にロキシー様への手紙を書くように命じました。私を人質にされて、ルーディア様は渋々書き始めましたがパックスは内容にケチをつけては、男達に殴らせて、泣き出すルーディア様に何度も何度も書き直させました」
「……そんなことをされては、私を見て吐いてしまうのも仕方ありませんね」
何とか絞り出せたのは、それだけだった。
パックス殿下は妙に私に執心だった。彼が私を呼び戻すために、ルディを巻き込んだのだとしたら申し訳が立たない。何がルディの師匠だ。彼女を不幸にしただけじゃないですか。
ただ、リーリャは私の反応を見て、上ずった声を上げた。
「違うのですっ。パックスが書かせたのは、その……ロキシー様への誹謗中傷なのです。それも自分の頭で考えて書くようにパックスは命じました。
ルーディア様はこれっぽちもロキシー様を恨んでなんかいないのです。ただ、ロキシー様に嫌われるんじゃないかと怯えているだけなのです」
私の?悪口?それだけで私の顔を見て吐く?私を恨むなら分かるけれども……
パウロさんも、同じことを考えていたのか疑問を口にする。
「いやいや、無理やり書かされたんだろ?そんな事で嫌いにならないって、ルディだって分かってるだろ、それくらい」
「……もしノルンちゃんの人格を否定するような悪口を山程書き連ねればゼニスさんを助けられるってなったら、それで実際に自分でも思い付かないような悪口を書いたら、パウロさんはノルンちゃんの顔を見れますか?たとえノルンちゃんが許してくれたとしてもです」
よく見ればエリナリーゼさんと顔立ちが似ている『猟犬』の指摘を受けて、パウロさんは想像したのか押し黙ったあと、しばらくして「すまなかった」と口にした。『猟犬』も「ボクこそゼニスさんを引き合いに出してごめんなさい」と謝った。
私は一つだけ疑問を口にした。
「パックス殿下は何故そんなことを……」
「確かなことは分かりません。でも、ロキシー様からルーディア様を引き離したいと、そう考えていたように見えました」
**********
翌朝。
ルディは顔にクマを作りながらも笑顔で酒場にやってきた。疲れた顔ではあるが、それでも作り笑顔ではない。
ただ、私と目を合わそうとはしてくれない。
そして、新たに加わった三人に迷宮の名前を教えるとルディが鞄から本を引っ張り出した。ギースさんが本を読み始め、それが迷宮攻略に重要な書物と分かると、その本の回し読みが始まった。
「お前は凄いな、自慢の娘だ」
「嫌だなぁ、偶然ですって」
パウロさんがルディの頭を撫で回し始めた。ルディは恥ずかしがって離れようとするが、嫌がってはいない。
これだ。私の見たかった光景だ。ゼニスさんを助ければ。きっと、もっと、もっと見たい光景が見れる。
見えてきた希望に私は胸が軽くなるのを感じた。
父娘がイチャイチャしている姿を眺める私の元に二人の少女がやってきた。
「ロキシーさん、自己紹介がまだだったから。シルフィエットです、よろしくおねがいします。シルフィって呼んでください」
「エリスよ。私も呼び捨てで構わないわ」
「分かりました。改めてロキシーです、こちらこそ呼び捨てでお願いします」
私は赤面せずになんとか普通に挨拶できたと思う。
二人は昨夜宿屋でルディと裸で愛し合っていた。その声を聞いて、思わず覗き見してしまって思考が混乱して酒場に戻った私に、パウロさんが二人との関係を見抜いて落ち込むルディを慰めるよう頼んだことを明かした。
ルディが元気になったのも彼女達のおかげだと思った
「イチャイチャするならよそでやれ」とヴェラさんとギースさんが気を利かせて、パウロさんとルディを買い出しに行かせた所で、ルディからもらった手紙を思い出して聞いた。
「確かお二人はルディの生徒だったんですよね?ルディはどんな先生だったんですか?」
「色んなことを知ってる凄い先生だったよ。でも、教えてもらっても結局、混合魔術が上手くできなくてさ」
「……いや、無詠唱が使える時点で全然凄いですから」
シルフィのこの自己評価の低さはルディ譲りだろうか。ルディと比べたら、という気持ちは分かるが、もっと自信持っていいのに。
「エリスはどうだったんですか?」
「なんて言えばいいのかしら……うん、私を見捨てなかったわ」
「見捨てない、ですか?」
軽く出てきたはずのその言葉に何故かドキリとした。
「ええ、ルディはどれだけ殴っても私に勉強を教えようとしてくれたの。
それにシルフィは私よりも魔術も勉強もできて、その、怖かったわ。シルフィの方が素直だから私なんかいらないんじゃないかって……ルディが目の前からいなくなるんじゃないかって毎日そんなことばかり考えてた。
でも、ルディは最後まで私のために、悩んでくれてたのよ」
エリスはむしろ誇らしげに語った
その言葉に、なんかピタリとハマった気がした。もっと早くに気付かなきゃいけないことに気付いてしまったようなそんな感覚。
唇が震えてる気がする。
「ロキシー」
私の表情に気付いたのか、シルフィが真剣な表情で私を見ていた。
「ルディにも同じようなこと言ってるけど、どんなことがあっても、ロキシーはルディの憧れで尊敬してる先生だから。それだけは自信を持って胸を張ってあげて」
でも、私はルディに叱られなければいけない。そんな気がした。
**********
更に翌日。
本格的な探索を始める前に、パウロさん達がルディ達3人の腕を見ることになった。
彼女達は規格外だった。
『狂犬』エリス。彼女が近付けばアイアンクロウラーのような硬い魔物ですらあっさりと微塵と化した。構え一つ、踏み込み一つ、剣の振り一つ、その全てが違った。疾く、鋭く、重く、剛い剣。笑みさえ浮かべ、しかし油断せず、敵を倒す度に研ぎ澄まされていく。想像を超えて、なお“未完成”の剣士。
『猟犬』シルフィ。彼女は魔法戦士として見ればタルハンドさんを少し上回る程度でギリギリ想像の範囲内だ。だが、パーティの一戦力として見た時の彼女はまさしく規格外だった。場を作り、息を合わせる、その技術は長い冒険者生活で見てきた誰よりも巧く柔軟だった。剣と魔術の技量だけでは成し得ない確かな強さを彼女は身に付けていた。
そして、『泥沼』ルディ。彼女の魔術は下級魔術ですら王級に匹敵するのではないかという威力を誇りながら、精密な制御もなされ手数も多い。その上で攻撃だけでなく敵の妨害までやってのける。才能と研鑽の積み重ね、その高みに彼女はいる。
私が呆気に取られていると、鎧の4本腕の魔物……アーマードウォーリアが姿を現した。
水神流を使う彼らは魔術師では勝てない魔物だ。だが。
「ルディ撃って!」
私の注意が間に合わずにシルフィの指示が飛んだ。ルディがやられる、そう思った瞬間には、逆にアーマードウォーリアがバラバラになっていた。
「この程度なら私一人でも大丈夫だったかしら」
「他も同じレベルとは限らないから、別の個体も見てみないと分からないよ。油断禁物」
エリスとシルフィが呑気に雑談する。いや、呑気に見えて周囲に対する警戒を張り巡らせてはいるが。
あの瞬間、ルディの魔術を受け流した剣技をシルフィが割り込んで潰し、その技の隙にエリスが斬り込んでトドメを刺した。構えから水神流の技を悟って、即座に一分の隙もない完璧な連携で封じ込んだのだ。
これが北方大陸から遠くミリスまでその名を轟かせた3人の実力。
これから、この子達と共に戦う。口の中が乾いた。
「どうだ?」
「うむ、これなら行けるじゃろう」
思わず尻餅をつく私と感心しきりなギースさんとは対照的に、パウロさんとタルハンドさんは冷静だった。
「シルフィ、魔大陸では守りはルイジェルドがやっていたのか」
「はい。旅の途中からですけど、エリスが突撃して、ボクが遊撃、それをルディから後方から支援して、ルイジェルドがいざという時の迎撃に備えるって感じでした」
「なるほどな、少し背後への意識が甘かった」
「……面目ありません」
「なぁに、落ち込むな、欠点と言うほどでもないわい」
陣形は決まった。エリスとシルフィが前衛、私とルディが最後尾を務め、私達の護衛をタルハンドさんと中衛に下がったパウロさんが務める。斥候役はギースさん。
ヴェラさんとシェラさんはこのメンバーだと却って足を引っ張りかねないから、ということで探索から外された。二人はルディの肩を抱いて「頑張ってね」と言葉をかけた。
ギースさんはルディと私をチラチラ見ながらパウロさんに耳打ちしていた。恐らく私とルディの問題についてだろう。パウロさんはギースさんに「今は少しでも使える人間が欲しい」と言って頭を下げた。
そして始まった探索は順調だった。
パウロさんはルディを直接守れて嬉しそうだったし、ルディもパウロさんの活躍が近くで見れて喜んでいた。そして、最後の仕掛けもルディが気付いて、ルディはパウロさんに褒められた。
私もルディとは話せた。笑顔の彼女は表面上は私とも楽しく話せてはいた。ただ、まだ、ルディは私の目を見られないようだったけれど。
そして、迷宮の守護者と対峙した。
**********
「撤退しましょう!ここまでのルートは把握しました、戦力を整えて再度挑むべきです!」
「ふざけんじゃねぇぞ!お前の母さんだろうが!ここまで来て、なんでそんな発想ができる!?」
ルディとパウロさんが言い争っていた。先程までの仲良く話していた親子とは思えない。
敵は鱗に触れるだけで擦り下ろされ、魔術は通じず首は斬り落とすそばから再生するヒュドラ。強敵だ。ルディが怖気付くのも分かる。
「飛び込めというなら飛び込みます!命を賭けろと言うんだったら死んだっていい!でも、それは勝てなきゃ意味ないでしょう!?今のままじゃ、命賭けても無駄死にだって言ってるんです!!」
「てめっ……うぶっ!?」
ルディの首元を掴もうとして、パウロさんが吹き飛ばされた。エリスが殴り倒したのだ。
ルディは目を白黒させているが、エリスはお構いなしだった。
「あんた、ルディ守るって自分で言ったくせに、勝手に前に出たわね?まず、それを謝りなさい!!」
そうだ。結晶に閉じ込められたゼニスさんの姿を見た時にはパウロさんは陣形を無視して走り出してしまった。連携が崩壊して、なお死人が出なかったのは、ギースさんとタルハンドさんの指示があったのが大きい。
パウロさんは据わった目をしつつ、殴られた自分を心配する娘の顔を見て、「すまなかった」と謝罪した。
「センパイも頭を冷やせ。センパイとシルフィとエリス、どれも現時点では最強の駒だ。地上に戻った所で、これ以上戦力の整えようがねぇ。足手まといを増やすだけだ」
「じゃな。蛮勇も臆病も、どちらも毒じゃよ」
その言葉に落ち込むルディの頭をシルフィが撫でて、エリスがパウロさんの腕の中にルディを押し込んで、作戦会議が始まった。
鱗以外の場所からなら魔術は通じるかもしれない、という私の意見を聞いて、ルディがアイデアを出した。斬った後魔術で傷口を焼くというもの。再生を封じると聞いたことがある、と。
その話を受けて、エリスとルディが、パウロさんとシルフィがそれぞれタッグを組んで首を斬り落として焼くことになった。
首を切り落とせるのはパウロさんとエリスだけ。
加えて零距離で魔術を行使するのだ。ルディとシルフィの無詠唱魔術以上の有効な手がない。
「ただし、それも駄目じゃったら、今度こそ撤退じゃ。父親思いの良い娘を持ったの」
「はい、父さまには勿体ないくらいの娘ですから」
軽口を叩けるくらいには、ルディは回復したようだった。
シルフィは耳をピクッと動かして、ルディに話かけた。
「ねぇ、火を使うなら例のアレ、用意した方がいいんじゃない?」
「大丈夫、もうやってる」
ルディがシルフィに掲げて見せた左手には魔力が込められていた。何か魔術を使ってるのだろうか。
「なんですか、それ?」
「迷宮探索用の、ちょっとした裏技というか保険です」
ルディはやや緊張した笑みを顔に張り付けて説明した。なるほど、確かにルディの桁外れの魔力量がなくてはできない裏技だ。
その技術に感嘆して、やっぱり目を合わせてくれないことを寂しく思った。
ヒュドラとの再戦。
エリスとパウロさん、ルディとシルフィが突撃する。私とタルハンドさんは4人の援護。
エリスが首を斬り落として即座にルディが燃やした。
即座に次の顎がルディを狙う。
パウロさんもエリスに負けじと頭の一つを斬り落として、シルフィが炎を飛ばす。
「再生しない!そのまま燃やせ!」
背後で観察するギースの声に戦法が正しかったと知り、戦いを続行した。
残り7つ。勝機も見えた。だけどヒュドラの首の内から一本が構えて……炎を吐いた。
真っ先に気付いたシルフィが風魔術で炎をかき乱して打ち消した。
私達の動きに戦い方を変えてきた。こいつ、賢い……!
「陣形を変更です!私とシルフィで炎をレジスト!パウロさんはルディとエリスの援護を!!」
事前の戦力確認でシルフィは火系統魔術が苦手だと言っていた。ならば、傷口を焼くのはルディに任せるべきだ。
シルフィは魔術でブレスをかき消しながら、縦横無尽に駆け回り、時に不意打ちを刻み、ヒュドラの意識を上手く誘導した。ブレスのタイミング、方向……私がレジストしやすいようにコントロールしてくれる。
そして時折ルディに向かう攻撃も、パウロさんが剣で受け流し、タルハンドさんの防御も加わって、エリスは攻撃に専念できるようになった。あっという間にまた一本斬り落とされた。
だが、ヒュドラは懲りずに一つの首が炎を吐き終わると、また別の首で炎を吐く。
その狙いが私達を焼き殺すことじゃないと、首を6本焼き落とした所で気付いた。
「酸欠、狙い……!!」
呼吸が徐々に苦しくなってくる。このヒュドラ、私達が火を使うのを見てこの手を思いついたのか。焼きたかったのは私達じゃなくてこの場の空気。
本来なら焦りが生まれる場面。
「ルディ!」
「はい!ロキシー、次のブレス、レジストお願いします!」
〈水盾〉を発動する。水の膜と炎がぶつかり合って、また室内の温度が上がる。苦し……くない。
蒸気が辺りに充満する中、ルディの左手に白い筋が集まって、逆側に蒸気を裂いてるのが見えた。
ルディのやったのは、いや、やっていたことは単純だ。ルディの左手で展開し続けていた風系統魔術〈真空波〉。その魔術を使って前の部屋で空気を圧縮して、この部屋まで“持ち運んだ”。そして、圧縮した前の部屋の空気と酸素が足りなくなったこの部屋の空気、それらを丸ごと入れ替えたのだ。
魔術を使い続ける、そして、その魔力がなくてはできない、ルディだけの芸当。
勝敗は決した。
ルディの用意した保険がヒュドラを上回ったのだ。
そう思って、油断が良くなかったのだろう。ヒュドラの頭のない首が振り回され私の肩が抉られた。
「うぐあっ!?」
思わず悲鳴を上げる。でも、致命傷には程遠い。ヒュドラにも隙が出来た。エリスが首を斬り落として、ルディが焼く。
残る首は一本……ルディと久し振りに目が合った。
ルディ?なんで、ヒュドラから目を離すんですか?私が怪我したから?悲鳴を上げたから?
駄目です、戦闘中によそ見なんかしたら
ほら……ヒュドラが気付いている。逃げて
私のまとまりのない思考を無視してヒュドラはルディ目掛けて、頭のない長い首を振り下ろす。
「馬鹿野郎!!」
パウロさんが蹴り飛ばした。
ルディは攻撃から逃れて生き延びて、パウロさんの身体はバラバラに千切れた。………………え?
え、いや、千切れた?
勝ってゼニスさんと、ルディと、リーリャさんと帰って、それからルディの妹達の元へ帰るんでしょう?
ルディと一緒に帰るんでしょう?
蹴飛ばされて無防備になったルディに迫る残る最後の頭をエリスが斬り落として、シルフィがルディよりかは威力の低い魔術で焼いて、ヒュドラは死んだ。
勝った。勝利の実感はないが、確かに勝ったのだ。
でも。
死闘の果てに残されたのは、ルディの絶望だった。
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