ラトナ様が見てる ~ 天馬革命 ~
17
「…月が出ているな…」
エフラムは寺の庭から空を見上げていた。
闇夜に浮かぶ三日月は煌々とした光を放っている。
雲の無い夜。
「古の詩人は女心とやらを水に浮かぶ月に例えた…あれは誰であったか…」
寺の池に小石を放る。
たちまち波紋が広がり、月の姿は乱れて歪んだ。
いまだ頬にはターナに張られた平手の跡が残り、先ほどの事が現実であることを伝えている。
エフラムはターナを追うことができなかった。
ターナからぶつけられた言葉を理解せぬままに会ってもかけられる言葉はあるまい。
いや、それも言い訳だろうか。
そう、エフラムは途方にくれていたのだ。
常に年少の者を世話する包容力のため大人びたイメージで捉えられるエフラムだが、
こうした時に採るべきことを見出しえずにいた。彼もまだ人生経験の少ない若者なのだ。
幼女たちに自分の寝床を貸すと、自らはこうして庭を歩いている。
サラ達は一緒に寝ようとせがんだが、「男女7歳にして席を同じくせず!寝所を同じくするなどもってのほか!」と叱っておいた。
結局は寝付くまで側にいることになったが…
風が出てきた。
とりあえず適当な寝床を探そう。
寺に戻ったエフラムは居間に入ると座布団を集めて寝床を作る。
布団はサラ達に貸し与えた。
「…これだけでは風邪を引きかねんな…そうだ…いつだかリーフが言っていたな。
新聞を重ねると結構暖かいとか…」
あの弟はトラキア地区で鉄クズ拾いをして小銭を稼いでいた時に、橋がメティオで落ちてしばらく帰れなくなったことがある。
その間、公園でダンボールハウスを作って逞しく暮らしていたという。
エフラムはこの際、リーフに学んで新聞を布団代わりにした。
18
「…寝付けん……俺の平常心もこんなものか…修行が足りん…」
こうしているとターナの顔が浮かんでくる。
「あの時ターナは幼女たちをはべらした俺を真剣に怒っていた…」
はべらしたわけではないのだが、ターナの眼にはそう映ったことだろう。
そもターナはここへ何をしに来たのだろう…
修行に来たと言っていたが少年への煩悩を絶つ修行ではないという…
ならばなんの修行なのか…
「わからん…いくら考えてもターナの考えがわからん……」
苦悩する青年を月が静かに見下ろしていた。
翌日の朝食は気まずいものであった。
「ねぇねぇ兄様、はいあーん」
「…ああ…」
じゃれつく幼女たちを世話しながらも、心はどこかターナの方を向いていた。
ターナは隅の方に座ってこちらを振り向きもせずに箸を動かしている。
「……エフラム君…今日はターナさんとは別の修行をしましょうか」
リフ住職が口を開く。
「はい、よろしくお願いします」
「ファもしゅぎょうするー」
「チキもー」
膝の上で騒ぐ幼女たちを撫でて諭す。
「こらこら、お前たちは学校があるだろう、食器を洗ったらサラにワープで送ってもらえ」
ちなみにエフラムは出席日数は問題ないのでこうして休んで修行していたりする。
「エフラム君は子供たちによく慕われていますね、彼の優しい人となりがそうさせるのでしょう、
よいことですねターナさん」
住職に話を振られたターナは、無視するわけにもいかず小さくつぶやいた。
「…はい」
19
サラ達を送り出した後、エフラムは深山幽谷に分け入った。
幼女たちには家の人が心配するから、今日はちゃんと家に帰るように…と、厳しく言ったつもりだがそんな時サラはこう言うのだ。
「あら、うちにはそんな人はいないわ。私が夜遊びしてもだれも探しにきたりしないもの」
胸が掻き毟られる思いだ。
「だからこそ…俺は幼女を守るため…修行を完成させねば…」
住職から与えられた修行の課題は難しいものではなかった。
山頂にある祠に仏像が納められているからそれを取ってくるように…
たしかに登山道などない山を、藪をかきわけながら進むのは骨だが
マレハウトやラグドゥ遺跡に比べればなんでもない。
深く静かな山林に、枝木を掻き分ける音が響いていた。
畳の間でターナはひたすら写経を続けていた。
胸を焼く怒りは収まることがない。
そんな状態で修行など身が入るわけもない。元々修行なんぞするつもりはなかったのだし。
「帰ろうかなぁ…」
ターナは筆を置いて一人つぶやいた。
思えば今までエフラムは自分のことをどう思っていたのだろうか…
ライバルの妹?妹の友達?
そこから関係を進めたくて自分なりに努力してきたつもりだ。
髪型や香水を変えてみた……気づいてもくれなかった。
懸命に背伸びして少し露出の多いビキニの水着を着てみた……
「婦女子がやたらに素肌をさらすもんじゃない。これにしろ」と言われて露出の少ない大正縞水着を渡された。
バレンタインにチョコレートを送った。少し歪だが頑張ったつもりだ……「美味かった」…もう少し何か言ってほしかった。
そして幼女ばかりを気にかけて、最近はほとんどターナに構ってはくれない。
ターナの恋心も乙女のプライドも大きく傷つかざるを得なかったのだ。
「ラーチェル…あなたは凄いよね……傷つくことも恐れずに、まっすぐにエイリークを想っていられる」
その結果が今のエイリークとの関係だろう。
自分もエフラムを想っているつもりだが、いつまでも片思いで無償の愛情を捧げていられるほどターナは強くなかった。
愛するとともに愛されたいと思うのは我侭だろうか。
「あ~~~ん、もう!!!!!!」
むしゃくしゃして髪を掻き毟った。丁寧にセットした髪型が乱れる。
20
「修行ははかどっていますかな?」
襖が開き、リフが穏やかな顔を見せる。
「住職…」
はかどっているはずもない。
正直今の顔を人には見られたくなかった。
「心を乱しておられますな…」
リフは座布団に腰を下ろした。
「ままならない事もいくつもあるでしょうね…ですが、気づいていましたかな?
朝食の時、エフラム君はじっとあなたを見ていましたよ」
「それは…その…色々ありましたから…」
やはり見る人が見れば気づくのかもしれない。
それにエフラムに会いに押しかけてきた時点で、自分の気持ちは傍からみればわかるだろう。
それがわからないエフラムは本当に自分に興味がないのではないか…
「彼は一つのことにまっすぐで…ですが、悪く言えばそれに囚われると他の事が見えなくなる青年…と見受けました。
そしてその一つを見据えると、簡単に眼をそらしはしないのです」
「ですね…今は子供たちのことで頭が一杯なんです…」
リフは苦笑いをした。
「おや、それは彼だけではありませんよ?
こう言ってはなんですが大抵の人は23スレもの長い間、想いが通じなければ脈が無いものと諦めるでしょう。
あなたもまたエフラム君をずっと見ている……一つのことを突き詰めるのもまた立派なことです。
一つのことに囚われすぎてもいけませんが…さ、これを持ってお行きなさい」
袈裟の懐から取り出されたのは一つの傷薬だった。
21
深山幽谷は容易く人間に牙を向く。
修行と心を静めてかかったものの、どこかでターナの事が心の隅にあったのだろう。
一瞬の心の迷いが足取りを乱したのか、エフラムは山頂を目前にして崖から足を踏み外した。
5~6メートル下の岩場に打ち付けられる。とっさに受身を取ったため大した怪我は無かったが足首を痛めてしまった。
「くそ…俺としたことが……いや…これは慢心だな…だからこんな失敗をするのだ…」
怪我の具合を確かめる。荒事には慣れており怪我もしょっちゅうだ。
「歩けなくはないな……」
やせ我慢を口にした、かなり痛むがエフラムは男が痛いなどという言葉を使うのを恥だと考えている。
2~3歩歩いてみる…動かさないほうがよいと結論が出た。
「だがこのままこうしているわけにもいかんな…どうしたものか…」
今は英知を絞る時だ。
…そして何も思いつかなかった…
「むう…じたばたしてもはじまらん…こんな時こそ」
痛む足を強引に組んで禅の姿勢を取る。
これもまた試練だろう。
そのまま経を唱え始める。修行になるし、運がよければ登山者が気づいてくれるかもしれない。
そうして己の心と見詰め合う…そこは真っ白な世界だった。
いるのは自分自身とターナ…正確にはエフラムの中のターナ像というべきだろう。
「……俺は女心を察することのできる人間じゃない…お前は俺に何を求めているのだ?」
ターナ像は答えない。
「……お前は修行をしに来たのだと言った…何のために?」
静寂。
「お前は言った…俺は周りの誰も見ていないと…俺は幼女達、エイリーク、家族の皆、
尊敬するビラク殿…決してないがしろにしたつもりはない…」
無。
「お前は俺をロリコンと罵った。平手をかますほど怒った…それはすなわち俺にロリコンであって欲しくないということ…何故だ?」
光が差した…
「そうか…それこそが……」
鼻先を羽が掠める。
自分の中から帰ってきたエフラムは天を仰いだ。
日光を浴びながら舞い降りる天馬、それを駆るターナは一瞬天使めいてエフラムの瞳に移った。
続く