侍エムブレム戦国伝 生誕編 エリンシアの章 椿
初春…雪が溶け草から朝露の雫が滴り土中から姿を現した虫が喜びを謳歌する。
穏やかで麗らかな時が流れる野原に無粋な轟音が響き渡った。
逞しい軍馬を駆る騎馬武者達が敵陣めがけてまっしぐらに突き進んでいく。
先頭を駆けるのは黒の甲冑に身を包み三鍬形の立派な立物付の兜を被った壮年の武将である。
「かかれ!」
号令をかけるが早いか武将は一番に敵陣に飛び込むと横なぎに太刀を振るった。
敵方の足軽の首が飛ぶ。
その姿に意気上がった武者たちは先を競って敵陣に殺到し太刀を、槍を振るって敵兵を蹴散らしていった。
「いかんっ引けーっ引けーっ!!!」
劣勢を悟った敵将が号令を発し敵兵たちは次々と逃げ崩れる。
追いすがろうとする騎馬武者達に武将は大きな声でこれを戒めた。
「深追いはならん!伏兵がおるやも知れんぞ!」
戦い足りない武者達は渋々といった呈で武将の命に従う。
だが血気盛んな若武者がせめてものうさばらしだろうか、逃げていく敵を大声で嘲笑する。
「デインの腰抜け共、貴様らが侍ならとって返してかかってこい!それとも怖いか怖いのだろう!」
勝利に意気上がるクリミア兵たちは笑い声を上げ、やがて武将の周りに集まると勝鬨を上げた。
デインとクリミアの戦はすでに二十八年に及んでいる。
互いに勝つときもあれば負けるときもあり痛み分けに終わることもあったが、
この年の第一戦はクリミア方の勝利に終わった。
メリオルの城下へと凱旋したクリミアの武将レニングは兄に戦勝の報告をすべく城門を潜る。
ガシャガシャと鎧の金具が擦れる音を響かせながら城の庭を歩いていると庭の片隅に立つ幼子の姿を見かけた。
歩みよって声をかける。
「何をしておるのだエリンシア?」
振りむいた小さな姪はやんわりと春の木漏れ日のような笑みを浮かべた。
「叔父様、椿の花が咲きました」
姪が指し示す先には赤く艶やかな椿が花を咲かせていた。
「ほほう…これは見事だ」
「それで一歌謡おうと思ったのですけれど…中々よい歌が浮かびませんの…
叔父様ならどうされますか?」
「儂のような武骨者にそれを聞くのかね…そうだな…」
髭を擦ってしばし考え込んだレニングはやがて朗々と声をあげた。
「クリミアに 春来たりなば 赤椿 ………むむ…」
そこまでは滑らかに浮かんだのだが…続きが出てこない。
そこに重なるようにやや芝居がかった歌が重なった。
「後幾年か 我が姫もかな このユリシーズ、勝手ながら下の句を読ませていただきました」
恭しく一礼をして顔を上げたのは家老のユリシーズだ。
エリンシアは不思議そうに小首を傾げてレニングの袖を引いた。
「叔父様?どういう意味ですの?」
「…クリミアに春が来て見事な赤椿が咲いた。その後は雪解けや武者の心情を歌うつもりだったのだが…
ユリシーズの歌ったところはこうだ、数年後には我が国の姫もあの椿のように美しく咲き誇るだろう。
お前の事だエリンシア」
クリミアの大名ラモンは長年子宝に恵まれなかった。
この時代の大名の常としてラモンには数人の奥方がいたが誰一人として子を産むことはなく、
ラモンは弟のレニングを跡取りとする事とした。
…だが子のいない寂しさは如何ともしがたかったのだろう。
取り分け跡継ぎを産めず悄然とする正室をみかねたラモンはせめてもの慰めにと養子を取る事とした。
それがエリンシアである。
男子を養子としなかったのは自分の没後その子が大名の座を欲してレニングと揉める事がないよう配慮したためである。
エリンシアは何一つ不自由なくラモンと正室に溺愛されてメリオルの城で伸び伸びと育った。
綺麗な着物に身を包み、闊達に城の中を歩き回り侍女たちも従者たちもエリンシアの面倒をよく見た。
彼女は興味を持った物事によく挑んだ。
台所に忍び込んでは料理の真似事をしてみたり、
家老のユリシーズが短歌を歌っているのを真似て歌を学んだ。
とりわけ家臣達を心配させたのは剣術の真似事まで初めた事だ。
誰もが「姫様!そのような危うい事はおやめくださいませ!」と諌めるのだがエリンシアはこう返した。
「わらわの義祖母様は見事な天馬を駆り、それはそれは勇ましい女武者だったそうではありませんか。
武家の娘たる者、刀の握り方一つ知らないでなんとします」
なおもやめさせようとする家臣達からエリンシアを唯一庇ったのがレニングだった。
「まぁよいではないか。今日日の武家の娘はそうでなくてはならん。
我らが戦に出た留守を守るのだからな。だが刀とはとても危険な物だ。
儂の目の届かぬところで稽古してはならんぞ?」
「ありがとうございます叔父様!」
駄目だ駄目だと否定するばかりではエリンシアは反発してこっそり稽古を積みかねない。
それは危ういと判断したレニングは自分の目の届く範囲である程度好きにさせた方がよいと考えたのだ。
時には稽古もつけてみたが…エリンシアの上達ぶりには目を見張る物があった。
稽古相手となった家臣の子ジョフレが打ち負かされる姿を見て、
「この娘は母上の生まれ変わりかも知れぬな…」
幾度もそう思った。
レニングとラモンの母は勇猛な天馬武者であり幾度もクリミアの窮地を救ってきた。
今は亡き母の面影が浮かぶ。
幼い頃は闊達さお転婆さが目立ったエリンシアも齢十を数える頃には武勇ばかりでなく気品や礼法も身につけるようになった。
ユリシーズからよく学んで学問を身につけ、四季の華を愛で歌を嗜み文武両道をよく体現した。
エリンシアが養子でなくラモンの嫡男であったなら次の頭首としてクリミアを盛りたててくれただろうと思うとレニングは残念であった。
それほどの将才を感じることができた。
とある一日…いつものようにエリンシアやジョフレの稽古を見守っていたレニングの元に家臣の一人が姿を見せた。
「レニング様…グレイル殿はどうあってもクリミアに仕えるおつもりはないようでござる」
「ふむ…惜しいのう…あの剣腕は我がクリミアにとって是非にも欲しいものだが」
それを聞いたエリンシアが見事な木刀の打ち込みでジョフレを倒すとレニングの座す縁側に駆け寄ってきた。
「叔父様!その方はどういう方なのですか?」
「うむ、我がメリオルの城下に暮らす野武士なのだが大変な猛者でな。
是非召抱えたいと思うのだが承知せぬのだ」
たちまちエリンシアの瞳が好奇心に輝く。だが彼女が何か言う前にレニングがその先を遮った。
「会いに行く事はならんぞ。むやみに城下に繰り出してなにかあったらなんとする。
兄上も心配なさる」
そう言われては何も言えない。
この頃にはすでに充分な分別も備わっていた。
「あいたたた……」
地べたに大の字になっていたジョフレがようやく身を起こす。
「姫様…本気で打つ事はないではありませぬか…」
頭にこぶが出来ている。相当痛かったのだろう。
「ジョフレ、本気でやらねば稽古になりませぬ。防げなかったそなたが悪いのです」
「そうだぞジョフレ、打たれるのが嫌ならもっと腕を上げよ」
少年は憮然とした。
稽古はしているのだが姫様はおろか姉にも勝てない。
「戦でしたらそなたの頭は真っ二つだったのですよ。さ、頭を見せてみなさい」
ジョフレの瘤の具合を確認するとエリンシアは札を取り出し術を唱えた。
エリンシアには癒しの術の才があったらしく、しばらく前からユリシーズより術を学んでいる。
癒しの光がジョフレを包み頭のこぶが消えていった。
少年の胸を満たすものは悔しさと憧憬と…なんであったろうか。
後にジョフレはこの時代をこう思う。
木漏れ日のような日々であったと……
それから二ヵ月後…
再びクリミアの軍勢はデインとの国境に展開し両軍は対峙した。
率いるは武将レニング。
レニングは太刀を掲げて号令を発しクリミア軍はデイン軍に討ちかかる。
たちまち雄たけびが周囲を満たし剣戟の音、妖術の轟音が大地を振るがす。
陣頭にあってレニングは襲い掛かるデインの武者を次々と切り伏せていた。
「敵将は何処か!姿を見せて儂と戦え!」
五人目の武者の首を跳ねるとレニングは雄たけびをあげてデイン方に呼びかけた。
ざわっ…とした風が戦場に吹き抜ける……
「愚かなりクリミアの将よ、そなた如きが儂と渡り合おうというか?」
日の光が遮られて周囲が影になる…
ふと見上げると頬に血が落ちてきた…
「ぬ…飛龍武者か…」
レニングの頭上に巨大な黒い龍が舞い三十路ほどだろうか髭面の武将が跨って傲然とこちらを見下ろしている。
その男が持つ巨大な太刀にはクリミア兵が三人ほど胸を貫かれてモズのはやにえのごとく息絶えていた。
デインは多く飛龍武者を召抱えており、レニングも幾度も戦ったことがある。
だが…その敵将の飛龍は今まで戦ったどの飛龍よりも大きく力強かった…
「我はクリミアが将レニング!そなたの名を名乗れ!」
「一騎討ちの作法か?くだらぬ事を気にしおる。そなた如きに名乗る名は持ち合わせておらぬわ」
敵将は横なぎに太刀を振るうと突き刺さっていたクリミア兵たちを抜き払った。
兵たちの遺体が吹き飛ばされてレニングの方に飛んでくる。
愛馬を巧みに操ってそれらをかわしたレニングは静かな怒りをたたえた瞳で敵将を睨み付けた。
「愚かなりデインの将!では名を残さずに逝くがよい!」
刃と刃がぶつかり合い火花を散らす。
数合の打ち合いで太刀が軋み始めた。
唇を吊り上げて太刀を振るうデインの将の膂力は並外れて強く、
太刀の切れ味もまた凄まじいものがある。まともに受け続けられるものではない。
「どうしたレニングとやら…それで終いか!」
将の突きを避け損ねてレニングの兜が飛んだ。
かろうじて致命傷は避けえたものの額を割られて血が流れる。
「いつまでも守勢でおると思わぬ事だ…ぬんっ!」
手綱を放すと両手で太刀を握る…両手持ちの膂力は片手の三倍の効力を発揮する。
レニングがもっとも得意とする剣技…太陽の構えを取った。
幾多の飛龍武者を葬り去った奥義にレニングは絶対の自信を持っていた。
裂帛の気合と共に繰り出した打ち込み…だが敵将の駆る飛龍の動きはレニングのそれより早かった。
一瞬早く上昇して身を避けると敵将は巨大な太刀を掲げ…飛龍の突進ごと突き出した。
その一撃は甲冑ごとレニングの胸を刺し貫く。
彼が操る名刀グルグラントの四人目の犠牲者となったのはクリミアの将その人であった。
口の端から血の泡を吐きながらレニングは呻く。
「ほう…まぁだ息があったか?辞世があるなら聞いてやらんでもない」
残り少ない力を振り絞ってレニングは声を絞り出した。
只管無念であったが…将として最後の勤めは果たさねばならぬ。
「…ひ…引き上げいっ!……っ………」
渾身の力を振り絞って自軍に呼びかけ…最後に残された力を使い果たしたレニングはがっくりと首を項垂れさせて絶命した。
デインの将の笑い声が響きわたる。
「お主等の将はこう言っておるぞ?
仇を討たずに逃げたくば好きにせい」
デインの武者たちが将の声に合わせてクリミア方を嘲笑った。
先の敗戦の溜飲を下げたというところか。
悔しさと無念に歯噛みしたクリミア武者達は槍を掲げ敵将に討ちかかろうとしたが、
副将ユリシーズが常には見せぬ怒声を張り上げる。
「レニング様の最後のご命令に従え!全軍引き上げじゃ!」
「なれど我ら仇を討たずには武士の意地が立ちませぬ!」
「遺命に従わぬでなんの忠義か!」
どうにか兵たちを宥めたユリシーズは全軍を退却させた…
デイン方が追撃しようとしたがデインの将…アシュナードがこれを制した。
「負け犬など捨てておけ。それよりも次の一戦に備えて兵を温存するのだ…」
レニングの死に消沈したラモンは心痛から病に倒れクリミアの家中は世継ぎ問題から大きな騒ぎとなった。
ラモンには子がおらずもはやお家断絶は確定的である。
ラモンの病の床にはエリンシアの姿があった……
「義父上…」
「そちが…もはやそちしか…」
傍らのユリシーズが口を開く。
「殿。クリミアのお家を守るためそれがしの献策をお受けくだされ」
「なんぞ…」
「姫様には殿の”本当”のお子になっていただきまする」
緑色の瞳を見開く少女。咄嗟には意味が掴みかねた。
ラモンが弱弱しく頷いた。
「そうか…よい…そちに任せる…」
「ははっ…」
忠実な家老は頭を垂れた。
ついでエリンシアに向き直る。
「姫様…これより貴女様は養子ではありませぬ。殿の本当のお子なのです。
貴女は殿のご落胤…それゆえ殿が城に引き取られた…そういう事です」
察しがついたエリンシアは小さく頷く。
「クリミアのお家を守るためならわらわは実の父上母上も忘れましょう。
ユリシーズ、万事そなたにお任せします」
「ははっ…それと姫様には近く…二年ほどを目処に婿をとっていただきまする。
その者を殿の婿養子としてクリミアのお家を続けていく…お家の断絶を避けるためでござりまする」
いまだ十歳の身の上ながらエリンシアにかかる重責は極めて重いものがあった。
だが生来の気品か…彼女は人を率いていく力に溢れていた。
まっすぐにユリシーズを見つめ返すその瞳には迷いはなかった。
「心得ておりますユリシーズ。それを叔父様もお望みになるでしょう。
クリミアの婿としてふさわしき夫を選んでくださいまし」
数日後…紛糾に紛糾した重臣会議の結末は重臣の子で年も近いジョフレをエリンシアの入り婿とする事と定まった…
それから数日…許婚となった二人は庭を歩いていた。
ふとエリンシアが足を止めて瞳を木に向ける。
「姫様?」
「ジョフレ…わらわはもうすぐ姫ではなく奥方となるのですよ。そなたも…」
「今は姫様でいらっしゃられまする。時に何を見ておいでですか?」
近く妻になる少女の視線を追う。
そこには一輪の椿の花が弱弱しく咲いていた。
「クリミアに 春来たりなば 赤椿 ………武骨な叔父様…最後まで歌ってくださいましな…」
「姫様……」
エリンシアの瞳に毀れる涙を見てジョフレは胸が締め付けられる思いだった。
自分がもっと大人で成長していればエリンシアにかける言葉を見出せたのかもしれない。
それができないことがひたすら悔しかった…
木漏れ日のような春が終わる……
二人の眼前ですでに自らの季節が過ぎ去った事を知った椿の花が静かに落ちた。
次回
侍エムブレム戦国伝 生誕編
~ エイリークの章 落陽 ~