侍エムブレム戦国伝 生誕編 マルスの章 銭の道
「どうですお客さんいい傷薬でしょう? 旅先じゃあ何があるかわからない。多めに持っておいて損はありませんよ」
「そうじゃのう…もう少し負からんか坊主?」
「さすがは稀代の商人殿、そうこなくては。それでは四百Gまで負けさせていただきます。
それと松明も買っていく事をおすすめしますよ旦那様。これがあれば夜道に盗賊が潜んでいてもすぐにわかります。
いかがですか?」
「抜け目ないのぅ…それでは傷薬を三つ松明を五本貰おう」
「毎度ありがとうございます。旦那様の旅の無事と商売の成功をお祈りしておりますよ。またこの町においでになった時にはなにとぞよしなに」
手際よく商品を袋に纏めると青い髪の少年は丁寧に頭を下げた。
愛想のよい笑みも忘れない。旅立つ客を見送った少年は商品の陳列台に品を補充する。
少年は露店商だった。往来の一角に台を並べて雑貨を商っている。
この町では特に珍しい光景でもない。
諸国の大名と取引のある大店から往来を行く人々に声をかける零細の露店商まで数多の商人が銭の夢を追うこの町では―――――
シエネの都より南に四十里、ペラティ湾を眼前に望むワーレンの街は紋章の国でもっとも大きな港町であった。
人の出入りも激しく当然ながら多くの銭が動く。
船を持っているような大店なら大陸とも交易を行っており異人の姿も時折見受けられた。
動乱の続く紋章の国においてこの街は唯一の安全地帯かも知れない。
街の政は十件の大店を代表する大商人…長老達の合議制で定められておりあらゆる大名の勢力による支配を受け付けなかった。
ワーレンに野心を抱く大名が現れても戦費や軍備の調達への妨害や対立する大名への支援、
さらには経済封鎖、その大名の領国の産物の不買や故意に値崩れを引き起こすなど商人ならではの戦い方で
戦火を交えずにあらゆる敵を退けて自治を保ってきたのだ。
その町の一角で露店を営む少年の名はマルス。
いまだ齢十一を数えたばかりの少年だがここで商いを始めて二年目になる。
「まぁボチボチかな…」
手元の銭を勘定する。本日の売り上げはまぁまぁというところか。
売れ行きの良い日の銭勘定は至福の瞬間だ。
商人にとって銭を増やすという事は人生そのものだった。
夕焼けがワーレンの町を赤く染めていく。
夜の足音が聞こえる頃に少年は店の品を手際よく纏めると大八車に積み込んで家路に着いた。
少年一人でも盗賊に襲われたりしない治安の良さはこの町の有り難いところだ。
そのために稼ぎの中から税を町に納めているのだ。
ワーレンの町は海に面していない三方を柵で塞ぎ門は北と東と南に設けられている。
当然町の長老たちが雇い入れている兵が盗賊の侵入を阻んでいるし、彼らは市内で何か揉め事や騒ぎがあるとすぐに飛んできてくれる。
門の防備は同時に難民を阻むためでもある。
平和なこの町に住みたがる者は多いが町の治安を預かる彼らは薄汚れた風体の者は門前で追い払ってしまう。
難民の中にはごろつきや盗賊も紛れているためそれらが入ってくる事を幅むため…であると同時に銭の無い輩に用はないというのも本音だろう。
町に入れるのは通行税を納められるまともな商人や旅人だけだ。
新たに居住するとなると…相応の税の納付がいるし身上を調べられる。
「世知辛い…なんてね。おかげ様で安心して商売ができますよっと」
マルスは目に入った大きな門の方を向き呟いた。
そうだ…銭が無ければ何も出来はしない。あの門を通る事すら許されないのだから。
少年の家は町の柵に近い外れの方に建っていた。
小さいがよく手入れされた平屋である。
傍らに大八車を止めると品物を倉庫に使っている小さな納屋に運び込んだ。
こうして一日の仕事を終えた少年は畳の上に転がると小さな…だが一人で住むには広い家を見渡す。
「夕飯は―――――イカの塩漬けがあったっけ…それと汁でいいか」
台所に向かうと手馴れた調子で夕餉の支度を済ませる。
こうして一人で夕飯を食うのも慣れた事である。
ささやかな夕食はあっという間に終わってしまった。
話す相手もいないのだから箸を動かす以外にする事が無い。
「酒が飲めればいい気晴らしになるんでしょうかねぇ…さてはて…ま、商人に無駄遣いは禁物だけれど」
どれ……明日も仕入先を回って……品物の仕入れ量は……などと明日の段取りを考えていると、戸を叩く者が居る。
夜分になんだろう…と訝しみつつも返事をしてみた。
「はい、どちら様で?」
「貴方の義姉さんよマルス」
…それは三ヶ月ぶりに聞く義姉エリスの声だった。
「―――――それで……グラ屋さんが潰れたと…」
「ええそうよ。困ったものね」
……エリスは住み込み奉公をしていた店が潰れて実家に戻らざるを得なくなったのだ。
切実な話の筈だがエリスにはさして気にした様子も無い。
「そういう事だからしばらく仕事を探してみるわ」
「…義姉さん…それもいいですけどね…それよりも嫁の貰い手を探した方がいいんじゃありませんか?
義姉さんも十六ですしそろそろ適齢期じゃありませんか」
エリスは座布団に座って持参した酒をお猪口に注ぎながらマルスに胡乱な瞳を向ける。
「嫌よ。マリクが成人するまで待つんだもん」
「姉さんの年下趣味」
「ふん、大きなお世話よ。それに成人まで待つって言ってるでしょう」
マリク。マルスの一つ年上の友人である彼は師ウェンデルの元で妖術を学んでいる少年だ。
齢十五になれば成人と見なされる…それまで後三年か。
「…僕は心配だから言ってるんですよ。三年後に義姉さんがマリクに振られたらどうなります?
もう適齢期ぎりぎりになってしまいますよ。下手したら嫁行き遅れになるじゃありませっ!?」
言い終える前に徳利で殴られる事となった………
マルスの憎まれ口は珍しい物ではない。
彼には少々の偽悪趣味があり、慕っている相手には本心を語れないのだ。
エリスはマルスをこの歳まで育ててくれた…マルスにとっては姉であり母である。
九年前…マルスの養父、エリスの父コーネリアスは大陸に渡りそして帰ってこなかった。
商人であった彼が残した物は僅かの財産とワーレンでの商売の許可書のみ。
それ後三年は母のリーザがその財産をやりくりして二人を育てたがリーザも病で命を落とし、
それからはエリスがマルスの面倒を見てきたが…弟が九歳になったある日、
エリスはマルスに遺品分けとしてコーネリアスの商売許可書を手渡した。
「貴方は喧嘩も弱いしマリクみたいな術の才もない。
でもね。マルスは頭の回転が速いしソロバンも得意だから…きっと父さん以上の商人になるわ」
「義姉さん…知ってたんですか? 僕の…」
「ええ、たくさん銭を貯めて…いつか大陸に渡りたいんでしょう?」
……コーネリアスは一人で海を渡ったわけではない……もう一人の養子を連れて行ったのだ。
もう顔も思い出せないおぼろげな記憶だがマルスの一つ年上の実の姉を……
「マルスもかすかに覚えているのかしらね。まだ二歳だったのに…そう、マルスはうちの養子になったばかりの頃は全然私に懐いてくれなかったのよ。
今だから言ってしまうけど正直妬けたわ」
「……父さんも姉さんも…生きてますよ…きっと何かの事情があって帰って来れないだけなんですよ…ならこちらから迎えに行かないといけないでしょう?
もっと銭があれば大陸に行く事だって……」
「父さんがこの許可書を残してくれたのもきっと巡り合せなんでしょうね」
ワーレンで店を出すには組合に入って許可証を得なくてはならない。これは露天商も一緒だ。
そして既得権益を守りたい長老達は並大抵の事では新規の許可証を発行しない。
コーネリアスの残した物の中でもっとも価値のある物がこれだ。
…そしてこの日以来…マルスは商人としてコツコツと資産を増やして渡航の費用を蓄える日々を過ごしてきたのだ…
この時代、海を渡る事は命がけであり当然費用もかかる。
そう簡単には必要な額を得られないだろうが…それでも数年のうちには実現できるだろう…
二年前の事を思い起こしながらマルスは酔って寝てしまったエリスに布団をかけていた。
グラ屋の奉公でうっぷんの溜まる事もあったのだろう……
疲れもあるのか美しい顔立ちに似合わぬいびきをかくエリスの顔を苦笑いで覗きこむとマルスは小さく呟いた…
「感謝してますよ義姉さん…」
マルスの朝は早い。
まだ眠っているエリスのために握り飯を用意するとまずは朝一で仲買商人の元を回る。
徹底した交渉と舌先三寸で可能な限り安く品物を仕入れると昨日の在庫と合わせて大八車に積み込み、
いつもの往来に向かう。急がないと良い場所を他の露天商に取られてしまう。
朝のもっとも忙しい時間帯…だがマルスにはささやかな楽しみがあった。
大通りに向かう途中に格式のある海鮮問屋タリス屋の裏手を通るのだが、時々二階の窓から青い髪の娘が外を眺めている事があるのだ。
綺麗な着物を纏っているから女中ではあるまい。おそらく店の主の娘だろう。
歳の近いであろうその娘は顔立ちも髪の色もエリスに似て美しかった。
大八車を引きながらふっと二階を見上げる…今日は…彼女の姿を見る事ができた。
「……これが恋心というもんなんでしょうかねぇ…まぁしがない露天商と立派な店のお嬢さんじゃ縁があるはずもないけどね」
それでもこの幸福感はなんとも言えない。
名前も知らないし、向こうはマルスの存在自体を知らないだろうけれど。
「さ、今日は縁起がいいしきっと儲かりますよっと…」
不思議と彼女の姿を見る事が出来た日は売り上げがよいのだ。
マルスは晴れやかな心持ちでまだ人の少ない早朝の往来を進んでいった。
純粋に銭を求めて…銭があればもっともっと自分は遠くにいける。
出来る事が大きくなる……
今日もこの町の中で商人たちが銭稼ぎに奔走する。
ある者は勝ちある者は敗れ、銭は人間たちを嘲笑するかのようにその主を変えていく―――――
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